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1章 ダンジョンと少女

第1話 最底辺の攻略者

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 我らに墓はいらぬ。挑みたまえ、進みたまえ、攻略者たちよ。その場所。視界に映るもの、すべからく甘露かんろのごとし。己の矮小わいしょうさを悟り、己の限界を破り給え。命を天秤にかけた攻略をもってして。
 ――ガルマ・ウォーカー『神格級ダンジョン攻略録』


 ゴールド級ダンジョン第三階層――

 (これで終わりだな)

 頭上よりも遥かに高い岩壁を一瞥いちべつした少年は、腰に差してあるナイフの柄にそっと指をわせた。一見すれば、岩のくぼみによって形作られた影と思い込んでしまう黒い染みは、本物の影から分離するように体を震わせると、弾丸のごとく突っ込んできた。

 (腹減ったな)

 影をかわしざま。よそ事を考えながらであったが、冷静に振るわれたナイフの軌跡を空中に飛び散った鮮血が追いかける。喉元を綺麗に切り裂かれた鳥型の魔物――影鳥パハロが倒れ込むのを尻目に、黒髪の少年はナイフについた血を払うと腰の鞘にそっとしまった。倒れた影鳥の体は見る見る間に光の粒子と化し、あとに残ったのは覗き込んだ者の顔を映し出すほど光沢のあるオレンジ色の結晶。それを拾い上げると、そっと腰の布袋の中にしまいこんだ。

 (これだけ集めれば、しばらくダンジョンに潜らなくても大丈夫そうだな)

袋の中いっぱいの結晶を見て満足そうに頷くと、三日ぶりの太陽を浴びに出口へと向かっていった。

 「暑い……。太陽は俺を干物にでもしたいのかよ」

 空で燦然さんぜんと輝く太陽に恨み言をこぼしながら歩くこと一時間。ようやく近くの街までたどり着くことができた少年は、街の中央につながる道を進んでいく。腹からは空腹に耐えかねた胃が文句を言うかのように、ぐーぐーと音を鳴らしていた。

 「これは一刻も早く何か食べないとやばいな」

 頭がくらくらする。周囲への注意がおざなりになり、すれ違いざまに腹の出た男とぶつかった。
 
 「ああ、悪い」

 謝罪を口にし、そのまま通り過ぎようとする少年の腕を、腹の出た男とは別の屈強な男が掴んで引き戻した。

 「おい、お前! 今、このお方にわざとぶつかっただろ!」

 気怠そうに首だけ動かすと、筋骨隆々とした男が口端を釣り上げて、隣にいる腹の出た男と目配せしている。背後にはさらにもう一人の男が腕を組んで立っていた。その姿を見た少年はげんなりとした顔をしてみせた。

 (うっわ、最悪だ。よりにもよって商人にぶつかったのかよ、俺は……)

 仕立てのいい服を着ている商人は全く汚れた様子がないにもかかわらず、しきりに少年とぶつかったところを手で払っている。この先の流れは目に浮かぶようだった。因縁をつけられ、わずかしかない金目の物を巻き上げようとしてくるか、土下座をさせて優越感に浸ろうとするか。まるで封建制度の縮図だなと少年は自分の置かれている状況を嘲笑った。

 「悪かったよ。丸一日以上何も食べてないせいで、意識が朦朧としていたんだ。だけどよ……俺、謝ったよな?」

 「謝罪は当たり前だ。俺はその先の話をしているんだ。貴様の汚い衣服が触れたせいで、わが主人の衣服が汚れた責任はとってもうらうぞ」

 「汚れたって、どこがだよ……。どっちかっていうと、そのおっさんの油を吸っているせいで元々汚れてるだろ」
 
 「何をごちゃごちゃ言っているんだ!」

 小声で毒づく少年の襟元をつかみ、ねじりあげる。横を通り過ぎていく通行人たちは争いの火種が自分に飛び火するのを未然に防ぐかのように、少年とは目も合わせようとしなかった。そういえば、ここはそんな場所だった。助けを求めようかという選択肢が頭をかすめた少年はすぐに思い直す。最後まで信じることができるのは、自分だけだと。

 「それで、どうやって責任をとればいいんだ?」

 「ほう、物分かりのいいガキだ。お前、歩いて来る方向を見たが、あんな何もない場所から来たってことは攻略者なんだろ? なら結晶を持っているはずだ。それを全部置いていけ。それがせめてもの誠意だ。攻略者などという最底辺に位置するにもかかわらず、生かされている者の」

 千年前に突如出現し始めた未知数領域。後に「ダンジョン」と人々に呼ばれるようになるそれは、一つとして同じ外観を持つことはない。内部にはこの世の法則や物理現象を無視した異形の存在が闊歩していることもある。潜れば命の保証はないが、ダンジョンでしか手に入らない未知の宝を求めて挑む者が後を絶たず、彼らは「攻略者」と呼ばれており、少年もその一人だった。

 「最底辺か……」

 「そうだ。どうせ三大難関ダンジョンなど、入口でさえ拝んだことがないんじゃないのか?」

 聖人から咎人、そして人の倫理をかなぐり捨て獣と区別がつかない者まで攻略者は誰でもなることができる。が、割合としては圧倒的に後ろめたい理由でなった者の方が多いのだ。同じ低賃金でも攻略者には命懸けというオプションがもれなく付いて来る。わざわざ好む者の方が少ない。貴族がパトロンとしてバックにつく攻略者もいるが、それはほんの一握り。ほとんどの攻略者は明日生きている保証もない日々を生き抜いているのだ。

 「そんなこと、お前たちに話す必要があるのか?」

 「何!?」

 「他人の物をかすめ取ることしか頭にない業突く張りには関わりたくないって言っているんだよ!」

 我慢の限界だった。掴まれていた腕を振り解くと、すかさず鳩尾に拳を叩き込み吹き飛ばす。飛んで行った男の体は余裕の笑みを浮かべていた商人を巻き込み、もんどりうって転がっていく。

 「貴様ぁ!」

 仲間がやられたことに逆上したもう一人の男が殴り掛かるが、最小限の動きでかわすと今度は首の側面へと強烈な蹴りをお見舞いする。ぶるりと体を震わせると、男は何も言わずに地面へと沈んだ。
 
 「こんなボロボロのなりでも必死に生きてるんだ、こっちは。いつまでも馬鹿にしてると、今みたいに足元すくってやるからな。それが嫌なら、無視でもしてろ」

 そう吐き捨てると、周囲から注がれる好奇の視線を無視してその場を去ったのだった。
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