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第九章 強さの温度
雪が雨に変わるとき
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変わり映えのしない殺風景な部屋の中で、サンドラは考えていた。
この部屋に余計なものは必要なかった。自分の考えたアイデアを形にするためには、こう言った何もない場所の方が落ち着く。外界と自分とを隔てる白い壁だけがあれば、それで十分だ。
サンドラは、考えた。
シリンどもを潰すには、まず、頭である地球のシリンをどうにかしなければならない。だが、あれは洗脳も効かないし輪っかも効かない。あれがいるだけで全ての事象がシリンどもに対して好転していく。分厚い防御壁だった。
だが、その壁も、壁である限りは穴を開けられるはずだ。
サンドラは、上が連れてきて洗脳している数多くのシリンたちを見てきた。何人かは完全に洗脳も済んでいて、戦闘力がついてきている。
それをけしかければ、地球のシリンは彼らを元に戻そうとするだろう。地球のシリンとはいえ人間。自分の大切なものに対しての執着が一切ないわけではないだろうから。
そう考えて、サンドラはノートパソコンを開き、本部へとメールを打った。
返事はすぐに帰ってきた。
「十人、十分だわ」
サンドラはそう言って椅子から立ち上がり、壁にかけてあったコートを着た。ここは極寒のロシアの地。ラヴロフや上の人間とともに自分のプロジェクトを立ち上げた場所だった。
外に出るとすでに雪が舞っていて、凍えるほど寒かった。そんな中、サンドラは自分の車に乗って、出かけた。洗脳が終わっている十人のシリンたちが、すぐ近くまでワープアウトしてくるのだ。彼らはすでに空間転移をできるほどの力を持ったシリンを作り出していた。そのことを地球のシリンも知っているだろう。だが、向こうは何の手立ても打ってこない。何を考えているのかわからなかったが、攻勢に出るのなら今だろう。
研究室を出てしばらく走ると、広い荒野にドーム型の建物が一つ見えた。
彼女はそこに入ってコートを脱いだ。転移先に分厚いコートは必要ない。
雪で濡れた髪を整え、服の皺を伸ばしていると、ドームの真ん中に突然、何の前触れもなくたくさんの人間が現れた。数えると、確かに十人いた。
「地球のシリンなどには負けませんよ」
洗脳されたシリンのうちの一人が、自信満々に自分の太い腕と腰に下げたナイフを指した。
「頼もしいわ」
サンドラは、口角を上げて笑った。腕に覚えのある十人もの洗脳シリンたちに、地球のシリンは勝てるだろうか。これが一気に襲いかかっていって、無事に元のシリンに戻すことができるだろうか。
もしかしたら、二、三人は元のシリンに戻っていくかもしれない。しかし、他はすぐには戻せない。
「自らの無力さと愚かさを呪うことね、地球のシリン」
サンドラは、そう言うと、自分の命令にだけ従う、物言わぬ人間たちに地球のシリンを探らせた。彼らは一同に西を指し示した。
「西」
サンドラは、少し考えた。今彼女が持っている情報で西といえば、英国にある学校だ。彼らの本拠地は地球のシリンが守っていて、どこにあるか全くわからない。学校だけがサンドラの前に晒されていた。
「見るもの、戻す者が通う学校、その近くに、ぼんやりとですが、存在を感じます」
シリンのうち一人が言うので、サンドラはそこにワープアウトするように指示をした。すると、洗脳シリンの中にいた一人が、右手を上げ、降ろした。
すると、そこにはこれまでと全く違う風景が現れた。
そこは雨が降っていて、いくつかの木の葉は落ちて、地面に張り付いていた。紅葉の終わった木々が枝をあらわにしていて、物寂しい光景が繰り広げられていた。たどり着いた場所は学校ではなく、おそらくは近くにあると思われる公園で、この雨のせいか誰一人いなかった。
この公園の中、人を探すとなると、このグループはバラけてしまう。木や生垣なども多く、集団で一気に行動することは難しい。ワープアウトした場所から動くことなく、相手を待つことができたら、それだけでも作戦はうまくいく。
だが、そんな罠にわざわざハマってくれるほど甘い相手だろうか?
