長編「地球の子」

るりさん

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第十八章 暁光

手術

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 輝はマリンゴートのホテルでもう一泊して、朝起きるとすぐに病院に向かった。シリウスは道案内と護衛を兼ねてきちんとついてきてくれたが、急ぐ輝をあえて止めることはなかった。
 病院に着くと、母はすでに準備を始めていた。病室でおとなしく待ってはいたが、心は穏やかではなかったのだろう、ソワソワとしていた。
 しばらくして看護師や、何人かの職員や医師が来ると、母はストレッチャーに乗って病室を去っていった。
 母が手術室に入ってしまうと、輝は急に不安になった。今までの母のことを思い出すと、涙が出てくる。手術は完璧ではない。失敗すれば命だって危うい。不安に駆られていると、シリウスが輝の肩に手を置いた。
「アースを信じろ。神ではないが、腕のいい医者だから」
 輝は、それを聞いて涙を拭いた。
「おじさんを信じます」
 今は、何かに縋っていないと自分を保てない。母がこんなに自分にとって大きな存在だったなんて。それに今さら気がつくなんて。
「おふくろさんがこの星に来るのも、本当は嫌なんだろ」
 輝は、頷いた。今は自分の気持ちを素直に吐き出すしかない。一緒にいるシリウスの言葉が大きな救いになる。
「モリモトさんはいい人だと思います。でも、なんで地球じゃないんだって」
 シリウスは、ため息をついて、手術室の近くにあるベンチに座り、肘を足に乗せた。
「こういう経験、俺にもあってさ」
 シリウスの表情は暗かった。
「あの時はこんなに環境も整っていなかったし、正直な話追い詰められていたんだ。思い出すだけでも胸糞悪い。だからってお前の方がマシだから我慢しろとも言えねえ。だからこそ、どんな状況でも残された者は医者を信じるしかないんだ」
「そうですね」
 輝は、なんの解決もしていないのに少し心が軽くなった気がした。シリウスもアースも、輝にとってすでになくてはならない人になっていた。
 手術は長い間かかった。何かがあって中から人が出てきてはいけないので、トイレに行ったり飲み物を調達したりするのは交代でやった。
 自動販売機のある休憩室で待つと言う手もあったが、輝は頑なにそれを拒んだ。
 そのうち、手術室の関係者出入り口から誰かが出てきたのでそちらを見ると、それはひとりの男性医師で、見たことのある顔だった。彼は輝を見て睨みつけると、こう言って去っていった。
「新規移民の地球人なんか、なんで手術するんだよ。先生も先生だ。断っちまえばいいのに」
 輝は、それを聞いて不安になった。
 こんな医者がいままで手術室にいたのだろうか。こんな差別発言をする人間が、母の体を触っているのだろうか。
「芳江さんは大丈夫なのか?」
 シリウスはそう言って輝を見た。不安に駆られて青ざめている。まずいことを言ってしまった。これでは輝の不安を煽ってしまう。
「輝、アースが部屋から出てこないってことは、希望を捨てていないってことだ。分かるな?」
 そう言って背中をさすってやる。輝は口を自分で押さえて涙を流した。
「あんな医者が、あんな医者が!」
 すると、どこからか声がした。女性の声だ。
「あの医者はアースを慕っているんだよ。だからチームに入れたんだけど、参ったね。これは私たちのミスだ」
 シリウスはその女性を見るなり、彼女の名を呼んだ。
「リーア! お前、ここの病院にいたのか」
 リーアと言われたその女性は看護師で、いい具合に年を重ねた四十代くらいの女性だった。美人ではないが魅力的だった。
「看護師長にまで上り詰めてやったわ。カロンの奴より出世したかな」
 看護師長は、そこで自分の夫の名を出して笑った。しかし、その笑顔もすぐに曇らせた。
