真珠を噛む竜

るりさん

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第十四章 花椒

まかないの時間

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 店のなかは、戦場になっていた。
 ここのレストランは午後五時に開き、夜の十時に閉める予定だ。先ほど印刷所に行ったついでにセリーヌが買ってきた時計も、皆見る余裕がなくなっていた。
 厨房は、二人しかいないホール係の負担と、客の待ち時間をうまくコントロールして料理を出していた。それは、厨房からパントリーへ料理を運んでいるエリクが舌を巻くほどうまくできていた。厨房の中には三人いて、料理はすべてアースが受け持っていた。エーテリエは仕込み時点で足りなくなったものを仕込んでいたし、エリクは調理場からホールへ料理を運び、どの席にどの料理を持って行ったらいいのかを、伝票を渡しながら指示していた。飲み物を作っているセベルは、少し手が空くとお客さんのもとへ料理を運んでいた。
 ジャンヌとクロヴィスは、注文を取りに行ったり、料理を運んだりするだけでなく、食器を下げてテーブルを整えたり、店内の状況を見てお客さんの入りをコントロールするだけで精いっぱいだった。二人とも、互いの心理状態の確認などどうでもよくなり、いま、目の前にあることをこなすことしか考えられなかった。
 怒りも、悲しみも、焦りもそこにはない。
 ただ、目の前にある現実がすべてだった。
 お客さんは途絶えることなく、夜十時の閉店の時刻になるまで並んでいたので、翌日もここで営業することを伝えて帰ってもらうしかなかった。
 市場も閉まり、食材も底を尽きかけていた。
 閉店の時間を過ぎて、ようやく店を閉める段になると、セリーヌが今日の売り上げとお釣りの計算に入っていた。チップは他の場所に入れてあった。
「これ、明日もあるんだよね」
 片づけたテーブルにもたれかかり、ジャンヌが息を吐く。
 アースが今日の分の皆の食事を持ってきて、テーブルに並べる。
「明日はもっとすごいぞ」
 クロヴィスがへとへとになって椅子に体を沈める。
「ナリアさんもリゼットも料理も街中の噂になっているし、明日は休日らしいからな」
 そこへ、エリクが来た。彼は疲れを知らないのだろうか。真珠を噛む竜とはそういうものなのだろうか。へとへとに疲れたクロヴィスたちとは違ってケロッとしている。
「今日の夕飯、すごくおいしいんだ。僕も作り方を教えてもらったよ。残り物だけでこんなにできるなんて、すごいよ!」
 ジャンヌは、目の前に置かれたご飯の炒め物がいい香りをしているにもかかわらず、たいして食欲が出ないでいた。それよりも、早く寝たい、休みたいという気持ちが強かった。
「明日のこともあるから、早く食べなさいよ。じゃないと、明日へたばって動けないのは困るのよ」
 リゼットが店に入ってくる。彼女も疲れていたが、食欲がなくなるほどではなかった。
「ジャンヌもクロヴィスも、だらしないわね。料理係のアース様なんて、一人であれだけの料理を作っても、まだまかないを作ってくださったのに」
 リゼットは、そう言って席に座り、ジャンヌの目の前にあったチャーハンを口の中に放り込んだ。
「あんた、豚になるよ」
 ジャンヌがそう言うと、リゼットは胸を張った。
「今日一日頑張ったご褒美をもらわずして、寝られないわ。それに、明日また、もっとすごいことが起こるんだもの。きちんと食べなくちゃね」
「さようで」
 ジャンヌは、そう言いながら、それでも、目の前にあるチャーハンを一口、口に運んだ。すると、びっくりした顔で立ち上がり、ジャンヌとリゼットの目の前にあるチャーハンを全て取り皿に取り分け始めた。
「これ、うまい! クロヴィス! あたしたちこんなうまいもの運んでた!」
 ジャンヌがクロヴィスを起こすと、彼はだるそうに一口チャーハンを口にした。そして、ジャンヌと同じように飛び上がった。
「なんだこれ! これ本当に人間の食い物か?」
 ジャンヌとクロヴィスは、幸せそうにチャーハンを食べ始めた。
「でも、今回一番疲れたのは、たぶんエーテリエよね。慣れない仕事ばかりだったもの。お皿や食器を洗って拭いて、仕込みもして、時間ができればすぐホールの手伝いでしょ。セベルも忙しいからワインやビールの樽もエーテリエが外から持ってきていたし、空いた瓶や樽を回収所に持って行ったのも彼女よ」
 みんながチャーハンを食べていると、お金を数えていたセリーヌが口を挟んできた。彼女の目の前にもチャーハンが配られている。
 セリーヌは、自分の数えている紙幣を確認すると、その売り上げを紙に書いて驚いた顔をした。
「これは、この間のティエラさんの優勝賞金よりも、多いわ!」
 みんなはそれを聞いて、びっくりした。
「原価を差し引くと、どうなるの?」
 リゼットが少し冷静になって聞くと、セリーヌは、今回使った食材と飲み物、それと明かりに使った薪やメニューなど小物の値段を差し引いた。
「原価を引いても、まだあまりあるわ。すごい」
 セリーヌの顔は明るかった。皆はそれで一気に疲れが吹き飛んでしまった。稼いだお金の額以上に、自分たちの頑張りが認められたのが嬉しかった。
 みんなが喜んでいると、部屋の隅でチャーハンをひたすら食べながら、エーテリエとセベルがアースにお代わりを頼んでいた。
「頑張ったな」
 アースは、誰にともなく、そう声をかけた。
 それを見ていたナリアが、くすくすと笑った。
「今日のおじい様、明日も来るそうです。相当あなたの料理にほれ込んでいたみたいですよ。明日はもっとお金を持ってきて早く並び、一番高いコースをご注文なさるそうですから、気合を入れてくださいね」
 そう言われて、アースは頭を抱えた。
「なんで俺ばかり」
 その二人のやり取りに、その場の全員から笑いが起こった。
「愉快だな。自分たちの首を自分たちで絞めて忙しくしているのに、この爽快感はたまらない」
 クロヴィスが笑うと、ジャンヌも笑った。
「なんか達成感あるんだよね。みんなすごく頑張ったし。明日も頑張ろうよ」
 ジャンヌもクロヴィスも、楽しそうに笑っていた。わだかまりは解け、皆が笑顔でその夜は幕を閉じた。
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