長編「地球の子」

るりさん

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第二十一章 広い休日

新しく開いた扉の先

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 雪が降り始めてきたロンドンの夕暮れ。
 太陽に照らされていた自分の心も、萎れてくる時間帯だ。しかし、そんな時間も今日からの休暇では心躍る時間でもあった。
 実花は、自分の心の中にあった小さな気持ちがどんどん大きくなっていくのを感じた。うまい具合に育てばいいのだけれど。
 少しの不安と期待を抱えながら、ドキドキする心臓を高鳴らせて、ドアを開く。昨日舞踏会場となっていたダンスホールにはビビッドなバルーンと可愛いテディ・ベアが飾られていて、クリスマスの音楽がレコードから流れていた。
 会場の雰囲気に誘われるように中へ入っていくと、長いテーブルにいくつものお菓子やケーキが並べられ、その隣にはいい香りのフィッシュアンドチップスが置いてあった。所々にサラダや前菜が乗せてあり、見てて飽きない料理が所狭しと並んでいた。
 実花は、少し悩みがあった。
 親友の宮田葵のことだ。
 彼女は、通学区が違うため美花と違う中学だったが、卒業するまでの間ずっといじめを受けていた。実花のようにうつになって不登校になるようなことはなかったが、それでも美香より強いせいか、疲れたという以外弱音を吐かなかった。
 葵とは、小学校で出会った。そこで葵と実花は互いのことを知った。
「葵がここに来ることができたなら」
 実花はそう呟いて、ふと、周りを見渡す。瞳がいる。昨日とは違って、着物で来ている。彼女はドレスより着物の方がずっと似合う。その隣にはミシェル先生がいて、楽しそうに談笑していた。実花はそちらに行こうとして、足に何か重いものがぶら下がっているのを感じた。
 見ると、そこには着物に半纏を羽織った小さなおかっぱの女の子がいた。
「あ、座敷童」
 つい、その言葉が出る。以前町子から聞いた。内山牧師さんの家に住み着いている座敷童がいるのだと。彼女もパーティーに呼ばれていたのだ。
「て、テンちゃんだっけ?」
 一旦立ち止まると、座敷童は一つ、頷いた。
 どうしたの、と聞くと、こう答えた。
「ミシェル先生と瞳さんのところへ行くんでしょ? テンも連れてって。あんたにもいいこときっとあるから」
「あんた、ねえ」
 意外と可愛くない言葉を使う。そう感じて、実花はそのままテンを連れてミシェル先生と瞳の元へ向かった。途中で接客係からジュースを受け取った。少し飲むと、りんごのジュースであることがわかった。
 二つ受け取ったので、もう一つのリンゴジュースはテンに渡した。テンは嬉しそうに受け取って、飲んだ。
 瞳の所に着いて挨拶をすると、ミシェル先生も笑顔で迎えてくれた。
「そういえば実花さん、来年はミシェル先生のクラスなのね」
 瞳はそう言って、ミシェル先生と美香を見比べた。ミシェル先生は、上品な笑みを湛えている。
 輝たちは怯えていたが、実花にとってこの先生は非常に心強い存在で、すぐ好きになれそうだった。勉強は今より難しくなるだろうが、そんなことは後からいつでも追いついていける。
「ミシェル先生、私、勉強、頑張ります」
 実花がそう言うと、ミシェル先生は実花の右手をとり、胸の辺りの高さまで上げた。
「高貴な力を感じます。あなたには夢があるのですね」
 実花は、少し照れて頷いた。
「この国に住んで、いずれは永住権を取りたいんです。両親もそのつもりでいます。それに、私、ちょっと難しいかもしれないけど、学校の先生になりたい。いろんな人にいろんなことを教えて、そして教わりたい。先生って、子供たちと一緒に成長していける存在だと思うから」
「学校は、実花さんに、いじめられることを経験させてしまった場所でしょう? 大丈夫なの?」
 瞳が心配そうに聞いてきたので、実花はにこりと笑った。
「葵と一緒ならって条件があるんです。中学の時、そう言う約束をしてて。でも、覚えているかどうか。もし忘れているようなら、新しい夢を探さなくちゃ、なんですけどね」
「葵さん」
 瞳は、少し考えて、ふと、テンを見た。袖に手を突っ込んで何かを探っている。
「テンちゃん、どこに手を出しているの?」
 聞かれて、テンは難しそうな顔をした。まだ袖の中を探っている。
「おっかしいなあ。この辺にあったんだと思うんだけどなあ、手紙」
「手紙?」
