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第十一章 スノー・ドロップ
猫舌
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次の日の朝、エリクが目を覚まして支度をし、朝食を食べに食堂に降りていくと、そこに一人の女性がいた。まぶしい金色の髪を肩まで伸ばしていて、薄い青の瞳でエリクを見た。彼女はいくつかの野菜が入った袋を床において、誰かを待っていた。
「これは珍しい。この宿にお客さん?」
この宿はすべて木でできている。太い丸太をいくつも繋げたり組んだりして作ってあるログハウスだ。その木の床に置かれているのは主に根菜と葉物で、冬に育つ野菜ばかりだった。宿の主人が現れてエリクに一礼すると、その女性は、大きな袋を床に敷いて、外にあった大きな肉を宿の裏口から引き入れた。
「今日はシカが獲れたんだ。お客さん、今日も泊っていくのかい? もしそうだったら、昨日とはちょっと違う料理が出るかもしれないよ! このおやっさん、いつ客が来てもいいように食べ物だけは切らさないんだ」
女性のその言葉に、宿の主人は照れながら彼女を追い払う仕草をした。
「余計なことはいいから、ちゃんと仕事をしてくれよ。今日は、根ものが多いな。葉物は少しか。ブロッコリーは使えるな。ハンスさんのハウスか。礼を言っておいてくれな。シカも合わせれば、二千ってところか。そういえば、よそ者のあの子はどうなんだ? 熱は下がったのか?」
そこまで聞いたとき、エリクの頭の中に宿の主人が最後に言った言葉が入ってきた。
熱を出しているよそ者の子。
「もしかして、その人って?」
そこまで聞いて、エリクはハッとした。
まだエリクたちは、イェリンのお姉さんの名前を知らない。
突然エリクに話しかけられて、不思議そうな顔をしている女性と宿屋の主人が何かを話そうと口を開けた時、エリクの後ろで声がした。
「エステルだ」
エリクが驚いて振り向くと、そこには眠そうにして頭を掻いているアースがいた。ちゃんと支度はしているが本当に眠そうで、ひとつあくびをすると、戸惑うエリクを連れて食堂に降りた。
「エステルって、イェリンのお姉さんの名前なんですか?」
「そうだ」
アースはそう答えて、宿屋の主人にコーヒーをオーダーした。主人は慌てて台所に行き、コーヒーを入れるために豆を挽きだした。
「すみません、ハンド・ドリップですので時間がかかるんです。その間お二人でお話していてください」
主人はそう言うと、ガリガリと音をさせながら豆を挽いて、それをドリッパーに入れた。お湯が沸騰するまで時間がかかる。アースはその様子を見てからエリクに向き直った。
「地球で見た彼女の容姿に思い当たる節があったんだ。ここの主人に昨夜、詳しい話を聞いた。このことは、あとで皆が集まったら話そう。それでエリク、真珠を噛む竜のことなんだが」
その名を出されて、エリクはごくりと唾をのんだ。
「真珠を噛む竜、僕のことですか」
アースは、頷いた。
「皆もうすうす感じているだろう。あの夜、皆を守ったのが誰なのか」
ああ、この人は何もかもを見通している。どんな秘密も嘘も、この人の前では無力なのだ。エリクはそう思ってため息をついた。
「僕は、自分の正体をさらけ出してでも、皆を守りたかった。あの時は、ナリアさんから頂いたダイヤモンドが、竜の抜け殻から僕を引き離してくれていたからバレませんでした。それでも皆が感づいているというなら、この村を出て、次の国に行って、少し落ち着いたときに話そうと思います」
アースは、分かった、と、一言言った。その時、宿の主人がコーヒーを二人分、持ってきた。主人は、何も聞いていませんから、とだけ言うと、そのまま下がっていって、朝食の準備を始めた。
「聞かれていましたね」
エリクは、赤い顔をしながら、まだ熱いそのコーヒーを見た。澄んだ黒い色をしている。エリクは、熱々のコーヒーを口に運ぼうとして、正面に座っているアースを見た。
