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2 未知の世界

2-4.寮と仲間

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 出席確認が終わり、ライナルト先生が解散の号令を出す。
 途端に教室に騒がしさが戻ってきた。
 聞こえてくる話題は、専ら寮のことだ。

 僕も席を立って、早く寮棟へ行って自分の部屋を確認しようと歩き出す。

「…はあ、」

 なんだか暑い。まだ季節的には寒いはずだが、暖房が効いているのだろうか。
 それに、先程から感じていた頭痛が少し強くなった気がして、早く人のいる空間から抜け出したかった。

「サリエル様!」

「わっ! え、えっと」

 朦朧としていた意識に、背後から甲高い声が突き刺さり跳ね上がる。
 ズキリという痛みを無視して、刻みつけたばかりの記憶を呼び起こした。

(確か…)

「リーゼ様、?」

 そこには、桃色のロングヘアを揺らして、キラキラとした瞳でこちらを見つめる少女がいた。
 僕の返事を聞くや否や両手の指を胸の前で組み、近づいてきて捲し立てる。

「覚えていてくださったのですね! サリエル様は昔からあまり他人に興味を示されませんから、忘れられているのではと思っておりました! リーゼは嬉しいです!」

(なんだこの子…物凄く“覚えていない”とは言いづらい…)

 それに、あまり大声を出すものだから、クラスの皆の注目を集めてしまっている気がしてならない。

「そ、そうですか」

 とにかく今は頭痛が酷くなる前に抜け出したい。
 視線を彷徨わせると、例の青髪の、ヴィンツェンツと目があった。

(助けてくれって思っても仕方ないしな)

 困った。悟られないように表情を押し殺すも、この場を切り抜ける術が思いつかない。

「サリエル様! よろしければ、この後リーゼと一緒に…」

 そこで黄色い歓声が聞こえて、リーゼと同時に驚いて目を向ける。
 見慣れた赤髪が目に入り、目を見開いた。

(レアジさん…?)

「レアジ様ですわ」

「初めて拝見しました」

「素敵です…」

 そんな声があちこちから聞こえる。
 レアジさんは、教室の入り口付近で詰め寄せる生徒たちをいなしていた。

(そりゃそうだ。有名じゃないはずがない)

 呆然としていると、

「悪いな、用があるんだ」

 と言ってこちらを向き、おいでと手招きをしてくる。

(えっ)

 どうしたものかと思考するうちに向こうから近寄ってきて、リーゼに気づくと「取り込み中?」と小さく尋ねた。

「い、いえっ」

「そうか、じゃあ悪いけど会話はまたにしてくれ」

「ふえっ、は、はい! 申し訳ありません!」

 思っていたより、ずっと早く会えたなと、まじまじと彼を見つめた。

(僕になんの用だろう)

 それにしても助かった。
 初日から、頭痛で倒れたりしたら目も当てられない。

「行くぞ、エル」

「あ、はい」

 反射的に差し出された手を取ると、そのまま手を引かれて歩き出した。
 周りからの視線と、噂する声を感じる。
 知ってはいたが、レアジさんはよく目立つ。

(冷静に考えると、この構図凄い子供っぽくないか?)

 急に恥ずかしくなってくる。
 ただ同時に、握った手の暖かさに安心している自分もいた。



 結局、そのまま教室を出てきてしまった。
 リーゼには悪いことをした気もする。

「悪いな、まだ話したい奴もいたかもしれねぇのに」

「いえ、寧ろ助かったというか…」

 そこまで言って、はたと気づく。

(助けてくれた?)

 驚きのこもった目でレアジさんを見ると、

「そうか。なら良かった」

 彼はそう言って微笑んだ。

「初日で疲れてるんじゃねぇかと思って…Aクラスなら寮は近いだろ、送ってく」

「……」

 それだけのために迎えにきたのだろうか。
 僕を心配して?
 そこまでしてもらう理由はない。一人で行くから大丈夫。
 …そう言いたいのに、どうしてか口が動かなかった。

「おんぶするか?」

 はい!?

