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第二章 青い薔薇
綺麗なバラはトゲだらけ
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輝は、先ほどと違って自分の前をいく町子にたじろぎながら、ようやっとついていった。彼女は今、謎の自信を持って歩いている。シリウスにああ言い放ったことで、自分の言いたいことをしっかり言えた自分に誇りが持てたのだろう。
サンセットオレンジと書かれた扉の前に着くと、町子はなんの躊躇いもなくカードキーをカードリーダーに差し込んだ。すると、オーシャンブルーの時と同じように、鍵の開く音がして、ドアノブを動かすことができるようになった。
「開けるよ」
町子がドアノブに手をかけると、突然、大きな音がして、ドアに重い衝撃が走った。ドアノブを握る町子の手が痺れて、つい、離してしまう。ドアが半開きになって、部屋の中と廊下を少し、繋げることができた。
しかし、町子と輝は、部屋の中を見て愕然とした。
その中には一人の女性がいた。肌は黒い。灰色のスーツを着ていて、体は細身だった。この人がローズという女性なのだろう。その女性は綺麗な青い瞳を持っていた。その瞳には怒りがこもっていて、手に持った拳銃を床に伏せた男性の頭に突きつけ、その体を踏みつけていた。
「今度は子供なの、あの人も諦めが悪いのね」
女性は、輝と町子を見るなり、男性を解放した。逃げようとする男性は丸腰で、女性に尻を叩かれて屁っ放り腰で逃げていった。
男性は、逃げる途中で町子に、気をつけろ、あの女は恐ろしいとだけ告げて、必死で去っていった。女性は、部屋に誰もいなくなると、恐る恐る部屋に入ってくる町子たちを尻目に、拳銃を握ったまま椅子に腰掛けた。
「どこでも好きな場所にお掛けなさい」
そう言われたので、町子たちは何もしてこない女性からできるだけ遠くにある椅子に座った。
「私がローズって名前で、青い薔薇の媒体を持つシリンだってことも、知っていてきたんでしょ。ちゃんと感じるわ、見るもののお嬢さんと、戻すもののお兄さん」
町子たちの想像通りだった。しかし、この状況は想像通りではなかった。
「誰が来たって同じよ。私はもう止まらない。ここから全てを変えていくんだから」
「全てを変えていく?」
町子が恐る恐る尋ねると、女性は、拳銃を握っていない方の手に、力を込めた。
「ねえ、見るもののお嬢さん」
町子は、ローズが話しかけてきて、少し苛立ちを覚えた。
「森高町子です。戻すものの方は、高橋輝」
「そう、ごめんなさいね、町子さん」
ローズは、そう言って少し寂しそうに笑った。
「ねえ、町子さん。密猟がこの世から無くならないのは、どうしてだと思う?」
そう聞かれて、町子も輝も、顔を見合わせた。突然このような話題を振られたので、困惑してしまった。
「密猟者ですか。そりゃ、密猟者が貧乏なのもあるかもしれないけど、その密猟者から買う商人がいて、その商人に高額な象牙なんかを取ってくるように指示するお金持ちがいて、そういう人がいなくならないのも一つの原因だと思います。でも、もっといけないのは無知なんじゃないかなあ。その高額な商品が密猟でなければ手に入らない物だとか、そもそも密猟で手に入れたものだとわかっていても欲しいって思っている人たちがいる。そういう人たちが、密猟の現場を知らないでいることがいけないんじゃないかなあ」
町子の言っていることにはまとまりがなかった。しかし、ローズが町子の知識に対して納得するには十分な説明だった。
ローズは、ため息をついて窓から外を見た。
「その程度の知識で、私を説得に来たの?」
「説得?」
今度は、輝がローズに聞き返した。
「あなたに説得は必要なんですか?」
すると、ローズは輝の方を見て、自分が着ている小綺麗なスーツのポケットから、一輪の青い薔薇を取り出して、それを見つめた。
「面白い子、高橋輝」
そう言って、手に持った薔薇を輝の方に投げた。薔薇は、茎の方からカーペットを突き抜けて床に刺さった。
そして、自分の持っていた拳銃を床に置いて、輝の方へやってきた。細い指先が輝の方に伸びてきて、頬から耳を伝い、髪を梳く。輝はそれに少し寒気を覚えて、立ちあがろうとした。
だが、立ち上がれない。
おかしい、指一本さえも動かせない。どうしてしまったのだろう。不審に思っていると、町子が椅子から動こうとした。そこへ、ローズが先ほどと同じようにバラを投げて刺した。
