ソロキャンパージロー、今日もS級ダンジョンでのんびり配信。〜地上がパニックになってることを、彼だけが知らない〜

相上和音

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第22話 ジロード

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 このエピソードは、2話と3話の間の出来事です。
 タイミングを見て、順番を変更しようと考えています。
 ———————


「でだ」

 ここからが本番だと言わんばかりに、健吾さんは声を強くする。

「さっき話題に上がったジロードだけど……紗香は配信者のジローを知ってるか?」
「もちろんです。私、ファンなんですよ。ライト勢ですけど。ダンジョンに潜ってみたいって思ったのも、ジローがきっかけですし」

 好きな配信者の名前が急に出てきて、私はテンションが上がる。

「面白いですよね! 強いのにめちゃくちゃ天然で。あ、そういえば今、ジローも東池袋に潜ってるんじゃなかったでしたっけ? 会えないかなー」

 ハイテンションの私とは対照的に、三人の反応は悪い。
 顔を見合わせて苦笑している。

「……え? すみません……私、変なこと言いましたか?」
「いやいや、変なことは言ってないよ。そうだよな。配信だけ観てたら、そうなるよな」

 なんだか不安になってくる。

「そのジローが、どうしたっていうんですか……?」
「当然だけど、彼にも彼のルートがあって」
「それはまあ、そうですよね」
「うん。だけど他と違うのが……彼が三往復もすると、そのルートに魔物が寄り付かなくなるんだ」

 背筋が粟立あわだつ。
 それが尋常のことでないことくらい、私にもわかった。

(さっきから全然魔物に遭遇そうぐうしないのも、それで……)

 親だと思って手を繋いでいた相手が、見ず知らずの誰かだと気づいたような……。
 そんな恐ろしさと気味の悪さが混じった感情が湧いてくる。

「そのルートが、ジロードって呼ばれてるんだ」
「……ジローのロードだから、ジロードですか?」
「そうそう」
「ちなみにジローどうともかかっているらしいわよ」

 優子さんが補足してくれる。

「…………」

 私が急に黙り込んだ理由を、健吾さんは勘違いしたようだ。

「言っとくけど、俺が名付けたんじゃないからな。そう呼ばれてるってだけで」

 慌てたようにそう弁明する。
 その必死さがおかしくて、つい笑ってしまう。

「わかってますよ」

 沈んでいた空気が、ふっと軽くなった。

「それでだ」

 健吾さんは切り替えるように咳払いをする。

「このジロードには、要注意だ」
「え? 魔物が寄り付かないんですよね? 安全で、すごく便利そうですけど……」
「初心者のうちは、むしろその安全さが危険なんだよ。魔物と遭遇しないからって、知らず知らずのうちにダンジョンの奥深くまで足を踏み入れてしまっている、なんてことになりかねない」
「なるほど……」
「逆に中級者以上だと、紗香の言う通り、めちゃくちゃ便利なんだけどな。行きたい階層まで、ほぼスキップできるから。だからジロードの情報は、冒険者間で売り買いされるほどなんだ。——でも当然、それ相応のリスクがともなう」
「リスクですか? 一体、どんな……」
「決まってるだろ。ここはジローの通り道なんだ。運が悪かったり、タイミングを誤ったりしたら、あのジローと鉢合はちあわせて——」

 じゃり——

 それは小さな足音だった。

 なのに鳥肌が立つ。
 直接鼓膜こまくこすられでもしたような——
 大袈裟おおげさでもなんでもなく、魔物の凶悪な叫び声なんかよりも、ずっと重い響きがそこにあった。

(——誰?)