サンドラは、考えた。
だが、彼女に考える時間は与えられなかった。
突然、どこからかナイフが飛んできて、サンドラから一番遠くにいるシリンふたりの腕に刺さった。二人は痛みで座り込み、それ以上のことはできなくなってしまった。ナイフが飛んできた方向を見ても誰もいない。
「どこ?」
サンドラは、瞳を緊張させて、周りを見た。すると、後ろから声が聞こえてきた。
「悪いが、消えてもらう」
声は、サンドラより少し高い位置から放たれた。男の声だ。サンドラがその声に反応しようと手を挙げた瞬間。
周りにいたすべてのシリンたちが、膝をついて倒れた。
サンドラは、焦った。なぜなのかはわからないが、どんどん自分の味方が崩れ去っていく。どんな手を使ったのかはわからない。だが、倒れて行っているのはシリンたちだ。地球上に自然発生したシリンたちなのだ。
こんなはずではなかった。地球のシリンが味方であるシリンたちを見捨てるなんて。こんなやり方をしてくる人間を放置して何も言ってこないなんて。
サンドラは、咄嗟に自分の懐に隠し持っていたナイフを握った。後ろにいる男にそれを刺そうと、手を振り上げる。すると、その手はいとも簡単に握られてしまった。
その男はサンドラの背面で、彼女の右手を握り、もう片方の手でサンドラの左腕を捻り上げていた。
「あ、あなた、これがどういうことかわかっているの? 地球のシリンの怒りを買うのよ」
捻り上げられた左腕が軋む。それに耐えながら喋ると、後ろにいた男は、ふと、冷たい声でこう言った。
「地球のシリンが怒ることはない」
サンドラの周りで、傷ついたシリンたちがどこかへ消えていく。残されたのは、時空転移のできるシリンだけだった。
「あなたにそんなことが分かって? こんなやり方をしていれば、あなたは消されるわ」
そう言って、サンドラは気がついた。
消される、その相手はサンドラだ。
誤算だった。地球のシリンはそんな生やさしい存在ではなかった。地球の全てを持って生まれるということは、残虐な性質も持って生まれてくるということだ。
もはや、この男から、地球のシリンから逃れる術はない。サンドラは、死を覚悟した。
しかし、サンドラは死ななかった。ただ、足元から次第に力が抜けてくるのを感じて、それが胸の辺りまで来る時には、すでに気を失っていた。
ただ一人残された、時空を渡るシリンは、放心状態のまま雨に打たれていた。
この部屋に余計なものは必要なかった。自分の考えたアイデアを形にするためには、こう言った何もない場所の方が落ち着く。外界と自分とを隔てる白い壁だけがあれば、それで十分だ。
サンドラは、考えた。
シリンどもを潰すには、まず、頭である地球のシリンをどうにかしなければならない。だが、あれは洗脳も効かないし輪っかも効かない。あれがいるだけで全ての事象がシリンどもに対して好転していく。分厚い防御壁だった。
だが、その壁も、壁である限りは穴を開けられるはずだ。
サンドラは、上が連れてきて洗脳している数多くのシリンたちを見てきた。何人かは完全に洗脳も済んでいて、戦闘力がついてきている。
それをけしかければ、地球のシリンは彼らを元に戻そうとするだろう。地球のシリンとはいえ人間。自分の大切なものに対しての執着が一切ないわけではないだろうから。
そう考えて、サンドラはノートパソコンを開き、本部へとメールを打った。
返事はすぐに帰ってきた。
「十人、十分だわ」
サンドラはそう言って椅子から立ち上がり、壁にかけてあったコートを着た。ここは極寒のロシアの地。ラヴロフや上の人間とともに自分のプロジェクトを立ち上げた場所だった。
外に出るとすでに雪が舞っていて、凍えるほど寒かった。そんな中、サンドラは自分の車に乗って、出かけた。洗脳が終わっている十人のシリンたちが、すぐ近くまでワープアウトしてくるのだ。彼らはすでに空間転移をできるほどの力を持ったシリンを作り出していた。そのことを地球のシリンも知っているだろう。だが、向こうは何の手立ても打ってこない。何を考えているのかわからなかったが、攻勢に出るのなら今だろう。
研究室を出てしばらく走ると、広い荒野にドーム型の建物が一つ見えた。
彼女はそこに入ってコートを脱いだ。転移先に分厚いコートは必要ない。
雪で濡れた髪を整え、服の皺を伸ばしていると、ドームの真ん中に突然、何の前触れもなくたくさんの人間が現れた。数えると、確かに十人いた。
