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1 病弱な少年
1-9.安堵と展望
しおりを挟む「レアジさんだぞー」
ガチャリと扉が開き、いつかの赤髪が覗く。
綺麗な赤い目が僕を写すと、彼はニッと笑って手を振った。
「よ」
本を開いたままポカンとしていた僕は、慌てて立ち上がって礼をする。
「こ、こんばんは。ええと…」
「いい良い。座ってもいいか?」
「あ、はい!」
レアジが床に座ろうとするので、慌てて周りを見回して、一つしかなかった椅子を持ち出した。
公爵令息を地面に座らせるわけにはいかない。
「この椅子に、」
「いや、それだとお前が」
「僕はベッドで大丈夫です!」
そこまで言うと、レアジは笑い出して、僕が押し出していた椅子に手をかけた。
「わかった。ありがとう」
「…はい」
レアジが座るのを見て、僕もベッドに腰掛ける。
(というか、流れで受け入れてたけどなんでこの人がここに居るんだ…?)
「急に押しかけて悪いな、会いに来ただけだ。バルトは?」
「…別室です」
「そうか。あとこれな。去年の誕生祝いとか、入学祝いとでも思ってくれればいいんだけど」
背後から紙袋を出して差し出すので、受け取る。
プレゼントだろうか。
誕生祝いが、いつだったのかも僕にはわからない。
「これは?」
「入学前に渡したかったんだ。大したもんじゃねぇけど、その、俺が付与した魔力制御の指輪と、…ラベンダーの香り袋だ」
突然贈り物かと思ったら、まさかの手作りだった。
しかも、大半意味がわからない。
「ええと、開けてもいいですか?」
「ああ」
開けてみると、小さな箱と、小さな袋。
小さな箱の中には、土台にはめられた白銀色の指輪があった。特に装飾が施されているわけではない、シンプルな銀の輪である。
取り出そうとして、その手を止める。
なんとなく、触れるのに躊躇いがあった。
「……これ、僕にですか?どうして」
(どう言う意図で?)
「いや、魔力制御が苦手だっつってたから、下手に魔法撃って倒れないようにと、頑張りすぎの魔力切れ防止…みてぇな感じ?」
そうなのか。魔法のことはあまり思い出せないけど、きっとそうだったのだろう。怖くて思い出そうともしていないが。
(この人は、僕をよく見ていたんだな)
何故だか少し嬉しくて、もう一度指輪を眺めた。
指輪を取り出して嵌めようとして、どの指にすれば良いのだろうと悩む。
「レアジ…さん、あの、これどうするのが良いんですか」
反応がない。
「レアジさん?」
顔を見ると、心なしか表情が柔らかい。
もう一度呼びかけると、ハッとしたように瞬きをした。
「わ、悪い、もう一回言ってくれ」
恥ずかしそうに崩した表情が幼く見えた。
「これ、どこにつければいいんですか?」
「どこでも…あ、」
「?」
レアジは黙ったまま眉を歪ませて目を閉じて、こめかみに指を当てる。
どうしたのだろう。
「…左手の、薬指に、合うはずだ」
「わかりました」
その言葉通りに指に入れてみると、綺麗にはまった。
(おお~)
左手を色んな角度から眺めて、反射する光に少し楽しくなる。
「邪魔だったら捨ててくれ」
そんなに?
