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第32話 ミボランテ その2

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「三星さん……」
「なんだ?」
「これって、本当にジローの仕業なんですかね」
「はぁ? 今更なに言ってやがんだ」
「だってジローは、今も配信中だし……」
「アリバイ工作に決まってんだろ。あいつはソロで、コメントにも反応しないんだから、録画で十分だ」
「そうかもしれませんけど……でもなんか、ジローらしくないじゃないですか、こういうのって」
「なんだよ、ジローらしいって。お前はあいつのなにを知ってるってんだ」
「それは、その……勝手なイメージですけど……」
「そういやお前、最初からジローに喧嘩を売ることに否定的だったな。なんだ? あいつのファンなのか?」
「そういうわけじゃ……」

 俺はふんと鼻を鳴らす。

「……それに、ジロー以外に誰が、こんなことできるってんだよ」
「……そうですよね、すみません」

 田辺は躊躇ためらいがちに口を開く。

「三星さん、今からでも謝罪しませんか?」

 カッと頭に血が上った。

「ふざけんな!」

 卓上の灰皿を掴んで衝動のままに投げつける。
 灰皿は田辺の頭をかすり、背後の壁に当たって砕けた。
 田辺のこめかみから、たらりと血が垂れる。

「今更、なにを言って……」
「襲撃を受けてるのがどういう連中か、わかってますか?」
「はぁ? そりゃうちの構成員に決まってんだろ」
「その中でもって話です」
「もったいぶってんじゃねえよ」
「……襲撃を受けてるのは、ネガティブキャンペーンに加担した連中だけです」

 すっと、背筋に冷たいものが走る。
 田辺は真っ直ぐに俺の目を見つめてくる。

「ギルドの一員だからって、無差別に襲っているわけじゃない。相手は獣じゃないんです。知性も理性もある——バケモノだ」
「……だったらなんだって言うんだ。俺もお前も、扇動せんどうした立場だろ。今更……」
「加担していても、謝罪文や謝罪動画を投稿した連中は、襲撃をまぬがれています。主犯の俺たちは、別かも知れない。でも許してもらえる可能性はゼロじゃない」
「…………」
「それしかないんです! 助かる道は、それしか……」

 部屋の中に、重い沈黙が流れる。

「三星さん……」
「……兵を集めろ。あの男を迎え撃つ」

 田辺の顔に浮かんだのは、どうしようもない落胆らくたんの色だった。

「どうしてそこまでジローにこだわるんですか。これまでだって散々、権力者に尻尾を振ってきたでしょう。同じことをするだけじゃないですか」
「うるさい! 俺に口答えするな!」
「……わかりました」

 田辺は懐から、折り畳まれた一枚の紙を取り出した。
 それを執務机の上に置く。

「……なんだこれは」
「脱退届です。俺はこの瞬間を持って、ミボランテを抜けさせてもらいます」
「……こんなものを用意してやがったのか」
「できれば、懐にしまったままにしたかったんですけど……」

 田辺は硬い表情をして、俺の沙汰さたを待っている。

「なにをしてる」
「……え?」
「さっさと出ていけ」
「でも……」
「部外者にうろちょろされたら目障めざわりだ。消えろ」
「……」

 田辺は頭を下げる。

「お世話になりました」

 田辺が部屋を出て行ってから、俺は脱退届をつまみ上げた。

(五年の付き合いが、こんな薄っぺらい紙で、か)

 本当に、律儀な男だ。
 こんなものをわざわざ俺に渡す必要なんてないのに。
 適当な用事で部屋を出て、そのまま行方ゆくえをくらませるだけでよかったのだ。

(逆上した俺に、ボコられるとか考えなかったのか……)

 俺は田辺の表情を思い出す。

(……それを覚悟した上で、筋を通したのか)

 本当に、いい部下だった。
 俺なんかよりもよっぽど有能で、年齢だって一つ上なのに、常に一歩引いて俺を立ててくれていた。
 田辺がいなかったら、ミボランテがこれほど大きくなることは、きっとなかっただろう。
 でも、しょせんは部下だ。

(あいつが友達だったらな……)