町子は、椅子から動こうとした姿勢のまま、動きを止めた。
「影縫い」
ローズは、小さな声でそう言って、床に置いてあった拳銃を拾った。
「およそ地球のシリン以外にこれが効かない相手はいない。ここを大人しく出ていくなら、影縫いを解いてあげるわ。私に説得は不要」
町子は、うまく声を出せなかった。先ほどの答えだけではローズを説得するには足りなかったのか。だったらどう答えればよかったのだろうか。もしかして、輝がその答えを持っているのだろうか。
「あんた、ただ拗ねてるだけなんだな」
町子が窮地に陥っていると、輝が喉の奥から声を絞り出した。
「そうやって自分の言い分だけを認めさせて、被害者みたいなことを言っているけどさ、結局やろうとしていることはテロリストと同じじゃないか」
「それがテロリズムだというなら、そうなのでしょうね。私はテロリストだわ」
輝はその答えを予想していたのだろうか。薄笑いを浮かべて、ローズをしっかりと見た。
ローズは、それが気に入らなかった。手に持った拳銃を握りしめて、身動きの取れなくなった輝に銃口を向ける。
「さしずめ俺は、密猟者の罠にはまって狩られる野生動物だな」
輝が荒い息でそう言うと、ローズは拳銃を持つ右手に力を込めた。
「綺麗事はもう十分よ。あなたのことを少しでも評価した自分が恥ずかしい」
輝は、銃口を向けられて、異常なまでに自分が冷静でいることに気がついた。昨日、大柄な男性にホテルで銃口を向けられた時とは正反対だ。いろいろな考えが頭をめぐり、輝は、一つの答えを導き出した。
「ローズさん、俺一人殺せないで、テロなんてできるんですか?」
輝の出した答えに、ローズは、少しも動じることがなかった。
輝は、何を考えているのだろうか。町子は、輝の言っていることが分からなかった。殺すつもりがなければ、銃口を向けたりなんかしない。もし脅しだとしても、それは許されることではない。
「日本人の感覚だけで見るから、こうなる」
ドアの方から声が聞こえる。先ほどまで聞いていた声だ。ドアから背を向けている輝と町子はその姿を確認できなかったが、おそらくシリウスだろう。
「ローズ、お前の部屋はずいぶん綺麗だな」
シリウスは、そう言って、手に持っている拳銃をローズに向けた。そして、一発、銃弾を放った。すると、ローズは拳銃を弾かれて、痺れた右手を左手で庇った。彼女がもう一度拳銃を拾おうとすると、部屋に入ってきたシリウスの足が、拳銃を踏みつけた。
「もうやめようぜ、ローズ。これは茶番でしかない。お前は道化なんだよ」
シリウスが、そう言いながら町子と輝の影に刺さっていたバラを抜いて行った。ローズが唇を噛んでそっぽを向く。
「私が何をしようと、あなたたちには関係がないわ。出て行ってちょうだい」
ローズは頑なに、町子やシリウスたちを拒んだ。シリウスが床にあった拳銃を拾い上げて、中の銃弾を取り出している。それが終わると、ふと、輝を見た。
「言いたいことがあれば言えばいい」
体が動くようになって、ホッとしている輝に、シリウスは言い放った。輝は、自分の考えていたことをシリウスが読んでいたことに驚きながらも、しっかりと立ってローズを見た。
「ローズさん、俺を愚かだと思いますか?」
輝は、ローズにそう問いかけた。すると彼女はチラリと町子の方を見て、こう答えた。
「私はあなたのことをよく知りもしないのよ。愚かであるかどうかなんてわからないわ」
輝は、それを聞いて大きく息を吸い、吐いた。
「俺もですよ。ローズさんが愚かであるかどうかなんて、あなたのことをよく知らない俺にわかるはずがない。じゃあ、密猟者はどうなんです? 密猟者から毛皮や象牙を買う商人は? 自分の手を汚さずにそれらを手に入れている金持ちは?」
ローズの瞳が、凍った。
「愚か者よ。そんな当然のことを聞いてどうしようっていうの? また私を怒らせたいの?」
輝は、それを聞いて、寂しそうに笑った。
「その答えはなるべく聞きたくなかったですよ。それじゃあ、あなたも愚か者だ」
「なんですって!」
ローズは怒って、輝の服を掴んで自分の方に寄せた。すごい力だ。怒りはこうも人に力を与えるものなのだろうか。
町子はハラハラしてそれを見ていたが、ふとあることに気がついた。
「確かに密猟者は色々悪いことをしているけど、じゃあ、ローズさんはどうなんですか? 密猟者を殺そうとしているんですよね。少なくとも、たくさんの命を、自分の都合で奪うことに関しては同じことじゃないんですか?」
