44 / 123
第五章 戻す者
大草原の家
しおりを挟む
輝が目を覚ましたのは、ちょうど正午ちかくの昼間だった。どこからか漂ってくるいい香り。それに神経を刺激されていた。どこにいるのかは分からない。しかし、隣に誰かがいることはわかった。自分がベッドの上に寝かされていることも分かった。それがわかって初めて、自分が右肩に弾丸を受けていたことを思い出した。起きあがろうとすると激痛が走った。隣にいる誰かの手が、輝の体を押さえる。
「まだ寝ていた方がいい」
輝は、その声を聞いて、その声の主を見上げた。そして、その人物を確認すると、急に懐かしい気分になって、掠れた声でこう言っていた。
「おじさん、どこへ行っていたんですか」
おかしな言葉だった。しかし、今の状況の輝には、最も相応しいと思える言葉でもあった。おじさんは、その優しい瞳を輝に向けて、こう返した。
「すまない。助けに行くのが遅くなってしまった」
輝は、首を横に振った。傷が痛むので、おじさんはそれを止めた。
「輝、戻す者として目覚めたのなら、俺が何なのかもわかるだろう」
おじさんがそう問いかけてきたので、輝はハッとした。そういえば、輝は知っている。この人のことを、輝の知りうる限りでこの人のことを何もかも知っている。
不思議だった。どうしてこんなことを知っているのに、何の疑問も持たずにいられるのだろう。輝は、輝の中にある情報の全てを確かめた。そして、それを口に出してみた。
「おじさん、あなたの名はアース・フェマルコート、地球のシリン。帰還者の一人で、暁の星にあるテルストラ都市国家連合の国王。そして、町子の伯父さん」
輝がそう言って見上げると、おじさんは、いや、アースと呼ばれたその地球のシリンは、一つ、頷いた。
「上出来だ。他にも分かったことがあるだろう」
アースは、自分のことを置いて、その、他のことについて輝に問いかけた。確かに一つ、分かったことがある。地球のシリンの正体の他に、もうひとつ、大事なことが。
「不思議ですね。地球のシリンがおじさんだと分かったら、もう怖くないんです。でも、こっちは純粋に怖い」
輝は、そう前置きをして、一つ、身震いをした。
「町子は、まだ覚醒していないんですね。これを本人に言ったらどうなるか」
輝が小さい声で言うものだから、おじさんは少し笑って、小声でこう答えてくれた。
「まだ言うなよ。あれには勝てない」
おじさんは町子の伯父、町子はおじさんの姪。だからだろうか、おじさんが町子のことを話す時、とても親しみを感じる。
「おじさん、俺、あなたのことをまだおじさんって呼びたい」
輝が自分の希望を口にすると、おじさんは輝の額に手を当てて、熱を見た。
「まだ、少し熱があるな。俺のことはお前の好きに呼べばいい。俺は確かにおじさんだしな」
そう言って、おじさんは輝から離れて、笑顔を見せた。この人がこんなに笑ったのは初めて見た。輝は少し嬉しくなった。
「この傷、普通にしていれば痛くないです。弾丸も?」
おじさんは、医者だ。町子の伯父なのだから、外科医なのだろう。それを思い出して聞いて見ると、おじさんは腰に手をやって、ため息をついた。
「弾丸は抜いた。傷口も縫った。戻す者の力のおかげで、傷の治りも早い。俺も、お前の力に助けられたよ」
おじさんは、そう言って、部屋の中にあるいろいろな医療器具の整理を始めた。薬や湿布薬もある。いろいろなものがたくさんあって、部屋の中はちょっとした診療所のようになっていた。
そして、先ほどから輝が気になっていた香りの正体が分かったのも、この時だった。輝のいる部屋は二階にあるのだろう。下の階から誰かが何かを持って階段を登ってきた。そして、その人はそれをおじさんに託すと、下の方へ降りていった。
