海が鳴いている

八助のすけ

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海が鳴いている6

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 午前中の忙しい時間が終わり、お互い遅い昼の済ませ真琴が夜の営業用に食材の仕込みに入っていた。
 この時期の小アジをカラリと揚げて、鷹の爪と焼いたネギとパプリカ、そしてミニトマトも一つ一つ湯引きで皮と中の種も取り、南蛮酢に漬けて、最後に店の裏にある、小さな庭の隅で取れたレモンもスライスし、一番上に敷き詰め冷蔵庫へと仕舞う。

 鮨なぶらは、寿司も勿論出すが惣菜を提供する事の方が多い。島民が望む物に応えて提供して行くのが、この島に居場所を作ってもらった恩返しだと思っていた。

 人には言えない秘密がある、真琴は幼い頃から気が付くと好きになる物は全て女の子用のおもちゃだった。姉がスカートをはいているのを見て、自分も着たいと強請る度「男がスカートなぞ履いてどうする」と言われて来た。流行の人形が欲しいと言えば、変わりに男用のおもちゃを買い与えられ、男らしくしろと空手や剣道にも通わされて来た。美しいもの、可愛いもの、それは全て男である真琴から取り上げられてきた。

 そんな中、唯一許されたのが料理で……最初は、親が仕事で遅くなる日に姉と一緒に作っていたが、年の離れた姉が中学になると完全に自分一人で料理をする事が出来た。彩りや盛り付けをカラフルで可愛くしても誰からも否定されず、逆に褒められ、ようやく満たされた事を今でも覚えている。

 バレンタイン前や姉の友人や恋人の記念日には、ケーキやクッキーを作る事を覚え、そこでは可愛くしたいと言う自分の欲も満たされて行った。中学になり、料理が得意だと言う事は武器となり、友も増えてとても充実していたと思っている。

 そうして料理人の道に進んだのは自然な事で、天職だと思っている。

 全ての仕込みを終え座敷を覗くと、テレビを点けっぱなしにしたまま畳の上で章良が眠っていた。

「ああ……もう、またお腹を出してるし」

 章良が座敷のテーブルと壁の間に座布団を数枚並べ、仰向けに寝転がっているが、片手をシャツの中へ突っ込み、そのまま胸が見えるほど手繰り上げられている。ガーガーと鼾をかいているその寝顔は、起きている時より随分と幼く見えた。

 真琴が二階へと上がり、自室の襖から肌掛け布団と本を持って来てペロっと捲れて露わになった章良の身体を隠す様に布団をかけてやり、扇風機を壁に当てて間接的に優しい風が当たる様にしてやる。

 誰も見ないテレビを消し、自分は壁に凭れながら、章良から貰った本の続きを読み始めた。

 
 ◇◇◇

 
 舞台は第二次世界大戦後、まだ戦後と言う生々しい傷跡から血と膿を流していた時代が舞台となっている。仲間が戦争で命を落とし英霊となった中。主人公は、自分だけ生き残った事に後ろめたさを感じながらも、医者になり前を向き生きて行く。

 生きて行く中で周りからは幾度と無く見合いや結婚を勧められ、誘惑もあったが、主人公はそれを断り続け、生涯独り身で小さな孤島の診療所で医者として暮らして行く。色々と島民の人生模様が描かれる中、一貫して命の尊さを通して話は展開して行った。

 やがて主人公も歳を取り、島民の中から医者になった若者が診療所を継ぐ事になった。戦時中に痛めた足が歳を取った事により悪化し、杖を突きながら海まで行き、じっと潮騒の音に耳を傾けながら毎日海を見つめるのが日課となっていた。

 とうとう、主人公も病に冒され診療所のベッドで寝たきりとなる。

 老人となった主人公は、ベッドから見える海を見つめていた。自身の呼吸が徐々に乱れて行きもう臨終となる事を悟っている。しかし、その顔はとても穏やかでその瞳は慈愛に満ちていた。

