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2 未知の世界

2-10. 気持ち新たに

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「エル様」

 謝ろうとしたが息ができず、テーブルに手をついた。
 バルトが背中に手を当てようとするので、そっと首を振ってヴィンツに向き直った。

「ゴホッゴホ……失礼、しました」

 バルトが掃除をしてカップを下げる間に息を整える。

「こちらこそすまなかった。大丈夫か」

「いえ、あ、大丈夫です」

 本当に驚いた。
 これまでに恋愛だとか、婚約だとかいう話題を耳にしなかったので、無いものだと思い込んでいた。
 というか、そういう意識が抜け落ちていた。

(想い人…か)

 ディルクが僕に向けた、不満気な視線を思い出す。
 やたらと、見せつけるように知識を披露したかと思うと、ふと、歯がゆそうな表情でどこかを眺めている。
 そんな彼を思い出す。
 彼が見つめていたのは、きっといつだってリーゼだったのだろう。

 それにしても、

「よくご存知でしたね」

 そう言うと、ヴィンツは眉を歪め肩をすくめた。

「まあな」

 なにやら思うところがありそうな様子だったので、追及しようか迷ったがやめることにする。
 おかげで、ディルクの態度の意味はわかったのだ。
 僕がリーゼと話すことが気に入らないということだろう。

 とはいえ、解決法は思いつかない。
 まさか事情を話すわけにもいかないし、リーゼとした約束を今から断るのも申し訳ないと思う。
 しかし行った場合は本当にディルクに嫌われそうで怖い。あと僕自身リーゼに気があるわけでもないのに、会うのも不味いような気がしてきた。

「…どうすればいいんですかね」

 息を吐くように零すと、ヴィンツは首をかしげる。

「ディルクと仲良くなりたいのか?」

「それは、なりたいです」

 仲良くできる人が多いほど、学園生活というものは楽しくなるものではないだろうか。
 いや、学園生活だけではない。
 以前の僕のような、記憶を失ってもさして困らないほど希薄な人間関係というのは、やっぱり寂しい。

「そうか」

 決して遠くない未来、死ぬとわかっているのにそんなものを求めてどうするんだとは思う。
 それでも、憧れるものは憧れるのだ。

 それに、どうしてそう決めたのかは忘れてしまったけれど、

(僕は、自分の気持ちに正直に生きると決めたはずだ)

 俯く僕に、ヴィンツは「そうだな…」と思案するような声を漏らしてから言った。

「そのままの君で、彼の努力を認めてやればいいと思うぞ」

「え?」

 思わず瞳を瞬く。
 想像していた解決策とはまるで違う答えだっただけに、ポカンとしてしまう。

「彼にとって君が恋敵になり得るとしても、認めてくれる存在は大事だろう。彼に利益を齎す存在でいれば良い」

「……」

(恋敵になるつもりはないけど…)

「エル様、なにかあるのですか?」

 バルトの声に振り返る。

「ああ、えっと、リーゼ様と会う約束があって…」

「え、二人でですか」

 酷く焦った表情を浮かべたバルトを前に“?”を浮かべると同時に、部屋にコンコンという音が響く。
 口を閉じることも忘れて、皆で扉に視線を向けた。

 一瞬後、バルトが慌てて応対に向かった。


「申し訳ございません、何か御用で……」

 扉を開いたバルトは、目の前の人物に少し拍子抜けしたような声を出す。

「…あ、レアジ様」

 僕はハッとして席を立ちかける。
 姿勢を正したバルトに、悪戯っぽい笑みを浮かべてレアジさんは言った。

「いねぇのかと思ったぜ」

「申し訳ございません」

「気にしてねぇよ。今いいか?」

 バルトが振り返って、ヴィンツと僕の了承を得る。

「お茶をお出しするので、どうぞお座りになっていてください」

「おう」

 バルトが紅茶を淹れに捌けると、部屋に入ってきた彼は僕に気づいてにこりと笑った。

「よ」

「どうなさったんですか。えっと、レアジ様」

 ヴィンツの前なのでこうした方がいいかと思って言ったのだが、レアジさんは隣に腰掛けながら、酷くムッとした顔をする。

「…レアジさん?」

「それでいい」

 やはりこれがいいらしい。よくわからない。
 レアジさんは目の前で不思議そうにしているヴィンツに目を移すと、

「ヴィンツェンツも一緒か」

 と言った。

「同室なもので」

「そりゃそうだ」

 案外とそっけない。
 知り合い程度というのは本当のようだ。

「でどうしたんだ?楽しく会話してたような雰囲気じゃねぇけど」

 レアジさんがそう問うも、それを遮るように

「レアジ様こそなにか御用なのでは?」

 バルトがお茶を置きながら尋ねた。

「そうだけど、気になるだろ」

 顔を見合わせて、これまで話していた内容を話し始める。
 レアジさんはずっと神妙な面持ちで聞いていたが、最後まで話し終えると、盛大にため息をついて視線を下ろした。

「…エル、婚約前の貴族の男女、それも家柄も実力も申し分なくて仲の良いやつらが二人きりで会ってたらどう思う?」

 レアジさんの言わんとすることに気づいて、唾を飲む。

「その気があると思われます…?」

「そうだな、くっつけようとする大人も出てくるだろうし、逆にいらん反感を買う可能性もある」

 それは困る。というか、現にディルクという例がいるのだ。
 バルトも頷くと、レアジさんは「でだ」と手を打った。

「要は二人きりじゃなきゃいいんだろ」

「というと?」

「俺も行く」

「は?」「え?」

 何を言っているんだこの人は。
 ヴィンツが、「それはもっと大ごとになったりはしないのか」と懸念を口にする。

「わかった、俺の妹も連れて行く。これでどうだ」

「それはリーゼ様の家も断れないですね」

「むしろ喜ぶだろうな」

「んじゃ決まりな」

 なにやら物凄いスピードで話が進んでいく。
 僕は話が掴めず、瞬きを繰り返した。

「いいだろ?」

 と言われて、反射的に頷いてから、

(もしかしてとても大変なことになったのでは)

