海が鳴いている

八助のすけ

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海が鳴いている11

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 丁度、昼を過ぎて鮨なぶらの中も常連客が2人ほどになっていた。

「浄水君」

 カウンターの外で、定期便から持って帰って来た酒の入った箱と、瓶ビールの箱をカウンター裏にある倉庫にしている小部屋へ運んでいた章良へ、真琴が声をかけた。

「なに? マコちゃん」

「暖簾を入れたら、僕はちょっと配達に回るから、後の戸締まりと夜の分のビールを冷蔵庫に補充しといてもらっても良い?」

 瓶ビールケースを一気に二つ重ねたのを軽々と運んでいた章良が、首から掛けていたタオルで汗を拭きながら、顔を出した。

「良いけど、配達は俺が行くよ?」

「今日は少し件数が多いんだ、弁当も頼まれてるし、お米も運んで欲しいって言われてるから植田商店の信照君に軽トラ出してもらう事になってる、だから浄水君は休んでて良いよ」

 真琴が寝込んでから、これまで以上に章良は積極的に手伝いをする様になっていた、特に体力を必要とする事は全て請け負う様にしている。真琴はそこまでする必要は無いと言っているが、章良は自分の方が力も体力もあるからと言って聴かなかった。

「信照に会うの? 俺、あいつに教えて欲しいって言われてる事があるんだ」

「え? 何を?」

「最近さ携帯変えたらしいんだけど、これまで使っていた機種と違うから設定が解らないから教えてって言われてるんだよね」

「何時の話?」

「さっきだよ、港で酒受け取る時に植田商店の圭子さんと信照も来ててさ、そこで聞かれたんだけど、俺もあっちも受け取りのサインとか次の注文の事でバタバタしてて、夜にでもここに聞きに来るって言ってたとこ」

「そうなんだ」

「うん、だから信照に乗せて貰うなら俺が行って来る。ついでに設定もしちゃうから帰りちょっと遅くなるかもしれないけど、良いかな?」

 植田商店はこの島唯一の店で、島の漁師の中ではアイドル的存在の植田圭子が店主をしている。信照はそこの長男で、島の中では章良と年齢が近いせいかいつの間にか親友と呼べるほど仲良くなっていた。

「……そう言う事なら、お願いしようかな……」

 少し躊躇いを含んだ真琴の声に、すぐさま章良が反応し、真琴の顔を覗き込む。

「マコちゃん、何か気になる?」

「……ううん……なんだか……」

「え? もしかしてヤキモチ?」

「やっ……だれがヤキモチなんてっ! 違うよ、なんだか雑用を全部押しつけてるみたいで、申し訳ないなって思っただけ!!」

 途端に真琴が顔を真っ赤にして反論するが、章良はそれが面白いとばかりに大笑いをする。診療所からの帰りに、前触れも無くキスをされた。あれから一週間過ぎたが、お互いあの出来事に関しては、まるで何事も無かったかの様に触れる事は無い。ただ、真琴の中では毎日あの瞬間の出来事が、頭の中でリプレイされていた。

 あのキスは何だったのだろうか、何か特別な意味があったのか、それともただの偶然だったのか、それを何度も確かめ様としたが、結局は聴く勇気がないまま出来るだけこれまでと同じ態度で接している。もしあの時のキスの理由を聞いて、章良からキッパリと否定されたらと思うと、怖くて仕方がない――。

〈もしかすると……浄水君も僕の事を……?〉

 何度も肯定し、その度に否定をする。そんな事をずっと繰り返していた。


 最後の客が帰った昼前、章良が配達の荷物を纏め始める。

「あ、信照君が出る前に電話してくれって言ってたけど」

 真琴が、配達様の弁当に惣菜を詰めながら、カウンターに置いてあった章良の携帯を手にして手渡そうとすると、クーラーボックスに氷を詰めていた章良が携帯を受け取り、ズボンポケットへ差し込んだ。

「あ――……直で行くわ俺の携帯、繋がんねぇから」

「繋がらない? 電波が悪いのかな? 僕のは繋がるけど」

 一旦作業の手を止めた章良が、ポケットから携帯を出して、真琴へと画面を見せ電話を押すと通話不可となっていた。

「ここWi-Fi繋がってるからゲームとかは出来るんだけど、通話やメールは止めてる……ちょっと繋がりたくなくてさ」

「……ああ……そうか」

 章良は小説家の兄の代わりにずっと執筆活動をして来た。だが、兄の影として生きる事に疑問を持ち、全てを断ち切ってここへ流れて来たと、そう話していた事を思い出す。

「店までそんな遠く無いし、裏路地を抜けるから車より速いって」

「そう……じゃあ、これもお願い。行き先はそれぞれの弁当に名前を書いてるからね、それと……これは浄水君のと信照君の分」

 真琴が手渡した10個ほどの弁当の一番上には【浄水君】と書かれたシールが貼ってある弁当が乗っていた。

「うわ! やった! マコちゃんの弁当が食べれるってラッキー! しかもご飯別盛りじゃん!」

「ふふ、だって浄水君、その量じゃ足りないでしょ? じゃあ配達お願いします」

「うん、行って来ます」

「――――!!」

 真琴がふわりと蕩ける様に微笑むと、章良が荷物を持っていない方の腕で真琴を抱き寄せる。真琴は大きな身体に包まれた事に驚いたが、それにも増して温かい物が胸の中に広がるのを感じた。