すると、ローズは、自分の中に湧き上がってきたいろいろな反論を抑えきれずに支離滅裂なことを言い出した。
「違う! あいつらは一方的だったのよ! 私のところに休みにきていた動物たちを無抵抗のまま殺していった! 残った私は酷い目にあったわ! あの悪魔たちはその後も、その後も私を利用した! 岩場に縛り付けられた私を心配してやってきた動物たちを次々に狩っていった! 私にはもう、動物たちの前に出ていく資格がないの。その痛みがあなたたちに分かって? たった一人、わかってくれた人もいた。自分自身が酷い実験台にされて人生の大半を奪われた人。でもその人は自分では私を納得させるまでここにいてはくれなかった! 私に、憎しみを捨てろとまで言い放った。分かる? 寂しさが突然やってきて、私の周りを取り囲むのよ。あなたたちにその気持ちが分かるかしら?」
町子と輝、そして、シリウスは黙ったまま、打ちひしがれたローズの状況を飲み込んだ。どれだけ酷い目にあったかは想像したくもなかった。
「ローズさんの気持ちは、よくわかったよ。そして、おじさんのことも、少し分かった」
輝は、いつの間にか床に手をついて四つん這いになっているローズを立ち上がらせた。
「このことは、おじさんに伝えて、ローズさんに謝るように言っておくよ。でも、ローズさんもおじさんに謝ったほうがいい。あなたは、いらない詮索をしたようだから」
「そうね」
ローズは、いつの間にか流れていた大量の涙を拭いた。
「いいわ、彼のことに関して、ずるい手を使って知ったのは謝りましょう。でも、密猟者に関してはそうはいかないわ、輝」
「わかっています。密猟者に関してはもう、庇う気はありませんよ」
輝の物言いに、立ったまま聞いていた町子が歩いてきて、ローズの肩に触れた。
「憎しみは捨てろって、おじさんが言ったんじゃないの? ローズさん、それじゃあなた何にも変わらないよ!」
ローズは、その手を優しく払った。
「自分の憎しみを受け入れられるのは、所詮自分だけ。それを他人にやってもらおうとしたからおかしなことになったのよ。あくまで自分の気持ちの整理は自分でつけなければ。私一人がここで暴れたところで、密猟者をどうにかできるはずなんてないのよ。でも、憎しみを忘れなければ、絶対に彼らに加担することはない。憎しみには、そういう使い方もあるのよ」
町子は、少し悲しげにそう話すローズから、ゆっくりと離れていった。ローズは、疲れ果てた様子で椅子に腰掛けて頭を抱えた。
「私ったら、本当に道化だわ。もう暴れることはないでしょうから、町子さんも輝くんも、お帰りなさいな」
そう言ったが、シリウスがそれを許さなかった。
「ローズ、あの水晶はお前がこの状態である以上、瓦解しない。あれをただのガラスに戻すためにも、一度アレに触れて欲しいんだが」
ローズは、何も言わなかった。しかし、頭を抱えていた手を離し、ため息をつくと、寂しそうに笑って、椅子から立ち上がってこう言った。
「私はしばらくここにいて、あの人が迎えに来るのを待つわ。あなたたちは先に帰っていてちょうだい」
町子たち三人は、これ以上の説得は無理だと思い、この部屋を後にすることにした。あとは『あの人』と呼ばれていたおじさんが彼女をどうにかしてくれるだろう。
町子と輝はいったんオーシャンブルーの部屋に戻った。シリウスがおじさんに連絡を取っていたので、それが終わるのを待った。シリウスの用が終わると、二人は椅子に腰掛けるように言われた。
「ローズと少し話があるそうだ。クリスタルはあいつが持ってきてくれるみたいだから、ホテルで受け取ればいい。もっとも、その頃にはもうクリスタルはガラスになっちまっているかもしれないけどな。後始末とローズのことについては、もう輝たちにお願いしなくても大丈夫だろう」
シリウスは、そう言って笑った。
輝たちは、シリウスのその言葉に甘えて、彼の車でホテルに帰ることにした。シリウスの車は左ハンドルでドイツ製の車だった。おじさんとは真逆の荒っぽい運転だったが、酔うほどではなかった。
ホテルに着くと、輝たちは休むように言われて、そのまま疲れた体を癒すために各々の部屋に帰っていった。すると、ロビーでゆっくりしていたシリウスの元に、おじさんが現れた。
「ローズの件は、もういいのか」
シリウスが尋ねると、おじさんはゆっくりとシリウスの正面に座った。
「だいぶ落ち着いたよ」
おじさんは、そう言うと、白い布で包んであるクリスタル、いや、ガラスを取り出した。
「シリウス、クエナとクリスフォード博士のことについて、新しい情報が入った」
シリウスの瞳が鋭い眼光を得た。獲物を追う猟犬の目だ。
「俺に手伝えることはあるのか?」
おじさんは、首を横に振った。
「お前の手は煩わせない。俺一人でもなんとかなるだろう」
「本当か?」
おじさんは、笑って頷いた。
「無理だったら、お前を呼ぶよ」
シリウスは、少し安心した顔をした。おじさんがこのようなことでシリウスや周りの人間たちの手を借りるようになったのは最近のことだった。
その後、シリウスとおじさんは、二人で何かの話をした。輝と町子、そしてローズの話が主だったが、彼ら自身の話も混ざっていた。
そして、ひとしきりの会話を終えると、二人はそれぞれの居場所へと戻って行った。
サンセットオレンジと書かれた扉の前に着くと、町子はなんの躊躇いもなくカードキーをカードリーダーに差し込んだ。すると、オーシャンブルーの時と同じように、鍵の開く音がして、ドアノブを動かすことができるようになった。
「開けるよ」
町子がドアノブに手をかけると、突然、大きな音がして、ドアに重い衝撃が走った。ドアノブを握る町子の手が痺れて、つい、離してしまう。ドアが半開きになって、部屋の中と廊下を少し、繋げることができた。
しかし、町子と輝は、部屋の中を見て愕然とした。
その中には一人の女性がいた。肌は黒い。灰色のスーツを着ていて、体は細身だった。この人がローズという女性なのだろう。その女性は綺麗な青い瞳を持っていた。その瞳には怒りがこもっていて、手に持った拳銃を床に伏せた男性の頭に突きつけ、その体を踏みつけていた。
「今度は子供なの、あの人も諦めが悪いのね」
女性は、輝と町子を見るなり、男性を解放した。逃げようとする男性は丸腰で、女性に尻を叩かれて屁っ放り腰で逃げていった。
男性は、逃げる途中で町子に、気をつけろ、あの女は恐ろしいとだけ告げて、必死で去っていった。女性は、部屋に誰もいなくなると、恐る恐る部屋に入ってくる町子たちを尻目に、拳銃を握ったまま椅子に腰掛けた。
「どこでも好きな場所にお掛けなさい」
そう言われたので、町子たちは何もしてこない女性からできるだけ遠くにある椅子に座った。
「私がローズって名前で、青い薔薇の媒体を持つシリンだってことも、知っていてきたんでしょ。ちゃんと感じるわ、見るもののお嬢さんと、戻すもののお兄さん」
町子たちの想像通りだった。しかし、この状況は想像通りではなかった。
「誰が来たって同じよ。私はもう止まらない。ここから全てを変えていくんだから」
「全てを変えていく?」
町子が恐る恐る尋ねると、女性は、拳銃を握っていない方の手に、力を込めた。
「ねえ、見るもののお嬢さん」
町子は、ローズが話しかけてきて、少し苛立ちを覚えた。
「森高町子です。戻すものの方は、高橋輝」
「そう、ごめんなさいね、町子さん」
ローズは、そう言って少し寂しそうに笑った。
「ねえ、町子さん。密猟がこの世から無くならないのは、どうしてだと思う?」
そう聞かれて、町子も輝も、顔を見合わせた。突然このような話題を振られたので、困惑してしまった。
「密猟者ですか。そりゃ、密猟者が貧乏なのもあるかもしれないけど、その密猟者から買う商人がいて、その商人に高額な象牙なんかを取ってくるように指示するお金持ちがいて、そういう人がいなくならないのも一つの原因だと思います。でも、もっといけないのは無知なんじゃないかなあ。その高額な商品が密猟でなければ手に入らない物だとか、そもそも密猟で手に入れたものだとわかっていても欲しいって思っている人たちがいる。そういう人たちが、密猟の現場を知らないでいることがいけないんじゃないかなあ」
町子の言っていることにはまとまりがなかった。しかし、ローズが町子の知識に対して納得するには十分な説明だった。
ローズは、ため息をついて窓から外を見た。
「その程度の知識で、私を説得に来たの?」
「説得?」
今度は、輝がローズに聞き返した。
「あなたに説得は必要なんですか?」
すると、ローズは輝の方を見て、自分が着ている小綺麗なスーツのポケットから、一輪の青い薔薇を取り出して、それを見つめた。
「面白い子、高橋輝」
そう言って、手に持った薔薇を輝の方に投げた。薔薇は、茎の方からカーペットを突き抜けて床に刺さった。
そして、自分の持っていた拳銃を床に置いて、輝の方へやってきた。細い指先が輝の方に伸びてきて、頬から耳を伝い、髪を梳く。輝はそれに少し寒気を覚えて、立ちあがろうとした。
だが、立ち上がれない。
おかしい、指一本さえも動かせない。どうしてしまったのだろう。不審に思っていると、町子が椅子から動こうとした。そこへ、ローズが先ほどと同じようにバラを投げて刺した。
町子は、椅子から動こうとした姿勢のまま、動きを止めた。
「影縫い」
ローズは、小さな声でそう言って、床に置いてあった拳銃を拾った。
「およそ地球のシリン以外にこれが効かない相手はいない。ここを大人しく出ていくなら、影縫いを解いてあげるわ。私に説得は不要」
町子は、うまく声を出せなかった。先ほどの答えだけではローズを説得するには足りなかったのか。だったらどう答えればよかったのだろうか。もしかして、輝がその答えを持っているのだろうか。
「あんた、ただ拗ねてるだけなんだな」
町子が窮地に陥っていると、輝が喉の奥から声を絞り出した。
「そうやって自分の言い分だけを認めさせて、被害者みたいなことを言っているけどさ、結局やろうとしていることはテロリストと同じじゃないか」
「それがテロリズムだというなら、そうなのでしょうね。私はテロリストだわ」
輝はその答えを予想していたのだろうか。薄笑いを浮かべて、ローズをしっかりと見た。
ローズは、それが気に入らなかった。手に持った拳銃を握りしめて、身動きの取れなくなった輝に銃口を向ける。
「さしずめ俺は、密猟者の罠にはまって狩られる野生動物だな」
輝が荒い息でそう言うと、ローズは拳銃を持つ右手に力を込めた。
「綺麗事はもう十分よ。あなたのことを少しでも評価した自分が恥ずかしい」
輝は、銃口を向けられて、異常なまでに自分が冷静でいることに気がついた。昨日、大柄な男性にホテルで銃口を向けられた時とは正反対だ。いろいろな考えが頭をめぐり、輝は、一つの答えを導き出した。
「ローズさん、俺一人殺せないで、テロなんてできるんですか?」
輝の出した答えに、ローズは、少しも動じることがなかった。
輝は、何を考えているのだろうか。町子は、輝の言っていることが分からなかった。殺すつもりがなければ、銃口を向けたりなんかしない。もし脅しだとしても、それは許されることではない。
「日本人の感覚だけで見るから、こうなる」
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「ローズ、お前の部屋はずいぶん綺麗だな」
シリウスは、そう言って、手に持っている拳銃をローズに向けた。そして、一発、銃弾を放った。すると、ローズは拳銃を弾かれて、痺れた右手を左手で庇った。彼女がもう一度拳銃を拾おうとすると、部屋に入ってきたシリウスの足が、拳銃を踏みつけた。
「もうやめようぜ、ローズ。これは茶番でしかない。お前は道化なんだよ」
シリウスが、そう言いながら町子と輝の影に刺さっていたバラを抜いて行った。ローズが唇を噛んでそっぽを向く。
「私が何をしようと、あなたたちには関係がないわ。出て行ってちょうだい」
ローズは頑なに、町子やシリウスたちを拒んだ。シリウスが床にあった拳銃を拾い上げて、中の銃弾を取り出している。それが終わると、ふと、輝を見た。
「言いたいことがあれば言えばいい」
体が動くようになって、ホッとしている輝に、シリウスは言い放った。輝は、自分の考えていたことをシリウスが読んでいたことに驚きながらも、しっかりと立ってローズを見た。
「ローズさん、俺を愚かだと思いますか?」
輝は、ローズにそう問いかけた。すると彼女はチラリと町子の方を見て、こう答えた。
「私はあなたのことをよく知りもしないのよ。愚かであるかどうかなんてわからないわ」
輝は、それを聞いて大きく息を吸い、吐いた。
「俺もですよ。ローズさんが愚かであるかどうかなんて、あなたのことをよく知らない俺にわかるはずがない。じゃあ、密猟者はどうなんです? 密猟者から毛皮や象牙を買う商人は? 自分の手を汚さずにそれらを手に入れている金持ちは?」
ローズの瞳が、凍った。
「愚か者よ。そんな当然のことを聞いてどうしようっていうの? また私を怒らせたいの?」
輝は、それを聞いて、寂しそうに笑った。
「その答えはなるべく聞きたくなかったですよ。それじゃあ、あなたも愚か者だ」
「なんですって!」
ローズは怒って、輝の服を掴んで自分の方に寄せた。すごい力だ。怒りはこうも人に力を与えるものなのだろうか。
町子はハラハラしてそれを見ていたが、ふとあることに気がついた。
