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第33話 ミボランテ その3
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その時だった。
「動くな」
首筋に、冷たい感触がある。
(ナイフ——)
どこから……。
この部屋には窓がない。
唯一の出入り口は、目の前だ。
それにジローと揉めてから、防犯カメラと警報装置を大量に導入しているのだ。
その全てを掻い潜るなんて芸当が、できるわけがない。
それはもう、強さとは別次元の話だ。
いや、それよりも……。
(女の声……それも、かなり若い……)
「動くと殺す、声を出しても殺す」
可愛らしい声なのに、どこまでも淡々としていた。
そのギャップが恐ろしい。
「念を使っても殺す」
……念ってなに?
「わかったら、ゆっくりと目を閉じろ」
俺は言葉に従った。
暗闇が、恐怖心を否応なく掻き立てる。
「約束を破ったらどうなるか、わかった? わかったら、ゆっくりと二回頷け」
俺はゆっくりと二回頷いた。
「お兄ちゃ——ジローにこれ以上ちょっかいを出すな。約束だからね」
首筋に当てられていたナイフの気配がなくなる。
俺は無意識のうちに止めていた呼吸を再開した。
ゼェゼェと喘ぐように酸素を取り込む。
心臓が早鐘を打っている。
首筋に手を当ててみたけれど、血は流れていなかった。
しっかりとナイフの感触はあったのに。
(薄皮一枚だけを……)
そのことが、相手の力量の高さを余計に際立たせる。
今更のように、ぶるりと背筋が震えた。
(一体、なにが……)
ジローの関係者なのは間違いない。
でもあの男は一匹狼のはずだ。
誰とも群れず、どんなしがらみも持たず、ただ好きなことをやってるだけで……。
もしかして配信のあの姿は、仮初のものなのだろうか?
田辺も言っていた。
ジローらしくないと。
本当は俺も同意見だった。
支部を一つ一つ潰して回るなんて執拗さが、配信のあの姿からは想像もできない。
目障りだったなら、トップの俺の首を取ればいいだけなのだから。
もしかして俺の中にあるジロー像は、ただのブランディングの結果に過ぎないのだろうか?
「なんだよ、それ……」
怒りが込み上げてくる。
先ほど味わった恐怖も、火に焚べる薪に成り下がる。
「ふざけやがって……」
なぜかわからないけれど、ひどく裏切られた気持ちになっていた。
やっぱり俺は、どこかでジローに憧れを抱いていたのだろう。
愛憎相半ばする、なんて陳腐な言葉を使いたくはないけれど、これはやはりそういうことなのだと思う。
俺の中で、憎しみが膨らんでいくのがわかる。
「クソが……」
前夜祭は中止だ。
今更死ぬことは怖くない。
拠点にしているダンジョンを荒らしていれば、そのうちジローの方から接触があると思っていた。
ジロードで張り込んでもいい。
でも襲撃に手下を使っているのだとしたら、配信は録画じゃないと考えた方が自然だ。
なら、今すぐだ。
今すぐに、ジローのところに駆けつけてやる。
幸い、ジローが拠点にしているのは、攻略がそこまで進んでいない後期ダンジョンだ。
ジローもまだ、中層階にいる。
攻略を無視して強引に突破すれば、十分追いつける。
「覚えてろよ、ジロー……」
そうぼやきながら、なんとなく振り返ると、すぐ背後に女が立っていて——
「あっ」
俺は慌てて前を向いた。
…………え?
まだいるの?
なんで?
これって忽然と現れた時みたいに、忽然と消えてるパターンじゃないの?
言いたいこと全部言ったよね?
俺ちゃんと二回頷いたよね?
どうしよう。
動いちゃったよ、喋っちゃったよ。
え?
もしかして俺、これから二回殺される?
あ、目も開けちゃったから三回かな?
やだぁ……。
今更死ぬのは怖くないが、三回も殺されるのは話が違う。
今この瞬間に力に目覚めて返り討ちにできないかな……。
あ、ダメだ念を使っても殺されるんだった誰か助けてぇ!
「……いや、嘘嘘。冗談だって。あんたらの怖さは十二分に身に染みてるから。約束通り、ちょっかいを出したりしないから。今のは、ちょっと強がっただけだって。約束はちゃんと守るから」
そう弁明してから、またチラと後ろを見る。
いる。
普通にいる。
「…………あの……いや、本当に。マジでマジで。正直に言うとさっきまで約束を守る気なんて、さらさらなかったんだけど、でも今はマジで。本当にもうちょっかいを出す気はないから。今回のことも全部水に流すし……いや、違うか。こっちから喧嘩を売ったんだもんな。すみません。本当にすみません。この通り、どうか許してください」
俺は頭を下げて、その姿勢で一分ほど待った。
なにも言ってこない。
(さすがにもう、いなくなったよね……?)
