真珠を噛む竜

るりさん

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第十八章 ナチュラルブーケ

新しい命

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 アヒム、ダニエラ、レオの三人がクロヴィスたちの家に着いたのは、夕方よりも少し前のことだった。そこに住む全員に歓迎され、彼らは集落に入った。
 入り口ではジャンヌが花束を手渡しし、農作業を早めに切り上げてきたエーテリエとセベルが手を振っている。集落はそんなに大きくないので、一時間もあれば見て回ることができた。
 集落の全員が集まって酒屋で食事をする。レオは、懐かしい顔ぶれに、嬉しくなって、みんなとハイタッチをして回った。そして、シリウスの作る料理が大皿で出てくると、それを取り分けてみんなで食べ始めた。今夜はお酒を飲まないでやろう、と言うことになっていたため、誰一人アルコールを飲む人はいなかった。
 宴もたけなわになってきて、料理が出てしまって、レオがシリウスに教わってダーツを楽しんでいると、母であるダニエラが少し疲れたと言ってくつろいでいた。そのうち、彼女は少し体が重くなり、お腹の下の方が軽く痛くなってきたと訴えた。
「俺の料理が当たるはずがない」
 シリウスはそう言ったがみんなが疑うので、外で気分転換をしていたアースとエリクにそれを話すと、エリクが顔色を変えた。
「陣痛が始まっているかもしれないよ」
 エリクがそう言うので、その場にいたジャンヌがダニエラに歩けるかと聞いた。
「まだ余裕だよ。でも、もし陣痛が始まっているんなら、どうしよう。ここに十分なお産の設備はないんでしょ?」
 すると、クロヴィスが答えた。
「腕のいい医者とその助手ならいる。ちょっと見てもらってくれ」
 そう言うので、ジャンヌとエリク、クロヴィスとアースに付き添われて、ダニエラは診療所まで歩いた。その間にお腹はどんどん痛くなっていった。診療所につく頃には、きつい陣痛が始まっていた。
「いつ生まれてもおかしくない。出産のできる部屋を作るから、ナリアとエリクは手伝ってくれ。アヒムとレオはこちらに」
 アースはそう言って、アヒムとレオには陣痛の間隔を測り、彼女の求めに応じて水を飲ませたり励ましたりしてあげるようにと指示を出した。そしてそのまま奥の手術室に行って、いくつかの手術道具を用意しだした。
「て、帝王切開とか、やるの?」
 ジャンヌが不安そうに聞くと、アースは首を横に振った。
「今のところ通常分娩だ。心配するな」
 何時間経っただろう。そのまま不安そうに状況を見守る人間たちをそのままに、ダニエラは陣痛に耐えていた。ジャンヌとクロヴィスは病院に張り付いている。エーテリエやセベルたちは酒場でずっと、生まれるのを待っていた。
「こうなったら寝ちゃいられないね」
 エーテリエはそう言って、シリウスの入れたコーヒーを口にした。
「陣痛ってこの世の終わりにみたいに痛いらしいぜ。すごいよな、母親ってさ。そんなひどい痛みに何時間も耐えるんだからさ」
 それを聞いて、エーテリエは少しの間、何かを考えていた。しかし、それも束の間で、急に伸びをすると、コーヒーを片手に外に出て、凛とした涼しい夜の空気を吸った。
「エータは、自分の母親を知らないんだ」
 セベルは、そう言ってカウンターに座り直し、シリウスに紅茶をオーダーした。
「この店さ、昼間は喫茶店のがいいよ。シリウスは腕がいいから」
 そう言って笑うと、ふと外を見た。診療所が今どうなっているのかはわからない。分娩は始まったのだろうか。少し不安になったが、今はダニエラの生命力を信じるしかない。
 その診療所では、すでに分娩が始まっていて、ダニエラがいきむ声が診療所の中ならどこからでも聞こえてきた。分娩をしている部屋にはナリアとエリク、そして遠くから見守るアヒムとレオがいた。
「頑張れ、頑張れ、お母さん!」
 レオが必死で応援している。アヒムはもう怖くて泣きそうだった。エリクはダニエラの呼吸を整えつつ、ここで息を吸い、ここで吐くようにと指示を出していった。赤ちゃんを出すことに必死のダニエラは、自分の呼吸や精神状態を気にしている余裕がないからだ。
 ダニエラはもう何度も、死ぬとかもうダメとかいうセリフを吐いた。その度にナリアが同意し、励ましていた。
