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第十四章 花椒
追いつかない心
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ホアジャオは、東方にある文字で『花椒』と書くのだという。胡椒とも山椒とも違う辛さで、ジャンヌやリゼットたちには初めての味だった。
「麻婆豆腐という料理なら、食べたことあるよ」
ファッションの村を発ち、大都市へ向かう道すがら、リゼットが錬術を使って懸命にスープを作っているさなか、エーテリエが胸を張ってこう言いだした。
「東方に旅行した時に、ナリアが買って食べさせてくれたんだ。その時は海沿いの町だったけど、今回は山のなかの料理だっていうし、味も違うんだろうなあ」
「花椒が入るんでしょ?」
ジャンヌが、鶏肉をしゃぶりながら、エーテリエの話に乗ってきた。いま、ここにクロヴィスはいない。彼はエリクと一緒に、料理を作っているアースの手伝いをしていた。
「そうそう、そこの麻婆豆腐って、海沿いの町と違って花椒が入るらしくて。今、ナリアが作った花椒を入れて再現してもらってる。豆腐も、今朝、大豆から作ったんだよ。昨日寄った港町に、にがりが売っていたからね。フレデリクに持たせるわけにはいかないから、私とナリアで分けて運んだの」
「だから、あんなに荷物が大きかったのか」
セベルが感心していると、料理が出来上がったいい香りがしてきた。
「これは!」
ジャンヌは、嗅いだことのない香りにビックリした。あまりに食欲をそそる香りだ。いくつもの香辛料の混ざった香り、酸っぱいような香り。
「香りだけでもおいしそう!」
ジャンヌの横で、リゼットが感嘆の声を上げた。
「ちょっとあんた、スープはどうしたのよ?」
ジャンヌは、無神経に横に出てきたリゼットに少しイラついた。
「もう終わったわよ。私は、あんたみたいに鈍くさくないからね」
二人が言い合いをしていると、そこへ、たくさんの木の実やハーブを抱えたナリアがやってきた。洗濯係のセリーヌと一緒に、楽し気な会話をしている。
ナリアは、作業をしているリゼットを手伝いながら、幸せそうに皆を見た。
「大都市でレストランを開くには、特定地方調理師免許と食品衛生管理の免許が必要になります。特定地方調理師免許に関しては、百を超える地域のものをアースが持っていますし、衛生管理の免許は即日交付で取得可能です。だから、大都市に着いたら、皆さんのうちの一人に衛生管理をお願いしたいのです。アースにやらせてもいいのですが、すでに罰は与えてありますから」
「罰」
ジャンヌは、それを聞いてなんだか楽しくなってきてしまった。アースは自分が料理を作れることを隠していた。しかし、白い丘の上の家で判明してからは、言い逃れができなくなっていた。ナリアはそう言ったところを突くのがうまい。
「でも、食品衛生管理か。私たちにできるんですか?」
ナリアは、頷いた。
「形だけのものですから、誰にでもできます。ちょっとしたペーパーテストがあるだけで、それに合格すれば即日交付です。皆さんが食材を買いに行ってレストランを設営している間にできるでしょう」
それを聞いて、ジャンヌの顔が真っ青になった。
「あたしパス。セリーヌあたりにやってもらったほうがいいよ」
ジャンヌは、そう言いながらも肩を落としていた。なんだかさみしそうだ。それを見たリゼットは、ため息をついて立ち上がり、伸びをした。
「ジャンヌは字が書けないのよ。読めるけど書けない」
リゼットは、また大きくため息をついた。
「それくらいのこと私が世話しなきゃ言えないのね、ジャンヌ。字が書けないことより、そっちのほうが恥ずかしいわ」
リゼットはそう言ってジャンヌにケンカを売った。売ったはずだった。
しかし、当のジャンヌは地面を見つめたまま俯き、リゼットの言ったことに何も答えることがなかった。