「邪魔ではないですよ」
「…なら良い」
それではと、袋の方も手に取った。
「こちらがサシェですか?」
「ああ、前に…一番好きだと言ってたラベンダーの香りで作った。なんていうか、作った時の気の迷いみてぇなもんだから要らなかったら捨ててくれ」
先程から、贈り物に対する自信がなさすぎではないだろうか。
そして、やはり僕のことをよく知っているらしい。
「ラベンダー…」
この袋から香っている、匂いだ。
「これは、なんというか」
安心する香りだ。
「“安心する香り”だろ?そう言ってた」
ばっと顔を上げた。
レアジは、してやったりと言うような顔をして、ニコリと笑う。
その瞬間、強烈な既視感を覚えて、無意識に記憶を探る。
(あ)
ヤバい。
「いっ」
頭の中でガンガンと鳴り出した激痛に、顔を顰めた。
「エル? どうした」
「~~ッ」
声を上げるまいと、必死に歯を食いしばる。
絞られるような感覚が強く、周りの音が遠のいていく。
ヤバい。
「う、く……ッ」
頭を抱えて蹲る。
「…!…ル! 大丈夫か、エル!」
何か、言われてる気がする。
痛い。
どうしよう。心配なんてかけたくないのに。
そうして耐えているうちに、だんだんと痛みは和らいでいった。
「…はッ、は……ぁ、」
力が抜けて、喘ぐように呼吸をする。
苦しくて、本当に死ぬかと思った。
「聞こえるか、」
「ふ…はぁ……」
そのままフラッと倒れそうになったが誰かの手に支えられて、ふと我に帰った。
「あ、」
「…生きてるか!?」
閉じかけた目を薄らと開くと、レアジの顔を見える。
「レ、アジさん。…すみません見苦しいところを」
「んなこと気にしてねぇよ。大丈夫か! どうした? 何か俺がー」
酷く、取り乱した顔が見えた。
一瞬、頭の中がチクッとしてまた身構えたが、特に何もなかった。
その様子をみたレアジの手が、僕の前髪をずらして額に手を当てる。僕はその手を拒んで目を逸らした。
「大丈夫です。…記憶なくしてからの発作?みたいなものなので」
自力で起き上がって座り直すが、息切れが治らない。
頭痛は治るのでいいが、毎回ただでさえ少ない体力をごっそり持っていかれるのはどうにかならないものか。
「いいって」
「わ」
隣に座ったかと思うと体を引き寄せられ、レアジに寄りかかる形になる。戸惑っていると、顔が見えないまま、
「無理すんなよ」
と言う声が聞こえた。
添えられた手とレアジの体温が心地よくて、なんとなく、そのまま体重を預けた。
「…よくわかんねぇが、それホルスは知ってんのか」
首を振る。
「バルトは?」
「…知って、ます」
「そうか」
少し、間があった。
「今の俺に何ができるわけじゃねぇが、辛いときは無理すんなよ。我慢とか強がりはほどほどにして、周りのやつに頼れ。…まあ、つってもお前は強がるんだろうけど」
レアジの、僕を支える手に力が入る。
不思議に思って顔を見上げると、悲しげな目をしていた。
「俺にも、心配させてくれ」
きっと、今まで僕はこの人に、多くの心配をかけてきたのだろうと思った。
その度に、嘘をついて強がって、悲しい顔をさせたのだろう。でも、だからこそ、
「こんな僕でも、心配してくれるんですね」
「あ~~」
レアジが頭をかく。
「自分を悪く言うんじゃねぇ。…って、言ったことあんなぁコレ」
思わずきょとんとすると、頭ぐしゃぐしゃ撫でられて困惑する。
「あの…?」
「とにかく、大事だから心配するんだし、何を大事に思うのかは俺の勝手なんだよ」
怒るような口調で言われながら、
(…僕に、甘い人だな)
と感じる。
レアジは、レアジさんは、僕のことをどう思っていたのだろう。
「レアジさんって、」
「ん?」
「僕のこと好きでした?」
「!?」
レアジさんが一瞬、口を開けたまま停止する。
何か変なことを言っただろうか、と首を傾げた。
少しして、レアジさんが不貞腐れたような言い方で言った。
「…好きに決まってんだろ。どんだけ可愛がってきたと思ってる」
「可愛がるって、僕が子供みたいじゃないですか」
三歳しか違わないはずだ。
「子供じゃねぇか」
「…だったらレアジさんも子供です」
「うるせぇ。俺はお前を抱っこできるぞ」
「…体の大きさが全てじゃないと思います」
抱っこって言い方は些か可愛すぎではないだろうか。
(…抱っこ?)