誰だろう。黒い髪の綺麗な女の人だった。ちらりと見ただけだったが、なぜかとても気になった。おじさんが受け取ったものを輝の近くに置くと、そこから漂ってきたいい香りに、輝は腹を鳴らした。
「町子たちが作ったサンドイッチだが、入るか?」
おじさんがそう言って、サンドイッチにつけるスープを持ってきてくれたので、輝は、いい香りの正体はこれだと知った。
「もちろんです。だいぶ長い間食べていない気分です」
答えると、おじさんは笑った。
「二日は飲まず食わずで寝ていたんだ。ゆっくり食べるといい」
二日も食べていなかったのか。輝はびっくりしたが、今の空腹に納得せざるを得なかった。
サンドイッチを食べながらおじさんに聞くと、ここは当初の目的地で、広い草原の中にある一軒家だという。おじさんに抱えてもらって窓から外をみると、地平線まで続く草原が見えた。心地よい風が入ってきて、気分が晴れ渡ってきた。
そこで、輝は、シリウスのことを聞いた。彼は無事だろうか。
すると、シリウスは怪我一つなく、元気でいるという。今は町子と一緒に下の階で食事の後片付けをしていて、上には上がってこられないようだ。
そこまで確認できると、次はある疑問が浮かんできた。
「おじさん、俺たちを襲ったあの、恐ろしい何か。あれは一体何だったんですか?」
輝が聞くと、おじさんは医療器具を手入れする手を止めた。
「ムーン・アークによってクエナの情報を元に作られた、人工シリン。あらゆる事柄を自身にとって有利に働かせることができる。特に勝利に関することだけを強化して因果律に干渉する力を持っている。彼らは自分たちだけが干渉できる新しい環を地球上に設定した。それをムーン・アークの環と、俺たちは呼んでいる。分かっているのはそこまでだ」
「では彼らは、独自の環を使って、新しく作った因果律を操作しているんですか?」
輝は、うすら怖くなった。自分で言っていて、それは恐ろしく危険なことなのではないかと思えてくる。地球のシリンが監視する因果律の他に、因果律が地球の中にある。考えただけで寒気がする。
「そうだ。あくまでその因果律も、地球因果律の範囲内だが」
そう言って、おじさんは少し笑った。輝を不安にさせないようにしているのだろう。しかし、ムーン・アークが危険な存在であることは確かだった。
「ここも大人数になったな。フォーラの実家だというから来てみたが」
おじさんが、苦笑いをする。ああ、そうだ。おじさんは町子の伯父だった。町子の伯父ということは、町子の伯母であるフォーラと夫婦だということだ。
「ここには何人いるんですか?」
輝の質問に、おじさんはここにいる人を指折り数えた。
「俺と輝に、シリウス、ナギ、フォーラ、ドロシー、町子だから、七人だな」
それを聞いて、輝は周りを見渡した。ここはそんなに大きな家には思えない。木造の二階建てで、部屋数も少なそうだ。輝のいる部屋もそう広くはないし、壁にかけてあるバッグ類や棚にある本に何かの瓶、箱。それらでごちゃごちゃしているのに、さらに医療器具が入ってきている。その医療器具も、大病院にあるような大掛かりなものではなく、最低限の傷の治療に使う包帯やガーゼ、湿布類の小物ばかりだった。これでどうやって輝の傷を治したのか、不思議なくらいだ。
そこへきて七人もいるのだから、それは多く感じるだろう。
「おじさん、俺、ナギさんとドロシーさんを知りません」
輝は、先ほどおじさんが言った七人のうち、知らない名前があったので尋ねてみた。すると、おじさんはびっくりしたような顔をした。
「ああ、輝にはまだ紹介していなかったか。なら、呼んでこよう」
そう言って、おじさんはさっさと下に行ってしまった。そして、しばらく待っていると、おじさんの代わりに二人の女性が階段を上ってきた。
