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3 絆と進展

3-3.厄介な善人

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 お茶会は、紅茶を飲んで、お菓子を食べて、相槌を打っている間に終わっていた。
 リーゼとも仲良くなれた気がするし、概ねうまく行ったと思っている。
 正直緊張で胃が重いし、庭園を歩き回った足も痛いが、その価値はあっただろう。

(一人じゃ絶対無理だったな…助かった)

 レアジさんたちにまたお礼言わないと。

 別れの挨拶を交わしながらそんなことを思う。
 そして、レアジさんがリーゼに手を差し出した。

「それじゃ、寮まで送る──」

「いえ、わたくしはサリエル様と帰りますので大丈夫です」

「え?」

(え?)

 レアジさんの声と僕の心の声が重なった。

「では行きましょう、サリエル様!」

「はい!?」

 リーゼに腕を取られバランスを崩しかけるも、レアジさんに肩を支えられて踏みとどまる。

(転ぶかと思った…)

「ちょっと待て。色々言いたいことはあるが、まず──いつエルがそう言ったんだ?」

「それは……せっかくお会いできたので長くいたいと思うのは当然です!」

「いや…というか、どういう意味かわかっているのか」

「レアジさん、僕は別に…」

 なんだろう。
 とても険悪な雰囲気が漂っている気がする。
 レアジさんの目を見るのが怖い。

「ほら、サリエル様もこうおっしゃっていますわ」

「エル、俺が言いたいのは」

「れ、レアジさん!大丈夫ですから」

 この雰囲気を抜け出したくて、少し強めに言ってしまった。
 リーゼは花が咲くように微笑んでいたが、僕の目には、レアジさんが驚いたように黙り込んだ顔がどうしても印象的だった。

(傷つけた…?)

 ◇

 リーゼに手を引かれて歩く。
 エスコートなんてしたことないけれど、隣を歩けばいいのだろうか。

「サリエル様、技能祭の演目は何が──」

 歩いている間も、リーゼは楽しそうに話し続ける。

 話すのはいいのだが、気分が高揚しているのか彼女の歩みは早い。
 話しながらだと、もう少しゆっくり歩かないと、体力が…。

「あの、リーゼ様」

 耐えきれず立ち止まって、膝を抑えて呼吸をする。

「サリエル様?」

「すみません、先に帰ってください、」

「どうしてですか?」

「少し疲れてしまって…」

 そう言うと、リーゼはハッとしたような顔をして、

「ごめんなさい、気づかなくって…。すぐに人をお呼びします!」

 と駆け出した。

「いや…そんな…」

(聞いてないか)

 少し追いかけようと足を速めたものの、途中で諦めて蹲る。

 上手く呼吸ができていないのか、不快感が募って行く。気分が悪い。

(レアジさんに、送ってもらえば良かったな)

 少し、休憩しよう。


「リーゼ様…?何を」

 角を曲がってきたらしい男子生徒が、駆けていくリーゼを目にして呟く声が聞こえた。
 そして反対側で蹲る僕を見つけて、面食らったような顔で一瞬歩みを止める。 

(ディルク…?こんなタイミングで)

 几帳面に揃えられた亜麻色の髪を持つ彼は、困惑したような表情を浮かべた後、そろりそろりと近づいてきた。

 目が合ったからには挨拶をしなければ、とは思ったが、立ち上がる気力も起きなくて、なかなか言葉が出てこない。

「大丈夫ですか。話せます?」

 コクンと頷いた。

「体調が悪いのなら、ここではなく医務室のほうがいいのでは」

 ディルクが僕の隣に膝をついて小声で言う。

「…少し、休めば平気です」

 ゆっくりと呼吸をして、無理やり立ちあがろうとする。

「ちょ、危ないですから」

 慌てたように僕の肩をつかんだディルクが、ハッと息を吐いた。

「お座りください」

 彼の手に押されてゆっくりと腰を下ろす。
 そこまで、深刻ではないのだが。

(過保護…)

「リーゼ様は大人を呼びに行かれたのですか?」

 頷く。

「それなら、待ちましょう。下手に動かない方が良いです」

 そう言ってディルクは僕の隣に座った。

「……」

 嫌われていると思っていた。
 いや、嫌われているのかもしれない。

 それなのに、本気で僕のことを心配しているのが伝わってくる。

 ディルク・リーレ・クラーゼ。
 真面目で、勤勉で、少し気の強い意地っ張りだと思っていた。
 でも、彼はもしかしたら──。

 “彼は僕と組みます”

 “大丈夫ですか”

 本当は、困っている人を見捨てられないお人好しなのかもしれない。


「サリエル様!人を連れてまいりました~」


 走ってくるリーゼを見て目を細め、不器用に口を結ぶディルクを見て、僕は、「どうかこの少年の恋が実りますように」と祈りたくなった。

 ◇

 今朝は、ヴィンツがヴィンフリーを迎えに行くというので、一人部屋で朝食を摂った。
 朝食といっても、食欲がなかったので果物を数切れ齧っただけだが。
 昨日少し、食べすぎたかもしれない。
 と、食事に加えてお菓子を頂いたことを思い出す。

