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2 斗真視点
しおりを挟む翌朝の月曜日。
いつもより少し早めにセットしたアラームで目を覚ました俺は、寝癖を直したりと水回りの用事を終えた後、学校指定の制服に着替えて朝食を取った。
作ったのは昨日と同じジャムバター。
手間がかからないのも大きいが、香織と食べたあの味が忘れられなくてもう一度食べたくなったのだ。いちごジャムの甘さが星二つくらい上がったような感覚に、我ながら恋愛の恐ろしさを実感していた。
「いってきます」
食べ終わったら戸締りをして外へ出る。
いつもは憂鬱な月曜日の朝も不思議と全くそんな気がしなくて、香織と合うのが楽しみで仕方がない。
隣家へ移動ししばらく待つと、いつも通りの時間にドアが開き、香織が姿を現した。
「行ってきます」
玄関の中に向けて言った香織に、「行ってらっしゃい」と遠くから声がする。香織のお母さんの声だ。
「おはよう斗真」
「おはよ」
照れくさそうに笑う香織に俺も挨拶を返す。
平日の朝は大体こんな感じである。たまに俺が寝坊すると香織が起こしに来てくれることもあるが、少なくともこれからは寝坊するつもりはなかった。そのためにアラームも早めにかけたわけだしな。
「はい、お弁当。今日も私作だよ」
「ありがとう。マジで助かる」
「どういたしまして」
香織から弁当箱を受け取りリュックにしまう。
そんな俺の様子を笑顔で見守ってくれていた香織を見てつくづく思う。
(付き合ったのが土曜日で良かった……)
もし日曜日、つまり昨日付き合い始めていたとしたら今日が恋人初日になるわけで、そんなことになっていたら弁当を受け取るっていうのですら悶えていた自信がある。
決して慣れたわけじゃないが、昨日一日香織と過ごせたのはメンタル的に大きかった。
「……斗真、今日は言ってくれないの?」
「え? あぁ」
何を? と思ったのも束の間、香織が全身を見せるように両手を軽く広げるので理解する。
一年以上見てきた高校の制服姿。
まあ夏服ということに限れば実際に見てきたのはその半分以下になるが、それでも見慣れているはずの淡い水色のワイシャツと胸元のリボン、そして膝丈のスカートは先週見た時よりもずっと可愛らしく見えた。
本当は制服よりも着ている女子のスタイルが完璧なのが美しいと感じる主な要因だけど、意識すると今すぐ抱きしめたくなってしまうので頑張って制服に意識を向ける。
「……可愛いよ」
「ふふっ、ありがとう。斗真もかっこいいよ」
平然としつつも若干恥ずかしそうにする香織がまた可愛い。
「じゃあ行こっか」と言って歩き始める香織の横に並び通学路に着いた俺の左手に、大好きな人の手の感触。まだ二十歩も歩いてないのに心臓の鼓動が早くなる。ゆっくり控えめに触れてくる香織の顔をのぞけば、頬を染めて反対方向に俯いていた。
「と、途中まででいいから」
「……分かった」
答えてから香織の指をそっと握る。
しかし、思っていたのと違ったのか、すぐに香織が俺の手から抜け出して、今度は香織の方から指を絡めて握ってくる。
「……恥ずかしいんだけど」
「あ、あと五分くらい我慢して。こっちの方が斗真を強く感じられるから、私は好きなの」
目は合わせてくれないが、当たり前のように嬉しいことを言ってくれる。
正直俺もこっちの方が好きだけど。
「じゃあ、他の生徒が見えるまでな」
「……うん」
他の生徒が見えるまで。
経験からそれは約十分の道のりであり、俺の意図を理解した香織がさりげなく身を寄せてくる。
「あの……あんまり近いとスカートに手が当たっちゃう」
「……いいよ。斗真なら私、それくらい気にしない」
俺は気にするんですよと心の中で独り言つ。
それでも押し退けることができなくて、俺はこの何でもない平日の朝、魅力的すぎるスリルに心を奪われていった。
「なぁ……斗真と一ノ瀬さんって学校でこんなベトベトだったっけ」
「言い方がひどいな」
「そうですよ斉藤くん。昨日も家ではこんな感じでしたから、それを斉藤くんの前でだけ出しているだけです」
午前中の授業を終え、チャイムが鳴ると同時にやってきたのは屋上だった。香織、拓真、俺の三人を除いても数人は同じようにお昼ご飯を食べているのだが、一番人が少ない場所がここなので多少は仕方がない。
屋上が不人気な理由としては、眩しい、風が強い、怖いなどなど色々言われているが、最たるものはカップル率の高さだろう。今だって拓真を除けばちょうど偶数倍の人がいて、男女比も1:1である。
「斗真お前、家でいつもこんな……」
俺の右腕に抱きつく形でそばにいる香織を見て、拓真が何とも言えない顔をする。
「そんなことないって」
「実は私たち、昨日から付き合い始めたんです」
「マジか!?」
「マジですよ。ね、斗真」
「……あぁ」
隣の笑顔が眩しくてちょっぴり恥ずかしい。
一方で拓真は弁当箱を投げ捨てる勢いで床に置き、立ち上がったかと思えばしゃがんで、顔を歪めていく。
っておい、なんで泣きそうになってるんだよお前は!?