一人は、長い黒髪を後ろに束ねたものすごい美人で、マリンブルーの瞳が印象的だった。何かのシリンなのだろう。もう一人は、金髪をポニーテールにした女の子で、そばかすが印象的だった。二人が部屋に入ってくると、真っ先に、金髪の女の子の方が、輝のところへ寄ってきた。
「あなたがアキラ? 町子のカレシね!」
輝は、その言葉を聞いて面食らってしまった。まだ町子のカレシではない。彼女のことを恋愛対象としてみているかさえ自分でもよく分かっていないのに。
ああ、そういえば、ここに来る前にクエナが言っていた。あれがこの女の子なのか。
輝が何となく納得していると、後ろからついてきた黒髪の女性が、女の子を諌めた。
「ドロシー、まずはあなたが名乗りなさい。すまなかったね、輝。私はナギ・フジ。医者だ。君にはもう分かると思うが、私は君と関わりの深い存在でね。この星と暁の星を繋ぐ海の役割を担っている。そして、この子はドロシー。この地球の惑星間渡航者だ」
ナギがそう言って笑うと、ドロシーが輝の右手をとって上にあげた。途端に身体中に痛みが走り、輝はうめき声をあげてしまった。それを聞いたドロシーはあっと声を上げて輝の手を離した。
「ごめんなさい、輝。そっち痛い方だったね」
ドロシーがすまなそうにこっちを見ている。その姿が何だかおかしくて、輝は痛みを堪えて笑ってしまった。
「いいんだ。悪気はなかったんだろ?」
そう言ってやると、ドロシーは楽しそうに笑った。
「町子呼んでくるね! 彼氏の輝が一大事だから。ね、ナギ先生、もう行こ。わたしたち邪魔になっちゃいけないよ」
そう言ってドロシーは、ナギの腕を引っ張った。ナギは仕方ないな、と一言添えて、苦笑いを浮かべながら輝の元を去った。
すると今度は、手にお茶の乗ったお盆を持って、フォーラが階段を上がって来た。彼女は、輝の横に座ってテーブルの上にお茶を二つ置いた。
「意外と平気なものなのよね」
彼女はそう言って、輝に笑いかけた。輝は、その笑顔になんだかホッとした。
「フォーラさん、あの時、海で歌ってくれた歌、あれ、暁の星の歌なんですね」
そう問いかけると、フォーラは遠くを見るような目をした。
「暁の星には原住民と移民がいてね。移民は英語を広めていったから、テルストラ都市国家連合の公用語は英語。でも、わずかに残った原住民や、隣のローデンバラって言う原住民の国ではこの歌はまだ歌われているの」
フォーラは、そう言った後、例の歌を少し鼻歌で聴かせてくれた。どこか温もりのある優しい旋律で、懐かしささえ感じる、郷愁の歌だ。
「なんて言っているんですか? 歌詞」
フォーラは、輝を見てもう一度笑った。そして、短い歌詞を教えてくれた。
「暗い夜空を照らす光 光が残した暁に 私たちの心は染まりゆく 黄昏に灯る灯りに帰りつく 一つの心が導く草原に 時の腕に抱かれる空 暁色に導かれ 黄金色になりゆく穂先 我ら歌うは空のうた 我ら歌うは草原の歌」
フォーラは、歌詞を言い終わると、輝にお茶をすすめた。右手では取れないので、左手に湯呑みを持たせてもらった。
お茶を飲み終わると、フォーラは、茶器をお盆に戻して一階に降りていった。代わりにおじさんが来て、輝の傷口の湿布と包帯を替えて行った。その際、輝はおじさんにテルストラのことを聞いてみた。
「おじさんはテルストラの王様なんですよね。二つ以上の民族をまとめるのは大変じゃないんですか?」
おじさんはその問いに対して、困ったな、と一言付け加えてこう答えた。
「大変だから、色々な人の力を借りているんだ。テルストラにも友人はいる」
それを聞いて、輝はなんだか安心した。
おじさんは短い会話を交わして、ちゃんと休めと言って下に下りていった。
輝のもとに、少しの間、静寂が訪れた。そして、少し疲れたのか、体が重いので休もうとしていたら、町子が来た。
