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第八章 滑空する夢
反抗
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その部屋は色々なものが置いてあって、雑然としていた。香辛料の瓶や古着、食器、雑誌、人形や飲み物の入ったプラスチック・ボトル。誰も片付けないから、とにかく散らかっていた。
そんな部屋の真中にあるテーブルの上に、少し大きなハチミツの瓶が蓋をして置いてあった。それはひとりでにガタガタと揺れてテーブルの上で踊っていた。それが倒れてテーブルの上を転がるまでに時間はかからなかった。しかし、その転がった瓶を取り上げる手があった。
その手は男の手で、瓶を自分の顔の前に持っていって、瓶の中身をまじまじと見た。
中にはそこらじゅうの神話伝承に出てくるような、四枚の蜻蛉のような羽を持った小さな妖精がいて、瓶を中から叩いていた。
「まだまだ君も、君の友達も私の役に立ってくれなきゃ困るんだよ。私はあの女と空を旅する。その夢を叶えるためなら君も君の友達、そう、あのルフィナとかいう女も、彼らに引き渡さなければならない。まっさらな状態でね」
瓶の中で、妖精は何かを言っていたが、瓶の底においてあった何かの金属に触れて、力を失った。それを見て、男は笑う。
「シリンの人間を拘束するにはこれが一番だな。あの生意気なルフィナは今頃相当弱っているだろう」
そう言って、男は高笑いをした。
しかし、その男はすぐに高笑いをやめた。後ろから、後頭部に銃口が当てられたからだ。
「カルメーロ」
その男に拳銃を向けたのは、アントニオだった。歯を食いしばり、怒りをあらわにしている。
「ルフィナがぐったりしている。あんたの持っているそれはなんだ? 変な生き物で実験して、最後は彼女に何をするつもりだ?」
カルメーロは、その言葉を聞いて、息子を嘲笑った。
「フン、あんな生意気なルフィナという女にほだされて、お前も地に落ちたものだな。そんなオモチャでわしが殺せるとでも思ったか?」
カルメーロは、そう言うと、引き金を引くのを躊躇う息子の手を握り、後ろ手に回して捻り上げた。
「わしはあの女に力をもらった。あの女と一緒に空を旅するんだよ! 誰もわしの邪魔はさせん! 例え息子であるお前であってもな!」
「あ、あの女?」
アントニオは、腕を捻り上げられた体勢のまま、父親に聞いた。すると、カルメーロは高笑いをして答えた。
「サンドラはわしを空へ連れて行ってくれると約束した! わしの夢! 大きな空を滑空する夢だ! ルフィナをムーン・アークに渡せばそれが叶うんだよ」
カルメーロは、そう言ってアントニオの腕を離した。アントニオは、床に放り投げられて、尻餅をついた。いつのまに父親はこんな力を得たのだろう。これも彼が関わっているムーン・アークとかいう組織のせいなのだろうか。
「あんたは!」
アントニオは、精一杯の力をこめてカルメーロに対抗したが、相手にされなかった。カルメーロが室内電話で誰かに連絡をすると、すぐにたくさんの人間がやってきて、アントニオを取り囲んだ。
アントニオは彼らによって体の自由を奪われ、抵抗しながらも外に出された。そして、大きな船の甲板に出されると、そこから海に放り投げられてしまった。
甲板の奥で、カルメーロはそれを嬉しそうに見ていた。
海に放り投げられたアントニオは、波にのまれながら自分のしたことを思い出した。後悔はしていない。あのカルメーロという男は悪魔に身を売ってしまった。もう親でも何でもない。ただ一つ、今更だが、自分が惚れたルフィナという女を助けられればよかった。せめて、マルコやバルトロにこのことを知らせることができたらよかったのに。
どんどん息が苦しくなってきた。着ている服が水を吸って重くなっていく。海の底に引っ張られる感覚と、体が冷えて熱が取れていく感覚が同時にやってきた。
ルフィナが倒れ、ベッドに臥せっている姿が脳裏に流れ、アントニオは気を失った。
次に目を覚ました時には、暖かいベッドの中にいた。
ここは天国だろうか、いや、ろくなことをしてこなかった自分が天国になど行けるはずはない。だが、体は綺麗に拭かれていて、水に濡れてはいなかった。唯一見える天井は木でできていて、大きな梁が剥き出しになっていた。
急いで立ち上がって自分の手の甲をつねってみる。痛かった。これは夢ではないのだろうか。自分は生きているのだろうか。
不思議に思って周りを見渡すと、誰かがいた。白衣を羽織っている。体ががっしりとしているから男性だろう。もう一人、誰かが部屋に入ってきた。女性だ。黒く長い髪を後ろでまとめている。その女性はアントニオのところまで来ると、何かの熱い飲み物をベッドの近くに置いた。