最初のは形だけのものだったけれど、今の謝罪はガチのやつだ。
なんかこいつはマジでやばい気がする。
強いとかそういうのとはまた別の怖さがある。
チラと観ただけで、精神が折れてしまった。
それがきっと伝わったのだろう。
そう思って、恐る恐る振り返ったけどやっぱいる。
「もぉおおお! なんなんもぉおおお! なんで黙ってんの!? せめてなんか言ってぇ!? 怖いんだってそれぇ!」
「こいつマジでお兄ちゃんをふざけやがってクソがどうしてくれよう——」
「怖ぁ! 小声でブツブツ喋んの怖ぁ! ごめん、やっぱ黙って!」
俺は執務机に突っ伏す。
「もぉおおお! ごめんってぇ! 謝るからぁ! もう手出ししたり絶対にしないからぁ! 実家に帰って親の椎茸農家手伝うからぁ!」
そして「うわぁあああん!」と某議員のように号泣する。
そうしていれば、子供の頃のように、両親がなんとかしてくれるとでもいうように。
少なくとも十分は泣き叫んだと思う。
この部屋は完全防音だから、誰かが駆けつけてくることもない。
それが俺にとって良かったのか悪かったのか、判断に困るところだ。
こんな姿を見られたら……。
泣き止んでからも、俺は机に突っ伏したままで、グシグシと鼻を啜っていた。
泣いてしまったことが気恥ずかしくて、顔を上げられない中学生みたいだ。
一時間くらいはそうしていただろうか。
ようやく顔を上げて、ティッシュで鼻をかんだ。
袖はもう、乾いた鼻水でガピガピだ。
(泣いたら、なんかスッキリしたな……)
涙活なんてものが一時期流行っていたけれど、こういうことなのか。
なにが泣いてストレス発散だ、なんて考えていたけれど、確かに効果的かも知れない。
(俺は、なんてくだらないことにこだわっていたんだろう……)
もうやめよう、こんなことは。
俺が変わるべきなんだ。
(謝りたいな……)
ジローにも、そして田辺にも。
俺は、
「はぁ……」
と重いため息をついた。
振り返る。
いる。
「うわぁああああ! 助けてぇええ! お母さぁあああん!」
結局、女は朝までずっとそこにいた。
俺は誰に告げることもなく、実家に帰った。
今では両親の仕事を手伝って、美味しい椎茸を日本全国に送り届けている。
『私たちが作りました!』の家族写真。
「動くな」
首筋に、冷たい感触がある。
(ナイフ——)
どこから……。
この部屋には窓がない。
唯一の出入り口は、目の前だ。
それにジローと揉めてから、防犯カメラと警報装置を大量に導入しているのだ。
その全てを掻い潜るなんて芸当が、できるわけがない。
それはもう、強さとは別次元の話だ。
いや、それよりも……。
(女の声……それも、かなり若い……)
「動くと殺す、声を出しても殺す」
可愛らしい声なのに、どこまでも淡々としていた。
そのギャップが恐ろしい。
「念を使っても殺す」
……念ってなに?
「わかったら、ゆっくりと目を閉じろ」
俺は言葉に従った。
暗闇が、恐怖心を否応なく掻き立てる。
「約束を破ったらどうなるか、わかった? わかったら、ゆっくりと二回頷け」
俺はゆっくりと二回頷いた。
「お兄ちゃ——ジローにこれ以上ちょっかいを出すな。約束だからね」
首筋に当てられていたナイフの気配がなくなる。
俺は無意識のうちに止めていた呼吸を再開した。
ゼェゼェと喘ぐように酸素を取り込む。
心臓が早鐘を打っている。
首筋に手を当ててみたけれど、血は流れていなかった。
しっかりとナイフの感触はあったのに。
(薄皮一枚だけを……)
そのことが、相手の力量の高さを余計に際立たせる。
今更のように、ぶるりと背筋が震えた。
(一体、なにが……)
ジローの関係者なのは間違いない。
でもあの男は一匹狼のはずだ。
誰とも群れず、どんなしがらみも持たず、ただ好きなことをやってるだけで……。
もしかして配信のあの姿は、仮初のものなのだろうか?
田辺も言っていた。
ジローらしくないと。
本当は俺も同意見だった。
支部を一つ一つ潰して回るなんて執拗さが、配信のあの姿からは想像もできない。
目障りだったなら、トップの俺の首を取ればいいだけなのだから。
もしかして俺の中にあるジロー像は、ただのブランディングの結果に過ぎないのだろうか?