「怖いの?」
リゼットは、何となく頭に浮かんだ言葉を、ジャンヌにかけてみた。ジャンヌは、リゼットの言葉に、何も言わずに頷いた。
「ジャンヌが怯えている」
セリーヌが心配そうにジャンヌを見て、そのあと皆をぐるりと見た。
「こんなことは初めてだわ。クロヴィスのことなの?」
ジャンヌは、何も答えなかった。
「これは重症だな」
セベルがそう言って立ち上がり、料理を作っている三人のほうへ歩いていった。ジャンヌはまだ何も言わない。セリーヌは近くの木と木の間にひもを渡して洗濯物を干し始めた。リゼットは、新しくセベルが取った出汁を固形にするために作業を再開した。終始皆は無言だった。
そのうち、セベルがアースを連れてやってきた。
「あとは料理を盛り付けて並べるだけだから、エリクとクロヴィスに任せたよ」
セベルはそう言って、アースに中に入るよう促した。
「少し疲れたんだが」
アースはそう言って頭を抱えたが、ナリアが肩に手を置くと、ため息をついてジャンヌを見た。
「この心理状態は、精神医学にも通じるあなたにも分かるはずです。これは本来ならば家族同士で解決するべき問題ですが、医師の介入も可能なはず。薬を処方するなりカウンセリングをするなり、どうにかして解決の糸口を探ってください」
「もう、私たちにはお手上げよ」
リゼットが、アースが来たことで安心したのか、眉をひそめて苦笑いをする。
「私の誘いに乗ってこないジャンヌなんて、気持ちが悪いだけだわ」
リゼットは相当心配している。いままで当たり前のようにやっていたジャンヌとのけんかは、二人の間の大切なコミュニケーションだったのだ。
アースは、それを知ってか知らずか、背の低い花小人の頭を軽く叩いた。そして、立ち上がると、ジャンヌの目の前に行った。
そして、地面に座ってじっとしているジャンヌの背を叩き、自分のほうに抱き寄せた。
「無抵抗だ」
アースは、表情に真剣さを加えた。ジャンヌは、アースの肩越しに光のない瞳で、リゼットを見た。しかしその目の焦点はあっていない。
そして、一筋の涙を流した。
「ジャンヌがこんな無気力になっているのに、当のクロヴィスは!」
リゼットが、少しいら立った口調で、エリクとともに食事の用意をしているクロヴィスを見た。しかし、それをアースがいさめた。
「あいつは、ああやっていないと自分が保てない。ジャンヌのようなサインが出せない分、あちらはあちらで厄介なことになっているんだ」
アースは、そう言ってジャンヌを地面に寝かせた。そして、一枚だけ服を脱がせると、おなかの、ちょうど胃と腸の間のあたりを軽く押した。その間もジャンヌはされるがまま、抵抗もせず、声一つ上げなかった。
「どうなの?」
セリーヌが不安そうにジャンヌを見る。すると、またジャンヌは泣いた。
「少し、時間をくれないか」
アースが、そう言ってジャンヌを抱え、木の下に行って木陰の下で幹に寄りかからせた。
「ジャンヌ、気に病んでいないかしら。自分のせいでみんなに迷惑をかけていないかとか、予定が遅れちゃうとか」
セリーヌが、ジャンヌの様子を見て、呟く。それを見ていたナリアは、黙ったまま地面を見つめていた。
「それは彼女の中の、どこかに必ずあるはずです。しかし、今の彼女はそれを覆い隠してしまえるほどの大きな絶望の中にある。こればかりは、素人のわたくしたちにはどうしようもない。彼女を見守りましょう」
その言葉に、そこにいた誰もが頷くしかなかった。
「冷めた料理は錬術で温められるから、気にしないで、ジャンヌ。なにもかもがどうにかなるのよ」
リゼットはそう、小さくつぶやいた。それは自分自身の思考の確認も兼ねていたが、何より、皆のことでジャンヌ自身を責めてほしくなかった。
それが、リゼットの中の家族像だったからだ。
ジャンヌのことは、アースに任せるしかなかった。いま、誰かが手出しをしてややこしくしてしまったらすべてが台無しになる。