「シリウス、手術室の修羅場が目に浮かぶようだよ。輝くんは支えてやれるかい? もしお腹が空いたり喉が乾いたりするようなら私たちに言うんだよ。代わりにやってあげられるからさ」
「すまない」
 シリウスは、一言そう言って輝を見た。暗い表情で何かをぶつぶつ言っている。
「この星におふくろさんを置くのが、余計に怖くなっちまったな」
 そう言って優しげな瞳で輝を見る。ここでモリモトが芳江を守ってくれるから大丈夫だという考えには及ばない。闇に飲まれがちな高校生の肩を抱いてやる。
「あんな人間ばかりじゃないんだ。許してくれ、輝」
 それからの時間は随分と長かった。あの医師が出て行ってから何度か眠くなってウトウトしたり、お腹が空いてリーアにお使いを頼んだりした。そんな時間を過ごしていたあるとき、手術室から、誰かが出てきた。スクラブを着ていて、手術室で作業をしていたままの格好ではなかった。一体何時間集中していたのだろう。中にいる何人かのスタッフに指示を出してから輝とシリウスの方に歩いてきた。それに合わせて、シリウスは塞ぎ込んでいる輝を立たせた。
「随分と待たせた。すまない、輝」
 医者は、アースはそう言って輝の背中に右手を回し、自分の方へ引き寄せた。大きな胸の中に招かれた輝は、そのままアースにしがみついて泣いた。
 その輝の姿を見ながら、シリウスはアースに尋ねた。
「輝はよく耐えたと思うぜ。一体中で何があったんだ? がんの摘出手術はこんなにかかるもんなのか?」
 アースは、輝の背をさすりながら答えた。
「お前の想像の通りだ。医師が一人減った。これは俺のミスだ。詳しいことは立ち会いの看護師がリーアに話すだろう」
 そんな会話をしているうちに、輝が泣き止んだので、アースがそっと離してやった。すると、輝はほっとした表情をアースに向けた。
「おじさん、母のことはどうにかなったんですね」
 アースは、頷いた。
「無事成功して、今は麻酔で眠っている。看護師の指示に従って、目を覚ますのを助けてやってくれ」
 アースは、そう言ってシリウスの肩をたたき、輝の背中を優しく押した。相当疲れているのだろうが、輝やシリウスの前ではそれを見せようとしなかった。そのまま病院の奥の方へ歩いて行くと、どこかへ曲がって見えなくなってしまった。代わりにリーアが来て、輝にいろいろ説明して行った。しかしその内容が、シリウスの頭の中には入ってこなかった。
 アースは、今回のこともまた自分のミスだと言っていた。自分達のミスではなく、自分のミスだと。また抱え込んで、輝たちを心配させるのだろうか。
 シリウスは今すぐアースを追って一言言ってやりたかったが、輝を見捨てるわけにはいかず、やめておいた。
 輝と共に輝の母の病室へ行くと、まだ芳江は眠っていた。輝はベッドの隣に椅子を持ってきて座った。しばらくして任務を終えたモリモトがきたので、何も言わなくなった輝の代わりにシリウスが事情を説明した。モリモトは、少し考えて、こう言った。
「私の力不足で輝くんや芳江さんに不快な思いと危険な思いをさせてしまった。これは私の甘えのせいで招いた結果だ。すまなかった」
 輝は、首を振った。
「モリモトさんが悪いなんて思っていないですよ。この件で悪いのは誰もいない。あの医者だって、自分が悪いことをしたなんて思っていないでしょうから。でも、俺はあの医者だけは許さない」
 輝は、強く握った拳を震わせた。シリウスもモリモトも、何も言えなかった。しばらくして、シリウスが、静かに語り出した。
「アースが優秀だったから、ことなきを得たのかもしれない。だが、優秀だったからこそ事態が明るみに出ることまで止めちまった」
 輝は、何も返さなかった。ただ、少し震えていた。
「ごめんな、輝」
 シリウスが手を伸ばすと、その手を輝は強く掴んだ。
「母が、目を覚まします。せめて不安にさせないように、笑顔でいようと思います」
