長編「地球の子」

るりさん

文字の大きさ
上 下
54 / 123
第七章 夏に染まる桜

夢を叶える方法

しおりを挟む
 学徒出陣か、特攻隊か。
 そこまでは、瞳にもわからなかった。池田の家に、聞きにいくことはできなかったからだ。だが、肇がそれ以来二度と千年桜の丘にこなかったからには、瞳は、彼の戦死を受け入れるほかなかった。
 瞳には、家族はもういない。だから、あえて飯田の姓を名乗る必要はなかった。彼女はそれ以来、他人に名を名乗る時は池田姓を使っている。
「桜のシリンだったんですね」
 自分の頭の中に入ってきた情報と、輝の説明が全て一致した。メルヴィンは激しく泣きながら、鼻水をしきりに拭いていた。輝も町子も黙ってしまったが、当の瞳は何ともないような顔をしていた。
「やっぱり、戦争なんて何一ついいことないよ」
 町子は、そう言って、メルヴィンにハンカチを差し出した。女の子のハンカチを借りて涙を拭くのは初めてだ。少しいい香りがする。メルヴィンは躊躇ったが、町子が押し付けてきたので、素直に受け取った。
 その時、家のチャイムが鳴ったので、瞳は玄関に出ていった。残された町子たちは、静かに待っているしかなかった。誰も何も言わなかった。戦争に関しては、メルヴィンのような英国人と町子たち日本人では解釈が違う。だが、みんなが共通して持っている認識は、戦争は良いものではない、という考え方だった。
 そして、今、瞳の過去に触れて、戦争が瞳や肇から奪っていったものを考える機会ができた。国が正しさを掲げて戦争をやる。国民は戦争により苦しむ。それはどこの国でも変わらない。
「瞳さんも、肇さんも、かわいそうだ」
 メルヴィンは、そう呟いた。
 町子も輝も、彼の言葉に返す台詞が見つからなかった。何を言っても陳腐な答えにしかならない。
 しばらく黙っていると、瞳が戻ってきた。
「今、ちょうど私の友人が二人来ているの。ご一緒してもらってもいいかしら?」
 三人は、互いの顔を見た。嫌だという顔をしていない。瞳の友人ならしっかりした人なのだろうから、きっと大丈夫だ。
 是非ともご一緒したい、そう伝えると、瞳は嬉しそうに玄関の方へ戻っていった。そして、すぐに一組の男女を連れて戻ってきた。
 一人は、黒髪にメガネの普通の男性で、薄い秋物のセーターの上に軽いコートを羽織っていた。もう一人は金髪に翠色の瞳をした女性だった。秋物の花柄のワンピースがよく似合っている。
「小松さん夫妻です。小松辰徳さんと、小松なつさん」 
 瞳が紹介すると、二人は畳の上に座って挨拶をした。深々と頭を下げるので、輝や町子たちも深々と頭を下げた。
 瞳は、二人を座敷の席に案内した。少し窮屈だったが、全員座ることができた。
 そこで、町子たちは、お茶請けとして、辰徳となつの馴れ初めを聞いた。それはとてもワクワクする話で、なんとなく、瞳がこの二人に関わろうとした理由がわかった気がした。
「それで、なつさんはどうやって白血病を治したんですか?」
 町子が真っ先に質問をした。みんなが知りたがっていることだ。すると、なつが顔を真っ赤にして、答えた。
「たっちゃんが、私の養父母にこう言ったんです。俺は俺の力で先生になる! だから、俺が教師になるその時まで、行かないでくれ! 俺、ちゃんと教師になって、必ず迎えにくるから! って。それで、たっちゃんすごく勉強して、教師になって、それでも私のところに来るまで恋人一人作らないでいてくれて。迎えに来てくれた時は、私、すごく嬉しかった。私も、たっちゃんのことを信じて、恋人を作らずに待っていた。だから」
