コカク

素笛ゆたか

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中編

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新着ニュース。

『 new 『向こう』側のシャットダウンまで、あと一週間。』

部屋に入ると自動で起動するパソコン画面。そこに表示される目新しいニュースが書かれたポップアップは、旭に「うぜぇ」と言わせるだけだ。
しかし、今回は珍しく旭の記憶の海に、ちょっとした波紋を生じさせた。

(あー、そっか。確か『向こう』側との断絶が世界会議で決まったんだったよな。
 犯罪者やバイ菌が『向こう』側から流れてくるからって)

あと一週間、というのは、隔離壁が降りるまでの期日だ。
斬り捨てられた大地は野放しにしておいても良かったのだが、最近はそうも言っていられなくなった。

世界会議で、この生きている中心大都市を完全に防備して一つの国として独立させよう、という提案が通ったのだ。
大気圏下で用意された、大都市を守る形で投下される〝隔離壁〟が、もう待てないと言うように待機している。
あと一週間で、まるでシャッターのように天から壁が下りてきて、『向こう』側とコッチ側の行き来は世界レベルで禁止されてしまうのだ。

(……別に、いいけどよ。どうせ、お偉いさんも向こう側に捨ててきた見られちゃマズイモノや人がいるんじゃねーの)




ぴ ぴ ぴ

やる気がないような電子音が、広い室内に響き渡った。

「なんだよーったく、今こっちは忙しいっての~」

右手はタイピングをしている途中。慣れた手つきで左手を横に伸ばし、机の上に置いてある携帯端末をとった。

『旭! 今日学校なんでサボったんだよ! 来るって行ってたじゃんか』
「るっせーよ」
文句を言う為に、ちらりとメッセージを送信してきた相手の名前を見た。〝木村〟と登録してある。
「誰だっけ。あっちゃー……また忘れちった」

きっと明日、人混みの中で声をかけられても振り返られない。
誰に笑えばいいのかが分からない。

「……寝よ」

咽が酷く渇いた。

本気で寝るつもりはなかったので、ベッドではなくて身近なソファを選び、ダイブした。
旭の全体重がかかり、一気に沈むソファだったが、すぐに元の形に戻る。
柔らかいソファの中に顔を埋めてしばらくして、朱流がくれた〝例の物〟を手にとって見た。

「……気まぐれ、ってことで」
くしゃり、と包みをあけて、どういう形状なのか眺める事もなく口の中に突っ込んでみた。

「がぇっ」

口の中を、よく分からない味が支配する。
同時に、悶々としていた思考も真っ白に支配されてしまった。
よく見ると包みには『きなこイカ墨味』と、よく分からない・分かりたくもない記述がされている。
即座に水を飲むために立ち上がった。

冷蔵庫の中身を掻き混ぜて取り出したミネラルウォーターを、飲み干した。
怒りのあまり、真横の壁に拳を当てる。がつん、と鈍い音がする。

「あのヤロォっ……やっぱり警察に突き出せば良かった!
 何がきなこイカ墨だっ! ソーダのくせにっ! ソーダ味でも作れっての! 喰わねーけどっ」

ちょうど拳を当てた壁には鏡がかかっていて、視界の端でちらついた。何気なく見てしまう。

鏡に映る、自分の姿。

ああ、自分以上にやる気が感じられないアイツのあの眼つきが――――浮かんでくる。

「俺にそっくりだと思ったけど全然違うじゃんっ。あのムカツク眼とか髪型とか、口元も違うしよーっ……」

何故か、――――しっかりと、思い出せた。
短時間しか会っていない、しかも今日初めて会った人物を。
明日も覚えていられる自信が、何処からか湧き上がっていた。
確信がある。根拠の無い確信が。