「目が覚めたね」
女性は、そう言って、アントニオに笑いかけた。
「アースが君のことを助けに行ってくれと言った時には驚いたよ。バルトロやマルコとの話との合致点も多い。ルフィナに何かがあったのだろう?」
女性は、そう言って、アントニオにその熱い飲み物を薦めた。熱いとはいえ飲めない温度ではない。温かいコーンスープだった。
それを飲むと、なんだか体が芯から温まる気がした。
ここにいる人間は、信用できるのだろう。おそらく、ルフィナを助けてくれる側の人間なのだ。何となくそれが分かったので、アントニオは胸を撫で下ろした。
「俺の親父が、いや、カルメーロの奴が、俺の妹と共謀してルフィナを攫ったんだ。あいつはルフィナをムーン・アークっていう組織に引き渡すつもりだ。そうすれば自分の夢が叶うと思っている。サンドラって女がいて、そいつと取引しているみたいだ」
アントニオの説明が終わると、女性は頷いてくれた。
「それだけわかれば上等だ。アースがルフィナの行方を追っている。助けに入ることはできそうだ」
そう言って、女性はアントニオの元に手を伸ばしてきた。
「お前が咄嗟に助けたのだろう、瓶の中に閉じ込められていたティーナが色々話してくれたよ。勇気を出したな、アントニオ。私の名はナギ・フジ。お前を保護しよう」
アントニオは、躊躇いがちに手を握り返した。本当に、ここの人間は自分を受け入れてくれているのだろうか。それが信じられなかったから、ナギの手を握る力が弱くなってしまった。
しかし、ナギはしっかりとその手を握ってくれた。私たちを信じていい。そう言われた気がして、アントニオは少し安心した。
アントニオがスープを飲み終えると、ナギは空いたカップを持って退室した。もう一人の医者は部屋の隅で何か考え事をしている。時々窓の外を見て、腕組みをしていた。
その人があまりに不思議すぎ、アントニオはずっと見ていたが、彼がふとこちらを見たので、目を逸らした。
しかしその人はアントニオの意図に外れ、こちらにやってきてしまった。なぜかとても胸が高鳴る。
医者は、アントニオのベッドの横に椅子を持ってきて座った。そして、ふと、こう言った。
「マルコやバルトロにはお前の事情を話しておいた。安心するといい」
その医者は、抜けるように綺麗なコバルトブルーの瞳を持っていた。珍しい色だ。その瞳が、アントニオの胸を射抜き、何とも言えない気持ちにさせた。この人には逆らえない。そう思った。
「あんたは、一体?」
そう聞くと、医者は、アントニオに、一包の薬と水を手渡した。
「これを飲んでおくといい。体力が戻ってくるはずだ。ベッドから起きても眩暈がしないようなら、この部屋を出て入り口近くにあるロビーに行くといい」
医者は、そう言って元いた場所に戻って行った。少し、笑いかけてくれただろうか。彼の笑顔に少し安心しながら、アントニオは言われた通りに薬を飲んだ。少し、甘かった。
薬には睡眠剤が入っていたのだろうか、少し眠くなったので寝て起きると、夕方になっていた。起きてもめまいや立ちくらみはしなかったので、立ち上がってみると、しっかりと歩くことができた。ベッドの横に靴が置いてあったので、それを履いて、開いているドアから外に出た。
アントニオは、建物の二階にいた。ドアから外に出た世界は広い屋敷の中で、目の前にある階段を降りるとロビーに出た。ロビーの一角はお茶会のできるちょっとした休憩所になっている。そこに、何人かが集まって話をしていた。バルトロとマルコもいた。アントニオは、急いでロビーの茶会へ向かった。
茶会に着くと、マルコはアントニオを歓迎してくれた。しかし、バルトロはまだアントニオを許してはいなかった。
「あの人が頭を下げたから責めはせんが、わしはお前を許したわけじゃない」
そう言って、バルトロはそっぽを向いてコーヒーを飲んだ。
「バルトロさんもいずれはわかってくれるよ。アントニオ、君はルフィナを大切に思っていた。僕と同じように、ルフィナのことを愛しているんだよ。だったら、僕と君はライバルで仲間だ」
マルコはそう言って右手を差し出してきた。アントニオは、躊躇いながらその手を取ったが、先程のナギと同じように、マルコはアントニオの手を力強く握ってきた。
「マルコ、俺は確かにルフィナが好きだ。でもお前みたいに綺麗じゃない。親父は変な連中とつるんでいるし、俺も、本当はルフィナが欲しいだけかも知れない」
「でも、君はルフィナの身を案じていた」
マルコは、そう言って笑った。
ああ、俺はここにいてもいい人間なのだろうか?
