真珠を噛む竜

るりさん

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第十一章 スノー・ドロップ

希望

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 地球人には地球人。
 クロヴィスの言い分はそうだった。
 アースは、ため息をついて、その案を了解した。ただ一つ、ゼンテイカの家のものを一人、一緒に連れて行くという条件を出して。
 それにはまず、エリクが手を挙げたが、彼はいつもアースにべったりしている。だから、誰もエリクが付いていくことに同意しなかった。話し合いの結果、最も接点のないジャンヌが一緒に行くことになった。
 ジャンヌは緊張していた。全身から汗がほとばしる。
 アースが宿の主人に例のよそ者のことを聞いている間、ジャンヌは一人で支度をしていたが、その手が震えて止まらない。他の皆は今夜連泊する予定で、村を散策していくつもりでいた。
 他の皆が遊びに出かけてしまうと、一人取り残されたジャンヌの緊張は最高潮に達した。宿の主人との会話を終えて、アースがこちらにやってくる。何を話したらいいのか全く分からない。心臓は高鳴るし、その動悸のおかげで周りの音がろくに聞こえなくなっていた。
「ジャンヌ」
 何回目だろう、アースがジャンヌを呼ぶ声が聞こえた。
 それに気が付いて顔を上げると、アースの顔が眼前にあった。ジャンヌはびっくりして腰を抜かしてしまった。そのジャンヌの額に、アースは一発、デコピンを放った。
 デコピンはたいして痛くなかったが、それにびっくりしたジャンヌは、目を丸くしてあんぐり口を開けた。腰は抜かしたままだが、目の前でジャンヌを観察しているそのアースの姿に、緊張はほぐれていた。どこか安心したジャンヌが見たものは、アースの隣で楽しそうにこちらを見る宿の主人の顔だった。
「何見てるんですか!」
 ジャンヌは、そんな二人を振り払うように立ち上がった。そして大きく息をして、吐く。
「イェリンのお姉さんのことは分かったんですか?」
 ジャンヌが訊くと、アースも宿の主人も立ち上がった。
「ああ、分かった」
 アースはそう言うと、ジャンヌの手を取った。
「村の中央にある広場の銅像を作った芸術家の家らしい。広場から少し、西にある赤レンガの家だ。ここからはそう遠くない」
 そう言って、アースは宿の主人に挨拶をして、民宿を出た。
 ジャンヌは手を引かれて歩いている間、自分の胸がひどく高鳴るのを感じた。こんなふうになるのはナリアと初めて会った時以来だ。
「ズルいな、星の人は」
 ジャンヌは、そう言ってふと、足を止めた。アースはそんなジャンヌの手を引っ張ることなく、自然に足を止めた。
「クロヴィスと何かあったのか」
 アースがそう問いかけると、ジャンヌは首を横に振った。
「あなたもナリアさんも、いいものを持っているのに使おうとしない。羨ましい反面、ヤキモキしちゃって」
「そうだったのか」
 アースはジャンヌの背を押し、ゆっくり歩きながらジャンヌの話を聞いた。クロヴィスやリゼットとのこと、エリクやセリーヌと出会った時のこと。そして、ゼンテイカの名前を持っていることへの責任感。
 星の人はそれも含めてすべて解決してしまえる力がある。姿かたちも整っていて、ナリアもアースも相当モテるだろうに、そんな浮いた話は一切聞かない。なぜかと問うと、それが星の人の宿命なのだそうだ。
 話も盛り上がりを見せたころ、昼前に、ジャンヌは目的の赤レンガの家に着いた。木でできたドアをノックすると、しばらくしてドアが開き、一人の気難しそうな白髪の老人が姿を現した。ジャンヌがイェリンの姉の話をしようと、エステルの名前を出そうとしたところで、アースはジャンヌを止めた。
「旅の者です。ここの宿の主人に、広場のあなたの彫刻のことを聞きました」