一行は、洗濯も兼ねて、この場所で三日は野宿することを決めていた。
ジャンヌの調子が戻ってきたのは、そのうちの二日目のことだった。
「麻婆豆腐という料理なら、食べたことあるよ」
ファッションの村を発ち、大都市へ向かう道すがら、リゼットが錬術を使って懸命にスープを作っているさなか、エーテリエが胸を張ってこう言いだした。
「東方に旅行した時に、ナリアが買って食べさせてくれたんだ。その時は海沿いの町だったけど、今回は山のなかの料理だっていうし、味も違うんだろうなあ」
「花椒が入るんでしょ?」
ジャンヌが、鶏肉をしゃぶりながら、エーテリエの話に乗ってきた。いま、ここにクロヴィスはいない。彼はエリクと一緒に、料理を作っているアースの手伝いをしていた。
「そうそう、そこの麻婆豆腐って、海沿いの町と違って花椒が入るらしくて。今、ナリアが作った花椒を入れて再現してもらってる。豆腐も、今朝、大豆から作ったんだよ。昨日寄った港町に、にがりが売っていたからね。フレデリクに持たせるわけにはいかないから、私とナリアで分けて運んだの」
「だから、あんなに荷物が大きかったのか」
セベルが感心していると、料理が出来上がったいい香りがしてきた。
「これは!」
ジャンヌは、嗅いだことのない香りにビックリした。あまりに食欲をそそる香りだ。いくつもの香辛料の混ざった香り、酸っぱいような香り。
「香りだけでもおいしそう!」
ジャンヌの横で、リゼットが感嘆の声を上げた。
「ちょっとあんた、スープはどうしたのよ?」
ジャンヌは、無神経に横に出てきたリゼットに少しイラついた。
「もう終わったわよ。私は、あんたみたいに鈍くさくないからね」
二人が言い合いをしていると、そこへ、たくさんの木の実やハーブを抱えたナリアがやってきた。洗濯係のセリーヌと一緒に、楽し気な会話をしている。
ナリアは、作業をしているリゼットを手伝いながら、幸せそうに皆を見た。
「大都市でレストランを開くには、特定地方調理師免許と食品衛生管理の免許が必要になります。特定地方調理師免許に関しては、百を超える地域のものをアースが持っていますし、衛生管理の免許は即日交付で取得可能です。だから、大都市に着いたら、皆さんのうちの一人に衛生管理をお願いしたいのです。アースにやらせてもいいのですが、すでに罰は与えてありますから」
「罰」
ジャンヌは、それを聞いてなんだか楽しくなってきてしまった。アースは自分が料理を作れることを隠していた。しかし、白い丘の上の家で判明してからは、言い逃れができなくなっていた。ナリアはそう言ったところを突くのがうまい。
「でも、食品衛生管理か。私たちにできるんですか?」
ナリアは、頷いた。
「形だけのものですから、誰にでもできます。ちょっとしたペーパーテストがあるだけで、それに合格すれば即日交付です。皆さんが食材を買いに行ってレストランを設営している間にできるでしょう」
それを聞いて、ジャンヌの顔が真っ青になった。
「あたしパス。セリーヌあたりにやってもらったほうがいいよ」
ジャンヌは、そう言いながらも肩を落としていた。なんだかさみしそうだ。それを見たリゼットは、ため息をついて立ち上がり、伸びをした。
「ジャンヌは字が書けないのよ。読めるけど書けない」
リゼットは、また大きくため息をついた。
「それくらいのこと私が世話しなきゃ言えないのね、ジャンヌ。字が書けないことより、そっちのほうが恥ずかしいわ」
リゼットはそう言ってジャンヌにケンカを売った。売ったはずだった。
しかし、当のジャンヌは地面を見つめたまま俯き、リゼットの言ったことに何も答えることがなかった。
「怖いの?」
リゼットは、何となく頭に浮かんだ言葉を、ジャンヌにかけてみた。ジャンヌは、リゼットの言葉に、何も言わずに頷いた。
「ジャンヌが怯えている」
セリーヌが心配そうにジャンヌを見て、そのあと皆をぐるりと見た。
