上 下
21 / 27
2 未知の世界

2-9.弱さと希望

しおりを挟む

 短い音楽が流れ、授業の終わりを告げる。

「それではね、各自今日クラスメイトと学んだことをしっかり復習してくださいね」

 マルク先生のその言葉を合図に、ディルクは僕に軽く会釈をして自分の席へ戻っていった。

 僕はホッと息を吐くと、目の前に散布された資料と、裏紙に書かれたたくさんのメモを見つめた。
 全て、ディルクが発表の中で使用したものだ。

 正直驚いている。

 基本的な知識から導かれることはもちろん、過去の研究結果や、未だ実現されていない領域においても根拠のある仮説を示してある。
 課題に出されていた、「基礎魔法技能の活用」には十分すぎるといえる量だった。

 僕には理解の及ばなかったものも多い。

 入念な下調べと準備、丁寧な話し方から感じた。彼がAクラスに入ったのは必然だったのだろう。
 ただ、素直に凄いと言ったら「当たり前です」と返されてしまったので、僕はやっぱり嫌われている気がする。

 ◇


「技能祭?」

「ええ」

 バルトが僕の髪を梳かしながら頷いた。

「クラウス様がおっしゃっていました。毎年、五月の終わりに行われる行事だそうです。一年生も無関係ではないようですから、明日にでも説明があるのではないでしょうか」

 初めての行事ですね、と付け加えてバルトは櫛を置く。

「そう…」

 バルトの手が離れたので、自らの灰髪を少し摘みながら曖昧な相槌を打った。

「何か心配事でもおありですか」

「……」

 あるといえばある。
 たくさんある。

 まずはバルトのことだ。
 こうして来れる時は僕の面倒を見にきて、屋敷にいた頃のように色々と世話を焼いてくれるから、自分のやりたいことができていないのではないかと思う。
 例のバルトをこき使おうとしていた令息たちと、元気のなかったバルトのことも気にかかっている。
 バルトに尋ねても何も問題ないと言うから、それ以上追及することはできずにいるが、もしも僕が同じ立場だったら、それでいいとは思えない。きっと。

「エル様?」

「…バルトは」

 口を開くと、バルトは黙って顎を引いた。

「バルトは、大丈夫?」

 なんと言えばいいのかわからなくて逡巡するうちに、そんな言葉が溢れた。
 バルトは、少し息を呑むような間の後に、

「何がですか」

 と呟く。

「……バルトが」

「私のほうは何も問題ありません」

 もう何度か、聞いた言葉。無感情な声に、少し寂しさを感じる。
 少し考えて、僕は続けた。


「僕に仕えてて良かった?」


「…は、えっと、はい?」

「家のことも、バルトの事情も今はなにも覚えてないけど、僕がバルトにしてあげられることなんてなかっただろ。きっと、最初から」

母を亡くして、体が弱く友達もいない僕の側にいるのはきっと楽じゃなかっただろう。レアジさんのような優秀な貴族令息に仕えるのとはわけが違う。
バルトがいくら僕の世話に時間を費やしても、僕から彼に返せるものは何もないのだ。

「それでも、僕に仕えてて良かった?」

少し、彼の表情が揺らいだ。

「…エル様は私の生き甲斐です」

「記憶がなくても?」

「…関係ありません。エル様はエル様ですから」

 バルトはため息をつくと、しゃがみ込んで悔しそうに天井を仰いだ。

「怒られるかもしれませんが言ってしまうと、エル様が居なかったら俺は生きてませんよ。

弱いんです、呆れるくらい。エル様のそばに居させてもらえるだけで、俺はいつも救いを貰ってます」

「だから問題ありません。心配要りませんよ、ありがとうございます」

 その顔がどうにも泣きじゃくる子供のように見えて、僕は手を伸ばした。

「泣かないで」

「泣、いてませんよ?」

「うん。でも、困ったことがあったら僕にも教えてよ」

 僕にできることがあるのなら、力になりたい。
 そう言うと、バルトは笑みを零す。

「なんというか、エル様は変わりませんね」

「そう?」

「はい」

 バルトは何かを懐かしむように優しく微笑んだ。

 …


「ディルク・リーレ・クラーゼですか。クラーゼ男爵家にはとくに目立った特徴や業績はなかったと思いますが、彼は優秀ですよ」

 なかなか他の人と仲良くなれないことと、先日のディルクの件をバルトに話したところ、バルトはそう言って言葉を切った。
 僕たちが腰掛けるソファの前には、バルトが淹れた紅茶が柔らかな湯気を立てている。