「もしかして、あの日僕を運んでくれたりしました…?」
そういえばまだ聞いていなかった。
「ん? ああ、運んだけど、知らなかったのか?」
頷く。
そんなこと考えもしなかった。
この人は本当に公爵子息なのだろうか。
僕に知らされていないだけで、実は親戚だったりしないだろうか。そうでもないと、ここまで僕を気にかける理由がない。
いや、それだとこの顔の良さの説明がつかないが。
(うーん)
「なんだよ」
「あ…とりあえず、その、ありがとうございます。指輪も…」
「おう」
その笑顔に、慕わしさを覚える。
「大事にしろよ」
「はい」
可笑しな人だ。
(さっきまで捨てて良いって言っていた癖に)
…
少しして、レアジさんは帰っていった。
メアスフラムは王都から近いので、この時間でも問題ないらしい。
羨ましい。
馬車が苦手かもしれないと言う話をしたら、「揺れを軽減する魔道具…?いや、魔法車を融通してもらったほうが…」とブツブツ言っていたので、慌てて「何もしてくれなくて良いです」と付け加えた。
力があると、そう言う思考になってしまうのだろうか。よくわからない。
それと、帰り際に何度も体調を心配されたので、それについても問題ないと念押しをした。
とにかく、レアジさんとは仲良くなれそうで安心している。
ベッドに腰掛けて、サシェを鼻に近づける。
安心する香りがする。
倒れ込んで、天井を見上げた。
『どうにかなればいいんだがな』
突然響いた声に、ビクッとする。
思わずキョロキョロと周りを見回してから気づく。
あの時の声だ。
(びっくりした…また話しかけてくるのか)
「…どうにかって?」
『お前の痛みさ』
『記憶を無理矢理封じてるだけだから、意識としてはそのままそこにあるんだが、あるものだと思って取り出そうとすると封印に飲み込まれかねない。それを防ぐために作った壁がお前の意識を拒否すると、どうしても痛みが生じる。かと言ってそれを解いてうっかりお前の意識まで飲み込まれたら困るし、封印の方を硬くすると、常に何も思い出せなくなるってこともあり得る』
言っていることはよくわからないが、後半の文言は怖すぎる。これ以上記憶を失ってどうしろというのだろう。
(うーん)
「…別に気にしないでいいです。なるべく思い出さないようにしますし、耐えれば良いんですし。そのうち慣れますよ」
『嫌な慣れだが、まあ、そうしてくれ。大丈夫だとは思うが、あまりキツそうだったら気を失うようにしておく』
「気を…まあ、はい」
いつまでも醜態を晒しているよりはマシかもしれない。
その言葉を最後に、また声は消えていった。
◇
(レアジ視点)
「あー……」
可愛かった。
(二つとも渡せたし…なんだか知らねぇが喜んでくれたし)
顔まで熱が昇ってくるのを感じて、両手で覆う。
正直、作った時はどちらも受け取って貰えるとは思っていなかった。それでも、無理矢理押し付ける気でいたが、あの顔は想定外だ。
自分の指に指輪を嵌めて、きらきらとした瞳で眺めていたエルを思い出す。
あっさり受け入れて貰えたのが予想外過ぎて、思わず「邪魔だったら外してもいい」なんて言ってしまったが。
俺の知る最近のエルは、俺の前ではずっと無愛想な態度しかとってくれなかったから、真っ直ぐに俺を見つめてくれることが嬉しくて。
同時に、そんな自分が嫌だった。
(エルが記憶を失って良かったって言ってるようなもんじゃねぇか。…ずっと、辛い思いをしていたのかもしれないのに。)
苦しむ彼が脳裏に浮かぶ。
「発作みたいなものなので」と言われて、納得できるほど馬鹿じゃない。馬鹿じゃないが、引き下がるより他になかった。
結局俺にできるのは、アイツにとって頼れる友人であることと、いつかアイツを守れるように己の力を磨くことだけなのだ。
やるせない。
たまに心配を押し付けてしまうのを、許してほしい。
俺が大切に思っている証だと、わかって欲しい。
受け入れろとは言わないから、俺の好意を感じて欲しい。
(つくづく、わがままな男だ)
そう思っても、何度でも伝えたいと思う。
お前は価値ある人間で、俺にとって無二の存在であると。
「はぁーー……」
笑った顔も、不満げな顔も、怒った顔も、泣いている顔も、辛そうな顔も、全部大好きなのだ。
片時も離れずに、俺に見せて欲しいと思う。
それでもやはり、辛い思いや悲しい思いはして欲しくないとも思うのだ。
どうしろってんだ。
一緒に居られれば幸せなのか。これ以上の関係になりたいのか。
今の俺にはわからない。
アイツの幸せを願ってやりたいけど、そこに俺がいないのは受け入れ難い。
手のひらから、エルの温もりが消えない。
ずっと触れていたかった。
エルが入学したら、わざわざ休みになるのを待たなくても、ブランシュまで行かずとも、毎日会えるようになる。
今は、それが楽しみで仕方ない。
学園が始まるのが待ちきれない。
…こんなこと初めてだ。
笑みが溢れる。
「兄上ー!ちょっといい?」
「わっ、なんだよお前」
いきなり開いた扉から、妹の淡い赤髪が覗く。
「そんなに驚かなくてもいいじゃない。勉強教えてよ」
「はぁ? そんなの今じゃなくてもいいだろ」
せっかくエルと会えた余韻に浸っていたのに。
「兄上に聞きたいの!」
シュアが頬を膨らますので、仕方なく頭をかいて立ち上がった。
「…いいぜ。何?」
途端にシュアは嬉しそうな顔をして、「ありがとう」と手を叩く。
「魔法科学!」
そういえばシュアも来年はそれを選択したんだったと思い出す。ということは、また学ぶ前に予習をしているらしい。
「勉強熱心なこった」
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