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1 病弱な少年
1-8.王都と入学前試験
しおりを挟む[※嘔吐の描写があります。]
明後日はいよいよ、入学前試験の日である。
問答無用でAクラスに配属される王家・公爵家の子女と違い、その他の生徒はこの試験でクラスが決まることになるようだ。
別に良いクラスに入らなかったからと言って学園生活に支障があるかと言われればないのかもしれないが、僕だってできるなら良いところに行きたいと思う。
単純に、自尊心と虚栄心のためとも言えるし、他人からの評価のためとも言える。いや、同じかもしれないが。
その試験を受けるために、今日、僕たちは出発する。
ブランシュから学園のある王都はそう遠くはないが、僕の体調も考慮しての早めの出発だ。
なのだが、今日は朝から気分が悪い。顔を洗った後も、食事を取った後もこの怠さは消えなかった。
緊張してよく眠れなかったのかもしれないと、苦笑いしつつ、鏡の中の自分に言い聞かせる。
「大丈夫」
とにかく、今日一日乗り切ろう。
僕の場合は特別に父も付き添ってくれるらしく、準備が終わったら、父とバルトと共に家を出た。
記憶を失って初めて出た外は、涼やかな空気に満たされていて、重かった頭が少しスッとする。
「寒くありませんか?」
「うん」
涼しくて気持ちいいくらいだ。
凛とした空の青さに、目が癒される。
凍りついた地面を踏まないように、ゆっくりと門まで歩いた。
バルトに扉を開けてもらって、ドキドキしながら馬車に乗り込む。父は別の馬車だ。
◇
うぷ、と口を押さえる。
こうなる気はしていた。
「ぅ…はぁ…」
「大丈夫ですか」
(大丈夫じゃない…)
気持ち悪い。
バルトが背中をさすってくれるが、それに応える余裕もなく、歯を食いしばった。
狭い空間というのもあるだろうか。
馬車の揺れに、早くも吐きそうになっていた。
吐き気を我慢して、少しでも楽になろうと上半身を屈める。
どうしても、呼吸が浅くなってしまう。
息を吸った瞬間はいいのだが、吐こうとすると気持ち悪さが促進されて息が詰まるのだ。
「は…はぁ…っぐ」
「すみません、止めてください」
バルトが窓から顔を出して、そう言うのが聞こえる。
息を荒く吸いながら、内心で助かったと思ったものだから、後で必ずお礼を言おうと決めた。
…
草陰で背中をさすってもらいながら、胃の中のものを吐き出した。不快感とともに、自分の中が空っぽになる心地がする。朝食が無駄になったなと思いつつ、虚な目のまま、水を貰って口を濯いだ。
無意識に流していた涙を、バルトが拭おうとしてくれたので、自分で拭き取った。
恥ずかしい。
「…はぁ」
(なんか…疲れた)
「もう少し休んでいかれますか」
しゃがんだまま、首を振る。
少しは楽になったし、ここで止まっていても仕方ない。
ゆっくりと立ち上がって、狂いかけた平衡感覚に戸惑って目を閉じた。
「エル様、手を」
バルトに手を取られて、馬車へ戻った。
「動き出すのは少し待ってもらいましょう。また急に動くのも辛いでしょうから」
「……」
頷きもせずに、馬車の壁に持たれてぐったりと座っていた。
我ながら、我儘で自己中心的な自分に嫌気がさす。
それでも、動くのも声を出すのも怠かった。
「…喉は渇いていませんか?」
一度、バルトに目をやって、それから逸らした。
これで限界だから、許して欲しい。
「そうですか」
少し無感情な声に、心が痛む。
その後しばらくして馬車は動き出し、僕はいつの間にか眠っていた。
◇
「エル様、王都ですよ」
バルトの声に起こされて、目を開ける。
眩しさに怯みながら起き上がったのだが、すぐに、窓の外の光景に目を奪われた。
大きく架けられた橋の下を、長い機関車がもくもくと煙を上げて通り抜けていく。石畳の歩道に沿ってゆっくりと停止したそれは、街を行く人々の目を惹きつける。
その隣では、坂道に沿って、煉瓦の建物が立ち並んでいる。