「……っ」


静かな空間にシトシト、という音がし出した。旭の不機嫌に拍車をかけないように控え目な音だ。

今日の天気、晴れ時々雨。降水確率10%。
ネット上の新着ニュースにはそう提示されている。

静かに降り出した小粒の雨は、気象庁の予想を裏切った。

だが。西の空を見上げればすぐに分かった事。闇の塊のような雨雲が待機していたから。
しかし誰も気付かなかった。

ビル群の隙間からかすかに見える大空を見上げる者も、もういない。










「ぅえ――まだ何かキモイ。ぜって~あのイカ墨のせいだ。身体が重っ……」
猫背で足元おぼつかなく歩く旭は、これからの行き先をじっくりと睨んだ。

(よーし。文句言いに行ってやれ)

目指すは、境界線の『向こう』側。











「――――おいっ、ソーダ朱流っ!」

旭が偉そうな態度で歩みを進めていくと、朱流が振り返った。

「ぁ……」
「〝ぁ……〟じゃねーだろ、薄いんだよお前のリアクション」

輝く太陽光が、直に旭の眼に飛び込んでくる。
自分が住んでいる大都市とは違って高層ビルが無いこちら側では、屋根が低い建築物ばかり。

慣れない強い光に視界が薄らぎ、朱流の姿が一瞬見難くなったが、それでも小さな影の形で朱流だと分かっていた。

「……しかぁーさん。……ぇ、またコッチに来たの?」
「だから言えてねーっての! 俺の苗字」

ぶつぶつと「志河だっての」と文句を呟き、旭は突進してくる。

「……ごほん。今日たまたま来たのは、お前に文句言う為デッス」
「も、文句を……?」
「そ」

朱流は眉毛を更にへの字にした。

「お前が前、俺に押し付けてきたあのきなこイカ墨とかいうふざけたヤツ、あれのせいで気分や体調おかしくなっちゃったじゃねーか。ったく、最悪だっての」
「……ぁ。
……ちょっと、コッチ入ってもらっていい? 僕、作業あるから、しながら聞く」
「アア~!? お前っ、俺の話聞いてる?」

せっかく朱流の正面まで来たというのに、かわすように彼は汚い外観の工場らしき建物の中に滑り込んだ。

扉は開けっぱなしで酷く錆びついており、もう閉まらないだろう。壁面は半分くらい溶けていて地面から離れたくないのか、こびり付いている。

「うわ、……甘い匂いとか不味そうな臭いがする……うぇ」
「ここで色々作ってるんだ。どうぞ」

朱流は薄暗い工場内部に敷かれた青いビニールシートの上へ行き、ストンと腰を降ろした。
今日の朱流はニット帽を被っていない。が、ツナギは昨日着ていた青黒い色のだ。
所々、斑点のようなシミが付いている。

「――で~さ、さっき言った通り、お前の変な菓子のせいでサイアクなんだよ。
 賠償金とか支払えよ」

強引に押しかけて来て何を言うかと思わせる旭だが、内容は至って単純。ただのクレームだ。
シート上に放置してある様々な機械の一部である塊をドライバーでなぶり始めた朱流は、
ちらりと旭を見た。

「……でも、しかぁーさん、……そんなに体調悪くないんじゃ……?」
見た所、病人とはほど遠い。

「んぁ。……あり? 確かに今は悪くねー。……まあともかく、向こうに帰って
 休むと一気にキモクなる」

朱流は細かい作業の為に忙しなく動かしていた腕を一時、休ませた。

「……」

あまりに朱流からの返事が遅いので「ちゃんと聞いてんのかよ!」という台詞が咽から出かかった時、高くて落ち着いた声が工場内に響いた。

「……それ、駄菓子のせいじゃあないよ。別のトコロに理由がある。また今日、家に帰れば分かるよ」
「今すぐ帰れって言ってんのかよ」
「……違……」
「てゆか俺、ココでお前を見張らせてもらうからな」
「ぇ?」