町子は、後ろをしきりに気にしながら、輝の隣、おじさんやフォーラが先ほどまで座っていた場所にやってきた。静かに座って、少し、寂しそうに笑う。
「輝、もう分かったんでしょ、私のこと」
そう言って、輝から目を逸らした。その意図がよく分からなくて、輝は戸惑ったが、こう答えるしかなかった。
「町子が覚醒していないことは、分かったよ。でも君は嘘をついていたわけじゃない。周りが勝手に、覚醒したものだと勘違いしていただけだ」
「そうかな」
町子から、笑顔が消えた。
「私、かなりズルい人間だって、自分でも思うんだよね。今も、輝が今みたいに言ってくれることを期待してた」
「確かにそうかもしれないな」
輝は、少し町子の態度や言いように苛立ちを覚えた。
「だったら、君は次に何を期待するんだ?」
そう言ってやると、町子は急に顔を赤らめた。
「最低だよ、輝」
そう言って、彼女は俯いた。目に涙を溜めている。
輝にはなぜか、この時の町子の気持ちがよく分かった。気持ちが少しの間繋がった、そんな気がした。傷のない左側の腕を伸ばし、その手で町子の頬に手を触れると、彼女はその手を両手で包み込んだ。
「輝がどうして戻す者になれたのか、分かったよ」
町子が顔を上げて、笑う。目にためた涙の雫が、頬を伝って流れていく。
「でもこの答えはまだしまっておくね」
町子は、そう言って、涙を拭いた。輝の手を握ったまま、ベッドに顔を埋める。しばらくそうしていると、町子の静かな寝息が聞こえてきた。疲れているのだろう。彼女をそのままにしていると、輝もだんだんと眠くなっていって、そのまま眠りについていた。太陽は少し傾き、部屋に差し込む陽光は黄色い色を帯びていた。草原から吹く風が部屋の中の古い空気をさらっていく。
輝が再び目を覚ましたのは、次の日の朝だった。
「まだ寝ていた方がいい」
輝は、その声を聞いて、その声の主を見上げた。そして、その人物を確認すると、急に懐かしい気分になって、掠れた声でこう言っていた。
「おじさん、どこへ行っていたんですか」
おかしな言葉だった。しかし、今の状況の輝には、最も相応しいと思える言葉でもあった。おじさんは、その優しい瞳を輝に向けて、こう返した。
「すまない。助けに行くのが遅くなってしまった」
輝は、首を横に振った。傷が痛むので、おじさんはそれを止めた。
「輝、戻す者として目覚めたのなら、俺が何なのかもわかるだろう」
おじさんがそう問いかけてきたので、輝はハッとした。そういえば、輝は知っている。この人のことを、輝の知りうる限りでこの人のことを何もかも知っている。
不思議だった。どうしてこんなことを知っているのに、何の疑問も持たずにいられるのだろう。輝は、輝の中にある情報の全てを確かめた。そして、それを口に出してみた。
「おじさん、あなたの名はアース・フェマルコート、地球のシリン。帰還者の一人で、暁の星にあるテルストラ都市国家連合の国王。そして、町子の伯父さん」
輝がそう言って見上げると、おじさんは、いや、アースと呼ばれたその地球のシリンは、一つ、頷いた。
「上出来だ。他にも分かったことがあるだろう」
アースは、自分のことを置いて、その、他のことについて輝に問いかけた。確かに一つ、分かったことがある。地球のシリンの正体の他に、もうひとつ、大事なことが。
「不思議ですね。地球のシリンがおじさんだと分かったら、もう怖くないんです。でも、こっちは純粋に怖い」
輝は、そう前置きをして、一つ、身震いをした。
「町子は、まだ覚醒していないんですね。これを本人に言ったらどうなるか」
輝が小さい声で言うものだから、おじさんは少し笑って、小声でこう答えてくれた。
「まだ言うなよ。あれには勝てない」
おじさんは町子の伯父、町子はおじさんの姪。だからだろうか、おじさんが町子のことを話す時、とても親しみを感じる。