アースは猫舌だ。出されたコーヒーはすぐには飲めなかった。早く目を覚ましたいのになかなか飲めないので、コーヒーを目の前にして悔しそうにしていた。
「俺が守ってやるから、安心していればいい」
アースはコーヒーを早く飲むことを諦めた。少し笑うと、エリクの頭に手を乗せて、ポン、と、叩いた。
「エリク、お前が真珠を噛む竜であることを、皆はいずれ知るだろう。それを知ったとき、あの四人がどう出るかによって、お前たちが本当に家族でいられるかどうかが試される。エリク、お前にその覚悟はあるか?」
エリクは、その問いに確信を持って頷いた。
「みんなを信じていますから」
その言葉を聞いて、アースは嬉しそうに笑った。
この人は最近になって本当によく笑うようになった。この『優しい水』ナリアに来てから、彼は少しずつ変わってきているような気がした。
そして、冷めたコーヒーをようやく二人で飲み始めたころ、皆が食堂にやってきた。十分ほどで全員集まったので、宿屋の主人がようやく来たとばかりにたくさんの朝食を出してくれた。
「朝はしっかりと召し上がってくださいよ! 一日の活力ですからね!」
朝食に出されたのは、大きなパンだった。外は硬くて中はふっくらしていた。エリクはこのパンを焼く香りで起こされたのだ。そこに付いてきたのはゴボウとニンジンのポタージュスープで、昨夜から煮込んで作っていたものだ。あとは、この寒い土地でも取れる根菜をオリジナルドレッシングで和えたサラダ、そして、リンゴジュースの寒天ゼリーだった。
「寒天? なにかしらこれ。でも美味しいわ」
ゼリーをまじまじと眺めるリゼットに、ナリアが答えた。
「東方にある島国で生産が盛んで、天草などの海草を原料として作られた寒冷地の作物です。棒寒天や粉寒天になったものをお湯で溶かして、色々な食材を入れて固めて食べるんですよ。食物繊維が豊富で、お通じの改善に良いそうです」
ナリアの言葉を受けて、ジャンヌが自分のお腹をさする。
「そう言えば最近調子悪いな」
その言葉に、皆から笑いが起こった。
「ジャンヌ、食事中にそれはないわ。ナリアさんも」
笑い顔を口で押えながら、セリーヌが言うと、クロヴィスも口の中にあったものをごくりと呑み込んだ。
「そう言えば最近、歩く以外に運動という運動をしていないな。また稽古でも頼むか」
クロヴィスがそう言ってアースを見る。熱いポタージュスープを後回しにしてサラダを食べようとしていたアースが、クロヴィスを見た。
「また俺か」
すると、みんなの間からまた笑いが起こった。ナリアも、楽しそうに笑っている。そのナリアの様子を見て、ひとり、エリクは幸せな気分が最高潮になっているのを感じた。
そんな幸せな食事がひと段落して、宿の主人が淹れてくれるコーヒーを待ちながら、皆はイェリンの姉の話をすることにした。
「エステルっていうのね」
イェリンの姉の名前を聞いて、セリーヌが呟いた。
「宿のおじさんには聞けないのかしら? エステルさんのこと」
「たぶん、おじさんは何も知らないと思う。今朝ここに食べ物を持ってきた女の人なら知っているかもしれない」
エリクが答えると、セリーヌはふと、ジャンヌを見た。
「こういうことはジャンヌが得意でしょ。この宿のおじさんに聞いて、その女の人から情報を聞き出せないかしら?」
すると、ジャンヌは難しい顔をした。
「こんなよそ者に、具合が悪い女の子のことなんて教えてくれないよ。特にあたしじゃダメ。いかにも怪しいじゃん」
「そうかしら?」
セリーヌがジャンヌに疑問の目を向けると、今度はリゼットが得意げに胸を張った。
「当然。どこの馬の骨とも知れないジャンヌなんかより、私のほうが断然信用できるわ。花小人に悪い人はいないもの!」
「いるじゃん」
ジャンヌは、そう突っ込んで、目を座らせた。皆が全員、リゼットが追い出されたあの村のことを思い出した。
打つ手なしか。