 なつは、そう言って、落ち着かない様子で辰徳を見た。
「私もたっちゃんも、今、とても幸せです」
 まるで少女のような笑顔を見せるなつを、辰徳は少年のような目で見た。
「なつが夏草のシリンだと瞳さんに聞いた時は、僕も驚きました。瞳さんのこともですが、シリンには、その特性上大人にならずに死んでいく人もいる。なつを救えたのは奇跡かもしれませんが、今はその奇跡に感謝をしています」
 すると、メルヴィンが、小松夫婦の方へ身を乗り出した。
「奇跡なんかじゃない! これは二人の愛のなせるわざなんだ! 愛の力が、シリンの持っている宿命を超えたんですよ!」
 メルヴィンは興奮していたが、言っていることに間違いはなかった。輝も町子も、メルヴィンのこういうところがとても好きだった。
 メルヴィンは、興奮してお茶を飲み干し、落雁をバリバリと食べた。落雁の甘さにびっくりしてはお茶のおかわりを頼む。彼にとっては新鮮な恋愛話ばかりだった。
 その後、メルヴィンがある程度落ち着いてくると、外へ紅葉狩りに行くことにした。軽井沢は東京よりも寒い。見事に紅葉が進んでいた。
 軽井沢の郊外にあるこの屋敷の周りには紅葉を見るスポットが多く、広葉樹に囲まれた並木道や林道などを散策すると、美しく色づいた葉が舞い落ちて皆を迎えてくれた。
 恋人をなくしてもなお、新しい恋人たちの力になろうとしている瞳は、まるで、夏になって、葉桜になり、色を失ってもなお緑を保ち続ける逞しい桜だ。夏色に染まり、新緑から緑、緑から紅葉に染まっていく桜。彼女は何色にもなれる、強い千年桜なのだ。
 最後に、瞳は、自分の媒体である丘の上の桜に、輝たちを連れていった。
「すべての出会いは、ここで始まりました」
 そう告げる瞳の、桜色の瞳は、新しく生まれた恋人同士である輝と町子に、確かな未来を示していた。
 軽井沢という地は、おそらく信仰の生まれやすい土地なのだろう。ただの有名観光地というだけではなく、人の心を魅了する何かがある。
 その日は瞳の家に泊まらせてもらい、次の日、朝からメルヴィンの希望で少し遠くのイングリッシュ・ガーデンを見に行った。その夜は、囲炉裏を囲み、近くの農産物直売所で買ってきた野菜を使った鍋を囲んだ。メルヴィンはもちろん鍋料理は初めてだった。直売所にはジビエの肉も売っていて、瞳はその中でもこの時期にふさわしい鹿肉を買ってきて、ステーキを作ってくれた。寄せ鍋に鹿肉のステーキはちょっと意外な組み合わせだったが、野菜との相性は意外と良かった。瞳が鹿肉の調理に慣れていたのか、臭みの取れたステーキは非常に美味しかった。
 軽井沢を後にしたのは、その次の日で、上越や糸魚川へも瞳が付き添ってくれることになった。輝たちは、なつや辰徳に別れを告げると、たくさんの荷物を抱えて新幹線に乗り込んだ。
 新幹線に乗って、メルヴィンは、少し眠くなった。しかし、輝たちが自分達の買い物の自慢を始めると、元気を出して、その輪に加わった。
 輝は、ふと、車窓から流れていく景色を見た。なんの変哲もない平和な景色だ。だが、どこか、何か胸騒ぎがする。輝は無事、親友に会えるだろうか。なぜだか、楽しみだという気がしない。
 メルヴィンや町子は、素直に自分達が買った土産物を見せ合ってははしゃいでいる。メルヴィンの荷物は刀のストラップや日本で人気のキャラクターグッズに忍者のぬいぐるみばかりだ。
 輝たちの故郷、糸魚川へは後少し。輝は、胸に何か重たいものが去来しているのを感じていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