 私は足音がした方に視線を向けた。
 目を凝らすと、薄暗い中に、ぼんやりと人の影が……。

「馬鹿っ。目を合わせるなっ」

 殴られるような勢いで、私は健吾さんに無理やり下を向かされた。

「大丈夫よ、紗香……」

 優子さんが私の肩に手を置く。
 その手も声も、普段の優子さんからは想像もできないほどに震えている。

「大丈夫……すれ違う時、向こうから会釈えしゃくしてくるから。そうしたら、こっちも会釈を返すの。わかった? 大丈夫だからね。きっと、大丈夫だから……」

 まるで自分に言い聞かせているみたいだった。

 足音が近づいてくる。
 私たちは地面を見つめ、ただひたすらに息を殺す。
 実際は一分にも満たないはずだけれど、信じられないほど長く感じた。

 すれ違う時、視界の隅で、男の人が小さく頭を下げる。
 私たちも頭を下げ返した。

 足音が遠のいていく。

 でも……。

 心臓の音のせいだ。
 心臓の音のせいで、すぐに足音が聞こえなくなってしまう。

 本当に遠ざかっていったのか——
 あるいは、すぐ近くで立ち止まって、こちらをじっと見つめているのか——

 わからない。
 本当に恐ろしい時は、声も上げられないのだと、私は知る。

 ——五分は経った。
 なにがきっかけかはわからない。

 ふっと糸が切れたように緊張が緩み、三人が次々にその場にしゃがみ込んで行く。
 私もふらふらとしたけれど、壁に手をついてなんとか耐えた。

「いやぁ! ビビったぁ!」

 健吾さんが大声で言った。

「なんでだよ! 潜ってまだ一週間だろ!」
「なんかトラブルでもあったんじゃない?」
「……トラブルって?」
「私が知るわけないじゃない」

 三人は妙にハイテンションだった。
 普段は無口の亮輔さんまでも、大声で会話に参加している。
 それが恐怖の揺り返しだと、私にはわかる。

 でも……。
 私と彼らの間には、大きなへだたりがあった。
 私はまだ、なに一つ理解できていないのだ。

 本当は、私も彼らの輪の中に入りたい。
 彼らが今しているように、感情を共有して自分の心を落ち着けたい。
 でも私には、それができなかった。

「……あの」

 三人がハッとして、目を丸くしながらこちらを見る。
 まるで声をかけられるまで、私の存在なんて忘れてしまっていたように。

「今のって……」
「悪い! 紗香!」

 健吾さんが両手を合わせて謝罪してくる。

「乱暴なことしちまった。怪我はしてないか?」
「……はい、それは」
「もう、健吾ったら。乱暴なんだから」
「仕方ないだろ。咄嗟とっさのことだったんだから」
「咄嗟の時ほど、本性が出るもの……」
「なんだよ、亮輔まで!」
「紗香ちゃん、騙されちゃダメよ。こいつは優男やさおぶってるけど、本当はろくでなしなんだから」
「危険危険……」
「マジでやめろって!」

 三人のそんなやりとりを、私は白けた気持ちで眺める。
 彼らは今の出来事を、さっさと過去にしてしまいたいのだ。

 でも私は、どうしてもそれに乗っかることができなかった。

「あの!」

 三人がまた黙る。
 それ以上言うなと、その瞳が語っている。

「……今のって、ジローですよね? 話題になってた、配信者の……今からでも追いかけて、サインとかもらいたいなー、なんて……」
「ダメだ」

 今まで聞いたことがないほど、低い声が返ってくる。
 健吾さんが立ち上がり、私に歩み寄ってくる。

「紗香。これから冒険者になるからには、絶対に覚えておかなきゃいけないことがある。ダンジョンには、危険がつきものだ。魔物だけじゃない。動植物も、罠も……ダンジョンは、いつ命を落としてもおかしくない場所なんだ」

 健吾さんは、私の両肩に手を置いた。
 腰を屈めて、私の目を真正面から覗き込んでくる。

「もちろん、わかっています……ちゃんと、覚悟は……」
「でもな」

 健吾さんの瞳の奥には、拭い切れない恐怖の色があった。

「絶対に忘れるな。一番危険なのは——あの人だ」



 自分でも不思議なんだけど、その出来事を機に、私は虫嫌いを克服した。
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