 アースがそう言うものだから、ジャンヌはびっくりした。エステルのことを聞きに来たのではないのか。それがどうして、彫刻を見に来たことになるのだろう。
 ジャンヌが口を開けようとすると、アースが先に口を開いて、ジャンヌを庇うように老人の前に立ちふさがった。
「ここは任せてくれ」
 そう言って少し、笑った。
 やはり星の人はズルい。これだけの行動でジャンヌはおとなしくなってしまった。そうさせるだけの力があるのだ。
 アースは、ひとしきり老人と彫刻の話をした。専門用語も多くて、美術や芸術に詳しくないジャンヌにはちんぷんかんぷんだった。しばらくそうしていると、彫刻家が嬉しそうにアースとジャンヌを家の中に案内した、
「ここに移り住んで数十年、自分の好きなことを存分にできるようになったのは良いが、評価してくれる人間がいなかった。お前さんたちのような人間は久しぶりだ。アトリエでも見ていくかね?」
 アースは、一言、はい、とだけ言って、老人の案内についていった。ジャンヌはその背中を追いながら、何をしているんだろうと訝しんでいた。だが、それは突然やってきた。
 ジャンヌの後ろに、一人の女性が出てきて、床に倒れたからだ。
 年のころは二十代、長い黒髪を床に広げて、ゼイゼイと息をしている。ジャンヌがその女性を抱きかかえようと近寄ると、その女性はジャンヌの手を振り払った。
「なに?」
 少しイラついてジャンヌが声を上げると、後ろからアースが出てきて、女性を抱え上げた。女性はそれに何の抵抗も見せず、乱れた髪を整えると、真っ赤な顔をして下を向いた。
「大丈夫ではないな」
 アースが女性にそう言うと、女性は老人とアースに助け起こされて、自室のベッドに寝かされた。女性の顔はまだ赤い。声を出すのも苦しそうだ。
「感染症か。ここの医者では手に負えないはずだ」
 アースは、その女性の様子をしばらく見て、ところどころ調べていった。老人に細かい症状を聞き出すと、すぐにその病気の名前を言い当てた。
「ウイルスによる感染症が悪化している。肺炎を併発する前に何とかしなければ」
 とにかく熱を下げなければならない。それに、少しでも何かを食べさせなければ、体力が落ちてきてしまう。
 老人は、何が何だか分からないまま、ジャンヌとともにアースの指示を受けた。
「あたしはおかゆを作ればいいんだね」
 ジャンヌは、自分の役割を確認して、老人に食料のありかを聞いていった。老人は、家の中にあるもので薬を作るというアースに材料を提供していた。
 すると、黒髪の女性は少しだけ目を開けて、みんなの動きを追った。
「私は」
 そう言いかけると、少し咳をした。
 アースがそれを見て女性のそばに寄り、彼女の名前を呼んだ。
「エステル、心配するな。妹は無事に帰った。今はお前が頑張る番だ。体力を温存するためにも今は何も言うな」
 アースの言葉は優しかった。こんなに優しいのはジャンヌも初めて見る。そう言えばエリク以外、家族全員いつも健康だ。こんな高熱を出したことなど一度もない。
 エステルはアースの言葉に少し頷いて、また眠った。
 ジャンヌはそんなことを考えながら、おかゆが焦げないようにぐるぐると回していた。彫刻家の家は雑然としていて、時折足の踏み場もないほどに、彫刻刀や、彫刻に使う石などが散乱していた。しかし台所だけはきれいで、何がどこにあるのかすぐに分かった。ジャンヌは目の前の木の棚にある塩をとるために手を伸ばした。すると、老人がやってきて、ジャンヌの背を二回、叩いた。
「お前さんもあの青年も、いったい何者だ? ここには何をしに来た?」
 ジャンヌは、少しドキリとしたが、この老人に追い出されないためにどうしたらいいか、それを考えながら答えた。
「ただの観光客ですよ。国境を超える前にこの村に寄ったら、連れの医者が彫刻に興味があるからって。それで村の人にあなたのことを聞いたんです。そしたらたまたまここに私たちの関わった、イェリンって子のお姉さんがいただけのことですよ。私も驚いたけど、まさか本当にいるなんて。しかも熱まで出して」
「そうか」