 きっと、こんなことにはなっていなかったんじゃないか。
 そんな詮無せんないことを考える。

 ふと、ある考えが頭に浮かんだ。
 大して悩むことなく、俺は覚悟を決める。

 残っている構成員に連絡して、仲間を集めさせた。

 一時間後。
 本部に集まったのは、十三人だけだった。
 全盛期は五百人近い構成員がいたというのに。

「……これだけか?」

 しかも全員が若い。
 帰る場所がある奴らは、とっくにミボランテを見限みかぎったのだ。
 ここにいるのは、かつての俺のように、いく宛のない連中だけだ。

「すんません……連絡のつかない連中が大勢いて……」

 若い世代のまとめ役のタケルが、申し訳なさそうに言う。

「いや、いい。これだけいれば十分だ」
「それで、これからどうするんすか」
「喧嘩の準備をしろ」
「……ジローを迎え撃つんすね」
「違う」
「え?」
「考えてみりゃ、そんなもん俺の性にあわねえ。こっちから攻め込むんだよ」
「攻め込むって、どこに?」
「奴が拠点にしてるダンジョンに決まってるだろ」

 緊張が走る。

「そう固くなるな。お前らが戦う必要はない。お前らの役目は、俺を奴のところまで連れて行くことだ」
「それって……」
「奴と一騎討ちをする」

 悲鳴のような歓声が、わっと上がった。

「あのジローとタイマン!?」
「マジっすか!?」
「ヤベェ!」
「でも、いくらなんでも……」
「バカ! 三星さんだってAランクの冒険者なんだぞ!」

 俺が片手をあげると、ぴたりと騒ぎが治った。
 初めてだ。
 俺がこんなふうに、カリスマ性を発揮するのは。

(こんな土壇場で、たった十三人を相手にして、なんてな)

 俺は内心で自嘲じちょうした。

「明日の朝、ここをつ。前夜祭だ。出前でも頼んで、好きに飲み食いしろ。俺の奢りだから、遠慮すんな。あと装備に関しても、俺のコレクションから好きなのを持ってけ。退職金の代わりだ。そのままくれてやる」

 また大騒ぎになる。
 俺は背を向けて、その場から立ち去ろうとした。

「三星さん」

 タケルが声をかけてきた。

「なんだ」
「どこに行くんすか?」
「俺の部屋だ」
「一緒に飲みましょうよ」
「ガキ共に付き合ってられるか。俺は一人で精神統一する。邪魔すんなよ」
「……うす」

 タケルはなにかを察しているのか、馬鹿騒ぎしている連中の中で一人だけ、思い詰めた顔をしていた。
 俺はそれ以上なにも言わず、ギルド長室に戻った。

(一騎打ち、か……)

 椅子に深く腰掛けて、感傷かんしょうひたる。

 よくもまぁ、そんな大口を叩けたものだ。
 逆立ちをしたって、あんなバケモノに勝てるわけがないのに。
 Aランクの称号だって、金で買ったものなのだから。

(でも、差し違えることはできる……)

 ダンジョンエラーを、引き起こしてしまえばいいのだ。

 想像するだけで、鳥肌が立つ。
 佐用町のダンジョンエラーでは、巻き込まれずに済んだ。
 でもあの、ダンジョン全体が熱を帯びるような異常事態は、今でも夢に見る。
 だけど……。

(その時には俺は、もうこの世にいない……)

 いくらあのジローでも、生き延びることは不可能なはずだ。
 魔物が大挙して押し寄せてくる。
 物量に飲まれ、ジローはなすすべなく引き裂かれる。

 その様を想像して、胸の内にドス黒い愉悦ゆえつが広がった。

 ——どうしてそこまで、ジローにこだわるんですか。

 ふと、田辺の言葉が蘇った。
 あいつの言う通り、俺はこれまで色んな相手に尻尾を振ってきた。
 でもジローにだけは、どうしてもそれができない。

 理由は痛いほどわかっている。
 俺はあの男が羨ましいのだ。

 なににもとらわれず、誰にも支配されない。
 ただ好き勝手に生きているだけだ。

 俺が大枚たいまいはたいてAランクの称号を得たというのに、あの男は冒険者登録すらしていないのだ。
 あの男を見るたびに、俺が積み上げてきたものが、全て無価値に思えてしまう。
 俺の存在そのものが、否定されたような気持ちになる。

 おの男は本物だ。
 俺のようなハリボテじゃない。
 だからこそ、どうしても許せなかった。

 その結果がこれだ。
 田辺にも愛想を尽かされるわけだ。

(……不思議だ)

 たくさんのものを犠牲にして積み上げてきたものが、ガラガラと音を建てて崩れ去ってしまった。
 でもそんなことよりも、あいつが俺の元を去ったことの方が、よっぽど……。

 皮肉な話だった。
 俺のことを思って止めてくれた田辺が、最後の一線を越すきっかけになるなんて。

 田舎の両親の顔が頭に浮かぶ。

(ごめんな。親父、お袋……)

 でもここまできたら、もうどうしようもない。

「待ってろよ、ジロー……お前を道連れにしてやるからな……」
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