「なんだよ、それ……」
怒りが込み上げてくる。
先ほど味わった恐怖も、火に焚べる薪に成り下がる。
「ふざけやがって……」
なぜかわからないけれど、ひどく裏切られた気持ちになっていた。
やっぱり俺は、どこかでジローに憧れを抱いていたのだろう。
愛憎相半ばする、なんて陳腐な言葉を使いたくはないけれど、これはやはりそういうことなのだと思う。
俺の中で、憎しみが膨らんでいくのがわかる。
「クソが……」
前夜祭は中止だ。
今更死ぬことは怖くない。
拠点にしているダンジョンを荒らしていれば、そのうちジローの方から接触があると思っていた。
ジロードで張り込んでもいい。
でも襲撃に手下を使っているのだとしたら、配信は録画じゃないと考えた方が自然だ。
なら、今すぐだ。
今すぐに、ジローのところに駆けつけてやる。
幸い、ジローが拠点にしているのは、攻略がそこまで進んでいない後期ダンジョンだ。
ジローもまだ、中層階にいる。
攻略を無視して強引に突破すれば、十分追いつける。
「覚えてろよ、ジロー……」
そうぼやきながら、なんとなく振り返ると、すぐ背後に女が立っていて——
「あっ」
俺は慌てて前を向いた。
…………え?
まだいるの?
なんで?
これって忽然と現れた時みたいに、忽然と消えてるパターンじゃないの?
言いたいこと全部言ったよね?
俺ちゃんと二回頷いたよね?
どうしよう。
動いちゃったよ、喋っちゃったよ。
え?
もしかして俺、これから二回殺される?
あ、目も開けちゃったから三回かな?
やだぁ……。
今更死ぬのは怖くないが、三回も殺されるのは話が違う。
今この瞬間に力に目覚めて返り討ちにできないかな……。
あ、ダメだ念を使っても殺されるんだった誰か助けてぇ!
「……いや、嘘嘘。冗談だって。あんたらの怖さは十二分に身に染みてるから。約束通り、ちょっかいを出したりしないから。今のは、ちょっと強がっただけだって。約束はちゃんと守るから」
そう弁明してから、またチラと後ろを見る。
いる。
普通にいる。
「…………あの……いや、本当に。マジでマジで。正直に言うとさっきまで約束を守る気なんて、さらさらなかったんだけど、でも今はマジで。本当にもうちょっかいを出す気はないから。今回のことも全部水に流すし……いや、違うか。こっちから喧嘩を売ったんだもんな。すみません。本当にすみません。この通り、どうか許してください」
俺は頭を下げて、その姿勢で一分ほど待った。
なにも言ってこない。
(さすがにもう、いなくなったよね……?)
最初のは形だけのものだったけれど、今の謝罪はガチのやつだ。
なんかこいつはマジでやばい気がする。
強いとかそういうのとはまた別の怖さがある。
チラと観ただけで、精神が折れてしまった。
それがきっと伝わったのだろう。
そう思って、恐る恐る振り返ったけどやっぱいる。
「もぉおおお! なんなんもぉおおお! なんで黙ってんの!? せめてなんか言ってぇ!? 怖いんだってそれぇ!」
「こいつマジでお兄ちゃんをふざけやがってクソがどうしてくれよう——」
「怖ぁ! 小声でブツブツ喋んの怖ぁ! ごめん、やっぱ黙って!」
俺は執務机に突っ伏す。
「もぉおおお! ごめんってぇ! 謝るからぁ! もう手出ししたり絶対にしないからぁ! 実家に帰って親の椎茸農家手伝うからぁ!」
そして「うわぁあああん!」と某議員のように号泣する。
そうしていれば、子供の頃のように、両親がなんとかしてくれるとでもいうように。
少なくとも十分は泣き叫んだと思う。
この部屋は完全防音だから、誰かが駆けつけてくることもない。
それが俺にとって良かったのか悪かったのか、判断に困るところだ。
こんな姿を見られたら……。
泣き止んでからも、俺は机に突っ伏したままで、グシグシと鼻を啜っていた。
泣いてしまったことが気恥ずかしくて、顔を上げられない中学生みたいだ。
一時間くらいはそうしていただろうか。
ようやく顔を上げて、ティッシュで鼻をかんだ。
袖はもう、乾いた鼻水でガピガピだ。
(泣いたら、なんかスッキリしたな……)
涙活なんてものが一時期流行っていたけれど、こういうことなのか。
なにが泣いてストレス発散だ、なんて考えていたけれど、確かに効果的かも知れない。
(俺は、なんてくだらないことにこだわっていたんだろう……)
もうやめよう、こんなことは。
俺が変わるべきなんだ。
(謝りたいな……)
ジローにも、そして田辺にも。
俺は、
「はぁ……」
と重いため息をついた。
振り返る。
いる。
「うわぁああああ! 助けてぇええ! お母さぁあああん!」
結局、女は朝までずっとそこにいた。
俺は誰に告げることもなく、実家に帰った。
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