「辛いんじゃねぇか?部屋まで背負って行くぜ」

「えっ、あ、いえ、大丈夫ですっ」

 確かに辛いのは本当だが、さすがに人の目に触れるところでおんぶされる度胸はない。
 恥ずかしさで死ぬ。

 立ち止まっていたので、動けないとでも勘違いされただろうか。
 レアジさんの背を押して歩き出す。

「大丈夫ですから、早くいきましょう」

 せっかく迎えにきてくれたんだし、この際ありがたく送ってもらおう。
 そして一刻も早くレアジさんを解放しよう。

「…おう」

 引き下がってもらえたことに安心して、また隣を歩き出す。
 人の目は気になるが、レアジさんと一緒に居られることは嬉しかった。



 フェザント寮は先生が言っていたように教室棟のすぐ隣にあった。
 レアジさんと一緒に足を踏み入れると、まだ部屋番号表の前に大して人は居なかった。まだ教室で親睦を深めている人も多いのだろう。

「サリエル…お、あったぞ。同室はヴィンツェンツだな」

「…どこですか?」

「これ」

“205 サリエル(ブランシュ家)
      ヴィンツェンツ(アガット家)”

 背伸びしてレアジさんの指差す箇所を見ると、確かにそう書いてあった。
 話しかけられた時のヴィンツェンツを思い出し、変なやつだと思われていないか少し不安になる。
 正直言って、一人部屋のほうが何倍も嬉しかったが、贅沢を言っても仕方がない。
 全く知らない人でなくて良かったと思っておこう。

「っ…」

 ズキッと痛みが増し、思わず顔を顰めた。
 階段に進みかけていたレアジさんが振り向き、僕の様子に気づいて寄って来る。

「どうした、大丈夫か?」

「あ…はい、大丈夫です」

「…行くぞ」

 転ぶと危ないからと手を繋がれて、階段を登る。
 二階を突き当たりまで進んだところで205のプレートが付いた扉を見つけ、レアジさんがそっと開いた。
 薄暗く、静かな空間。
 まだ、誰もきていないようだ。

 ホッと息を吐く。

 入ってすぐの壁には鍵が二つかけられており、それぞれに寮名と部屋番号が彫られていた。そしてすぐ横に扉が一つ。

「こっちだ」

 レアジさんの声に促され奥へ行くと、ソファとテーブルと、小さな台所のある広い部屋があった。
 レアジさんは、その部屋の入って右側にある扉を開け、何かを確認すると僕を招き入れる。
 その部屋は、ベッドと勉強机と、クローゼットがあるだけの簡素な作りになっていた。
 この部屋と同じ部屋が反対側にもあるはずなので、二人部屋といっても、ある程度のプライベートはあるようだ。

「荷物はこれな。ベッドはもう準備されてるみてぇだけど、先に着替えるか?」

 頭の中で、ガンガンと痛みが主張してくる。
 なにかうまく聞き取れなくて、僕は首を傾げてレアジさんの顔を見つめた。

「ダメそうだな、ほら、こっちこい。上着だけ脱がすぞ」

 手を引かれて、ベッドに座らされる。

「…ったく、今日馬車移動もしたんだろ?無理させんなってんだよ」

 レアジさんが苦戦しながら僕の靴を脱がせ、制服の上着を脱がせ、ベッドに寝かせた。

「……どうだ? 他にやって欲しいことは?」

 首を振る。
 掛け布団をかけられ、少しだけ、緊張が緩む。
 と同時に、目眩だか吐き気だかでクラクラとして目を瞑った。

「は…ぁ、、」

「頭痛か? 熱は…わかんねぇな」

 額に手を当てられて、薄らと目を開く。
 この人はいつまでここにいる気だろうか。

「…レアジさん」

「ん」

「帰っていいですよ…寝れば、治ります」

 なんだか、レアジさんに見られていると居た堪れない。
 素直に礼を言えばいいのに、この口は。

「……心配しちゃ悪ぃか」

 至近距離で目が合って、思わず見惚れてしまう。
 すぐに恥ずかしくなって目を逸らした。

「…僕に構う暇あるんですか」

「暇っつーか、俺にとっちゃお前が最優先なんだけど」

(!?)

「どういう…ぅ……」

 ぐわんと目眩がして、言葉が途切れる。
 上を向いて目を瞑ると、優しく頭を撫でられる感触がした。

「俺のことは気にすんな」

(気にしないなんて無理…)

 それから先のことは、よく覚えていない。



 ただ、再び目を開けた時、まだそこにレアジさんはいた。

「起きたか。調子はどうだ」

 彼はそう言いながらベッドのサイドテーブルに水の入ったコップを置いて、椅子の背を前にして腰掛けた。

「…大丈夫です」

 イケメンがいる。
 寝起きの自分はさぞかし酷い顔をしているだろうなと、少し恥ずかしくなって下を向いた。

「さっきヴィンツェンツが来たぞ。寝てるから起こさないでくれっつっといた。今は出てて、また夜に戻って来るってよ」

「そう、ですか」

 会えなかった。でも、レアジさんの行動はありがたい。あんな状態で挨拶したくはなかったし。

「知り合いなんですか?」

「ん? ああ、パーティーで数回会った程度だけど。あっちも公爵家だからな、一応知ってるって感じか」

 僕が目を擦ってベッドを降りようとすると、焦って布団をかけ直して来る。

「ちょっっっっと待て!」

(なんだろう)

