海が鳴いている

八助のすけ

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海が鳴いている9

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 遠くでセミが鳴く声が聞こえ、ゆっくりと意識が浮上して行くのが解った。
 
 東京を離れてから何度も繰り返される悪夢の為、ここ数年ちゃんと眠ったと言う自覚が無かったが、今朝は不思議と良く寝たと言う心地よい気怠さが残っている。

〈夢も見ずに眠れたなんて、何年ぶりだろうか〉

 まだ目を開けず、このまま眠りの余韻を楽しんでいたかったが、何時もと違う布団の重みも気になり、真琴はゆっくりと目を開けた。直ぐ目の前には灰色の物が視界いっぱいに広がっており、一瞬自分の部屋にこんな物があっただろうかと不思議に思いながら幾度か瞬きをして、視線を移動させる。

「…………ん?」

 重いと思っていた物の正体は、真琴を布団ごと抱え込んでいる腕だと言う事が解り、何故腕があるのかと、腕の持ち主を確認すると自分の髪に顔を埋める様にして男の顔がある事に気が付いた。

「ふぐっ――――――――!!」

 驚きのあまり変な声が漏れ、思わず両手で口を押さえる。

〈ええええええ!? ちょ――ちょっとまって!! な、な、な、な、なんで浄水君が僕を抱いて一緒の布団で寝てるの――――――!?〉

 思わず頭を仰け反らせると、真琴の髪に顔半分埋まっていた章良の顔が自分の枕の上へコテンと落ちたが、章良は起きる気配も無く熟睡していた。

〈――――――………………え? もしかして……やっちゃった? 駄目だ、それはあり得ない、だって彼はそう言う嗜好の持ち主じゃないはず……〉

 ドキドキと心臓が早鐘の様に打つが、頭がハッキリと覚醒して来ると自分も相手にも、そういった行為の後と言うものが無いと言う事が解り、真琴は安堵の溜め息を吐いた。

 落ち着いて来ると、章良の事をゆっくりと観察し始める。自分とは違いしっかりとした輪郭に高い鼻、唇は少しぽってりとしており、広角がキュっと上に上がっていた。

「……まつげ長い」

 睫は長くて量も多く、色は髪より少し濃いめのブラウンだった。

〈まつげがこの色って事は……あそこもそうなのかな〉

 一瞬頭を過った破廉恥な空想を追い払い、章良が起きない様にゆっくりと布団から抜け出し、枕元にある水を飲もうと手を伸ばすと、皿の上に二つ並んだおにぎりがある事に気が付いた。

「……これ、浄水君が?」

 昨夜は結局あのまま眩暈が治まらず、何度か起きては水を飲んでいただけで何も食べていない。そんな真琴が夜中にお腹が空くだろうと思い章良が用意してくれていたのだと言う事は安易に想像出来た。真琴が皿からおにぎりを取り、布団に多い被さる様にして眠る章良の頭をそっと撫でる。

「ありがとう……いただきます……おいしい」

 形は丸く不格好だったが、これまで食べたどの料理より涙が出るほど美味しかった。



 ◇◇◇



「……ん~~~~~」

 章良が並べた座布団の上で大きく伸びをし、のっそりと起き上がった。

「……あれ? ここ俺の部屋じゃない?」

 寝ぼけ眼のままシャツの下から手を入れ、ボリボリと胸の辺りを掻きながら隣を見ると、敷き布団だけがあり掛け布団は自分の上に掛けられていた事が解った。

「……ヤバ! 俺あのまま寝ちまったのか!!」

 一気に昨夜の記憶が蘇り、章良は布団をはね除け部屋を飛び出して階段を転がる様に下りて行く。

  ドダダダダダ――――――――――!!

「マコちゃん!?」

 半ば滑り下りる様にして一階に着いた章良が、店の中へ飛び込んで行った。

「浄水君、この建物けっこう古いんだ、お願いだから踏み抜かないでよ」

「マコ……」

 店の入り口を箒で掃いていたらしい真琴が、開け放たれた入り口から箒とちり取りを持った姿で立ち、Tシャツとパンツ姿で裸足のまま立っている章良の姿を見て、フワリと優しく微笑んだ。
 