 輝は、そう言って、薄い笑いを浮かべた。無理をしているのがわかるのに、今のシリウスとモリモトには何一つできなかった。
 そんな時、ドアをノックする音が聞こえた。
 開けると、そこにアースがいた。
 少し疲れているが、元気な様子で、輝がこちらを見ると笑いかけてくれた。輝は安心して顔を赤らめて、母の方へ向き直った。
「看護師は一人もいないのか。そろそろ目覚めると思って来てみたが」
 アースが来ることで、部屋の空気が変わった。アースが大きい声で芳江の名前を何度か呼んでいる。どこか垢抜けた雰囲気になったので、モリモトが少し表情を崩した。何かを言おうとしたが、アースが手のひらをかざしてそれを止めた。
「心配かけてすまない。俺は大丈夫だ。輝が心配で来てみたんだ」
 そう言ってふと笑う。すると、この部屋の誰もが前向きな気分になれた。アースが来てくれてよかった。でなければ、輝の母に余計な心配をかけてしまっているところだった。
 芳江は、輝が覗き込むとそっと目を開けた。そして、自分の手を握っている息子の手をそっと握り返した。
「心配かけちゃったね、輝」
 芳江は、そう言って笑った。
「芳江さんは全て気づいていたのですか」
 モリモトがびっくりしたので、芳江は笑って答えた。
「私、モリモトさんの重荷になりたくなかったから仕事に行ってもらったけど、逆効果だったかしら? モリモトさん、輝に責められなかった?」
 モリモトは、大きく首を振って芳江の元へ行き、床に膝をついた。
「いいんです、そんなことはどうでもいいんです。あなたが無事だったからそれで」
 モリモトの必死の訴えに、芳江は笑った。そして、シリウスに頭を下げて、アースを見た。
「先生、手術中のことは全て知っているつもりです。私、結構聞こえていたんですよ。あの医者、失礼ですわ。いなくなってよかったかも」
 すると、アースは困ったような顔をした。
「芳江さんには敵わないか」
 芳江は、笑った。
 すると、部屋の中が一気に明るくなり、そこにいた全員が、胸に安堵が降りてくるのを感じた。
「しかし、陛下に無礼を働くなど」
 モリモトは少し怒っているだろうか。感情の顕になった声を出すと、アースがそれを止めた。
「感情の刃は鞘に。今は忘れてくれ」
 そう言うので、モリモトは仕方なく大きなため息をついて、芳江を見た。すると、輝の母は明るい表情でモリモトを見た。
「きっと、どうにかなるわ」
 そう言って、疲れてしまったのか、ゆっくり目を閉じて寝息を立て始めた。そこにいた全員がそれに安心すると、輝はどっと疲れが出たのを感じた。
 輝は、少しふらついたので部屋の壁に手をついて体を支えた。しかし、それでも眩暈がする。気づいたら、アースの腕の中に倒れ込んでいた。
「よく頑張ったな」
 そう言って、輝を病室の隅に座らせてくれた。輝は眠くはなっていなかったし、意識もしっかりしていたので、そのままアースの腕を握った。
「おじさんが、一番頑張ったんですから、寝てください」
 そう言った輝の手を、アースはゆっくりと外し、輝の前に跪いて視線を合わせてくれた。
「ありがとう」
 そう言って、そっと輝から離れていく。
 その一瞬、輝はひどく不安になった。大事な物を失ってしまうのではないかと言う不安、アースのことを守れないのではないかという自責への不安。
 しかし、それも束の間のことだった。
 輝は、その体勢のまま、疲れからくる眠気に勝てず、眠ってしまった。
 次の日の朝、長い間眠って目覚めたのは、暁の星のホテルの部屋だった。
 紅に輝く暁光がカーテン越しに部屋の中に入ってくる。
 輝は素早く着替えると、カーテンを開けて、炎のように赤く染まる雲を見た。
 暁の大地を照らす朝陽を一身に浴びて、輝は気持ちよく、伸びをした。
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