アントニオは、何となく、この場所にいたくなってきて、本当はここにいていい人間ではないと、自分に言い聞かせていた。本当はここにいたい。だが、自分はふさわしくない。
「ここにいる人間の全てが綺麗なわけじゃないわ」
コーヒーを口にしながら、いつもはほとんど話をしないアイリーンが、呟くように話した。
「あなたがここで会ったあの医者、あのナギやアースだって、たくさん屍踏んでいるし、私たちだって、よく人を騙したり嘲笑ったりしたものよ」
アイリーンは、そう言って口元で笑った。アントニオは、こんな年端も行かない少女がなぜそんなに悪いことをしてきているのかが気になったが、あえて追求しないことにした。
「ところで、ルフィナの件はどうなるんだ? 早くしないと、ムーン・アークのサンドラって女に引き渡されちまう」
マルコは、それを聞いて、アントニオの肩に手を乗せた。
「ここから四人、すでに救出に向かっている。みんな頼れる人たちばかりだから、心配いらないよ。本当は僕も行きたいけど、足手まといにはなりたくないから」
そう言ったマルコの瞳は真っ直ぐで、何の迷いもなかった。
ああ、ルフィナが惹かれるわけだ。信じる人を間違えないで、信じた人のことはどこまでも信じ抜く。惚れている今はともかく、以前、ルフィナに惚れもしないで利用だけしていた自分にはないものだ。アントニオはいつも人を疑っていた。傷つくのが怖くて、信じることが怖くて、なるべく他人を利用するだけ利用して、後はすぐに関係を切ってしまっていた。
だが、マルコは違う。
「信じていいんだな、マルコ?」
アントニオの問いに、マルコは、頷いた。今はここにいて祈ることしかできない。しかし、それも試練なのだと、マルコは言った。
バルトロは、いまだにそっぽを向いたままだった。
そんな部屋の真中にあるテーブルの上に、少し大きなハチミツの瓶が蓋をして置いてあった。それはひとりでにガタガタと揺れてテーブルの上で踊っていた。それが倒れてテーブルの上を転がるまでに時間はかからなかった。しかし、その転がった瓶を取り上げる手があった。
その手は男の手で、瓶を自分の顔の前に持っていって、瓶の中身をまじまじと見た。
中にはそこらじゅうの神話伝承に出てくるような、四枚の蜻蛉のような羽を持った小さな妖精がいて、瓶を中から叩いていた。
「まだまだ君も、君の友達も私の役に立ってくれなきゃ困るんだよ。私はあの女と空を旅する。その夢を叶えるためなら君も君の友達、そう、あのルフィナとかいう女も、彼らに引き渡さなければならない。まっさらな状態でね」
瓶の中で、妖精は何かを言っていたが、瓶の底においてあった何かの金属に触れて、力を失った。それを見て、男は笑う。
「シリンの人間を拘束するにはこれが一番だな。あの生意気なルフィナは今頃相当弱っているだろう」
そう言って、男は高笑いをした。
しかし、その男はすぐに高笑いをやめた。後ろから、後頭部に銃口が当てられたからだ。
「カルメーロ」
その男に拳銃を向けたのは、アントニオだった。歯を食いしばり、怒りをあらわにしている。
「ルフィナがぐったりしている。あんたの持っているそれはなんだ? 変な生き物で実験して、最後は彼女に何をするつもりだ?」
カルメーロは、その言葉を聞いて、息子を嘲笑った。
「フン、あんな生意気なルフィナという女にほだされて、お前も地に落ちたものだな。そんなオモチャでわしが殺せるとでも思ったか?」
カルメーロは、そう言うと、引き金を引くのを躊躇う息子の手を握り、後ろ手に回して捻り上げた。
「わしはあの女に力をもらった。あの女と一緒に空を旅するんだよ! 誰もわしの邪魔はさせん! 例え息子であるお前であってもな!」
「あ、あの女?」
アントニオは、腕を捻り上げられた体勢のまま、父親に聞いた。すると、カルメーロは高笑いをして答えた。
「サンドラはわしを空へ連れて行ってくれると約束した! わしの夢! 大きな空を滑空する夢だ! ルフィナをムーン・アークに渡せばそれが叶うんだよ」
カルメーロは、そう言ってアントニオの腕を離した。アントニオは、床に放り投げられて、尻餅をついた。いつのまに父親はこんな力を得たのだろう。これも彼が関わっているムーン・アークとかいう組織のせいなのだろうか。