〈……海が……鳴いている、私を呼んでくれるのか……友よ〉

 主人公の口からは、もう僅かな息が漏れる音しか出なかったが、確かに口はそう呟いていた。

 最後に大きく深呼吸をし、一人の名前を呼びながら静かに命を終わらせた。主人公の顔は死人とは思えないほど喜びに溢れ、穏やかで満たされている。もう動く事の無い皺の深い手には、文字も消えかけた一枚の手紙が握られており。そこに書かれていたのは、主人公が最後に呼んだ名前だった。

 
 ◇◇◇
 

 読み終わり、本をパタンと閉じた時には涙を堪えきれなくなっていた。物語の舞台は正しくこの島と良く似た孤島で、主人公は島の外からやって来た人物だった為か、何時しか主人公と自分を重ね引き込まれていた。

 彼がどうして結婚しなかったのか、本当の理由は最後まで解らない。しかし主人公は〈友〉と呼んだ人物を愛していた事は良く解った。

 友とは誰なのか、男だったのか女だったのか、名はなんと言ったのか。それに関しても一切明かされてはいないが、だからこそ、そこに幾つもの可能性を広げられる様に書かれている。一文字一文字とても丁寧に大切に書き上げられた物語は、間違いなく名作だった。

 真琴は何度も深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、隣で眠っている章良の顔を見る。

 章良がこの島へやって来た時、ずっと海を見ていた。誰とも接触せずただ静かに海を見ていた。台風が来てその表情を変えて行く海面と空を見ながら一体何を考えていたのだろうか。

 背は自分が見上げるほど高く、肩幅も腕も手の大きさも全て大きい。第一印象は最悪だった。自分は彼をフラフラと定職にも就かずに遊んでいるチャラい男だと思っていた。

 染めているかと思っていた毛は室内だと明るい茶色だが、太陽の下では金髪に近く、瞳もカラーコンタクトでも入れているのかと思っていた。

 彼を知る度、その外見からは汲み取れない、内に秘めた事と、彼の性格のギャップに驚かされてしまう。未成年と聞いて見えないと驚いたが、こうして寝ている顔はまだまだ幼いと言う事が良く解る。

 真琴はそっと手を伸ばし、軽くカールしている章良の髪へ触れそうな距離まで来て、ギュっと手を握って自分の膝の上へ戻した。

 何故、そうしようとしたのか自分でも解らない。髪を触って一体何をしたかったのか。

 真琴は自分で固く閉ざした心の門が少し緩んでいる事に怖くなり、振り切る様に立ち上がり、座敷から出ようと足を踏み出した時。残した左足を掴まれて転けそうになり振り返った。

「マコちゃん……」

「なっ……なに!?」

 自分の足を掴んでいるのは章良の大きな手で、眠っていたはずの章良が目を開て、その瞳に足首同様心臓を掴まれた気がした。

「仕込み、終わった?」
 
「う、うん……とっくに終わってる」

〈そっか〉そう言って子供の様な顔でにっこりと笑った章良が、真琴の足を掴んだまま仰向けになり、うーんと足を伸ばして伸びをした後、真琴が手にしている本に目が留まった。

「ちょっと浄水君、足を離してくれないかな……動けないんだけど」

「……それ、ちゃんと呼んでくれたんだ」

 どうやら離す気が無い章良に、真琴が移動を諦めその場にまた腰を下ろした。

「読んだよ」

「そっか、ありがとう」

 章良が満足気に笑いながら真琴の足から手を離した。

「……感想……聞かないのか?」

 あさりと話を終わらす章良に対して真琴がそう聞くと、両腕を大きく降ってその反動で起き上がり、もう一度伸びをして欠伸を漏らした、

「気にならないって言うと嘘になるけど、あの話を読んで、そして何を受け取ってどう感じたのかは、読んだ人それぞれ違うだろ? それは読んだ人の中で完結してくれたら、俺にとっては大成功ってやつなんだ。だから、マコちゃんが感じた事が全てだし、マコちゃんの中でその話は完成するんだ……だから感想は良いよ」