 ジャンヌの説明に、疑問を抱いたのか信じたのか、よく分からない態度を持ったまま、老人は引き下がっていって、アトリエのほうで作業をしているアースのもとへ行った。薬ができたというので、行ってみると、老人の手には三種類の粉薬が乗っていた。
 三人がかりでエステルを起こして薬を飲ませるというので、ジャンヌはいったん台所の火を消して、ベッドのほうへ行った。アースと彫刻家の老人がエステルを起こし、ジャンヌが一包ずつ薬を水に溶かして飲ましていく。それを半日以上繰り返していると、エステルの熱はようやく冷めてきた。
「これでおかゆが食べられるね」
 出来上がったおかゆをベッドのそばに持っていって冷ましていると、そのジャンヌの気配に気が付いたのか、エステルは目を覚ました。
「私は幸運だわ」
 そう言って、エステルが起き上がろうとしたので、アースのほうを見ると、彼は頷いて応えてくれた。
 ジャンヌはエステルが起き上がるのを助けて、彼女の後ろに大きな枕を置いて姿勢を安定させた。そして、ほっと一息つくと、何かの調べものや探し物をしている男性二人を尻目に、エステルと会話を始めた。
「そうだね、ちゃんとした医者がいない場所でこんなひどい熱病にかかって、それでも旅の医者に助けられるなんてね」
 エステルは、頷いた。
「しかも相手はアース。これ以上の光栄はないわ」
「そうなの?」
「ええ。この星において、ナリアの治療を受けることに等しいのよ。あなたたちの友人や家族に花小人がいたら聞いてみるといいわ」
 それを聞いて、ジャンヌは、山ブドウを採りに行ったときにはじめてナリアに会った時のリゼットの様子を思い出した。
「確かに」
 ジャンヌはそう言って笑った。そんなジャンヌの顔を見て、エルテルは少し安心したように肩をなでおろした。
「あなたの名前は? 聞いてもいいかしら?」
「もちろん。私はジャンヌ。あなたはエステルさんだよね。さっきアースさんが言っていたから。イェリンのお姉さんでしょ?」
 ジャンヌの話を聞いて、エステルの顔が明るくなった。
「イェリンはあなた方と一緒だったのですね! それならよかった。これで私も思い残すことはありません」
「え、どういうこと?」
 思い残すことがない。それはどういうことなのだろう。聞き返したジャンヌに、エステルはそれ以上のことを教えてはくれなかった。
「そういえば、イェリンはあなたのことを意地悪だって言っていた。私から見ればそんなことないのに」
 すると、イェリンの姉はくすりと笑った。
「確かにあの子からすれば、私は意地悪ね。あの子を突き放してしまったんだもの」
「突き放した?」
 エステルは頷いた。
「私の母は不治の病。そして、空気感染で他人に移す恐れのある病なの。だから、看病している私やイェリンは共倒れになるかもしれなかった。それでも、私はイェリンだけは助けたかったから、どうしても外せない母の看病を私だけにしてしまって。だから、イェリンは私を意地悪だと言ったのかもしれません。あの子には恨まれても仕方がないわ。母にずっと会えなくなるんですもの」
 その話を聞いて、ジャンヌは胸が痛くなった。もし、ここにナリアがいたら、彼女を励ましてくれただろうか。自分を犠牲にしてまで妹を助けたエステルを救ってくれただろうか。アースでもナリアでもいい。とにかく星の人に来てもらって、何とかしてほしかった。ジャンヌは、しばらく考え込んで、はっと気が付いた。
 自分の横にあるおかゆが冷め始めている。ジャンヌは急いでそのおかゆをエステルに手渡した。すると、エステルはジャンヌの手をしっかりと握った。
「ジャンヌさん、お願いがあるんです」
「お願い?」
 エステルは、頷いた。
「イェリンがムーンライトブーケを持ち帰ったのなら、私は用済みです。今や地球に帰る必要はありません。私もともに、旅をさせてください」

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