「あんたは!」
アントニオは、精一杯の力をこめてカルメーロに対抗したが、相手にされなかった。カルメーロが室内電話で誰かに連絡をすると、すぐにたくさんの人間がやってきて、アントニオを取り囲んだ。
アントニオは彼らによって体の自由を奪われ、抵抗しながらも外に出された。そして、大きな船の甲板に出されると、そこから海に放り投げられてしまった。
甲板の奥で、カルメーロはそれを嬉しそうに見ていた。
海に放り投げられたアントニオは、波にのまれながら自分のしたことを思い出した。後悔はしていない。あのカルメーロという男は悪魔に身を売ってしまった。もう親でも何でもない。ただ一つ、今更だが、自分が惚れたルフィナという女を助けられればよかった。せめて、マルコやバルトロにこのことを知らせることができたらよかったのに。
どんどん息が苦しくなってきた。着ている服が水を吸って重くなっていく。海の底に引っ張られる感覚と、体が冷えて熱が取れていく感覚が同時にやってきた。
ルフィナが倒れ、ベッドに臥せっている姿が脳裏に流れ、アントニオは気を失った。
次に目を覚ました時には、暖かいベッドの中にいた。
ここは天国だろうか、いや、ろくなことをしてこなかった自分が天国になど行けるはずはない。だが、体は綺麗に拭かれていて、水に濡れてはいなかった。唯一見える天井は木でできていて、大きな梁が剥き出しになっていた。
急いで立ち上がって自分の手の甲をつねってみる。痛かった。これは夢ではないのだろうか。自分は生きているのだろうか。
不思議に思って周りを見渡すと、誰かがいた。白衣を羽織っている。体ががっしりとしているから男性だろう。もう一人、誰かが部屋に入ってきた。女性だ。黒く長い髪を後ろでまとめている。その女性はアントニオのところまで来ると、何かの熱い飲み物をベッドの近くに置いた。
「目が覚めたね」
女性は、そう言って、アントニオに笑いかけた。
「アースが君のことを助けに行ってくれと言った時には驚いたよ。バルトロやマルコとの話との合致点も多い。ルフィナに何かがあったのだろう?」
女性は、そう言って、アントニオにその熱い飲み物を薦めた。熱いとはいえ飲めない温度ではない。温かいコーンスープだった。
それを飲むと、なんだか体が芯から温まる気がした。
ここにいる人間は、信用できるのだろう。おそらく、ルフィナを助けてくれる側の人間なのだ。何となくそれが分かったので、アントニオは胸を撫で下ろした。
「俺の親父が、いや、カルメーロの奴が、俺の妹と共謀してルフィナを攫ったんだ。あいつはルフィナをムーン・アークっていう組織に引き渡すつもりだ。そうすれば自分の夢が叶うと思っている。サンドラって女がいて、そいつと取引しているみたいだ」
アントニオの説明が終わると、女性は頷いてくれた。
「それだけわかれば上等だ。アースがルフィナの行方を追っている。助けに入ることはできそうだ」
そう言って、女性はアントニオの元に手を伸ばしてきた。
「お前が咄嗟に助けたのだろう、瓶の中に閉じ込められていたティーナが色々話してくれたよ。勇気を出したな、アントニオ。私の名はナギ・フジ。お前を保護しよう」
アントニオは、躊躇いがちに手を握り返した。本当に、ここの人間は自分を受け入れてくれているのだろうか。それが信じられなかったから、ナギの手を握る力が弱くなってしまった。
しかし、ナギはしっかりとその手を握ってくれた。私たちを信じていい。そう言われた気がして、アントニオは少し安心した。
アントニオがスープを飲み終えると、ナギは空いたカップを持って退室した。もう一人の医者は部屋の隅で何か考え事をしている。時々窓の外を見て、腕組みをしていた。
その人があまりに不思議すぎ、アントニオはずっと見ていたが、彼がふとこちらを見たので、目を逸らした。
しかしその人はアントニオの意図に外れ、こちらにやってきてしまった。なぜかとても胸が高鳴る。
医者は、アントニオのベッドの横に椅子を持ってきて座った。そして、ふと、こう言った。
「マルコやバルトロにはお前の事情を話しておいた。安心するといい」