「おじさん、俺、あなたのことをまだおじさんって呼びたい」
輝が自分の希望を口にすると、おじさんは輝の額に手を当てて、熱を見た。
「まだ、少し熱があるな。俺のことはお前の好きに呼べばいい。俺は確かにおじさんだしな」
そう言って、おじさんは輝から離れて、笑顔を見せた。この人がこんなに笑ったのは初めて見た。輝は少し嬉しくなった。
「この傷、普通にしていれば痛くないです。弾丸も?」
おじさんは、医者だ。町子の伯父なのだから、外科医なのだろう。それを思い出して聞いて見ると、おじさんは腰に手をやって、ため息をついた。
「弾丸は抜いた。傷口も縫った。戻す者の力のおかげで、傷の治りも早い。俺も、お前の力に助けられたよ」
おじさんは、そう言って、部屋の中にあるいろいろな医療器具の整理を始めた。薬や湿布薬もある。いろいろなものがたくさんあって、部屋の中はちょっとした診療所のようになっていた。
そして、先ほどから輝が気になっていた香りの正体が分かったのも、この時だった。輝のいる部屋は二階にあるのだろう。下の階から誰かが何かを持って階段を登ってきた。そして、その人はそれをおじさんに託すと、下の方へ降りていった。
誰だろう。黒い髪の綺麗な女の人だった。ちらりと見ただけだったが、なぜかとても気になった。おじさんが受け取ったものを輝の近くに置くと、そこから漂ってきたいい香りに、輝は腹を鳴らした。
「町子たちが作ったサンドイッチだが、入るか?」
おじさんがそう言って、サンドイッチにつけるスープを持ってきてくれたので、輝は、いい香りの正体はこれだと知った。
「もちろんです。だいぶ長い間食べていない気分です」
答えると、おじさんは笑った。
「二日は飲まず食わずで寝ていたんだ。ゆっくり食べるといい」
二日も食べていなかったのか。輝はびっくりしたが、今の空腹に納得せざるを得なかった。
サンドイッチを食べながらおじさんに聞くと、ここは当初の目的地で、広い草原の中にある一軒家だという。おじさんに抱えてもらって窓から外をみると、地平線まで続く草原が見えた。心地よい風が入ってきて、気分が晴れ渡ってきた。
そこで、輝は、シリウスのことを聞いた。彼は無事だろうか。
すると、シリウスは怪我一つなく、元気でいるという。今は町子と一緒に下の階で食事の後片付けをしていて、上には上がってこられないようだ。
そこまで確認できると、次はある疑問が浮かんできた。
「おじさん、俺たちを襲ったあの、恐ろしい何か。あれは一体何だったんですか?」
輝が聞くと、おじさんは医療器具を手入れする手を止めた。
「ムーン・アークによってクエナの情報を元に作られた、人工シリン。あらゆる事柄を自身にとって有利に働かせることができる。特に勝利に関することだけを強化して因果律に干渉する力を持っている。彼らは自分たちだけが干渉できる新しい環を地球上に設定した。それをムーン・アークの環と、俺たちは呼んでいる。分かっているのはそこまでだ」
「では彼らは、独自の環を使って、新しく作った因果律を操作しているんですか?」
輝は、うすら怖くなった。自分で言っていて、それは恐ろしく危険なことなのではないかと思えてくる。地球のシリンが監視する因果律の他に、因果律が地球の中にある。考えただけで寒気がする。
「そうだ。あくまでその因果律も、地球因果律の範囲内だが」
そう言って、おじさんは少し笑った。輝を不安にさせないようにしているのだろう。しかし、ムーン・アークが危険な存在であることは確かだった。
「ここも大人数になったな。フォーラの実家だというから来てみたが」
おじさんが、苦笑いをする。ああ、そうだ。おじさんは町子の伯父だった。町子の伯父ということは、町子の伯母であるフォーラと夫婦だということだ。
