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4.犠牲
…迷い、そして出したひとつの結論…
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「!誰って…、母さん! 俺たちが分からないのか!?」
悲痛に叫びながらも、梁の頭の中では、記憶を消されたという稔の声が、エコーのように木霊していた。
それを聞いて、自分は激しいショックを受けた。それは確かだ。だが、実際にその様を目のあたりにすると、絶望と切望ばかりが、自分の中でぶつかり合う。
何で、どうして、何故母親が…という疑問符ばかりが、心の中に次々に浮かんでは消えてゆく。
そんな絶望的な状況からか、梁の口調は、自然に苛立ちと焦りの入り混じったものへと変化していた。
「…俺と…父さんが…、本当に…分からないって言うのか…!?」
怪訝そうに自分を見る母の目が、とても悲しくて悔しくて。
その、やっと得たはずのものを、こうも容易く奪われた怒りから、梁はその矛先に、激しくも悲痛に声を荒げた。
「煌牙! 何故、こんな真似をする! …お前はそれ程までに母さんを手に入れ、俺を従わせたいのか!?」
「!貴様っ…」
煌牙を呼び捨てにしたこと、そして彩花を母親呼ばわりしたことで、瞬時に紫苑が臨戦体制に入る。
が、当の煌牙は、そんな紫苑を片手のみで遮ると、負の感情を自らにまとめてぶつけて来る息子に、極めて平然としたまま、こう答えた。
「愚問だな。既に分かっていることは訊くな」
「!…っ」
梁が反論出来ずに、きつく唇を噛む。
それは自らの心に潜んでいた疑問に、確信という名の烙印を押されたからに他ならない。
そしてそれは、先程の葛藤と合わせた上での、険しい茨の道を指し示していた。
「……」
梁は唇を噛み締めたまま、眉をひそめて迷い続けた。
すると、それを見かねた稔が、梁を諭すように呟いた。
「…梁、奴に従う必要はない」
「!父さん…」
まるで心中を読まれたような稔の言葉に、梁は驚いて父親を見た。
その父親は、至極冷静な瞳で、相対する煌牙を見つめている。
その様を見て、梁は瞬時に理解した。
(!…そうか)
相手に弱味は見せるべきではない。
父親はそれを、自分に暗に理解させようとしている。
弱味を見せれば、相手は必ずそこを突いてくる。それが分かっているのだから、初めから弱味は見せるべきではない──
「彩花のことは、俺が何とかする。お前は自分のことだけを考えていろ」
わざと突き放すように梁へと言い捨てて、稔はその目を、次いで紫苑へと向けた。
…有無を言わさず、告げる。
「…紫苑、分かっているな? お前が煌牙に愛着を示しているのは分かる。だが、俺の邪魔をするようであれば、俺は例え相手が息子であろうが容赦はしない」
「!えっ…」
「それが分かったら、一切、手出しはするな。…いいな」
あえてぴしゃりと告げることで、紫苑の言動の全てを封じた稔は、その美しい黒銀の瞳を煌牙へと向けた。
すると、彩花がそんな稔の様子に目をやり、怯えたように煌牙にしがみついた。
「…こ、煌牙…さん、どうして…
何であの人、怒ってるの…?」
えも言われぬ稔の雰囲気に、そっと目を伏せ、震える体を煌牙に預けたままの彩花は、はたから見てもひどく不安定に見えた。
すると、煌牙はそんな彩花の手に、繋ぎ止めるようにしっかりと、自らの指を絡ませる。
「!…煌牙…さん?」
不思議そうに煌牙を見上げた彩花に、煌牙は恐ろしくも低い声で囁いた。
「…奴のことなど、気にかける必要はない」
「…だ、だけど…、じゃあどうして…」
彩花は、恐る恐るながらも、再び稔へと目を向けた。
稔は黙ったまま、じっと彩花の言動を見つめている。
その瞳はとても無機質で、感情というものが一切感じられない。
…稔はただ、静かに、測るように彩花を見ていた。
その黒銀の瞳は、まるで意志を示さない。
しかしその美しい、至上の宝石のような双眸を見ていた彩花は、不意に自らの胸が切なく締め付けられるのを感じた。
「…煌牙さん…、あの人は…」
“誰”?