この馬車が通る大通りの上にも石造の橋がかけられ、その上は市場のようだった。色とりどりの布が旗めき、食べ物の屋台から立ち上る湯気が熱を感じさせる。
「ここ…っ」
「王都ですよ。先程、門を潜ったところです」
振り返ると、確かに後ろに門があった。
道には人が多く行き交い活気付いて、賑やかだった。
おそらく、記憶のある僕でも見たことのない、たくさんの人が王都にはいた。
突然自分が広い世界のほんの一部になったように感じられて、不思議な感覚に襲われる。
丁度、エクタにもらった写真を見た時と同じような感動だった。
「凄い…」
目を輝かせて馬車から顔を覗かせていると、通行人の幼い女の子と目があって、急に恥ずかしくなる。
(ちょっと子供っぽすぎたかな…)
興奮は冷めないまま、馬車に座り直すと、バルトが少し楽しげに尋ねてくる。
「気分はどうですか?」
聞かれて、そういえば怠くないと気づく。
「治った…心配かけてごめん」
「良かったです。エル様は、……いえ」
「僕は何?」
ずいと顔を寄せると、少し気まずそうに口を開く。
「ここは初めてですかね、と」
「ああ…」
(気にしなくて良いのに)
そんなにすぐには受け入れられないのもわかる。
ふと、忘れてしまうくらい構わない。
それに、きっと、この感動は初めてだと感じた。
「多分、初めてだ」
また、窓の外に目を移して言った。
バルトも、外に目を移す。
「私は来たばかりなのでまだ覚えていますが…」
(あ、そうか)
「あまりゆっくりは出来なかったので、気づきませんでした」
「気づく?」
振り返ると、バルトが眩しげに目を細めて笑う。
「賑やかですね」
うん、と頷く。
「…楽しそうだ」
◇
宿につき、やっと長かった馬車での移動が終わる。
地面に降り立つと、ホッとしてグッと体を伸ばした。
(疲れた~)
「サリエル」
「?」
振り向くと、前を走っていた馬車から降りてきた父が、心配そうに近づいてきていた。
「馬車酔いは大丈夫かい?」
「はい、もう大丈夫です」
ぽんと頭に手を置かれ、少し安心する。
記憶が無くても、きっと僕は、この手の感触を覚えている。
「そうか。くれぐれも無理はしないようにな」
「はい」
そうこうしているうちに日が傾いてきたので、今日は休んで、明日に少しだけ、試験に影響を及ぼさない程度に王都見物をしようと言うことになった。
「見物って何をするんですか?」
宿で夕食をとりながら父に尋ねると、父は笑った。
「入学して王都で過ごすようになって、色々と戸惑わないように少し見ておくだけだ。店の場所もわからないと恥ずかしいだろう。まあ、」
父はチラッとバルトに目をやってから続ける。
「バルトやレアジが居るから問題はないと思うが」
「恐れ入ります」
バルトが顎を引く。
バルトはわかるが、レアジの名前が上がったことを意外に思って、ノートの文面を思い浮かべる。
“何故か父様と仲が良くて、僕にも仲良くしてくれる。今は学園の三年生で、前回会ったのは一年半くらい前。”
だったか。
ということは、僕が入学した時は四年生。あまり関わりがあるようには思えない。
「レアジ…さんもいるんですか?」
「アイツも学生だからな」
それはわかっている。
「…僕に構う暇があるようには思えませんが」
「そうかもな。それでも構いたがりだから、向こうから来ると思うぞ」
「そうなんですか」
「ああ」
構いたがり。確かに、そんな雰囲気はあった。
人懐っこくて、人と過ごす時間を楽しんでいるような。
初対面だから余計に感じたのかもしれないが、人と真正面に向き合って、心の底から嬉しそうに笑う人だと思った。
彼の笑顔を思い出して、なんだか暖かい気持ちになる。
あんな人になれたら、人と仲良くするのも苦労はしなさそうだ。別に、家柄とか能力の話ではなくて。
また会えるのなら、楽しみだなと思う。
(といってもあまり仲良くなれる気はしてないけど)
「エル様」
「えっ」
バルトに腕を掴まれてビクッとしたのち、自分が永遠とソースをかけていたことに気づき顔が熱くなる。