「地球のシリンなどには負けませんよ」
洗脳されたシリンのうちの一人が、自信満々に自分の太い腕と腰に下げたナイフを指した。
「頼もしいわ」
サンドラは、口角を上げて笑った。腕に覚えのある十人もの洗脳シリンたちに、地球のシリンは勝てるだろうか。これが一気に襲いかかっていって、無事に元のシリンに戻すことができるだろうか。
もしかしたら、二、三人は元のシリンに戻っていくかもしれない。しかし、他はすぐには戻せない。
「自らの無力さと愚かさを呪うことね、地球のシリン」
サンドラは、そう言うと、自分の命令にだけ従う、物言わぬ人間たちに地球のシリンを探らせた。彼らは一同に西を指し示した。
「西」
サンドラは、少し考えた。今彼女が持っている情報で西といえば、英国にある学校だ。彼らの本拠地は地球のシリンが守っていて、どこにあるか全くわからない。学校だけがサンドラの前に晒されていた。
「見るもの、戻す者が通う学校、その近くに、ぼんやりとですが、存在を感じます」
シリンのうち一人が言うので、サンドラはそこにワープアウトするように指示をした。すると、洗脳シリンの中にいた一人が、右手を上げ、降ろした。
すると、そこにはこれまでと全く違う風景が現れた。
そこは雨が降っていて、いくつかの木の葉は落ちて、地面に張り付いていた。紅葉の終わった木々が枝をあらわにしていて、物寂しい光景が繰り広げられていた。たどり着いた場所は学校ではなく、おそらくは近くにあると思われる公園で、この雨のせいか誰一人いなかった。
この公園の中、人を探すとなると、このグループはバラけてしまう。木や生垣なども多く、集団で一気に行動することは難しい。ワープアウトした場所から動くことなく、相手を待つことができたら、それだけでも作戦はうまくいく。
だが、そんな罠にわざわざハマってくれるほど甘い相手だろうか?
サンドラは、考えた。
だが、彼女に考える時間は与えられなかった。
突然、どこからかナイフが飛んできて、サンドラから一番遠くにいるシリンふたりの腕に刺さった。二人は痛みで座り込み、それ以上のことはできなくなってしまった。ナイフが飛んできた方向を見ても誰もいない。
「どこ?」
サンドラは、瞳を緊張させて、周りを見た。すると、後ろから声が聞こえてきた。
「悪いが、消えてもらう」
声は、サンドラより少し高い位置から放たれた。男の声だ。サンドラがその声に反応しようと手を挙げた瞬間。
周りにいたすべてのシリンたちが、膝をついて倒れた。
サンドラは、焦った。なぜなのかはわからないが、どんどん自分の味方が崩れ去っていく。どんな手を使ったのかはわからない。だが、倒れて行っているのはシリンたちだ。地球上に自然発生したシリンたちなのだ。
こんなはずではなかった。地球のシリンが味方であるシリンたちを見捨てるなんて。こんなやり方をしてくる人間を放置して何も言ってこないなんて。
サンドラは、咄嗟に自分の懐に隠し持っていたナイフを握った。後ろにいる男にそれを刺そうと、手を振り上げる。すると、その手はいとも簡単に握られてしまった。
その男はサンドラの背面で、彼女の右手を握り、もう片方の手でサンドラの左腕を捻り上げていた。
「あ、あなた、これがどういうことかわかっているの? 地球のシリンの怒りを買うのよ」
捻り上げられた左腕が軋む。それに耐えながら喋ると、後ろにいた男は、ふと、冷たい声でこう言った。
「地球のシリンが怒ることはない」
サンドラの周りで、傷ついたシリンたちがどこかへ消えていく。残されたのは、時空転移のできるシリンだけだった。
「あなたにそんなことが分かって? こんなやり方をしていれば、あなたは消されるわ」
そう言って、サンドラは気がついた。
消される、その相手はサンドラだ。
誤算だった。地球のシリンはそんな生やさしい存在ではなかった。地球の全てを持って生まれるということは、残虐な性質も持って生まれてくるということだ。
もはや、この男から、地球のシリンから逃れる術はない。サンドラは、死を覚悟した。
しかし、サンドラは死ななかった。ただ、足元から次第に力が抜けてくるのを感じて、それが胸の辺りまで来る時には、すでに気を失っていた。
ただ一人残された、時空を渡るシリンは、放心状態のまま雨に打たれていた。
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