「こんなことは初めてだわ。クロヴィスのことなの?」
ジャンヌは、何も答えなかった。
「これは重症だな」
セベルがそう言って立ち上がり、料理を作っている三人のほうへ歩いていった。ジャンヌはまだ何も言わない。セリーヌは近くの木と木の間にひもを渡して洗濯物を干し始めた。リゼットは、新しくセベルが取った出汁を固形にするために作業を再開した。終始皆は無言だった。
そのうち、セベルがアースを連れてやってきた。
「あとは料理を盛り付けて並べるだけだから、エリクとクロヴィスに任せたよ」
セベルはそう言って、アースに中に入るよう促した。
「少し疲れたんだが」
アースはそう言って頭を抱えたが、ナリアが肩に手を置くと、ため息をついてジャンヌを見た。
「この心理状態は、精神医学にも通じるあなたにも分かるはずです。これは本来ならば家族同士で解決するべき問題ですが、医師の介入も可能なはず。薬を処方するなりカウンセリングをするなり、どうにかして解決の糸口を探ってください」
「もう、私たちにはお手上げよ」
リゼットが、アースが来たことで安心したのか、眉をひそめて苦笑いをする。
「私の誘いに乗ってこないジャンヌなんて、気持ちが悪いだけだわ」
リゼットは相当心配している。いままで当たり前のようにやっていたジャンヌとのけんかは、二人の間の大切なコミュニケーションだったのだ。
アースは、それを知ってか知らずか、背の低い花小人の頭を軽く叩いた。そして、立ち上がると、ジャンヌの目の前に行った。
そして、地面に座ってじっとしているジャンヌの背を叩き、自分のほうに抱き寄せた。
「無抵抗だ」
アースは、表情に真剣さを加えた。ジャンヌは、アースの肩越しに光のない瞳で、リゼットを見た。しかしその目の焦点はあっていない。
そして、一筋の涙を流した。
「ジャンヌがこんな無気力になっているのに、当のクロヴィスは!」
リゼットが、少しいら立った口調で、エリクとともに食事の用意をしているクロヴィスを見た。しかし、それをアースがいさめた。
「あいつは、ああやっていないと自分が保てない。ジャンヌのようなサインが出せない分、あちらはあちらで厄介なことになっているんだ」
アースは、そう言ってジャンヌを地面に寝かせた。そして、一枚だけ服を脱がせると、おなかの、ちょうど胃と腸の間のあたりを軽く押した。その間もジャンヌはされるがまま、抵抗もせず、声一つ上げなかった。
「どうなの?」
セリーヌが不安そうにジャンヌを見る。すると、またジャンヌは泣いた。
「少し、時間をくれないか」
アースが、そう言ってジャンヌを抱え、木の下に行って木陰の下で幹に寄りかからせた。
「ジャンヌ、気に病んでいないかしら。自分のせいでみんなに迷惑をかけていないかとか、予定が遅れちゃうとか」
セリーヌが、ジャンヌの様子を見て、呟く。それを見ていたナリアは、黙ったまま地面を見つめていた。
「それは彼女の中の、どこかに必ずあるはずです。しかし、今の彼女はそれを覆い隠してしまえるほどの大きな絶望の中にある。こればかりは、素人のわたくしたちにはどうしようもない。彼女を見守りましょう」
その言葉に、そこにいた誰もが頷くしかなかった。
「冷めた料理は錬術で温められるから、気にしないで、ジャンヌ。なにもかもがどうにかなるのよ」
リゼットはそう、小さくつぶやいた。それは自分自身の思考の確認も兼ねていたが、何より、皆のことでジャンヌ自身を責めてほしくなかった。
それが、リゼットの中の家族像だったからだ。
ジャンヌのことは、アースに任せるしかなかった。いま、誰かが手出しをしてややこしくしてしまったらすべてが台無しになる。
一行は、洗濯も兼ねて、この場所で三日は野宿することを決めていた。
ジャンヌの調子が戻ってきたのは、そのうちの二日目のことだった。
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