長編「地球の子」

るりさん

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第八章 滑空する夢

最低限のプライド

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 屋敷に帰ると、ルフィナが目覚めるまでバルトロとマルコが面倒を見ることになった。アースは回収した輪っかを段ボールの箱に入れた。
「輪っかの情報を書き換えるって、どういうことなんだ?」
 早速カリムが聞いてきたので、アースは、輪っかを一つ取り出して、説明を始めた。
「この輪っかは、地球の環に直接アクセスして、シリンの体にある情報の中の、生命維持に関わる神経を麻痺させるようにできている。だがこれを逆の効果をもたらすように書き換えられたら?」
「そんなことができるのか?」
 カリムが聞き返した。そんな話は初めて聞いた。危険ではないのだろうか?
 そこには屋敷に住む人間全てが集まっていたが、誰もがアースの言っていることに懐疑的だった。しかし、アースは、輪っかを一つだけ取り出して、それを手に握り、目を閉じて何か一言言うと、輪っかから手を離した。
「輝」
 輝は呼ばれると、その輪っかを受け取って、自分の手首にはめた。皆は、輝がここで倒れてしまうのではないかとハラハラしたが、輝は平気な顔をしてそこに立っていた。
「おじさん、これ、もうちょっと細い方がいいです。色やデザインも変えましょう」
 そう言いながら、輝は自分が手に持っていた刀を抜き放った。そして、自然な型でそれを構えた。
「あれ、輝って刀、使えたんだ? どこで習ったの?」
 町子が聞いてくるので、輝が答えた。
「この輪っかにおじさんが刀の使い方を書き込んでくれたんだ。このリングを装備していれば、俺はレクチャーなしでも刀が使える」
 周囲が、ざわめいた。
 輪っかの情報を書き換えるとは、そういうことだったのか。どうせ影響を及ぼすものならば、いい影響をもたらすものに変えていけばいい。
「でもこれ、地球のシリンの力なしではできないんじゃ?」
 カリーヌが、手を上げた。先ほどからアントニオがコーヒーを配っている。それを受け取って一口、口に含んでから、皆はアースの方を見た。
「俺がいない時は、メルヴィンに頼んでくれ。環に干渉する力を持っている」
 皆が、メルヴィンを見た。彼は屋敷中の注目を集めると、顔を真っ赤にして照れた。
「どうやら、そうみたいなんだ。僕にどれだけのことができるか分からないけど」
 鍛治としての仕事をまだ、まともにやったことがない。しかもメルヴィンはシリンではない。輪っかの力を使いこなせない以上、自分できちんと修行して技を習得するしかない。しかし、彼は今、やる気に満ちていた。
「みんなの、力になりたいんだ」
 メルヴィンの瞳には力があった。だから、それ以上この件について追求する者はいなかった。
 しかし、問題は他にもあった。
 ルフィナを救出して戻る際、カルメーロの船をそのままにしてきてしまったのだ。アースは自滅するだろうから放っておけと言っていたが、輝も町子もそこが不安だった。
 しかし、その心配も取り越し苦労だった。突然ロビーの扉が開き、外からやってきたドロシーが、こう言ったからだ。
「アースさん大当たり! カルメーロの船、沈んだよ。ムーン・アークのサンドラって女がやってきて、いくつかのヘリコプターで周りを囲んでマシンガンでガンガン撃ってた。その後はサンドラって女は一気に退却して分からなかったけど、船は転覆していたし、あいつも、もう生きていないんじゃないかなあ?」
 それを聞いて、アントニオが青くなった。確かにいい人間ではなかった。ろくなことも考えていなかった。だが、アントニオにとっては、たった一人の父親だ。
 その時、アントニオの後ろから、何かが出てきた。妖精の姿をしたそれは、ドロシーの前に出て、アントニオを庇った。
「ちょっとは気を使いなさいよ、この無神経女!」
 すると、ドロシーは得意げに笑った。
「あ、ゴッメーン。あんたのこと、すっかり忘れてたわ。カルメーロに虐められてたのに、カルメーロの息子を庇うんだ。シリンの風上にもおけないね」
「あんたに、アントニオの何がわかるのよ!」
 その時、ティーナの前に、アントニオの手が現れた。アントニオは、心配そうにこちらを見るティーナをよそに、ドロシーと対峙した。
「やはり、俺はここには相応しくないみたいだ。帰るところも無くなっちまったけど、俺にはここに居場所はなさそうだしな。ちょっとの間だったけど、世話になった」
 アントニオは、そう言ってドアから出ようとした。しかし、その腕を、輝が掴んだ。