皆がそう思った時、ふと、窓の外を見ていたアースが、皆のほうを向いた。すると、そこにいる全員が彼をじっと見ていた。そのあまりの視線の多さにアースはびっくりして、手に持っているコーヒーカップを取り落としそうになった。そして、そんな彼にクロヴィスはこう言った。
「行ってくれますね」
「これは珍しい。この宿にお客さん?」
この宿はすべて木でできている。太い丸太をいくつも繋げたり組んだりして作ってあるログハウスだ。その木の床に置かれているのは主に根菜と葉物で、冬に育つ野菜ばかりだった。宿の主人が現れてエリクに一礼すると、その女性は、大きな袋を床に敷いて、外にあった大きな肉を宿の裏口から引き入れた。
「今日はシカが獲れたんだ。お客さん、今日も泊っていくのかい? もしそうだったら、昨日とはちょっと違う料理が出るかもしれないよ! このおやっさん、いつ客が来てもいいように食べ物だけは切らさないんだ」
女性のその言葉に、宿の主人は照れながら彼女を追い払う仕草をした。
「余計なことはいいから、ちゃんと仕事をしてくれよ。今日は、根ものが多いな。葉物は少しか。ブロッコリーは使えるな。ハンスさんのハウスか。礼を言っておいてくれな。シカも合わせれば、二千ってところか。そういえば、よそ者のあの子はどうなんだ? 熱は下がったのか?」
そこまで聞いたとき、エリクの頭の中に宿の主人が最後に言った言葉が入ってきた。
熱を出しているよそ者の子。
「もしかして、その人って?」
そこまで聞いて、エリクはハッとした。
まだエリクたちは、イェリンのお姉さんの名前を知らない。
突然エリクに話しかけられて、不思議そうな顔をしている女性と宿屋の主人が何かを話そうと口を開けた時、エリクの後ろで声がした。
「エステルだ」
エリクが驚いて振り向くと、そこには眠そうにして頭を掻いているアースがいた。ちゃんと支度はしているが本当に眠そうで、ひとつあくびをすると、戸惑うエリクを連れて食堂に降りた。
「エステルって、イェリンのお姉さんの名前なんですか?」
「そうだ」
アースはそう答えて、宿屋の主人にコーヒーをオーダーした。主人は慌てて台所に行き、コーヒーを入れるために豆を挽きだした。
「すみません、ハンド・ドリップですので時間がかかるんです。その間お二人でお話していてください」
主人はそう言うと、ガリガリと音をさせながら豆を挽いて、それをドリッパーに入れた。お湯が沸騰するまで時間がかかる。アースはその様子を見てからエリクに向き直った。
「地球で見た彼女の容姿に思い当たる節があったんだ。ここの主人に昨夜、詳しい話を聞いた。このことは、あとで皆が集まったら話そう。それでエリク、真珠を噛む竜のことなんだが」
その名を出されて、エリクはごくりと唾をのんだ。
「真珠を噛む竜、僕のことですか」
アースは、頷いた。
「皆もうすうす感じているだろう。あの夜、皆を守ったのが誰なのか」
ああ、この人は何もかもを見通している。どんな秘密も嘘も、この人の前では無力なのだ。エリクはそう思ってため息をついた。
「僕は、自分の正体をさらけ出してでも、皆を守りたかった。あの時は、ナリアさんから頂いたダイヤモンドが、竜の抜け殻から僕を引き離してくれていたからバレませんでした。それでも皆が感づいているというなら、この村を出て、次の国に行って、少し落ち着いたときに話そうと思います」
アースは、分かった、と、一言言った。その時、宿の主人がコーヒーを二人分、持ってきた。主人は、何も聞いていませんから、とだけ言うと、そのまま下がっていって、朝食の準備を始めた。
「聞かれていましたね」
エリクは、赤い顔をしながら、まだ熱いそのコーヒーを見た。澄んだ黒い色をしている。エリクは、熱々のコーヒーを口に運ぼうとして、正面に座っているアースを見た。
アースは猫舌だ。出されたコーヒーはすぐには飲めなかった。早く目を覚ましたいのになかなか飲めないので、コーヒーを目の前にして悔しそうにしていた。
「俺が守ってやるから、安心していればいい」
アースはコーヒーを早く飲むことを諦めた。少し笑うと、エリクの頭に手を乗せて、ポン、と、叩いた。