「ここには何人いるんですか?」
輝の質問に、おじさんはここにいる人を指折り数えた。
「俺と輝に、シリウス、ナギ、フォーラ、ドロシー、町子だから、七人だな」
それを聞いて、輝は周りを見渡した。ここはそんなに大きな家には思えない。木造の二階建てで、部屋数も少なそうだ。輝のいる部屋もそう広くはないし、壁にかけてあるバッグ類や棚にある本に何かの瓶、箱。それらでごちゃごちゃしているのに、さらに医療器具が入ってきている。その医療器具も、大病院にあるような大掛かりなものではなく、最低限の傷の治療に使う包帯やガーゼ、湿布類の小物ばかりだった。これでどうやって輝の傷を治したのか、不思議なくらいだ。
そこへきて七人もいるのだから、それは多く感じるだろう。
「おじさん、俺、ナギさんとドロシーさんを知りません」
輝は、先ほどおじさんが言った七人のうち、知らない名前があったので尋ねてみた。すると、おじさんはびっくりしたような顔をした。
「ああ、輝にはまだ紹介していなかったか。なら、呼んでこよう」
そう言って、おじさんはさっさと下に行ってしまった。そして、しばらく待っていると、おじさんの代わりに二人の女性が階段を上ってきた。
一人は、長い黒髪を後ろに束ねたものすごい美人で、マリンブルーの瞳が印象的だった。何かのシリンなのだろう。もう一人は、金髪をポニーテールにした女の子で、そばかすが印象的だった。二人が部屋に入ってくると、真っ先に、金髪の女の子の方が、輝のところへ寄ってきた。
「あなたがアキラ? 町子のカレシね!」
輝は、その言葉を聞いて面食らってしまった。まだ町子のカレシではない。彼女のことを恋愛対象としてみているかさえ自分でもよく分かっていないのに。
ああ、そういえば、ここに来る前にクエナが言っていた。あれがこの女の子なのか。
輝が何となく納得していると、後ろからついてきた黒髪の女性が、女の子を諌めた。
「ドロシー、まずはあなたが名乗りなさい。すまなかったね、輝。私はナギ・フジ。医者だ。君にはもう分かると思うが、私は君と関わりの深い存在でね。この星と暁の星を繋ぐ海の役割を担っている。そして、この子はドロシー。この地球の惑星間渡航者だ」
ナギがそう言って笑うと、ドロシーが輝の右手をとって上にあげた。途端に身体中に痛みが走り、輝はうめき声をあげてしまった。それを聞いたドロシーはあっと声を上げて輝の手を離した。
「ごめんなさい、輝。そっち痛い方だったね」
ドロシーがすまなそうにこっちを見ている。その姿が何だかおかしくて、輝は痛みを堪えて笑ってしまった。
「いいんだ。悪気はなかったんだろ?」
そう言ってやると、ドロシーは楽しそうに笑った。
「町子呼んでくるね! 彼氏の輝が一大事だから。ね、ナギ先生、もう行こ。わたしたち邪魔になっちゃいけないよ」
そう言ってドロシーは、ナギの腕を引っ張った。ナギは仕方ないな、と一言添えて、苦笑いを浮かべながら輝の元を去った。
すると今度は、手にお茶の乗ったお盆を持って、フォーラが階段を上がって来た。彼女は、輝の横に座ってテーブルの上にお茶を二つ置いた。
「意外と平気なものなのよね」
彼女はそう言って、輝に笑いかけた。輝は、その笑顔になんだかホッとした。
「フォーラさん、あの時、海で歌ってくれた歌、あれ、暁の星の歌なんですね」
そう問いかけると、フォーラは遠くを見るような目をした。
「暁の星には原住民と移民がいてね。移民は英語を広めていったから、テルストラ都市国家連合の公用語は英語。でも、わずかに残った原住民や、隣のローデンバラって言う原住民の国ではこの歌はまだ歌われているの」
フォーラは、そう言った後、例の歌を少し鼻歌で聴かせてくれた。どこか温もりのある優しい旋律で、懐かしささえ感じる、郷愁の歌だ。