…そう尋ねたいのに。
煌牙はそれを許さなかった。
「奴を気にかける必要は無いと言ったはずだな。
…紫苑、もう一度言う。早く彩花を連れて行け」
「!っ、でも…」
紫苑が困惑する。だが、無理もない。
…父親が別に居ると発覚した今、紫苑は相当な迷いを見せていた。
幼い為に、幼いが故に…
どちらの父親の言うことを聞いた方が良いのか、判断がつきかねていたのだ。
それでも紫苑は、母親をここに置いておくべきではないと判断したのか、意を決したように、静かに彩花へと近付いた。
…当然、彩花は反射的に身を固くする。
しかし今度は、彩花はさしたる拒絶も見せず、差し出された紫苑の手を、かつての彼女では有り得ない程にあっさりと取った。
「…紫苑…どこ、行くの…?」
「安全な所だよ」
紫苑は即答する。しかし、一見、形勢がそちらに傾いたと思われる彩花の敵方への保護は、稔と梁の二人にとっては、むしろ好都合だった。
…何故なら。
「…奴らは、母さんを攻撃の意味での盾にする気は、今の所は無いらしい。
それならむしろ、確実に被害が及ばないと思われる所へいて貰った方がいい」
「そうだな」
稔が珍しく簡単に肯定する。
「“母さんを取り戻すのは後でも出来る”…、そうだろう?
何よりも今、どうにかしなければならないのは…」
「──煌牙の方だ」
稔は初めからそれを理解していたかのように、さも当然とばかりに呟いた。
「奴の考えには、遠慮や都合というものは一切ない」
「それは…分かってる」
梁が辛そうに目を伏せる。
──煌牙の、自分に対する異常なまでの執着。
拘り。
そして…独占欲。
「後免な…父さん」
知らずに謝罪が口をついて出た梁に対して、稔は咎めるように視線を走らせた。
「お前が謝る必要は無いだろう」
…そう、梁の肯定は煌牙の非を受け入れ、認めること。
それは煌牙と親子であるが故に、否、親子でなければ到底出てこない言葉だ。
しかし今の、動揺し心が不安定な梁に、あからさまにその事実はぶつけられない。
だから稔はそこまでで言葉を止めていた。
しかし梁の揺らぎは、稔が想定していたより遥かに深く、根強いものだった。
「…梁牙」
ふと、煌牙に名を呼ばれた梁は、明らかにびくりと体を震わせた。
煌牙の呼びかけが何を意味しているのか、充分すぎるほど分かっているからだ。
そうと知ってか、煌牙は容赦なく、冷酷に言葉を繋ぐ。
「分かるな? 梁牙。お前はこちら側の人間だ。…反し敵対する緋藤の側にいる必要はない」
「!っ…」
梁は唇を強く噛み締めた。
稔の前で、一番聞かせたくないはずの言葉を、目の前のこの男は、いとも簡単に言い放つ。
自分にとって、稔にとって…
一番、残酷な言葉を。
「…俺…は…」
どうすればいいのかは既に分かっている。
けれど、答えが出ているのに動けない。
血に従うのか、感情に従うのか…
そのどちらに、己の命運を委ねるのか。
「梁」
稔の特有の、低く、よく通る声が、滑り込むように梁の鼓膜を震わせた。
それに梁は我に返ったように、反射的に稔の方を見る。
「…父さん」
「お前はまだ、迷うのか?」
「えっ…」
梁は答えに詰まり、思わず視線を逸らす。
そんな梁の稀有な反応を見た稔は、とある確証を強めた。
「…やはりな」
…一見、理性では分かっているようだが、肝心な所で…
本能で、梁は煌牙を突き放せていない。
今まで敵だと思っていた相手が…実は真に、己の父親であっただけに。
この状況が続くようであれば、恐らく梁は…到底戦力にはならない。
迷いを持った者など、戦いを挑むに値しないのだから。
そう読んだ稔は、一転、紫苑の方へとその黒銀の瞳を向けた。
「! …ママ、行くよ」
瞬間、稔の中に潜む何かを察した紫苑が、能力を使って床に雷を叩き付ける。
「!紫苑っ…」
それが完全な目くらましになって、梁は思わず己の目をかばった。
しかし次には、すぐさま視線を戻し、紫苑と母の姿を捉えようとする。
…だが。
その時には既に、二人の姿はその場から消えていた。
それを察した稔が、反射的に鋭く檄を飛ばす。
「梁! 煌牙の相手は俺が引き受ける…
お前は紫苑を追え!」
「!? 父さん…」
梁が、滅多に見られない稔の激しい声に驚いていると、稔は苛立った口調で先を続けた。
「…聞こえなかったのか?」
「!…っ」