 瞳が、怪訝な顔をする。すると、テンはこう告げた。
「うん。宮田葵って人から、実花さんへの手紙」
 すると、三人ともびっくりして声を失った。
「そんな手紙、知らないよ、テンちゃん。どこにあるの? いつ来たの?」
 実花は腰をかがめてテンの肩に手をやって揺らした。テンはびっくりして手を袖から出した。するとその手には、一通の手紙があって、三人ともびっくりした。
「もう、実花は乱暴なんだから。でもお陰で手紙、取れたけどね。ついさっき、実花の部屋に届いていたよ」
 実花は、ごめんなさいと言って下がった。すると、テンが手紙を差し出してきたので、素直に受け取った。
 そして、その手紙を、封筒から出して読んでみた。
「実花へ。
 私、今、高校生になったよ。実花はまだ義務教育修了過程の二段階目だって聞いた。一年遅れなんだね。
 ねえ実花、高校でも私、早速いじめられたよ。髪の毛に緑が入っているし、瞳も緑でしょ。やっぱりシリンって辛いよ。そっちでは実花は全然イジメに遭っていないんだよね。多様性に対する寛容さではやっぱり日本は勝てないよ。
 だから、私、実花の学校で一緒に勉強したいって思う。留学するためにはすごく勉強しなきゃだし、実花の一年遅れで後輩になるかもしれないけど、英語も勉強も頑張ってみるよ。もし、そちらのお屋敷に空きがあったら、家族で引っ越したいなとも考えてる。ダメだったらお金貯めてアパート借りるよ。
 実花、久しぶりに会いたい。
 手紙が届く頃はクリスマスになっているかな。
 じゃあ、また会える時を楽しみにしているね。またね」
 実花が手紙を読み終えると、ミシェル先生がむずかしい顔をした。
「また、いじめですか。すぐにでも学校にご招待したいですが、彼女はシリンであるのに英語ができないのですね」
 実花は、頷いて手紙を封筒にしまった。
「わさびは日本固有の植物なので、海外ではなかなか広がりにくくて。香辛料として出回ってはいてもわさび自体はなかなか」
「わさびのシリンなのね」
 瞳はそう言って、手紙を実花から受け取って中身を確認した。すると、中に、もう一つ、メッセージカードを見つけた。それを手に取ると、読んでみた。
「やっぱ行く! 一週間後に待ってて!」
 すると、会場の入り口の方からざわめきが起こった。少しずつ、拍手が送られる音がする。なんだか胸がドキドキしたのでそちらに行ってみると、その場にいた皆が実花に道を譲った。
 入口の広いエントランスに着くと、実花はアッと声を上げた。
 緑がかった黒く短い髪に薄い緑の瞳、照れ気味に笑う、面長の顔。
 宮田葵だった。
「葵!」
 実花は、叫んで葵に飛びついた。どうやって来たのかは大体想像がついた。隣にドロシーがいたからだ。
「ドロシーを呼んだの? どうやって?」
 少し涙が出たので、手で拭って葵から離れる。すると、今度は葵から抱きついてきた。
「見る者の先輩がね。急だったからオシャレもしてないけど」
 そう言って、葵は美香から離れた。すると実花はちょっと待っててと言って、誰かを連れてきた。
 アイラだ。いつもセインの服をコーディネートしている。
「女の子の服も、アイラさんならバッチリだよ! まだパーティーの開始には間に合うから、アイラさんの家に行って全身着替えてきなよ!」
 すると、急なことで訳のわからないアイラと、三人でアイラの家に行った。彼女の家は屋敷の南棟から百メートルと離れていない。行き来は楽だった。
 アイラは、葵に、水色のニットワンピースと黒のレギンスにブーツを合わせた。細かい持ち物を入れるバッグは細身の革製で、光沢のないものだった。面長で、高校一年生にしては大人びた印象の葵には、少し背伸びをしたアイテムもよく似合った。
「ダンスホールの外は寒いから、ダウンコートを着るといいわ」
 アイラはそう言うと、いくつかのクローゼットのうち、三つか四つめの扉を開けて、黒のダウンコートを出し、葵に渡した。
 三人はそのまま嬉しそうに照れている葵を囲んで、会場に着いた。パーティーは葵を待ってから開かれ、大きなプレゼントをもらった美花と葵を囲んで、皆が幸せな時間を過ごした。
 クリスマス・イヴの夜が更けていく。
 それは、そこにいたすべての人間と、平和を享受できるこのひとときをしっかりと繋ぎ止めていた。祈りの声と楽しげな音楽が響く中、一筋の流れ星が大きな光を放って流れていった。




長編「地球の子」 
おわり
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