 僕の着替えからズボンを持ってきて差し出され、初めて自分が下を履いていないことに気づいた。

「…脱がせました?」

「制服…皺になったらいけねぇと思って」

 無意識に頬を膨らませてレアジさんを睨む。
 寝ている間とはいえ恥ずかしいからやめて欲しい。
 確かに、皺になるのも嫌だが。

「悪かった。じゃあ俺出てるから着替え終わったら教えて──」

「別にここに居ていいですよ?」

 脱がされるのは恥ずかしいが、見られることは今更な気がするし。そもそも同性だからそこまで気にする必要もないだろう。

「へ?あ、ああ、そうだな、うん…」

 ベッドから足を下ろして、ズボンに足を通す。
 ついでに上も、用意していたものに着替えて、ベッドに座り直した。

「…あのお嬢さんとなんの話をしてたんだ?」

 お嬢さん?

「ああ…その、前に、会ったことがあったみたいで…」

 リーゼの甲高い声を思い出して、力ない笑みを浮かべる。
 レアジさんも少し困り気味に笑うと、僕の頭を撫でつけた。

「内緒にするんだろ? だったら気にしないこった。
会ったっつっても昔の話だろうし、分かってなくたって問題ねぇだろ」

「はい、」

 そう。学園で会う人に記憶のことを明かすつもりはない。
 僕はここでは、今までと変わりない普通の伯爵令息だ。
 そのほうが、絶対いい。
 皆と同じ生活を送りたいと望むなら。

「まあ、言いたくなったなら言えばいいと思うぜ」

「え?」

「お前が、したいと思うようにしろよ。言うのも、言わないのも。俺はお前の意思を尊重する」

 この人は、レアジさんは、不思議な人だ。
 何を考えているのか、何を求めているのか、まるでわからない。

「なんで、んな不思議そうな顔してんだよ。俺はお前の親友だぞ」

「あ、いや、そうですか…そうですよね」

 でもきっと、それがレアジさんなんだ。
 利益とか、理屈で人付き合いをしていない。
 彼は、彼の生きたいように生きている。

「だから、困ったことがあったらなんでも言えよ」

 ああ、そうだ。
 この人はかっこいい。

僕は、この人を知っている。

「はい!」

「元気そうだな。何してるかにもよるけど、そろそろバルトも来ると思うし、俺はこの辺で、」


 その時、ガチャ…ドンッ、バタンッとすごい音を立てて部屋に何かが駆け込んできた。

「エル様!」

「バ、バルト…?」

「お待たせして申し訳ありませ、ん…」

 バルトが、レアジさんに気付いて固まる。

「レアジ様?」

「ハハ、噂をすればって感じだな。んじゃ俺は行くわ。エルをよろしく」

「言われなくとも…」

 バルトの呟きを後に、レアジさんは部屋を出て行った。
 何か拍子抜けしたように佇んでいたバルトは、ため息を吐いてレアジさんの座っていた椅子に腰掛ける。

「バルト?」

「はい、エル様」

 声をかけると、バルトが顔を上げる。心なしか、疲れているような気がする。

「…来てくれると思ってなかったよ」

「えっ、お邪魔でしたか」

「……」

 そんなわけないのだから、そんなショックを受けたような顔をしないで欲しい。
 なんだろう。今日は少し、バルトが幼く見える。

「ううん、僕は嬉しいけど、バルトだってやりたいことがあるんじゃないかと思って」

「…私はエル様のお世話がしたいです」

 バルトらしい。
「ありがとう」と言うと、

「レアジ様とは何を?」
「体調はどうですか?」「クラスの様子は?」
「ルームメイトはどんな方ですか?」
「何かご不便はありませんか?」

 と次々に質問が降ってきた。
 一つずつ答えながら、思ったよりも一人ではなかったことに安心している自分に気づく。
 記憶を無くしてからずっと、いや、きっと生まれた時からずっと、バルトは僕の支えになってくれている。

「バルトの方はどうだった?」

「えっ」

「?」

 何か変なことを聞いただろうか。

「…何も面白いことはありませんでしたよ。同室も知り合いの子爵令息でした」

「そ、そう」

 ニコッと笑いかけられて戸惑う。
 これ以上聞くなと言われているような気がする。
 少し気になりつつ、僕は口を噤んだ。


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