「書いた本人がそう言うのなら……夜の営業にはまだ時間がある、僕はこれから風呂に行くけど、浄水君はどうする? 留守番してる?」

「俺も一緒に行く」

「そう、じゃあそうしようか」

 真琴は座敷から降りて、そのままトイレ前の洗面台の下から二つ重なった洗面器を取り出し、棚からタオルを二本入れて後ろに立っている章良へ手渡した。

 店の入り口は鍵をかけていた為、そのまま勝手口から道路へ出た。ざらついたコンクリートの坂を下り、階段を下りて港の通りへ出ると、そのまま山へ向かって歩いて行く。

 少し前を歩いている章良の腕に抱えられた洗面器の中で、カタカタと言う石けん箱の軽い音と、少し踵を引き摺る様に歩く草履の擦った音が聞こえる。

 真琴は、逆三角の逞しい背中を盗み見しながら、先程掴まれた自身の左足首が熱を持っている様に感じていた。そして、自然に伸びた自分の先も思い出す。

 昨日まで、出て行ってもらおうと思っていたにも関わらず、今はこのまま二人であの店をやって行きたいと言う夢を描きそうになっていた。

「駄目だ……」

〈浄水君は、僕とは違う……僕は……〉



 ◇◇◇



「アぁッ……あ……んん」

 電気を全て消した真っ暗な部屋、最初は全く視界も利かないが慣れて来るとそれでもぼんやりと人の影と輪郭が解る。

「はッ……すっげ……マジがよ……」

「あああッ――――んッ……あ……ああ……」

 多い被さる男が、あまりもの気持ちよさにブルっと身震いをするのがわかった。真琴は漸く受け入れた男のペニスの感覚に、痛みと快感で理性が壊れそうになる。

「うおっ――――しったげっ気持ぢがええ!」

「あ、あ、ああああっ……うううっ――あああっ!!」

「声どご出すなぁ、これで押さえでおげ」

 真琴の足を開き、締まりの良い後孔へ自身のペニスを突き刺しながら、快感に声を上げる真琴へ脱いだ服で口を覆う様に指示をすると、真琴は言われた通りに自身の脱いだ服で口を塞ぐ。

「ふぐっ――んっ――う、う、う、んんんん――っ」

 塞いでも籠もった声が漏れてしまい、その声に男が小さく舌打ちをしたが、声を漏らさない様にする事に集中している真琴にはその声が届いて居なかった。

「はっ、はっ、は……ううっ!」

「んんんっ――――――――――!!」

 中で相手の男のペニスがドクドクと脈打つのが解り、ジワっとした熱が広がるのを感じて、真琴は中出しをされた事を理解した。

 初めてのセックスで男に抱かれ、そして中出しをされて幸せだと心が満たされて行く。ペニスには分厚いタオルがかけられ、触る事を禁止されていた為自分がイク事は出来なかったが、それでもこの時は人生で初めて偽りの無い自分を受け入れてもらえたと、涙が出るほど嬉しかった。
 
 自分が俗に言う【ゲイ】だと言う事を、はっきりと自覚したのは中学の頃だった。

 気が付いたらいつも目で追うのは、校内で常に人気のある同級生で、彼は一年にも関わらず陸上の選抜選手に選ばれていた。男女共に好かれていた彼の周りには、常に誰かが取り巻いており、クラスも部活も違う自分とは全く接点も無かった。

 三年になり初めて同じクラスになったが、その時は彼には彼女がいて益々陸上で活躍していた彼とはただのクラスメイトとして一年間は終わってしまった。

 坂下真琴は、調理師の免許をとり地元の和食店で修行をしていたが、ある事がきっかけとなり東京の老舗日本食店に来ないかと声をかけられ、料理人を目指す自分としては願っても無い申し出で、断る理由も無かった。

 東京に向かう前に地元で開催された同窓会に出席した時、隣に座ったのが初恋の彼だった。中学を卒業し別々の高校へと進学して逢う事も無かったが、真琴は彼の事を忘れる事が出来なかった。