 昨日は、学園の看護の人が寮の部屋まで付き添ってくれて、同室のヴィンツと僕を待っていたらしいバルトを驚かせた。
 心配させてしまったが、本当に大したことはないと必死に説明したことでなんとか納得してくれた…はずだ。
 一番大変だったのは何故かディルクだった。
 リーゼとバルトに長々とお説教をして、僕には手短に「無理をするな」という旨を申しつけて、更には学園の人にも小言を並べ始めたのだ。

「本当にごめんなさいっ!ではリーゼとディルクはこれで失礼します~!お大事にっ」

 そう言ってリーゼがディルクを引っ張って退室してくれなかったら、いつ帰ったかわからない。

「はは…」

 僕はまだ、彼のことを微塵も知らなかったんだなと思わされた。
 そしてきっと、それは彼だけではない。

 リーゼも、ヴィンツたちも、レアジさんも、バルトのことさえも、僕はまだ何も知らないのだろう。
 皆の優しさに甘えてきたけれど、僕はもっと、みんなを知ろうとしなければいけない。
 僕が頼るだけでなく、相手に寄りかかって貰えるようになって初めて、対等の関係であると言えると思うから。

(なんか頭ぼーっとするな)

 早く起きたせいか、大人しくしているとまた眠ってしまいそうだ。

 少し早い時間を指した時計を眺めながら、僕は教室に向かった。


 教室につき、まだ誰もいないだろうか。と扉を開けると、座って教科書を拡げているディルクが目に入った。

(また…)

 いつも早く来ているとは思っていたが、もしかしていつもこの時間にはいるのだろうか。
 よく会うな、と思いつつ、どう声をかけるか考える。
 まずは挨拶をして、昨日のお礼を言わないと。
 それから、魔法の話とか…。

「おはようございます、サリエル様」

「わっ…お、おはよう、ございます」

 僕が考えながら歩いているうちに、近くまで来ていたらしい。
 どうしよう。何か言わないと。

「…いつも、朝早いですね」

「当然です」

 既に手元の教科書に目線を戻しながら、ディルクが答える。

「同室の方は?」

「フォルンは毎朝剣の素振りに行っていて部屋にいないので」

 アーベル・ツルト・フォルンか。
 陽気で、活発な印象を受ける男爵家の令息だったはすだ。
 彼の性格なら、周りを付き合わせたり朝食に誘ったりしそうだけど…。

「真面目ですね」

「癖なのでしょう。彼は実家にいた時から」

「いえ、ディルクが」

「……当然です」

 ディルクは少し居た堪れないように目を伏せた。
 あまり話しかけても迷惑だろうか。

「昨日は、…ありがとうございました」

「いえ」

 そっけない。

 僕は「それじゃあ」と自分の席へ歩き出した。
 しかし、少し歩いたところで、ディルクに呼び止められる。

「あの、サリエル様」

「?」

「僕と、勝負をしてくださいませんか」

「えっ」

 ディルクは立ち上がって、真っ直ぐに僕を見据える。
 思わず黙り込んで、瞬きを数度繰り返す。

「……技能祭、魔法部門で僕が貴方より良い成績を残せたら、お願いしたいことがあります」

 今までのような、こちらを馬鹿にする雰囲気は感じない。
 表現するとしたら、覚悟、緊張、焦り…そんな顔。

「わかり、ました」

 気づけば、口から溢れていた。

「……僕が勝ったとき、」

 お願いを聞くのなら、こちらも聞いてもらってもいいだろう。
 ディルクが僅かに顔を強張らせる。

「──友達になってくれるなら」

「は」

 言ってしまった。
 これで拒絶されたらかなり悲しい。
 なにやら固まってしまったディルクに首を傾げると、

「あ、いえ、はい…」

 彼は“?”というような顔で頷いた。

「よかった」

 安心して、笑みを浮かべる。

「では、そういうことで…」

 僕は、それだけ言ってその場を後にした。そろそろ他の生徒も来る時間だ。
 自分の席に着くと、待っていたかのように隣に腰掛ける人物がいた。

「少し聞いていたが、君たちは何の話をしていたんだ?」

「ヴィンツ様」

「ふふ、盗み聞きではありませんのよ。聞こえてしまったのです」

 ヴィンツの後ろから、ヴィンフリーも顔を出す。
 聞いていたのか。

「何か賭け事でも?」

 わくわくという音が聞こえそうなヴィンフリーに苦笑いを浮かべつつ、「大したことではない」と返答を返す。

 その時、チラッと見た先で、ディルクがもの凄い顔でこちらを睨んでいたので、やっぱり僕は嫌われているかもしれない。


 ◇

 とか言っていたら、午前中のうちに発熱して倒れた。


「…はぁ」

 始業から約2時間。僕はあまりの倦怠感にベッドから出られずにいる。
 バルトは何やら技能祭の準備を頑張っているようで、ここ数日は夜しか顔を見ていないので、授業中に呼び出すのは躊躇われた。