PMに恋したら

秋葉なな
恋愛
高校生だった私を助けてくれた憧れの警察官に再会した。 「君みたいな子、一度会ったら忘れないのに思い出せないや」 そう言って強引に触れてくる彼は記憶の彼とは正反対。 「キスをしたら思い出すかもしれないよ」 こんなにも意地悪く囁くような人だとは思わなかった……。 人生迷子OL × PM(警察官) 「君の前ではヒーローでいたい。そうあり続けるよ」 本当のあなたはどんな男なのですか? ※実在の人物、事件、事故、公的機関とは一切関係ありません 表紙:Picrewの「JPメーカー」で作成しました。 https://picrew.me/share?cd=z4Dudtx6JJ

傾国の美女─范蠡と西施─〖完結〗

カシューナッツ
恋愛
呉越同舟から知るように、遥か昔。二千年以上前『呉越の戦い』があった。その戦いで中国三大美女の一人『西施』(せいし)彼女もこの戦の犠牲になった。戦敗国の越から呉に献上された……。

【完結】限界離婚

仲 奈華 (nakanaka)
大衆娯楽
もう限界だ。 「離婚してください」 丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。 丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。 丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。 広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。 出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。 平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。 信じていた家族の形が崩れていく。 倒されたのは誰のせい? 倒れた達磨は再び起き上がる。 丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。 丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。 丸田 京香…66歳。半年前に退職した。 丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。 丸田 鈴奈…33歳。 丸田 勇太…3歳。 丸田 文…82歳。専業主婦。 麗奈…広一が定期的に会っている女。 ※7月13日初回完結 ※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。 ※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。 ※7月22日第2章完結。 ※カクヨムにも投稿しています。

百々五十六の小問集合

百々 五十六
ライト文芸
不定期に短編を上げるよ ランキング頑張りたい!!! 作品内で、章分けが必要ないような作品は全て、ここに入れていきます。 毎日投稿頑張るのでぜひぜひ、いいね、しおり、お気に入り登録、よろしくお願いします。

拝啓、隣の作者さま

枢 呂紅
ライト文芸
成績No. 1、完璧超人美形サラリーマンの唯一の楽しみはWeb小説巡り。その推し作者がまさか同じ部署の後輩だった! 偶然、推し作家の正体が会社の後輩だと知ったが、ファンとしての矜持から自分が以前から後輩の小説を追いかけてきたことを秘密にしたい。けれども、なぜだか後輩にはどんどん懐かれて? こっそり読みたい先輩とがっつり読まれたい後輩。切っても切れないふたりの熱意が重なって『物語』は加速する。 サラリーマンが夢見て何が悪い。推し作家を影から応援したい完璧美形サラリーマン×ひょんなことから先輩に懐いたわんこ系後輩。そんなふたりが紡ぐちょっぴりBLなオフィス青春ストーリーです。 ※ほんのりBL風(?)です。苦手な方はご注意ください。

思い出を探して

N
恋愛
明神 怜 はウエディングドレスを見に行った日の帰り、交通事故にあって記憶を失った。不幸中の幸いか、多くのことは数日中に思い出し、生活を営める。だが、婚約者だけ分からない。婚約者である賢太郎は、ショックを受けつつ前向きに、怜に向き合いゼロから好きになってもらう努力をする。 二人はどうなる… 超絶奥手なラブストーリーが今、幕を開ける こちらは、最新版です

そらのとき。~雨上がりの後で~

雨ノ川からもも
ライト文芸
弱くて優しい少年が、恋に、運命にもがく、ちょっと不思議な成長物語 『あなたとはもう無理なの。ごめんなさい』 付き合って間もない恋人に振られた大和。別れの手紙をもらい、何がいけなかったのかを冷静に分析するも、それを彼女に伝えようとはしなかった。 そんな現状を双子の妹、栞奈に厳しく叱咤された翌日、彼に思わぬ試練が訪れて――!? 初めての絶望。交錯する想い。最初で最後の決断。 自分の気持ちを押し隠してしまう彼は、平穏で、ときに大きく変化する日常の中で、何を見つけだすのか―― 伝えたいけど伝わらない。 苦くて甘い、たくさんの「想い」が詰まった青春物語。 ※他サイトにも掲載中。

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

処理中です...