「やった、やったな一ノ瀬さん!」
「はい!」
何か通じ合った様子の二人が両手でハイタッチを交わす。
「……二人って仲良かったの?」
そんなシーンは見たことなかったが。
成績優秀者同士、授業でペアを組まされることは度々あったと思うが、あくまで授業としての仲の良さって感じだったはず。
「こんな場に呼んでおいて今更それを聞くのか?」
「それはしょうがないだろ? 学校でも香織と一緒の時間を作りたかったんだから」
「だったらオレいらなくね?」
「……お前とも一緒にいたいんだよ。大切な友達として」
「斗真……!!」
「おいやめろ! 抱きつくな!」
右から香織、正面から拓真。
これまた何とも言えない不思議な感覚に陥る。
しばらく抱きつかれた後、俺は拓真を押し返しながら訊く。
「で、いつからそんなに仲良くなったんだよ?」
「あぁ……それは」
拓真の視線を追って俺も香織の方を向く。
「それは私から話そうかな。実はね──」
そう言って香織が全て話してくれた。
約一ヶ月前、俺が拓真との雑談中に呟いた「ドキドキしない」発言をきっかけに、香織が俺をドキドキさせようと悩み始めた末、俺と仲の良い拓真に相談に行ったこと。それからちょくちょく話すようになり、香織は俺が好きな女性のタイプとかも拓真から聞き出していたらしい。やっぱり一枚噛んでたか。
「黒髪ロングの清楚系が好きなくせに、その頂点に位置する一ノ瀬さんにドキドキしないとか、それを聞いた時のオレの気持ちが分かるか?」
「……すみませんでした」
一ヶ月前の俺は香織を家族と思いたくて、彼女への「好き」を全部「家族だから」に変換していた。
だからこその「ドキドキしない」発言だったのだが、改めて聞くと香織に対して失礼極まりないなこいつ(俺)。
「ま、無事に付き合えたんならオレとしては大満足だけどな!」
「本当にありがとうございました」
「いいよいいよ。これからも毎日二人のイチャイチャを見せてくれれば、オレは十分手伝った甲斐があったよ」
「ふふっ、だってよ斗真」
「……俺としては香織の可愛さを独り占めしたい気持ちもあるんだけどな」
頭を撫でたときの気持ちよさそうな表情とか、拓真にも見せたくないって思う自分がいる。
「い、家に帰ったら、私は斗真だけのものだよ」
「……っ」
「デレデレじゃんかよ斗真」
「うるさい」
なんて口では言ってみるが、ここで嫉妬を向けてこない拓真の存在は非常にありがたかった。
親友にも幼馴染にも、俺は本当に恵まれたな。
拓真と俺のやりとりを見て終始笑顔を浮かべていた香織は、いつも学校にいる時よりもずっと楽しそうだった。
(絶対に手放さない)
改めてそう強く誓って、俺は卵焼きを口に入れた。
「二人の関係、他の生徒にも話すのか?」
俺以外にも交友が広い拓真としては聞かないわけにはいかない質問なんだろう。俺と香織を気遣って、うっかり喋っちゃった、を無くそうとしてくれている。
「うーん、まだ考え中」
「一ノ瀬さんも同じ?」
「そうですね。私は斗真と一緒にいられればそれが一番幸せなので、伝えるかどうかは斗真に任せてます」
「なるほどねー」
腕を組み、考える人のポーズを取る拓真。
拓真に伝えることは昨日香織と話し合ってすぐ結論が出たのだが、他の生徒に伝えるかはまだ迷っていた。
その理由は単純で、どっちにもメリットがあるから。
「伝えたら嫉妬がすごいだろうし、伝えなかったら一ノ瀬さんを狙う男子は後を絶たないだろうからな。……まあ難しいところだけど、親友としてアドバイスするなら、オレはまだ伝えなくていいと思うよ」
「その心は?」
「斗真も分かってるだろ? 一ノ瀬さん、お前以外と付き合う可能性なんて万に一つも無いよ」
「ですね。もしそこで悩んでるなら気にしなくていいよ、斗真」
なんという優しさと理解。
しかし、香織を取られるかもって心配は正直そこまでしていない。それは香織が伝えてくれた想いのおかげもあるが、何より俺が香織に愛される人間になるって決めているからだ。
だからそれよりは……
「彼氏としては色々複雑なんだよ。……香織がイエスって言わないのは分かってても、他の男に告白して欲しくないっていうかさ」
「……もう」
「こりゃ将来安泰だ」
「どういうこと?」
拓真が訳のわからないことを言っている。
まあ香織との将来についてなら、俺が必ず安泰にする予定だけど。
「まあまあ、そーいうことなら二人とも、段々学校で一緒にいる時間を長くしていったらどうだ? 幼馴染ってことは知れ渡ってるんだし、付き合ってるんじゃね? って噂が流れたら素直に言うとか」
「……それがいいかもな。ありがとう拓真」
「おうよ。あ、もちろん気が変わったら他の方法でもオレは気にしないからな」
「サンキュー」
「ありがとうございます」
香織と一緒に頭を下げると、拓真は頬を掻きながら「気にすんなよ」と呟いた。
ああ、こんな時間がいつまでも続けばいいのに。
高校が三年間しかないことに、俺は初めて不満を抱いていた。
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