 そして、分娩する部屋に入ってから二時間。
 赤ちゃんが、生まれた。
 女の子だった。彼女は元気な産声をあげた。臍の緒を切られるとすぐに生湯につけられた。取り上げたのは、エリクだった。
 アースが部屋に入ってきて、ダニエラの状態を見た。胎盤はナリアが出す作業をしていた。アースは、エリクとナリアに細かい指示を与えていくと、今度は何かあった時のために二時間ほど、部屋の中にいて今後のことを夫と子供に話した。そして、ダニエラに赤ちゃんを抱かせた。
「レオの時はどっかを縫ったんだが、今回はなかったんだな」
 赤ちゃんを抱いているダニエラのところに行く時、アヒムは少し頭がくらくらした。血を見たと言うのもあるが、気が抜けたと言うのもある。レオに支えられてダニエラのところに行き着くと、アヒムはため息をついた。
「怖かったなあ」
 そう言って力無く笑う。腹が座らない。頭が混乱していて、先ほどのアースの説明も全く入ってこなかった。
 アースもそれがわかっていたのか、あまり重要なことは話していなかった。ただ、今後一ヶ月は母体の養生と赤ちゃんのため、この集落にいた方がいいと言われたのは覚えている。
「お母さん」
 レオが、ダニエラの手を握る。
 産後二時間は何があってもおかしくない。しばらくこのまま見守るために何人かがここに残っていた。しかし、二時間が経つと、もう大丈夫だと、エリクとナリア、そしてアース以外は屋敷に帰っていった。
 そして、ダニエラは、診療所にたった三つだけの病室に入った。
「お腹、空いたでしょう。今、作っていますから」
 ナリアは、優しそうに笑って、ダニエラを見た。スヤスヤと眠る赤ちゃんのゆりかごを横にベッドに座る彼女に、ナリアは優しく語りかけた。
「お名前は決めてあるのですか?」
 聞くと、一緒についてきたレオとアヒムが、顔をつき合わせて笑った。
「もう決まっているんだ。でも、今は内緒だよ!」
 そう言って、赤ちゃんを見た。
 そんなことをしているうちに、食事が来た。もうすっかり日も昇って昼になってしまったので、ランチの時間帯だった。しかし産後食と言うのもあり、きちんと栄養バランスを考えてある食事だった。
「アースは医者で料理人ですから、こう言うことができるんです」
 ナリアはそう言い、ダニエラとは別の、アヒムたちと同じ食事をエリクを呼んで一緒に食べた。
 ダニエラの後陣痛はそんなにひどくはなかったが、それでも一ヶ月間、この集落で暮らすことになった。少なくとも赤ちゃんの首が座るまでは遠出はできなかったので、自宅に帰るのはかなり先のことになってしまった。
 アヒムたちは、数ヶ月間、この集落の屋敷の空き部屋に、部屋を借りた。
 そこで、アヒムは出産の報告とともに、これから集落で行われるあることの報告を兼ねて、村へ手紙を出すことにした。
 ここへはセリーヌの論文の回収のために、毎日と言っていいほど郵便屋が来る。その郵便屋に、アヒムは手紙を託した。
 郵便屋に手紙を渡し、集落の入り口にある花屋で、小さな娘と妻にあげる花を選んでいると、花の手入れをしていたクロヴィスがやってきて、アヒムに一輪のバラを手渡した。
「今がシーズンのバラなんだ。棘はないから安心してくれ」
 それは鮮やかなピンクのバラだった。
 アヒムは、集落の全員に挨拶をしてから屋敷に帰り、妻と娘に、一輪ずつバラを手渡した。すると二人はひどく喜んだ。早速ダニエラが花瓶に挿す。
「あの二人、幸せそうだね、お父さん」
 部屋の中にいたレオが、座っている椅子の上で足をバタバタさせていた。それを見て、先ほどのクロヴィスとジャンヌを思い浮かべた。
 初夏をすぎ、夏になろうとしているこの集落は、まるで理想郷だ。
 綺麗な水、美しい自然、街に近い立地、豊かなみのりのある森を抱いた豊かな土壌、木で作られた温かみのある建物が立ち並び、住んでいる人間も穏やかだ。
 自分の住んでいる村も似たようなものだが、やはりこうありたいという理想はここまで叶えられてはいない。本当に、彼らはいい移住先を選んだ。
「来週、楽しみだな、レオ」
 アヒムは、そう言って部屋の窓をあけ、新鮮な空気を部屋に取り込んだ。
 一週間後に開かれる楽しみ。
 それは、この集落の長、ゼンテイカ一家の家長、クロヴィスとジャンヌの結婚式だった。
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