「なんて言っているんですか? 歌詞」
フォーラは、輝を見てもう一度笑った。そして、短い歌詞を教えてくれた。
「暗い夜空を照らす光 光が残した暁に 私たちの心は染まりゆく 黄昏に灯る灯りに帰りつく 一つの心が導く草原に 時の腕に抱かれる空 暁色に導かれ 黄金色になりゆく穂先 我ら歌うは空のうた 我ら歌うは草原の歌」
フォーラは、歌詞を言い終わると、輝にお茶をすすめた。右手では取れないので、左手に湯呑みを持たせてもらった。
お茶を飲み終わると、フォーラは、茶器をお盆に戻して一階に降りていった。代わりにおじさんが来て、輝の傷口の湿布と包帯を替えて行った。その際、輝はおじさんにテルストラのことを聞いてみた。
「おじさんはテルストラの王様なんですよね。二つ以上の民族をまとめるのは大変じゃないんですか?」
おじさんはその問いに対して、困ったな、と一言付け加えてこう答えた。
「大変だから、色々な人の力を借りているんだ。テルストラにも友人はいる」
それを聞いて、輝はなんだか安心した。
おじさんは短い会話を交わして、ちゃんと休めと言って下に下りていった。
輝のもとに、少しの間、静寂が訪れた。そして、少し疲れたのか、体が重いので休もうとしていたら、町子が来た。
町子は、後ろをしきりに気にしながら、輝の隣、おじさんやフォーラが先ほどまで座っていた場所にやってきた。静かに座って、少し、寂しそうに笑う。
「輝、もう分かったんでしょ、私のこと」
そう言って、輝から目を逸らした。その意図がよく分からなくて、輝は戸惑ったが、こう答えるしかなかった。
「町子が覚醒していないことは、分かったよ。でも君は嘘をついていたわけじゃない。周りが勝手に、覚醒したものだと勘違いしていただけだ」
「そうかな」
町子から、笑顔が消えた。
「私、かなりズルい人間だって、自分でも思うんだよね。今も、輝が今みたいに言ってくれることを期待してた」
「確かにそうかもしれないな」
輝は、少し町子の態度や言いように苛立ちを覚えた。
「だったら、君は次に何を期待するんだ?」
そう言ってやると、町子は急に顔を赤らめた。
「最低だよ、輝」
そう言って、彼女は俯いた。目に涙を溜めている。
輝にはなぜか、この時の町子の気持ちがよく分かった。気持ちが少しの間繋がった、そんな気がした。傷のない左側の腕を伸ばし、その手で町子の頬に手を触れると、彼女はその手を両手で包み込んだ。
「輝がどうして戻す者になれたのか、分かったよ」
町子が顔を上げて、笑う。目にためた涙の雫が、頬を伝って流れていく。
「でもこの答えはまだしまっておくね」
町子は、そう言って、涙を拭いた。輝の手を握ったまま、ベッドに顔を埋める。しばらくそうしていると、町子の静かな寝息が聞こえてきた。疲れているのだろう。彼女をそのままにしていると、輝もだんだんと眠くなっていって、そのまま眠りについていた。太陽は少し傾き、部屋に差し込む陽光は黄色い色を帯びていた。草原から吹く風が部屋の中の古い空気をさらっていく。
輝が再び目を覚ましたのは、次の日の朝だった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
猫と幼なじみ
鏡野ゆう
ライト文芸
まこっちゃんこと真琴と、家族と猫、そして幼なじみの修ちゃんとの日常。
ここに登場する幼なじみの修ちゃんは『帝国海軍の猫大佐』に登場する藤原三佐で、こちらのお話は三佐の若いころのお話となります。藤原三佐は『俺の彼女は中の人』『貴方と二人で臨む海』にもゲストとして登場しています。
※小説家になろうでも公開中※
拝啓、隣の作者さま
枢 呂紅
ライト文芸
成績No. 1、完璧超人美形サラリーマンの唯一の楽しみはWeb小説巡り。その推し作者がまさか同じ部署の後輩だった!