重いゆっくりとした足音が反響する。
シートに座っている朱流の真横までやって来ると、先ほどより痛い視線を浴びせた。

「お前がどんな変なモノを入れて何作ってんのか、見てから、更なる文句を言う」
「……まぁ、いいけれど……でも、今日は今のトコ、駄菓子は作らないよ」

「駄菓子じゃねぇえ? んじゃぁ今日は何を作……、」

♪♪~~……


「……しかぁーさん、これ、何の音楽?」
「あ」

音の発信源はズボンのポケットからだ。

「ンだよ、ここ、圏外じゃねぇのかよ~」
「……電波は滅茶苦茶だからね、ココ。入ったり入らなかったりするよ」

旭はさも面倒臭い作業を渋々やるように、怪訝な顔つきで電話を取り出した。
液晶ディスプレイを見ても知らない番号が表示されている。

「―――はーい……ドチラサンデスカー」

電話に出た旭を確認して、朱流は自分の作業に戻った。
車のエンジンのような機械の塊を、軍手をした手で触って点検する。真っ黒なススが指先を汚す。

『志河旭だな。俺だ、宮元だ』

「誰さん?」
『……ふざけているのか? 担任の宮元だ』
「あー……」

あーあーあー、と電話口でも遠慮なく反復し、さも反応をしているように見せるが、実際、存在を忘れていた担任に関する記憶を全然思い返そうとしていない。

『今日も無断欠席か。いい加減にしろ。その内、干からびるぞ』
「るせな。今日は外出てるんでー」
『……ほぉ? お前が篭らずに外出するなんて。槍でも降ってくるかもな。しかし外へ出てるなら学校へ来いよ。何やっているんだ』
「気分じゃないッス」

へらっと口元を歪ませて、手の甲を返す。
電話越しに旭のふざけた姿が見えるはずもないが、段々と担任の語尾に怒気が混じり始めた。

『……お前な、いつまでそんなフラフラしてるんだ。何かやりたいコトでも見つからないのか? 成績が優秀なくせにもったいない』
「やりたいコトと成績、関係アリマセーン」
『お前の言うことも一理ある。が、やりたいことが知識量を問う内容なら関係してくるだろう。それに、そういう台詞はやりたいコトを見つけたら言うもんだ」

熱さが表れていく担任とは反対に、旭の頭は急速に冷めて行く。
そろそろ相手の言葉が右から左に流れ始めた。もはや一言前の台詞も覚えていない。

「あーはいはいはいはい、んじゃ切りますね。シツレイシマス」
『ちょ、待て……』

――――ブツ。

勢いよくボタンを押して電話を切った。

朱流は無表情のまま、何かをセットする作業に没頭している。
持っていた機械のスイッチを押した。途端、小うるさい機械音が鳴り出す。

「担任のセンセさぁー、うぜぇーよ」
「学校の先生かぁ……。いかにもな怖い顔の先生とか?」
「あぁ~~ってかマジ、顔も覚えてねぇ」
「覚えてないんだ……」

がっくりとするような声が、旭のむっとしていた表情を更に激しくさせる。

「だってよー、出席ヤバイとか言っていちいち電話してくんの。
 本当はアイツ、全然俺のコト心配してねーのによ」
「ふぅん」

「外面だけよくしてこ~ってさ。担任なのにヤバイ生徒に何の対応もしてなかったら世間の風が痛いんじゃねぇの? こうやって半端に連絡だけして責任逃れってヤツ。
 いっつもいっつも電話でよー。だから顔なんか覚えてられねって。
 たまには会いに来いっての。来てもウゼェけど」