 章良は、真琴が見せた初めての柔らかな微笑みに目を奪われ、言葉も出ずに立ち尽くしている。

「おはよう」

 ポカンとした顔をしている章良へ、真琴が満面の笑みで応えた。

 章良は思わず真琴の元へ駆け寄り、自分より小さな身体を抱き締め首筋に顔を埋め、甘えた様に鼻を鳴らし〈良かった〉と息を吐く様に呟いた。

「……じょ……浄水君!?」

 突然の抱擁に驚き、真琴は持っていた箒とちり取りを落とし、抱き締められた男の背中に腕を回そうとしたが、そのまま抱き返す事も無く躊躇った手が空中で止まる。

「マコちゃん、元気になった……よかった」

「……うん、心配かけたね、ごめん……それと、おにぎりありがとう。とても美味しかったよ」

「初めて作ったんだけど、ちゃんと三角にならなくて」

「ふふ……確かに形は独創的だった、でも、これまで食べたおにぎりの中で一番美味しかった……ありがとう、浄水君」

「またまたぁ~んな訳ねぇじゃん! 老舗料理店にまで居たのに? 俺、騙されないもんね」

 真琴が少し躊躇い、ゆっくりと腕に力を入れ章良の背中をしっかりと抱く。

「嘘じゃないよ、僕はこれまで誰かの為に料理を作って来たけれど……誰かが僕の為だけに料理を作ってくれた事はなかった……初めてだったんだ……嬉しかった」

「……っ!!」

 真琴の言葉を聞いて、章良が思わず真琴を力一杯抱きしめてしまう。
 
 おにぎりの作り方すらまともに知らず、手にご飯を山ほどつけ空気の抜けたボールの様な物が出来、自身も味見をしたが、塩が疎らで真琴が作ってくれる数々の料理には足下にも及ばず不味いと思っていた。その中でも一番綺麗に出来た二つを章良へ持って行ったが、こんなに喜んでもらえるとは思っても居なかった。

 人から無条件で褒められるのは何時ぶりだろうか――。

「あんなので良かったなら、また作ってやるよ……何度だって、マコちゃんの為に作ってやるから!」

「うん、ありがとう」

「……そしたら、また褒めてくれる?」

「あははは、それはどうかな」

 真琴が章良の背中を叩いて〈朝ご飯にしよう〉そう言って身体を離した。そのまま章良は顔を洗いに洗面所に消えたのを確認しながら、予め用意いていた朝食を温め直して行く。
 
 章良の前では平静を装っていたが、突然抱き締められた時、心臓が飛び出るかと思った。逞しい腕にしっかりと抱き締められ若者らしい男の香りを間近で嗅いで思わずそのままキスをしそうになるのを必死に堪えた。
 
 彼が自分を抱き締めるのは【親愛の情と友情であって、決して自分が男に抱くふしだらな感情ではない】そう何度も勘違いするなと言い聞かせていた。

〈……たぶん……僕は浄水君の事が……好きだ〉

 しかし、これは悟られてはいけない……相手に勘違いさせてはいけない。

 
 ―― オマエガ サソッテキタ ――


 ―― モノホシソウナ カオヲシヤガッテ ――


 ―― ダレニデモ マタヲヒラク インバイダナ ――


 嘗て、何度も繰り返し言われた言葉が頭の中で木霊する。
 
「…………僕に恋愛をする資格なんて……な……い……」

 真琴はハっと短い息を吐き、胸の前で服をきつく握る。

〈 デ モ コ コ ガ 痛 イ 〉


 ◇◇◇


 この島の水は山からの湧き水を各家庭に引いており、夏の暑い日でも常にキンと冷えている。章良は冷たい水で何時もより念入りに何度も顔を洗い、目の前の古い鏡の自分を覗き込みながら何度も深呼吸を繰り返す。
 
 冷たい水がポタポタと顎を伝い下へ落下して行くのも構わず、ゴンと鏡に映った自分の顔を手で隠した。島の住民は真琴は最近笑う様になったと言っていたし、章良もここへ来てから真琴の笑顔を何度も見ていたが、さきほど見た彼の笑顔は初めての顔だった。

 心の中から溢れ出すような微笑みに目が離せなくなった。

「あんな風に笑えるんだな」

 恐らくあの顔が本来の素の顔だろう、まるで花が綻ぶ様に微笑む顔と佇まいに、完全に心を持って行かれてしまい、気が付いたら抱き締めていた。そのままキスをしてしまいそうになるのを必死で我慢し、首筋に顔を埋めると、首筋からは自分と同じ石けんの香りに混ざり真琴の匂いに包まれた。

 あんな歪なおにぎりを〈今まで食べた中で一番美味しかった〉とあの笑顔で言われ、たまらなく愛おしいと感じた。

「たぶん……俺は、マコちゃんが好きだ……」

【親愛の情と友情ではなく、ふしだらな感情】これまで一度たりとも同性に対してこの様な気持ちになった事は無いが、真琴に対して本気で恋愛の対象とみている事を自覚した。

 章良は視線を自身の下半身へと移し、もう一度深く嘆息しながら一人ごちる。

「……オマエ……正直すぎんだよ……」

 若さゆえの反応が治まるまで、また何度も冷たい水で顔を洗っていると、店の座敷の方から真琴の声が飛んで来た。

「浄水君、ご飯の用意出来たから、そのまま座敷までおいで」

「お……あ……ありがとう! 今行く!」

 章良は、最後に気合いを入れる様にパーンと頬を両手で挟み、真琴の待つ座敷へと入って行った。
 






【続】
 
 2019/06/28 海が鳴いている9
 八助のすけ
 
 
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