梁は歯を強く軋ませると、紫苑の能力の痕跡を頼りに、彼を追うべく身を翻した。
それでも一瞬だけ、ちらりと稔の方を見た梁は、その当の稔が振り返らないのを見ると、それを振りきるように視線を戻し、その場から駆け出した。
──後には、稔と煌牙が当然のように対峙する。
「随分と優しいことだな」
煌牙が凄絶なまでに美しい笑みを浮かべる。
それを稔は、それ自体を打ち消すような冷笑で返した。
「戦えない者は、所詮、足手まといにしかならないからな」
「…、さすがだな、稔」
煌牙は油断なくその笑みをひそめた。
悲痛に叫びながらも、梁の頭の中では、記憶を消されたという稔の声が、エコーのように木霊していた。
それを聞いて、自分は激しいショックを受けた。それは確かだ。だが、実際にその様を目のあたりにすると、絶望と切望ばかりが、自分の中でぶつかり合う。
何で、どうして、何故母親が…という疑問符ばかりが、心の中に次々に浮かんでは消えてゆく。
そんな絶望的な状況からか、梁の口調は、自然に苛立ちと焦りの入り混じったものへと変化していた。
「…俺と…父さんが…、本当に…分からないって言うのか…!?」
怪訝そうに自分を見る母の目が、とても悲しくて悔しくて。
その、やっと得たはずのものを、こうも容易く奪われた怒りから、梁はその矛先に、激しくも悲痛に声を荒げた。
「煌牙! 何故、こんな真似をする! …お前はそれ程までに母さんを手に入れ、俺を従わせたいのか!?」
「!貴様っ…」
煌牙を呼び捨てにしたこと、そして彩花を母親呼ばわりしたことで、瞬時に紫苑が臨戦体制に入る。
が、当の煌牙は、そんな紫苑を片手のみで遮ると、負の感情を自らにまとめてぶつけて来る息子に、極めて平然としたまま、こう答えた。
「愚問だな。既に分かっていることは訊くな」
「!…っ」
梁が反論出来ずに、きつく唇を噛む。
それは自らの心に潜んでいた疑問に、確信という名の烙印を押されたからに他ならない。
そしてそれは、先程の葛藤と合わせた上での、険しい茨の道を指し示していた。
「……」
梁は唇を噛み締めたまま、眉をひそめて迷い続けた。
すると、それを見かねた稔が、梁を諭すように呟いた。
「…梁、奴に従う必要はない」
「!父さん…」
まるで心中を読まれたような稔の言葉に、梁は驚いて父親を見た。
その父親は、至極冷静な瞳で、相対する煌牙を見つめている。
その様を見て、梁は瞬時に理解した。
(!…そうか)
相手に弱味は見せるべきではない。
父親はそれを、自分に暗に理解させようとしている。
弱味を見せれば、相手は必ずそこを突いてくる。それが分かっているのだから、初めから弱味は見せるべきではない──
「彩花のことは、俺が何とかする。お前は自分のことだけを考えていろ」
わざと突き放すように梁へと言い捨てて、稔はその目を、次いで紫苑へと向けた。
…有無を言わさず、告げる。
「…紫苑、分かっているな? お前が煌牙に愛着を示しているのは分かる。だが、俺の邪魔をするようであれば、俺は例え相手が息子であろうが容赦はしない」
「!えっ…」
「それが分かったら、一切、手出しはするな。…いいな」
あえてぴしゃりと告げることで、紫苑の言動の全てを封じた稔は、その美しい黒銀の瞳を煌牙へと向けた。
すると、彩花がそんな稔の様子に目をやり、怯えたように煌牙にしがみついた。
「…こ、煌牙…さん、どうして…
何であの人、怒ってるの…?」
えも言われぬ稔の雰囲気に、そっと目を伏せ、震える体を煌牙に預けたままの彩花は、はたから見てもひどく不安定に見えた。
すると、煌牙はそんな彩花の手に、繋ぎ止めるようにしっかりと、自らの指を絡ませる。
「!…煌牙…さん?」
不思議そうに煌牙を見上げた彩花に、煌牙は恐ろしくも低い声で囁いた。
「…奴のことなど、気にかける必要はない」
「…だ、だけど…、じゃあどうして…」
彩花は、恐る恐るながらも、再び稔へと目を向けた。
稔は黙ったまま、じっと彩花の言動を見つめている。
その瞳はとても無機質で、感情というものが一切感じられない。
…稔はただ、静かに、測るように彩花を見ていた。
その黒銀の瞳は、まるで意志を示さない。
しかしその美しい、至上の宝石のような双眸を見ていた彩花は、不意に自らの胸が切なく締め付けられるのを感じた。
「…煌牙さん…、あの人は…」
“誰”?