ソコで朱流は一回、機械のスイッチを切った。完璧なる静寂が再び戻る。

「来ないんだ。――――なら、会いに行けばいいじゃない」

「はぁ~?」

旭は顔をくしゃり、と歪める。全力で嫌そうな顔をした。

「……話したい人がいたら、会いに行くよ」
「俺はそんなめんどくせーコトはしません。……って、お前、ソレ何やってんだ?」

「ん?」と顔をあげる朱流は、どこか楽しげに作業をしていた。

「……これは、〝風船〟を作れる機械を、作ってる」
「ふーせん?」

そこで旭は断りもせずに朱流の座っているシートにダイビングした。
ばたり、と倒れるように全身を投げ出すと、寝転がった状態で横から朱流を見る。

「これが、ふーせんを作る機械ぃ?」
「うん。……これが、僕の、今一番作りたいモノ」

再びスイッチを入れ、膨らみ出す〝何か〟。
旭は思わず「ぉぉ」と言葉を発した。
しかし。

一気にソレは飛び散った。

「……あーぁ、まだ駄目だなぁ……」
「ンだよ。まだ未完成なのか」

朱流はコクリ、と頷いて周りに飛び散った破片をかき集める。

「……風船の材料がそろってなくて。あと機械も、この通り。変な衝撃与えると止まっちゃう」

ぷす、ぷす、と変な音を立てる果てた機械。きっと、もう動かないだろう。

「ってかさぁ、フーセンってどんなんだ?」

うーん……と上手く言葉を探し出そうとしている朱流。尋ねてからじっくりと考えて答えを出す朱流のやり方に慣れてしまった旭は、じっくりと待っている。

「……丸くって、色がついてて、浮かび上がるんだ。昔時代にあったオモチャみたいなモノらしいよ」

ゆっくりと言葉を紡ぎ、回答をする。

「ほぉーん。飛行船ってヤツなら教科書で見たコトあんだけど。それと違うみたいだな」
「うん……。実際に見せれればいいんだけど……」

飛び散った風船の破片を一つ摘まんで、小さく息をつく朱流。
旭は上半身を起こし、目線の高さを一緒にする。

「駄菓子ってヤツはどーやって作ってんだよ」
「駄菓子? 駄菓子は……」

朱流をじっと見つめている旭は、ふと、何かを思い立ったようだ。

「おい、立て」

「…………は?」

いきなりの話題転換。さすがの朱流も無表情を崩しそうになった。

「立てって言ってんだろっ」
「わっ、」

有無を言わせずに朱流の右腕を掴み、思いっきり上へと引いて立たせる。
強く握ったら、朱流の腕が相当細いものだと感じとってしまう。思わず力を緩めてやった。

「お前何センチだ?」

互いに立ち、間近で見詰め合うと見事に目線の高さが一緒くらいだと感じる。

「身長なら……160くらいだけど」
「よっしゃっ!俺の勝ち~。俺のが2センチ上だね!」

むっとする朱流は口をつぐんだ。

「俺のこと〝チビ〟って笑ってくるアホ連中も、更に低いお前見たらどう言うかな~」
「……背が小さいからって、嘆いてもどうにもならないと思うけど」
あの朱流が恨めしそうな態度を示してくるので、旭は内心「おっ」と思った。

「俺? なげいてねーよ。ってか俺のコト陰口叩く連中も鼻で笑ってるね。これも自分の特徴の一つだから」
「……なら何で僕と比較して喜んでるんだよ……」
「嬉しいモンは嬉しいもんねー♪」

悪びれる様子もなくニッコリと笑って上機嫌な旭に、朱流は呆気にとられる。

「……もぅ、滅茶苦茶だよ。しかぁーさんは」
「あぁ~~!??」

批判してくる朱流に、怒って突っかかろうとした旭は、ふと、全部の動きが止まってしまった。
朱流の目元が和らいでいる。
これは、苦笑というよりは――――。

(……コイツ……今びみょーに笑わなかったか?)

しばらくの間、立ち尽くしてしまった旭を、朱流が下から覗き込む。首を傾げた事で、朱流の前髪が横へ流れた。

「どうかした?」
「ぃ、いんやー、なんでも。
……つーか、」

旭は自分の前髪をかき上げた。


――――突然、何かが朱流の眼前に飛び込んできた。

慌てて左の掌を大きく広げて差し出し、その「何か」を受け取ると。それは旭の携帯電話だった。

「……?」
意味が分からず空気で訴えると、想定外の台詞が落ちて来た。

「やるよ、ソレ」
「ぇ」

「その携帯解体して機械の材料にしろよ。……アレ、上手く作れよ」

アレ、というのは風船の事だろう。
朱流は携帯電話をくれた事よりも、旭が風船に興味を持ってくれた事が嬉しい。

「……でもコレ、いいの? 確か色んな人の電話番号とか入ってるんだよね。連絡とかとれなくなっちゃうんじゃない?」
「いい、いい。うぜぇセンセとかどうでもイイヤツらばかりの番号しかないし。ってかさっき言ったように、俺、顔とか覚えらんないし。家にもまだ別の連絡ツールあんし」

――あ、まただよ……。と、旭は朱流を見ながら思った。ここに来てから一体何度、
朱流の困った顔を拝んだのだろう。統計をとりたいくらい。
困らせているのは自分だという意識を持たない旭は、あまりに困惑を示す朱流に溜息をついた。

「ありがたく、素直に頂戴しておけって。お前、色々と戸惑いすぎ。
 んでもって、変なトコだけはハキハキしてんだからー」

「……携帯電話、……ぁりがと。使わせてもらう」

「……」

そう言われて旭の方が困惑した。果たしてこの困り顔は朱流に似ているだろうか。
お礼を言われたら、何と答えて良いのか分からない。


「……じゃあ僕、作業再開するけれど、……一緒に何か作る?」

力が抜けたように、緩やかに腕が解放された朱流は、黙ってしまった旭へ誘いかけた。

「あっ、ああ。俺、あのめっちゃマズイ駄菓子ってヤツを俺流にうまく作ってやるよ。
 作り方、教えろよ」
「いいよ。負けないよー。……これでも、きなこイカ墨味、結構評判いいんだけど」
「はぁ!? コッチ側の人間は舌おかしぃんじゃねぇ!?」










時折談笑を交えながら、旭は駄菓子作り、朱流は風船作りをしていた。
工場のコンテナの中にあるコンロを持ってきて、鍋の中に藻を入れ、火にかける。
状態を常に見張りながら、旭が掻き混ぜている。その真横で、朱流は機械の設計図を見て悩んでいた。

「風船ってそんなにムズイもんなのかー?」
「……まぁね、ココは何も無い場所だし、昔時代のモノなんて材料とかサッパリ残ってないから。
……それに、僕が作ろうとしてる風船は、ちょっと違うんだ」
「は?違ぇの?」
「うん。冷気に溶けて何も残らないヤツ。
 でも、……人々の心に残るような綺麗なヤツ」

中々クサイ台詞を言ってみせた朱流は、旭に突っ込まれるより前に、顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。隠そうとしても耳たぶがほんのり朱色。旭は思わず笑い出しそうになった。

「はー、環境に優しい系ねー。でも大都市の方にある機械とかって全部環境に優しい系だぜ。
 今更気ぃ使わなくっても充分環境イイんじゃね?」
「……そうでもないんだ、コレが。特に大都市の方は酷いよ」
「そうかぁ?」

一見した所、整備された大都市とは似ても似つかないコチラ側の方が汚く荒れていて、
空気も酷く淀んでいそうに思える。

ちゃぽん、という水音を立てて、旭は鍋の中に小指を入れて味を試してみた。

「つーかコレ、蜜入れた方がうまそうだな」

意外な意見に朱流は注意を惹きつけられた。

「……ぁ、そうだね。ぇっと、蜂蜜、何処で手に入るかなぁ……」
「すぐ手に入んねーのか。さすが〝コッチ側〟。
 んじゃ明日、俺が持って来てやるよ。アッチに帰れば沢山材料あるしよ」
「……ん、頼んでいい?」

柔らかい口調でお願いする朱流に、旭は素直に答えた。

「おーし、最高の駄菓子を作ってやる。これ、中々おっもしれーな」









一回、空を睨むかのように見上げた。
ココには空と人間との間を邪魔するビルの大群も無い。本来の空色を歪めてしまう人工照明も無い。
瞬く星々も楽に見られるのだろうか。


「んじゃ。さいなら」
「……うん」

夕陽の時間と暗闇に包まれる時間の狭間になった頃、旭は帰って行く。

「明日、蜂蜜や他の材料を持ってきてやる」という旭の言葉をよく考えて、朱流は別れの挨拶をした。言って良いのか、言っていけないのか、必死に思考を回して〝その言葉〟を告げてみた。

「しかぁーさん、」
「あ~、ったく、言えてねぇ~~!」
「…………〝また、明日〟」

慣れない音の響きに、旭は眼を丸くした。
軽い風が吹いてきて制服のネクタイが揺れる。

「…………ぁあ」
と、だけ言い返すとすぐに踵を返す。

(――……。なーんだこりゃ……)

相手からの言葉も、自分の返し方も、一気に旭の脳を支配して止まない。

渋い顔をして、首に手をまわして掻きながら、旭は足を境界線の内――大都市の方向に向けた。
ゆっくりと歩き出す。

振り返れば、朱流はまだ自分を見ていてくれているのだろうか。
浅はかな考えが生まれ、必死に打ち消そうとした。






いつも歩く、大量の人込みの中の交差点。

こんなに人で埋もれていたら、足元に何か落としても拾い上げる事など不可能だろう。その前に潰されてしまう。
夕陽は完全に落ち切ったというのに、いつもの真昼のように明るさが変わらない大都市の中。
ビルから、店から、大量の人工光が放射され、世界は夜を忘れていた。

「―――――ぁ……」

携帯電話が無い旭は真っ直ぐを見て歩いている。しかし、気づきたくも無い事に気付いてしまった。

(……皆、ドコ見てんだよ……)

旭の視界の中にいる何百人もの通行人はほとんど全員、取りつかれたように手元の端末を見ていた。
自分も今までこの人混みの中に居たと思い返すと、何故か背筋に一瞬、寒さが走る。

(俺らしくねー……随分おセンチじゃん。まぁ、ソーダ朱流のせい、ってコトで)

交差点を渡りきった旭は、『向こう』側でしたように、天を見上げた。
ビルの屋上付近だけは空の色を知っているようだ。しかし地上に居る者は空を忘れてしまっている。
ほとんどの者が、下へと、下へと視線を注いでいる。


――――急に。
「ごほっ……」

何かが切れたように旭の咽奥が悲鳴を上げた。
思わず酷く咳き込み旭は、意識が少し飛びそうになる。


「……それ、駄菓子のせいじゃあないよ。別のトコロに理由がある。また今日、家に帰れば分かるよ」
ふと、朱流の顔と声が蘇った。

――――そうだ。逆だったのだ。向こうのせいじゃなくて、コッチのせいだったのだ。

初めて『向こう』側に行った日。帰ってきてから気持ち悪くなったのは、今まで清浄な空気の中にいたから。
急に汚い空気の街へと戻ったから。身体が拒絶反応を起こしたのだろう。

立ち止まり、胸に手を当てて激しく咳き込む旭に、流れ行く人々は容赦なく体当たりして行く。

「げほっ、げほっ……!!
……ま、いいけど。どうせこんな咳は一時的なモンだし。何回か行き来すれば慣れるし……がほっ」

口元を手で拭い、もう一度、隠れてしまった空を睨んだ。

(今、夜だよな。……空の色、何色だろ……)

そう言えば。

〝向こう側〟の空の色は、旭と朱流の眼の色――――漆黒の闇色だった。



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