「……行ってらっしゃい」

 真琴に見送られながら、章良は店の入り口を出て手を振りながら港の方へ歩いて行く。この島に来てまだ二週間だと言うのに既にずっとここに住んでいる様な気になって来ていた。

 自分の置かれた環境に息苦しさを感じ、家を飛び出した。本当は3日で帰ろうと思っていたが、たまたま海に来ていた時に目の前にあった島を巡る水上バスへふらりと乗り込み、終点まで来たらこの島だった。

 そのまま乗っていれば本土へと戻れたが、章良は吸い込まれる様にあの岬まで歩き、そのまま海を見て3日間を過ごそうと決めていた。

 真琴と出会ったのは運命に導かれたのでは無いかと感じている。嵐の中命がけで見ず知らずの章良の元へ駆け寄って来たと思ったら、そして叱り飛ばされた。その瞬間に、何故かこの人とは以前から知っているのでは無いかと思えるほど何処か懐かしさまで感じて、嫌がる真琴を無視して強引に転がり込んだ。

 もしかしたら、これは一目惚れになるのかもしれないと思っている。

 あの日、真琴にキスをしたのは一種の掛けだった、あそこで拒否されたらこれは事故だと言って気持ちを諦め様と覚悟していた。恐らく、真琴の心の中にはまだあの写真の人が住んでいるのは確かで、見えない相手と張り合うには自分の経験も不足している事も解っていた。

 あの男は一体真琴にとってどう言う存在なのか……卒業アルバムの中に同じ顔があった事は解っていたが、ただの同級生なのか、何故涙を流しなから彼の名を呼んでいたのか。知りたい事は山ほどあったが、真琴が男を好きだったと言う事だけは漠然と理解出来た。

 章良が坂を下りて通りを渡ろうとした時、反対側から見かけない男性がこちらへ歩いて来るのが見えた。

〈……知らない顔だ〉

 この島の人口は少なく、鮨なぶらを手伝い配達もしている為、既に章良は島の人間を見分ける事が出来るが、今すれ違おうとしている男は、身なりからして島の人間では無いと言う事が解る。

 すれ違った後、少し気になり振り返ると男はそのまま坂を上り右へと曲がって行った。その先にあるのは通りに面した家と、路地があるだけで何も無い。章良は少し首を傾げたが、そのまま自分も通りを曲がって行った。




 ◇◇◇




 真琴は、表にかけてあった暖簾を仕舞い、そのまま洗い物と夜の営業の仕込みを始め様と、昔ながらの氷を使った冷蔵庫から今朝水揚げされたばかりの魚を捌き始める。

 カラカラ……鍵をかけて居ない店の引き戸が開けられる音が聞こえ、顔を上げずに声だけで答えた。

「今日の昼は終わりましたよ、夜にまた…………」

 魚の鱗を剥いでいた手を止め、顔を上げた真琴の顔が見る見る青ざめて行き、ガコン! 真琴の手から落ちた鱗取りがステンレスのシンクの中で大きな音を立てた。

 真琴の大きな瞳は限界に見開き、細い指先は小刻みに震え出し、調理場の中を摺り足で後ろに下がって行く。

 ……カラカラカラ、静かに閉められる引き戸の音がもう逃げられないと言っている様だった。

「はっ……はっ……は……っ」

 指先の震えが徐々に全身に伝わり、真琴の呼吸も乱れて行く。

「元気そうじゃねぇか真琴、迎えに来てやったぞ」

 ガシャガシャガシャン! カウンター下に並べておいたカラのビール瓶が派手な音を立て倒れ、その音を合図に真琴がカウンターの反対側から勝手口側へ逃げようと踵を返したが、勝手口に手が届く前に腕を男に掴まれてしまった。

「は、離して!!」

「真琴――――!!」

 腕を振り払おうとした真琴に、男が大きな声を出し一括すると、真琴の身体が感電したかの様にビクっと跳ねて固まる。

「ここではなんだ、とりあえずお前の寝泊まりしてる部屋に行ってじっくり話し合おうか……ん?」

「……い……いやだ……出てって……大声を出すよ……」

 真琴の拒絶の言葉を聞いて、男の奥歯がギシっと音を立てた瞬間、真琴は目を瞑り首を竦めて次にやって来るであろう衝撃に備えたが、男は拳を振るう事無く無言で真琴を引き摺る様にして階段を上り始めた。

「来い!」

「嫌だ! 話す事なんて何も無い!」

「お前に無くてもおれには有るんだよ!」

「痛いっ、孝史、離して!」

 強引に真琴を連れて二階まで来た男は、一番手前の部屋の扉を開き、内側の引き戸も開いて真琴を放り投げる様に部屋の中へ押し込んだ。

「へぇ、もしかしてここがお前の部屋? 何にも荷物ねぇな……当たり前か、お前全部荷物置いたままで出て行ったきりだもんな」

 乱暴に掴まれた手首を摩りながら、真琴がジリジリと座りながら後ろへと下がって行く。

「……いや……いやだ」

 まるで蛇に睨まれた蛙の様に、真琴はガタガタと震えながら部屋の中を男から遠ざかろうと逃げていたが、とうとう足を掴まれ馬乗りにされて動け無くなってしまった。

「悪あがきはよせ、どうせお前はおれが居ないと駄目なんだ」

 仰向けに寝かされ、身体の上に乗られて両腕を固定され真琴は身動きが出来ず、刺す様な視線を避ける為に顔を背け目を閉じた。












 嫌だ……助けて……誰か……






 助けて……………………














  浄水君――――――――!!














 【続】
 2019/07/04 海が鳴いている11
  八助のすけ
 
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