偶然、推し作家の正体が会社の後輩だと知ったが、ファンとしての矜持から自分が以前から後輩の小説を追いかけてきたことを秘密にしたい。けれども、なぜだか後輩にはどんどん懐かれて?
こっそり読みたい先輩とがっつり読まれたい後輩。切っても切れないふたりの熱意が重なって『物語』は加速する。
サラリーマンが夢見て何が悪い。推し作家を影から応援したい完璧美形サラリーマン×ひょんなことから先輩に懐いたわんこ系後輩。そんなふたりが紡ぐちょっぴりBLなオフィス青春ストーリーです。
※ほんのりBL風(?)です。苦手な方はご注意ください。

嘘だったなんてそんな嘘は信じません
ミカン♬
恋愛
婚約者のキリアン様が大好きなディアナ。ある日偶然キリアン様の本音を聞いてしまう。流れは一気に婚約解消に向かっていくのだけど・・・迷うディアナはどうする?
ありふれた婚約解消の数日間を切り取った可愛い恋のお話です。
小説家になろう様にも投稿しています。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
蝶々結びの片紐
桜樹璃音
ライト文芸
抱きしめたい。触りたい。口づけたい。
俺だって、俺だって、俺だって……。
なぁ、どうしたらお前のことを、
忘れられる――?
新選組、藤堂平助の片恋の行方は。
▷ただ儚く君を想うシリーズ Short Story
Since 2022.03.24~2022.07.22
【完結】モデラシオンな僕ときゃべつ姫
志戸呂 玲萌音
ライト文芸
【レースを編む少女たち。そして僕。白い糸が紡ぐ恋模様】
【僕】は父親のパリ赴任中に生まれた。そこへ突然妹が現れ、【僕】は妹がキャベツ畑からやってきたと思い込み、妹を“きゃべつ”と名付ける。
【僕】と母と、“きゃべつ”はレース編みをパリで習った。
やがて【僕】は“きゃべつ”が実の妹ではないことを知り、妹を守ろうと決意をする。
父の海外赴任が終わり、帰国した【僕】は親族の跡目争いに巻き込まれ、多感な少年時代を複雑な環境で育ち、それが【僕】に大きな影響を与える。
月日が経ち、【僕】は高校生に“きゃべつ”は中学生になり、成長した“きゃべつ”に【僕】は今まで抱かなかった感情を抱き、戸惑いう。
そして、手芸部への入部を強要する美貌の先輩。彼女には【未来の夫探し】をしているという噂がまことしやかにささやかれている。そして、子猫のようなフランス人ハーフの美少女が、【僕】の生活になだれ込む。
全編を通し、心優しい少年の成長を描いていきます。
複雑な環境が、彼にどのような影響を与えるのか?
そして、どうやってそれを乗り越えていくのか?
そして、少女たちの関り。
ぜひ、お楽しみください!
思い出を探して
N
恋愛
明神 怜 はウエディングドレスを見に行った日の帰り、交通事故にあって記憶を失った。不幸中の幸いか、多くのことは数日中に思い出し、生活を営める。だが、婚約者だけ分からない。婚約者である賢太郎は、ショックを受けつつ前向きに、怜に向き合いゼロから好きになってもらう努力をする。
二人はどうなる…
超絶奥手なラブストーリーが今、幕を開ける
こちらは、最新版です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる