長編「地球の子」

るりさん

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第一章 真夜中のラジオ

あたらしい価値観

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 町子の家に着くと、クリニックから帰ってきているフォーラが人待ち顔で待っていた。内山牧師の家にいた少女は、町子から離れてフォーラの方へ向かい、しっかりとしがみついた。
「自己紹介をしていなかったね」
 フォーラとだいたいの挨拶を交わした移民の男性は、町子と輝に向かって礼をした。
「私の名前はソラート。アメリカ合衆国連邦捜査局所属で、大天使ウリエルを媒体として環より生を受けたシリンだ。見るものと戻すものである君たちに協力できることはたくさんあると思う。よろしく頼む」
 シリン、環、ウリエル、媒体として生を受ける。
 わからないことばかりだった。あれだけしっかり勉強していても世間にはわからないことが山ほどある。輝は今まで一体何をして来たのだろう。彼らは一体何なのだろう。そういえばこの人はアメリカ合衆国の人だ。英語を喋っているはずなのに、なぜそれが輝や町子にはわかるのだろう。
 輝の表情から彼の状態を察したフォーラが、そこにいた全員を居間に案内し、町子の母が出してくれたお茶とお茶菓子をいただいた。緊張と混乱から解放されない輝はそのお茶にも目をやれなかった。そんな余裕もなかったし、そんな気分にもなれなかった。先程の言葉の意味がすべて理解できるようになるまでは、安心もできなかった。
「輝くんは、すぐに理解できないと思うけど」
 皆が少し落ち着いてくると、暗い顔をした輝の手を、フォーラが握った。
「輝くん、今から私たちがする話は、植物や物が、意思や感情を持っている、それが前提になっているの。それを否定されると私たちは何もできなくなってしまう」
 輝は、頭を振った。
「理解はできますよ。生き物ですからそりゃ、誰だって意思や感情は持っているでしょう」
 フォーラは、それを聞いて安心したように息を吐いた。
「じゃあ、それを前提として、これからお話をするわね」
 フォーラは、少し不安そうな表情をした。理解はできていても、実感がない。それを恐れているのだろうか。 
 それでも彼女には輝に伝えなければならないことがあった。
「シリンとは、サイレント・リング・オブ・ネイチャーの略でね。地球の周りに存在するすべての生命の意識が集まる場所である『環』という場所のことを指すの。環には、地球上で意識を持ちうるすべての存在の意識が集まっている。その場所からシリンは生まれるの。シリンは、その媒体がある場所であればどの場所の言語も理解できる。相互理解をしやすいようにできているの。輝くん、生き物の全てが人間みたいに、自分の言いたいことを言葉にして他の人に伝えられる訳じゃないのはわかるわね」
 輝は頷いた。フォーラは緊張した面持ちを崩さない。そのフォーラの様子を見ていて、輝は彼女の考えていることを悟った。自分は本当には信頼されていないのだろう。少なくとも、この話が終わるまでは。
 フォーラが続ける。
「言葉を持たない植物や鉱物、本や家なんかが人間となって、人間の姿を借りて現れる。それがシリンなの。シリンは不老。でも、誰かと結ばれて子供を産んだら、その能力も情報も子供に移るから不老ではなくなる。そうやって、子供を持たない一部のシリンたちを除いて、不老を捨てて普通の人間と同じように生きてきた。世の中に目立つことなく混じっているのは、一部の、地球のシリンに守られて不老を決めたシリン以外の人たちがそうやって生きてきたから」
 フォーラがそこで言葉を切ると、輝は黙って俯いた。現実の話である気がしない。確かに町子が空を走ったり、炎に包まれた家に突然水がかかったのにはびっくりしたし、町子の陰で輝を見ている少女がどうやって助かったのかも分からない。
「証拠が必要みたいね」
 フォーラは、輝の様子を見て、自分の後ろにいる少女の手を取った。
「あなたは、座敷童のテンちゃんでしょう。内山牧師さんに伺ったわ。あなたのやれること、見せてくれないかしら? でないと、輝くんは何もできないから」
 フォーラにそう言われると、テンはフォーラの手を握って輝の前に出て、半纏の奥にある着物の袖に手を通した。そして、その手を出した。
 すると、少女は一冊のノートと鉛筆を持って、輝の前に差し出した。
「あ、それ、俺の! 学校に置いてきていたのに、なんで?」
 輝は、焦った。目の前で起きていることは普通ならありえないことだ。今までの展開で、彼女が輝のカバンの中身を盗むことはできないはずだ。それとも、輝がノートと鉛筆だけを持ってきていたのだろうか?
 輝の考えを察したのか、フォーラがテンからノートと鉛筆を受け取って、輝に渡した。
「あなたが持って来たのでも、テンちゃんが盗んだのでもないわ。彼女が、袖の中で空間をカットしてここと学校を繋ぎ、あなたの私物を持って来たの」
「まさかそんな」
 輝はそこで言葉を切った。確かに、そう考えた方が自然だが、普通に考えて、一人の小さな女の子が空間をカットするなんて、どうしたらそんな発想になるのだろうか。
「もしそれがありえたとしても、なんでその子はこんなことができるんだ? おかしいじゃないか。それに座敷童って、妖怪じゃなかったか?」
「妖怪座敷童は、家のシリンのことを言うのよ。長年愛されてきた家が、何らかのきっかけで意思を環に飛ばして人間として生きることを選んだらこうなるの。まあ、その全てを管理している地球のシリンが」
 フォーラの説明の途中で、輝は彼女の言葉を遮って手を挙げた。フォーラの方に手を伸ばし、失礼を承知で指を指す。町子が何かを言いたくて立ち上がったが、フォーラが止めた。
「失礼は承知の上みたいね」
 フォーラは笑った。余裕が出てきたのだろう。輝はその様子を見て、意見をした。
「地球のシリンって名前が出てくるんだけど、なんなんだ? 普通のシリンとは違うんだろ?」
 フォーラは、真剣な顔を輝に向けた。
「地球のシリンは、地球上のあまねく全てのものを、素粒子ひとつ逃さずに集めてできた生命体。人間の形として生まれてくる生命体の中でも突出している存在よ。地球上のものであれば、何もかも全てに因果律の監視者として関与できる。そして、その関与する力は滅多なことでは使わない」
「地球のシリンは、人間としてその辺を歩いて回っているのか?」
 フォーラは、何も言わずに頷いた。
「事実なんだろうな。本当にそんなものがいるなんて、誰が信じるんだ?」
 すると、我慢がならなくなった町子が、椅子から立ち上がった。
「テンちゃんのやっていること見て、何も思わなかったの? それとも何か手品のトリックみたいなものがあるとでも?」
 あくまでシリンの存在もその能力も信じない輝に、町子は苛立っていた。
「じゃあ、なんであんたは信じないの? あんたの信じている現実ってなに? シリンのいない世界だけが現実なわけ?」
「確かにそうだけど、俺を納得させられるだけの要素がまだ十分じゃないって言っているんだ」
「はあ? 何偉そうなこと言ってるの? あんた一人納得しなくたって誰も困らないでしょ!」
 そう言って、町子は真っ赤な顔で怒って、テーブルを叩いた。
 フォーラがそれを制する。
「シリンの特徴は、身体にあらわれる。私は月のシリンだから瞳の色が金や銀に変化するの。月蝕に会った日は赤くなることもある。アルビノに間違えられたこともあるわ。ソラートさんの瞳の色がアフリカ系移民にしては珍しい青であるのも、聖書における信仰媒体の天使であるから。これだけでは信じられないでしょうから、輝くん、今度は君で証明したいのだけれど」
「俺で?」
 輝は、自分を疑った。そう言えば、ソラートが最初に会った時、輝のことを何か他の言い方で言っていて、変に思ったことがあった。不自然なことなのに、なぜか心のどこかが納得する、そんな感じだった。
「戻すもの」
 フォーラは、そう言って、輝の額に人差し指と中指の二本を当てた。すると、周りの人間がどよめいた。
「鏡を見てご覧なさい」
 フォーラがそう言うと、町子が急いで手鏡を持ちに家の奥へ走っていった。彼女が戻ってくると、輝はその手鏡を受け取って、自分の顔を見た。
 どこかが不自然だ。自分の髪は薄い茶色で、これは黒に染まらないから諦めていた。だがその髪の色が変わったわけではない。視線をずっと下に持っていくと、瞳に行き着いた。
「瞳が、青い」
 輝は、つい、見たことをそのまま口に出していた。手鏡をよく見て探そうにもコンタクトレンズは見当たらない。カラーコンタクトレンズを入れられたなら気がつくはずだ。
「なんで青いんだ?」
 フォーラは、まだ信じるつもりのない輝を見て、ため息をついた。すべての説明は終わった。あとは、輝自身の問題だ。フォーラは、再び輝の額に指を当て、輝の瞳の色を、先程の、濃い茶色に戻した。
「私たちができる説明は全てしたわ。あとはあなた自身の問題。あなたの瞳の色は、戻すものとして完全に覚醒した時の色。まだ実感の湧かない今は、信じろと言っても無理でしょう。地球のシリンは、まだ、あなたと会う時ではないと思っている。だから、あの時姿を見せなかった」
 そう言って、フォーラは輝を優しい瞳で見つめて、席を立った。お茶を出してくれた町子の母に礼を言う。
「夏美ちゃん、美味しいお茶をありがとう。私はこのまま、輝くんを彼の家まで送って行かなければならないから、もう行くわ」
「ちょっと待ってくれ、こんな中途半端なところで終わるのか?」
 夏美がフォーラの言葉を受けてお茶会の片付けを始める。フォーラはそれを見て、呟くように小さな声で輝に語りかけた。
「少し、ドライブをしましょう。今の時間なら能生あたりの海も穏やかでしょうし、ここからなら車に乗って話しながら行くにはちょうどいいわ」
「国道に出るの?」
 町子が、不安そうにフォーラを見た。
「私の運転じゃ不満?」
「国道に出て能生までって、結構あるよ。伯母さん、どんな話をするの?」
 すると、フォーラは輝の腕に手をかけた。ふわりといい香りが漂ってきて、輝は何かの媚薬を撒かれたような気分になった。町子とは違う、大人の女性から漂う上品な香りが、輝の周りを優しく包み込んでくる。
「伯母さん、また誘惑してる」
 町子が不満そうに口をすぼめた。どんな話をするにせよ、フォーラと一緒にいられるのは輝としては嬉しかった。母以外の大人の女性を輝は知らない。職場も男ばかりでつまらなかった。そういう意味ではフォーラの色気は輝にとって刺激が強かった。
 町子の母・夏美に見送られて、輝は町子とともにフォーラの車に乗った。彼女の車は赤い軽自動車で、そんなに速度も出なければ馬力があるわけではない。しかし、綺麗に整理された車内に、優しく香る芳香剤が彼女の品の良さを物語っていた。
 車は、糸魚川の内陸、山を抱いた片田舎の細い道路をいくつか抜けて大きい道に出た。海岸を走る国道まで出るまでの間、フォーラは無口だった。時々、陽が傾いていくのを見ながらため息をつくだけだ。
「もうすぐ、私の時間。月の光が水平線を照らして、人々の思考の拠り所になる、静かな時間」
 国道へと出るその時に、フォーラはそう呟いた。輝も町子も無言だったので、その呟きもしっかりと聞き取れた。
「私は残月にはならない」
 フォーラは、つぶやきをそこまででやめた。そして、長い信号待ちの間、煮詰まっていた車内の気まずい空間を打ち破るかのように、今まで閉めていた窓を開けた。
 しばらく海沿いをドライブした後、今はまだ使われていない海水浴場の近くに車を停める。そして、三人は車を降りた。
「海風が少し冷たいわね。さあ、これからどうしましょうか」
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