「確かに密猟者は色々悪いことをしているけど、じゃあ、ローズさんはどうなんですか? 密猟者を殺そうとしているんですよね。少なくとも、たくさんの命を、自分の都合で奪うことに関しては同じことじゃないんですか?」
すると、ローズは、自分の中に湧き上がってきたいろいろな反論を抑えきれずに支離滅裂なことを言い出した。
「違う! あいつらは一方的だったのよ! 私のところに休みにきていた動物たちを無抵抗のまま殺していった! 残った私は酷い目にあったわ! あの悪魔たちはその後も、その後も私を利用した! 岩場に縛り付けられた私を心配してやってきた動物たちを次々に狩っていった! 私にはもう、動物たちの前に出ていく資格がないの。その痛みがあなたたちに分かって? たった一人、わかってくれた人もいた。自分自身が酷い実験台にされて人生の大半を奪われた人。でもその人は自分では私を納得させるまでここにいてはくれなかった! 私に、憎しみを捨てろとまで言い放った。分かる? 寂しさが突然やってきて、私の周りを取り囲むのよ。あなたたちにその気持ちが分かるかしら?」
町子と輝、そして、シリウスは黙ったまま、打ちひしがれたローズの状況を飲み込んだ。どれだけ酷い目にあったかは想像したくもなかった。
「ローズさんの気持ちは、よくわかったよ。そして、おじさんのことも、少し分かった」
輝は、いつの間にか床に手をついて四つん這いになっているローズを立ち上がらせた。
「このことは、おじさんに伝えて、ローズさんに謝るように言っておくよ。でも、ローズさんもおじさんに謝ったほうがいい。あなたは、いらない詮索をしたようだから」
「そうね」
ローズは、いつの間にか流れていた大量の涙を拭いた。
「いいわ、彼のことに関して、ずるい手を使って知ったのは謝りましょう。でも、密猟者に関してはそうはいかないわ、輝」
「わかっています。密猟者に関してはもう、庇う気はありませんよ」
輝の物言いに、立ったまま聞いていた町子が歩いてきて、ローズの肩に触れた。
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そう言ったが、シリウスがそれを許さなかった。
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ローズは、何も言わなかった。しかし、頭を抱えていた手を離し、ため息をつくと、寂しそうに笑って、椅子から立ち上がってこう言った。
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シリウスは、そう言って笑った。
輝たちは、シリウスのその言葉に甘えて、彼の車でホテルに帰ることにした。シリウスの車は左ハンドルでドイツ製の車だった。おじさんとは真逆の荒っぽい運転だったが、酔うほどではなかった。
ホテルに着くと、輝たちは休むように言われて、そのまま疲れた体を癒すために各々の部屋に帰っていった。すると、ロビーでゆっくりしていたシリウスの元に、おじさんが現れた。
「ローズの件は、もういいのか」
シリウスが尋ねると、おじさんはゆっくりとシリウスの正面に座った。
「だいぶ落ち着いたよ」
おじさんは、そう言うと、白い布で包んであるクリスタル、いや、ガラスを取り出した。
「シリウス、クエナとクリスフォード博士のことについて、新しい情報が入った」
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「俺に手伝えることはあるのか?」
おじさんは、首を横に振った。
「お前の手は煩わせない。俺一人でもなんとかなるだろう」
「本当か?」
おじさんは、笑って頷いた。
「無理だったら、お前を呼ぶよ」
シリウスは、少し安心した顔をした。おじさんがこのようなことでシリウスや周りの人間たちの手を借りるようになったのは最近のことだった。
その後、シリウスとおじさんは、二人で何かの話をした。輝と町子、そしてローズの話が主だったが、彼ら自身の話も混ざっていた。
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「!?」
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かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
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