 酒も入り、あの頃は意識し過ぎて出来なかった自然な会話も出来て、軽い冗談さえも言える様になっていた。周りもこれまでの自分の体験や、あの頃はこう思っていたと言う話で盛り上がる中。トイレに立った真琴の後を追いかける様にやって来たのは、初恋の彼だった。

「なあ坂下」

 トイレの入り口近くの壁に押しつけられる様な形で向かい合わせになり、真琴の心臓が大きく跳ねて息が止まる。

「な、なに? 新谷もトイレさいぎだい? 先さ行ってえよ」

「おめさ、オレの事好ぎって本当が?」

「……え?」

 あまりもの突然の事に、真琴は言葉が出なかった。これまで一度だって口にした事も無い自分の気持ちを、何故彼が知っているのかと頭が混乱し、自分がゲイだとバレたかもしれないと言う焦りで、全身から嫌な汗が噴き出し一気に口の中が乾く。

「中学の同級生の女、おめは多分オレの事好ぎだっつってだんだ。おめがえっかだオレどご見でだって」

「…………それは」

 自分の育った地区はとても狭いコミュニティーで成り立っている。そして異端は決まって弾かれるのだ。自分がゲイだと言う事が噂になれば一夜にして知れ渡る事は目に見えていた。

 これから東京で新たな出発をするのに、今こんな噂を流されたら東京の老舗料理屋の話も駄目になってしまうかもしれないと思うと、首を立てにふる事は出来なかった。

「おめ、ゲイだべ」

「ちがっ!!」

 はっきりと違うと言いかけて、嘘がつけずに言葉を飲み込んでしまった。一番知られたく無い事を、一番知られたく無い相手に、知られてしまった。

「別にそれが悪いで言ってら訳でねぁ。昔、体育館裏でおめが弓道の先輩ど、キスしてらのどご見だ事があるんだ」

「あれは! 突然無理矢理されたんだ!」

 弓道部だった時、二つ上の先輩に確かにキスをされ、身体も触られた事もあった。それをよりにもよって彼に見られていたとは気が付かなかった。心臓が早鐘の様に脈を打ち、呼吸も乱れた時、男の顔が近づき耳元で囁かれた。

「安心しろ誰にも言って無えし、これがらも言わねぁ様にしてける。その変わりオレどヘッペしてみねぁが?」

〈セックスしてみないか〉そう言われ、喉が詰まり息が出来なくなった。
 自分が彼とセックス? 考えるだけでそのまま卒倒してしまいそうになるほど強烈的な言葉だった。

「…………」

「今夜、オレの部屋さ来い……ええが?」

 今、彼は家を出て街で一人暮らしをしていると先ほど宴会場で話していた。その時に住所と電話番号を聞かされており、この為に彼が自分に対して積極的に話し掛けて来たり、さり気なく肩を触ってきて自分の住所を明かしたのだと理由が解った。

「……わかった……」

 そして、その夜、真琴は初恋だった彼とセックスをした。


 ◇◇◇


 島にある共同浴場の温泉にはまだ誰も来てはおらず、真琴と章良だけだった。タンパク質が腐った様なイオウの匂いも、慣れてしまうと何ともない。ムワっと蒸している脱衣場で服を脱ぎながら、ちらりと章良の背中を見る。

 まだ19歳と言っていたが、身体は既に男となっている。肩幅があり大きな肩甲骨が、筋肉の付いた背中で動くのが官能的に見える。

 皮膚は汗ばんでおり、3歩下がったこの場所からでも、男に匂いがして来る様な気がした。思わず見とれて自分の服を脱ぐ手が止まってしまって所で、突然章良が振り返り、視線がぶつかり慌てて顔を逸らした。

「マコちゃん? どうかした?」

「う、ううん何でもない!」

 真琴は急いで作務衣を脱ぎ、たたみもせずに脱衣籠へ放り込み章良へ背中を向けたまま、タオルで前を隠し浴室へと先に入って行った。











 だめだ……こんな目で浄水君を見るなんて……

















 …………僕って人間は……なんてあさましい…………


















【続】

 2019/06/21 12:56 海が鳴いている(六)
 八助のすけ
 
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