…そう尋ねたいのに。
煌牙はそれを許さなかった。
「奴を気にかける必要は無いと言ったはずだな。
…紫苑、もう一度言う。早く彩花を連れて行け」
「!っ、でも…」
紫苑が困惑する。だが、無理もない。
…父親が別に居ると発覚した今、紫苑は相当な迷いを見せていた。
幼い為に、幼いが故に…
どちらの父親の言うことを聞いた方が良いのか、判断がつきかねていたのだ。
それでも紫苑は、母親をここに置いておくべきではないと判断したのか、意を決したように、静かに彩花へと近付いた。
…当然、彩花は反射的に身を固くする。
しかし今度は、彩花はさしたる拒絶も見せず、差し出された紫苑の手を、かつての彼女では有り得ない程にあっさりと取った。
「…紫苑…どこ、行くの…?」
「安全な所だよ」
紫苑は即答する。しかし、一見、形勢がそちらに傾いたと思われる彩花の敵方への保護は、稔と梁の二人にとっては、むしろ好都合だった。
…何故なら。
「…奴らは、母さんを攻撃の意味での盾にする気は、今の所は無いらしい。
それならむしろ、確実に被害が及ばないと思われる所へいて貰った方がいい」
「そうだな」
稔が珍しく簡単に肯定する。
「“母さんを取り戻すのは後でも出来る”…、そうだろう?
何よりも今、どうにかしなければならないのは…」
「──煌牙の方だ」
稔は初めからそれを理解していたかのように、さも当然とばかりに呟いた。
「奴の考えには、遠慮や都合というものは一切ない」
「それは…分かってる」
梁が辛そうに目を伏せる。
──煌牙の、自分に対する異常なまでの執着。
拘り。
そして…独占欲。
「後免な…父さん」
知らずに謝罪が口をついて出た梁に対して、稔は咎めるように視線を走らせた。
「お前が謝る必要は無いだろう」
…そう、梁の肯定は煌牙の非を受け入れ、認めること。
それは煌牙と親子であるが故に、否、親子でなければ到底出てこない言葉だ。
しかし今の、動揺し心が不安定な梁に、あからさまにその事実はぶつけられない。
だから稔はそこまでで言葉を止めていた。
しかし梁の揺らぎは、稔が想定していたより遥かに深く、根強いものだった。
「…梁牙」
ふと、煌牙に名を呼ばれた梁は、明らかにびくりと体を震わせた。
煌牙の呼びかけが何を意味しているのか、充分すぎるほど分かっているからだ。
そうと知ってか、煌牙は容赦なく、冷酷に言葉を繋ぐ。
「分かるな? 梁牙。お前はこちら側の人間だ。…反し敵対する緋藤の側にいる必要はない」
「!っ…」
梁は唇を強く噛み締めた。
稔の前で、一番聞かせたくないはずの言葉を、目の前のこの男は、いとも簡単に言い放つ。
自分にとって、稔にとって…
一番、残酷な言葉を。
「…俺…は…」
どうすればいいのかは既に分かっている。
けれど、答えが出ているのに動けない。
血に従うのか、感情に従うのか…
そのどちらに、己の命運を委ねるのか。
「梁」
稔の特有の、低く、よく通る声が、滑り込むように梁の鼓膜を震わせた。
それに梁は我に返ったように、反射的に稔の方を見る。
「…父さん」
「お前はまだ、迷うのか?」
「えっ…」
梁は答えに詰まり、思わず視線を逸らす。
そんな梁の稀有な反応を見た稔は、とある確証を強めた。
「…やはりな」
…一見、理性では分かっているようだが、肝心な所で…
本能で、梁は煌牙を突き放せていない。
今まで敵だと思っていた相手が…実は真に、己の父親であっただけに。
この状況が続くようであれば、恐らく梁は…到底戦力にはならない。
迷いを持った者など、戦いを挑むに値しないのだから。
そう読んだ稔は、一転、紫苑の方へとその黒銀の瞳を向けた。
「! …ママ、行くよ」
瞬間、稔の中に潜む何かを察した紫苑が、能力を使って床に雷を叩き付ける。
「!紫苑っ…」
それが完全な目くらましになって、梁は思わず己の目をかばった。
しかし次には、すぐさま視線を戻し、紫苑と母の姿を捉えようとする。
…だが。
その時には既に、二人の姿はその場から消えていた。
それを察した稔が、反射的に鋭く檄を飛ばす。
「梁! 煌牙の相手は俺が引き受ける…
お前は紫苑を追え!」
「!? 父さん…」
梁が、滅多に見られない稔の激しい声に驚いていると、稔は苛立った口調で先を続けた。
「…聞こえなかったのか?」
「!…っ」
梁は歯を強く軋ませると、紫苑の能力の痕跡を頼りに、彼を追うべく身を翻した。
それでも一瞬だけ、ちらりと稔の方を見た梁は、その当の稔が振り返らないのを見ると、それを振りきるように視線を戻し、その場から駆け出した。
──後には、稔と煌牙が当然のように対峙する。
「随分と優しいことだな」
煌牙が凄絶なまでに美しい笑みを浮かべる。
それを稔は、それ自体を打ち消すような冷笑で返した。
「戦えない者は、所詮、足手まといにしかならないからな」
「…、さすがだな、稔」
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