「エリク、お前が真珠を噛む竜であることを、皆はいずれ知るだろう。それを知ったとき、あの四人がどう出るかによって、お前たちが本当に家族でいられるかどうかが試される。エリク、お前にその覚悟はあるか?」
エリクは、その問いに確信を持って頷いた。
「みんなを信じていますから」
その言葉を聞いて、アースは嬉しそうに笑った。
この人は最近になって本当によく笑うようになった。この『優しい水』ナリアに来てから、彼は少しずつ変わってきているような気がした。
そして、冷めたコーヒーをようやく二人で飲み始めたころ、皆が食堂にやってきた。十分ほどで全員集まったので、宿屋の主人がようやく来たとばかりにたくさんの朝食を出してくれた。
「朝はしっかりと召し上がってくださいよ! 一日の活力ですからね!」
朝食に出されたのは、大きなパンだった。外は硬くて中はふっくらしていた。エリクはこのパンを焼く香りで起こされたのだ。そこに付いてきたのはゴボウとニンジンのポタージュスープで、昨夜から煮込んで作っていたものだ。あとは、この寒い土地でも取れる根菜をオリジナルドレッシングで和えたサラダ、そして、リンゴジュースの寒天ゼリーだった。
「寒天? なにかしらこれ。でも美味しいわ」
ゼリーをまじまじと眺めるリゼットに、ナリアが答えた。
「東方にある島国で生産が盛んで、天草などの海草を原料として作られた寒冷地の作物です。棒寒天や粉寒天になったものをお湯で溶かして、色々な食材を入れて固めて食べるんですよ。食物繊維が豊富で、お通じの改善に良いそうです」
ナリアの言葉を受けて、ジャンヌが自分のお腹をさする。
「そう言えば最近調子悪いな」
その言葉に、皆から笑いが起こった。
「ジャンヌ、食事中にそれはないわ。ナリアさんも」
笑い顔を口で押えながら、セリーヌが言うと、クロヴィスも口の中にあったものをごくりと呑み込んだ。
「そう言えば最近、歩く以外に運動という運動をしていないな。また稽古でも頼むか」
クロヴィスがそう言ってアースを見る。熱いポタージュスープを後回しにしてサラダを食べようとしていたアースが、クロヴィスを見た。
「また俺か」
すると、みんなの間からまた笑いが起こった。ナリアも、楽しそうに笑っている。そのナリアの様子を見て、ひとり、エリクは幸せな気分が最高潮になっているのを感じた。
そんな幸せな食事がひと段落して、宿の主人が淹れてくれるコーヒーを待ちながら、皆はイェリンの姉の話をすることにした。
「エステルっていうのね」
イェリンの姉の名前を聞いて、セリーヌが呟いた。
「宿のおじさんには聞けないのかしら? エステルさんのこと」
「たぶん、おじさんは何も知らないと思う。今朝ここに食べ物を持ってきた女の人なら知っているかもしれない」
エリクが答えると、セリーヌはふと、ジャンヌを見た。
「こういうことはジャンヌが得意でしょ。この宿のおじさんに聞いて、その女の人から情報を聞き出せないかしら?」
すると、ジャンヌは難しい顔をした。
「こんなよそ者に、具合が悪い女の子のことなんて教えてくれないよ。特にあたしじゃダメ。いかにも怪しいじゃん」
「そうかしら?」
セリーヌがジャンヌに疑問の目を向けると、今度はリゼットが得意げに胸を張った。
「当然。どこの馬の骨とも知れないジャンヌなんかより、私のほうが断然信用できるわ。花小人に悪い人はいないもの!」
「いるじゃん」
ジャンヌは、そう突っ込んで、目を座らせた。皆が全員、リゼットが追い出されたあの村のことを思い出した。
打つ手なしか。
皆がそう思った時、ふと、窓の外を見ていたアースが、皆のほうを向いた。すると、そこにいる全員が彼をじっと見ていた。そのあまりの視線の多さにアースはびっくりして、手に持っているコーヒーカップを取り落としそうになった。そして、そんな彼にクロヴィスはこう言った。
「行ってくれますね」
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