「そうだな。実力もあるし、なにより真面目なやつだ」

 そう言ってヴィンツは僕の向かいに腰掛けた。
 彼は今、ヴィンフリーとの買い物が終わって寮に戻ってきたところである。

「ご存じだったんですか」

 お茶を口に含みながら尋ねると、ヴィンツは少し考えるように首を傾げた後、頷いた。

「少し不思議な縁があってな、俺もヴィンフリーも以前から知り合いだった」

「不思議な縁、ですか」

「ああ、わざわざ話すほどのことではないんだが、ただ、出会った時から彼は何一つ変わっていないとだけ言っておこう。俺は彼ほど己のために力を尽くせる人物を知らない」

 思わず瞳を瞬いて、動きを止めた。
 ヴィンツがそこまで人を語ることにも驚いたし、何より、彼がディルクを認めているらしいことに驚いた。

「そうなんですね」

 ディルクが勤勉なことは僕も知っている。
 その実力も努力も、誰もが認めるところだろう。
 でも、少なくとも僕は彼に、ヴィンツやバルトに感じるような大人っぽさを感じたことはなかった。

 僕にあからさまに気に入らないとでも言うような視線を向けてくることもそうだ。彼からは、どちらかといえば気張っているというか、誰かに認めてもらいたくてムキになっているような気迫を感じる。
 言うなれば人間らしく、子供らしい顔をしている。

「ヴィンツェンツ様は、ディルクがエル様を嫌う理由に心当たりはございませんか」

 バルトがそう尋ねると、ヴィンツは口元に手を当てて眉間に皺を寄せる。

「強いて言えば、一つだけあるな」

 ごくりと唾を飲んだ。

「サリエルは何回かリーゼに話しかけられていただろう」

 頷く。というか、週末に話をする約束をしたところだ。

「リーゼ…様というのは?」

「伯爵令嬢で…以前、その…」

 記憶を無くす以前に会ったことがあるようだ、と言いかけて、ヴィンツを盗み見る。
 僕が会ったことがあるならバルトも知っているのかと思ったが、そういうわけではないらしい。
 バルトは察したように頷くと、再びヴィンツに顔を向けた。

「その方がどうかなさいましたか?」

 少し逡巡するような間があってから、ヴィンツは口を開く。


「ディルクの想い人だ」


 盛大に咽せた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼第2章2025年1月18日より投稿予定 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。

傷だらけの僕は空をみる

猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。 生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。 諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。 身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。 ハッピーエンドです。 若干の胸くそが出てきます。 ちょっと痛い表現出てくるかもです。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

ブレスレットが運んできたもの

mahiro
BL
第一王子が15歳を迎える日、お祝いとは別に未来の妃を探すことを目的としたパーティーが開催することが発表された。 そのパーティーには身分関係なく未婚である女性や歳の近い女性全員に招待状が配られたのだという。 血の繋がりはないが訳あって一緒に住むことになった妹ーーーミシェルも例外ではなく招待されていた。 これまた俺ーーーアレットとは血の繋がりのない兄ーーーベルナールは妹大好きなだけあって大いに喜んでいたのだと思う。 俺はといえば会場のウェイターが足りないため人材募集が貼り出されていたので応募してみたらたまたま通った。 そして迎えた当日、グラスを片付けるため会場から出た所、廊下のすみに光輝く何かを発見し………?

すべてはあなたを守るため

高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです

第十王子は天然侍従には敵わない。

きっせつ
BL
「婚約破棄させて頂きます。」 学園の卒業パーティーで始まった九人の令嬢による兄王子達の断罪を頭が痛くなる思いで第十王子ツェーンは見ていた。突如、その断罪により九人の王子が失脚し、ツェーンは王太子へと位が引き上げになったが……。どうしても王になりたくない王子とそんな王子を慕うド天然ワンコな侍従の偽装婚約から始まる勘違いとすれ違い(考え方の)のボーイズラブコメディ…の予定。※R 15。本番なし。

【完】三度目の死に戻りで、アーネスト・ストレリッツは生き残りを図る

112
BL
ダジュール王国の第一王子アーネストは既に二度、処刑されては、その三日前に戻るというのを繰り返している。三度目の今回こそ、処刑を免れたいと、見張りの兵士に声をかけると、その兵士も同じように三度目の人生を歩んでいた。 ★本編で出てこない世界観  男同士でも結婚でき、子供を産めます。その為、血統が重視されています。

悪役令嬢と同じ名前だけど、僕は男です。

みあき
BL
名前はティータイムがテーマ。主人公と婚約者の王子がいちゃいちゃする話。 男女共に子どもを産める世界です。容姿についての描写は敢えてしていません。 メインカプが男性同士のためBLジャンルに設定していますが、周辺は異性のカプも多いです。 奇数話が主人公視点、偶数話が婚約者の王子視点です。 pixivでは既に最終回まで投稿しています。

処理中です...