「待てよ。相応しいかどうかじゃないだろ。必要かどうかだ。俺にはあんたが必要なんだよ。ティーナさんにとっても。それに、カルメーロのやったことの後始末は、あんたにきっちりとしてもらわなければならない。あんたは、ここにいるべきなんだ」
 アントニオは、輝が掴んだ腕をそのままに、動きを止めた。その体の震えを輝は受け取って、気づいた。アントニオは、もともとここに居場所を感じていなかった。それは、カルメーロのやったことの大きさがどれだけのことだったかを物語っていた。
「アントニオ、俺があんたを求めている、それだけじゃダメなのか?」
 アントニオは、皆が見守る中、輝の手を、そっと外した。そして、ゆっくりと外に出ていく。
「少し時間をくれ。俺にもプライドってのがあるんだ」
 そう言って、アントニオは屋敷から去っていった。輝は奥にいるアースを見たが、輝に対しては追うな、と言った目をしているような気がした。
 その次の日、例の輪っかを外されて具合の良くなったルフィナが、マルコとバルトロに付き添われてロビーのお茶会にやってきた。シリウスと瞳は自分の家に帰るつもりでいたが、ロンドンの街で少し用を足して行きたかったので屋敷に残っていた。二人ともロビーのお茶会に混じっていた。アースは、自分の診療所に帰っていた。
 輝は、町子とともにお茶会に行くことにした。これから輝たちが立ち向かう問題について、話し合っておきたかったからだ。もちろんアースがここにいればすぐに答えが出るだろうが、おそらくアースはそれをしたくなかったのだろう。
 今日は休日で、メルヴィンのために作られた鍛冶場から、彼が槌を振る音が聞こえてくる。早く皆の役に立ちたい、その思いが痛いほど伝わってきた。
「俺たちに今できることは、ないのかな」
 シリウスの淹れるコーヒーを口にして、輝はつぶやいた。このコーヒーは苦い。シリウスは猟師だから、こう言った苦いコーヒーで目を覚まして狩りに行くのだろうか? 彼は一体どんな動物を狩るのだろうか。今度聞いてみよう。
 輝の呟きを、シリウスは拾った。
「調査をアースのヤツにだけ任せておくのもな。今回みたいに、向こうが動き出してから動くような消極的な動きじゃダメだと思う」
「だからと言って、むやみに調査に出ても上手くはいかないでしょうね」
 瞳は、コーヒーを口に含んで、微妙な顔をした。シリウスが、それを見てため息をつく。
「まずいならまずいって、言えばいいだろ。輝も」
 すると、その横でクローディアがくすくすと笑った。
「射撃以外はてんでダメな男ね。今まで何人それの犠牲になったのかしら」
 シリウスは、それを聞いて内心穏やかではなかったが、グッと堪えた。クローディアは人をからかうのがうまい。そうやって人を怒らせてあざ笑っているのだ。
「でも、どうしたらおじさんを頼らずにムーン・アークのことがわかるんだろう。結局今までもずっとおじさん頼みだったし、今更どうこうできるとは思えない」
 町子がそう言って考え込むと、皆も考え込んだ。何もいいアイデアが浮かばない。
 そうこうしていると、メルヴィンが、汗をかいて鍛冶場から戻ってきた。家からここまで休日となれば毎日通って鍛治の修練をしている。
「俺も、メルヴィンみたいに、刀を扱えるようにならなきゃな」
 輝が立ち上がって、腰に手を当てる。大きく伸びをして、体を動かす。
「お、輝も練習するのかい?」
 メルヴィンは、嬉しくなって輝の所に来た。輝はメルヴィンに付いて外に出て行った。
「男って、なんでああも単純なんだろうねえ」
 町子は、少し笑って、外を見た。輝が、例の輪っかをつけたり外したりして刀を振るときや構える時の確認をする。
 すると、それを見ていたルフィナがくすくすと笑った。
「あれは男の子というより、一人の人間として気が合った感じだわ。町子さんと、友子さんや朝美さんみたいにね。だから、嫉妬しても無駄だよ」
 町子は、それをきいて頬を紅潮させた。
「し、嫉妬なんてしてません! ただちょっと、話の合うメルヴィンが羨ましくて、私もあそこにいたいな、なんて思ってみたり」
「そう?」
 ルフィナは、焦る町子に穏やかな笑みを見せた。カルメーロによって酷い目にあったのに、それをものともしない明るさが、町子には眩しく見えた。
 輝は相変わらずメルヴィンと話し込んでいる。
 それからというもの、輝は、自己流ではあるが、刀の使い方を練習するようになった。いつも相手になる練習相手はいなかったが、時々こちらの様子を見にくるアースが相手になることがあった。
 ムーン・アークは不気味な沈黙を続けていた。しばらく地元のフットボール・クラブに復帰できそうにない。輝もメルヴィンも、そう覚悟しながら、修練に臨んでいた。

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