 と気づく。

 こうして、意図せず、僕とレアジさんたち兄妹とリーゼという謎の面々でのお茶会の開催が決まった。

 決まってしまった。




「あ、そうだ。技能祭の話聞いてるか?」

 レアジさんが去り際にそう声を発する。

「一応…バルトから」

 振り返ると、バルトが軽く頷いた。

「そうか、それで今年も基礎科と高等科の生徒同士でペアを組む競技があるんだけど」

「ペア」

 技能祭が何かもまだよくわかっていないので、そう言われてもピンと来ない。
 だが、続く言葉に思わず呼吸を止めた。

「エル、俺と一緒に出ねぇか」

「え…」

「ダメ?」

「いえ、その、よくわかりませんが、僕で良いんですか?」

 レアジさんの実力があれば、好成績を残せるだろう舞台。基礎科は三学年あり、当然僕よりもふさわしい生徒もたくさんいるはずだ。

 不思議だった。

「お前がいいから言ってんじゃねぇか」

 そう言っていつも笑うのだから。

 その言葉に、いつだって僕は応えたいと思う。
 彼が手を差し出してくれるなら、いつだってその手を取りたいと思う。
 この感情がいつからあるものなのかはわからないが、僕が僕である限り、返す言葉は決まっている。


「それなら、喜んで」



◇(バルト視点)


「来月の初めに、最初の行事があります」

 レアジがエル様の部屋を訪問してきた翌日、そう前置きして、担任は話し出した。
 もう何度か聞いた、「技能祭」の話である。

 簡単にまとめると、技能祭は生徒たちが自分の技能を披露する場であると同時に、技能を使ったパフォーマンスで観客を楽しませる場でもある。
 文字通り、技能の祭典だ。
 そこには、クラスや学年対抗で競い合う競技や、下級生と上級生が協力して競い合う競技も含まれている。祭りといえども、ここでも優劣をつけられるというわけだ。
 当然実力者の多いAクラスが有利なように思われるだろう。だが、それは総合的な面から見た話だ。技能面だけでいえば、Aクラスでなくとも秀でた生徒はいる。
 技能祭は、そう言った才をもつ者を表舞台に立たせる、格好の場なのだ。

 この国のお偉い方々がこぞって見にくるこの祭典、なにかしら良い結果を残せれば、周りの見る目も変わる。
 これは推測ではなく、絶対に。

 そこで俺は、この機会にエル様に仕えるに足る人間であると証明しようと考えている。そして、後継者足りてた惜しい人材を手放したと、実家に思わせてやるのだ。

 そう思い直したところで、少し子供じみた思考に笑みが漏れる。

 エル様は“大人っぽい”と仰ったが、俺も全く大人らしいことなどない。
 まだ弱くて脆くて、証が欲しいだけの人間だ。

“僕にできることがあるかはわからないけど、僕は、バルトの力になりたいよ”

 それでも、今は進むべき道がある。
 死ぬまでいたい場所がある。

 だから俺もエル様のように、前を向いていたい。

 競技の説明を聞きながら、密かに決意を固めた。

 ◇


 放課後のざわざわとした喧騒の中、教室棟を抜けようとした時、俺は聞こえた会話に足を止めた。

「ペア競技は競争率が高いらしいな」

「皆優秀な人と手を組みたいのだから当然だろう。それに今年からあの学年は高等科だからな。基礎科の生徒も気合いが入る」

「四年か。正直レアジ様と組めたら優勝は確実だろうな」

「残念、もう決めたらしい」

「はぁ!?本当かよ。あわよくばと思ってたのに」

「お前じゃどうせ無理だったさ」

「そうだろうよ」

 改めて、レアジという少年の影響力を感じさせられる。
 普段の、その凄さを感じさせない振る舞いが少し可笑しくもあり、俺やエル様にとってはきっと、ありがたくもあった。

「でも妥協する気もないんだろう」

「当たり前だ。今注目されている先輩と組めば、同時に俺もよく見てもらえるってことだからな」

「評価にがめついやつ」

「なんとでもいえば良い」

(……)

 去っていった先輩らの言葉に、はたと気付かされる。
 ペア競技に関して具体的なことは考えていなかったのだが、もしこの話の通りだとすると話は別だ。
 エル様があの天才と一緒にいることで注目されるのなら、似たようなことは俺でも成立し得る。

(ですが…影響力があって、俺がペアに誘えそうな先輩なんて)

“先輩って呼んでよ”

 頭に浮かんだ声に、思わず顔を顰める。
 頼らないような態度をとったくせに、結局頼ることになるとは。

 しかし、今はこの間とは心持ちが違う。

 俺は、これからも自信を持ってエル様の隣を歩けるように、俺なりの努力をしたい。



「いいよ」

(え?)

 あまりにあっさりと頷かれて、張り詰めていた緊張が解ける。

「ペア競技だよね。いいよ、一緒に出よう。僕も誘うならバルト君かなと思ってたんだ」

 部屋を訪ね、技能祭の話をしたところで、クラウスはそう言ってふわりと笑った。

「今度こそバルト君に先輩らしいことができそうで嬉しいよ」
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