その医者は、抜けるように綺麗なコバルトブルーの瞳を持っていた。珍しい色だ。その瞳が、アントニオの胸を射抜き、何とも言えない気持ちにさせた。この人には逆らえない。そう思った。
「あんたは、一体?」
そう聞くと、医者は、アントニオに、一包の薬と水を手渡した。
「これを飲んでおくといい。体力が戻ってくるはずだ。ベッドから起きても眩暈がしないようなら、この部屋を出て入り口近くにあるロビーに行くといい」
医者は、そう言って元いた場所に戻って行った。少し、笑いかけてくれただろうか。彼の笑顔に少し安心しながら、アントニオは言われた通りに薬を飲んだ。少し、甘かった。
薬には睡眠剤が入っていたのだろうか、少し眠くなったので寝て起きると、夕方になっていた。起きてもめまいや立ちくらみはしなかったので、立ち上がってみると、しっかりと歩くことができた。ベッドの横に靴が置いてあったので、それを履いて、開いているドアから外に出た。
アントニオは、建物の二階にいた。ドアから外に出た世界は広い屋敷の中で、目の前にある階段を降りるとロビーに出た。ロビーの一角はお茶会のできるちょっとした休憩所になっている。そこに、何人かが集まって話をしていた。バルトロとマルコもいた。アントニオは、急いでロビーの茶会へ向かった。
茶会に着くと、マルコはアントニオを歓迎してくれた。しかし、バルトロはまだアントニオを許してはいなかった。
「あの人が頭を下げたから責めはせんが、わしはお前を許したわけじゃない」
そう言って、バルトロはそっぽを向いてコーヒーを飲んだ。
「バルトロさんもいずれはわかってくれるよ。アントニオ、君はルフィナを大切に思っていた。僕と同じように、ルフィナのことを愛しているんだよ。だったら、僕と君はライバルで仲間だ」
マルコはそう言って右手を差し出してきた。アントニオは、躊躇いながらその手を取ったが、先程のナギと同じように、マルコはアントニオの手を力強く握ってきた。
「マルコ、俺は確かにルフィナが好きだ。でもお前みたいに綺麗じゃない。親父は変な連中とつるんでいるし、俺も、本当はルフィナが欲しいだけかも知れない」
「でも、君はルフィナの身を案じていた」
マルコは、そう言って笑った。
ああ、俺はここにいてもいい人間なのだろうか?
アントニオは、何となく、この場所にいたくなってきて、本当はここにいていい人間ではないと、自分に言い聞かせていた。本当はここにいたい。だが、自分はふさわしくない。
「ここにいる人間の全てが綺麗なわけじゃないわ」
コーヒーを口にしながら、いつもはほとんど話をしないアイリーンが、呟くように話した。
「あなたがここで会ったあの医者、あのナギやアースだって、たくさん屍踏んでいるし、私たちだって、よく人を騙したり嘲笑ったりしたものよ」
アイリーンは、そう言って口元で笑った。アントニオは、こんな年端も行かない少女がなぜそんなに悪いことをしてきているのかが気になったが、あえて追求しないことにした。
「ところで、ルフィナの件はどうなるんだ? 早くしないと、ムーン・アークのサンドラって女に引き渡されちまう」
マルコは、それを聞いて、アントニオの肩に手を乗せた。
「ここから四人、すでに救出に向かっている。みんな頼れる人たちばかりだから、心配いらないよ。本当は僕も行きたいけど、足手まといにはなりたくないから」
そう言ったマルコの瞳は真っ直ぐで、何の迷いもなかった。
ああ、ルフィナが惹かれるわけだ。信じる人を間違えないで、信じた人のことはどこまでも信じ抜く。惚れている今はともかく、以前、ルフィナに惚れもしないで利用だけしていた自分にはないものだ。アントニオはいつも人を疑っていた。傷つくのが怖くて、信じることが怖くて、なるべく他人を利用するだけ利用して、後はすぐに関係を切ってしまっていた。
だが、マルコは違う。
「信じていいんだな、マルコ?」
アントニオの問いに、マルコは、頷いた。今はここにいて祈ることしかできない。しかし、それも試練なのだと、マルコは言った。
バルトロは、いまだにそっぽを向いたままだった。
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