(学園の人を…)

 呼び鈴に手を伸ばしかけて、すぐに毛布の中へ引っ込めた。

(どうせ死なないし)

 夜になれば、バルトは来るだろうし、その前にヴィンツも戻ってくる。
 それまで眠ればいい話だ。

 僕は目を瞑った。


「……ぁ……はぁ…はぁ…ぅ、はぁ…」

 おかしい。眠れない。

 自分の荒い呼吸が気になって、つい息を止めたくなるが、苦しくて続かない。

 やはり、人を呼んで水を持ってきてもらおうか。
 水と、着替えと、冷やすものと…。

 朦朧とした頭でそんな考えを巡らせて、ふと思う。
 記憶を失う前の日も、一人だった。

(…いきなり死ぬって言われてびっくりしたんだっけ)

 その時に比べたら、よっぽど気が楽だ。
 助けてくれる人がいることを知っているから。

 滲んだ涙を拭っていると、コンコンというノックの音が聞こえて、飛び上がる。

「サリエル様、起きていらっしゃいますか。
 メアスフラム家のミアでございます。寝込んでいるとお聞きしたので、失礼してもよろしいでしょうか」

「は…はい」

 あまりに驚いて、反射的に毛布に隠れてしまった。

「失礼致します。お加減はいかがですか?」

(ミアってレアジさんのメイドの…?)

「ただの発熱…だから…大丈夫」

「そうですか。喉の痛みは?」

 毛布から顔を出してゆっくり首を振る。

「畏まりました」

 見れば、金髪を結い上げた若い女性が、無表情のまま用意した水桶に手拭いを浸していた。

「気になさると思うのでお伝えしておきますと、今朝のサリエル様の様子を確認するよう言い付けられたので教室へ伺ったところ、ヴィンツェンツ様から体調不良だとお聞きしたので独断で参りました」

 気になっていた。
 独断って、他家のメイドを勝手に借りても良いのだろうか。

(レアジさんは断りはしないだろうけど…知らないってことだよね?)

「レアジ様への報告はまだしておりません」

 …ミアは心でも読めるのだろうか。

「失礼いたします」

 ミアは僕の顔の汗を軽く拭って、冷たい手拭いを額に乗せる。

「熱が高いですね。解熱薬もお持ちしたので、お飲みになってください。お着替えはいかがなさいますか?」

 正直なところ、とても助かった。
 手拭いだけでも随分楽になったし、ここは大人しく厚意にあずかろう。

「……お願い」

 そう言うと、ミアは少し僕の体を起して、身体を拭き始める。
 レアジさんと一緒に制服の採寸をしたときにも思ったが、ただ淡々と、必要なことをこなす人だと思う。数多の使用人のように、周りの機嫌を窺って、愛想よく振る舞うわけではない。かといって気安く自由に振る舞うわけでもない。
 自分を着飾らず、必要以上に踏み込んでこない距離感が、心地いい。

「ミアさんって…何歳なの?」

 思ったことをそのまま口にしてしまった。熱のせいだろうかと目を泳がせる。

「19です。レアジ様には6年前からお仕えしております」

 レアジさんより4歳上。
 大人だな、と感じる。

「婚約者がいるって…聞いたけど」

「お屋敷に結婚の約束をした方がおります」

 仕事仲間なのか。

「それは、すきな…ひと?」

 ミアは、僕に服を着せていた手を止めた。

「サリエル様、何かお悩みでも?」

「?」

 一瞬思考が追いつかず、少し間を開けてから自分の発した言葉に気づく。

「あ……ごめんなさい。変なこと……」

 熱で上手く思考が制御できていない。
 もう、喋るのはやめよう。

「こちらこそ失礼いたしました」

 ミアは僕の脱いだ服を丁寧に畳んで籠にいれ、手拭いを洗って絞る。
 その様子をぼーっと眺めていると、ミアは今までと変わらない調子で話し始めた。

「サリエル様、愛というのは人の心の数だけ、異なる形があるのです」

「……?」

 毛布を整えながら彼女は続ける。

「どうやっても、他の誰かと同じには扱えない人。大切で、手放したくない人。いつまでも側にいて欲しい人。
 そんな特別な存在に抱く感情は全て愛であると、私は思います。その愛が、友愛か恋愛かなどは些細なことです。
 そして、それをどう表現するかは、人によって違うものです。
 ……私には、どうしても隣に立ち続けたい人がおりました。だから結婚を決めたのです」

 最後に薄く微笑んで、ミアは僕の髪を軽く整えた。
 僕は口を僅かに開いたまま、ミアの顔に視線を動かす。

「お耳汚しでしたね」

 そっと首を振った。

「私は一度出ますが、お呼びくださればいつでも参ります」

 ごゆっくりお休みください。と一言残し、ミアは籠を抱えて出ていった。

 ようやく、呼吸が落ち着いてきた。

(他の誰かと同じには扱えない…大切で、手放したくない……いつまでも、そばにいてほしい)

 ミアの言葉を反芻するうちに、僕は眠っていた。
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