「あっ」
「すみません。お気づきでないと思って」
「ああうん、ごめん、ありがとう」
(食事中に考えるのはやめよう…)
僕は、羞恥に苛まれながら夕食を終えた。
◇
翌日。王都見物である。
体調については、昨日思い切り早く寝たからか、好調である。うっかり記憶を呼び起こしたりしない限り、問題なく一日を過ごせる…と思う。
普段より動きやすい服装をさせられて、無駄に動き回らないことを約束させられた。
ありがたいとも思うが、やはり情けなさが勝る。
(これでしっかり伯爵子息をやっていた以前の自分が凄いよ…)
学園ではあまり特別扱いされずに済むように、体調の管理は気をつけよう。
「まずは、商店街ですかね」
「商店街」
「衣類などの日用品から文房具などの小物、飲食店まで多くの店が集まっているため、買い物といったらここの定番スポットです」
「紹介が上手いな」
「そうですか?」
「あ、声に出て…」
そうして商店街や、屋台の食べ物を回ったり、写真集に載っていた路地を見つけて興奮したりした。
また、大きな図書館の中に入ってバルトと色んな本を見たり、外の噴水広場で休憩したり、王宮を遠くから眺めたり、橋の上から川を眺めたりもした。
「今日は元気だな」
と父に言われて、思わず笑顔で頷いた。
楽しいです、とも言おうとしたが、少し気恥ずかしくて口を閉じる。
代わりに、
「わざわざ、ありがとうございました」
と言った。
父は少し切なそうに笑って、頭を撫でてくれた。
「そんなことは言わなくていい。楽しめたなら良かった」
「…はい」
◇
ついに当日。
誘導されるままに席につくと、すぐに筆記試験が始まった。
緊張していたのも束の間、気づけば、一生懸命に解いているうちに終わっていた。
確認していた知識も多く聞かれたし、それほど悪くない結果を残せたのではないだろうか。
本来なら次は体力測定らしいのだが、体質上測るわけにはいかないので免除だ。
「何をやったのか」と、こっそりバルトに尋ねると、「走っただけです」と言う答えが帰ってきた。
(それは出来そうにないな…)
魔力測定もすぐに終わった。
僕の結果は722らしい。高いのか低いのかとバルトに聞いたところ、
「高いほうですよ」
と嬉しそうに答えてくれた。
最後に、軽く面接のようなものがあった。
聞いてくれる人は鑑定という技能?を持っていて、書類の情報との齟齬がないかを確認してくれるらしい。
「お名前をどうぞ」
「あ、はい。えっと、サリエル・ル、る……」
(ブランシュは思い出せるんだけど、間なんだった……?)
緊張しているとは言え、こう言う時にド忘れするのは本当に困る。
待っているお姉さんが首を傾げる。泣きそうになりながら振り返ると、付き添っていた父が、
「ルエド! ブランシュだ!」
と言ってくれたので繰り返した。
「さ、サリエル・ルエド・ブランシュです」
恥ずかしい。
「……続いて、年齢と性別をお願いします」
「十二歳、男です」
「はい。では最後に技能の方をお願いします」
最後に技能……。技能?僕の?
「……あの、技能って」
恐る恐る口を開くと、お姉さんが停止した。
「え」
「えっ」
「あああああっ!」
後ろで父の叫び声が聞こえて、ビクッと肩を震わせる。
どうやら忘れていたこともあったらしい。
自分のミスで無かったことにホッとするとともに、いつも穏やかな父が取り乱したことが、少し可笑しかった。
結局技能は後回しになり、その日はそれで、学園を後にした。父は人に会う約束があるとかで、一緒に宿には帰らなかった。
◇
(三人称視点)
「それで、事情を話し直して鑑定をお願いしたけど職員の人には無理だったから明日までに教会へ?」
端正な顔立ちの赤髪の少年、レアジが歩きながら言った。
王都の路地を、淡い街灯の灯りに照らされながら、二人は歩いていく。
ホルスが気まずい顔で黙っているので、レアジは返事を待たずに続けた。
「バッカじゃねぇの、お前アイツの父親だろ?技能と適正くらい調べといてやれよ」
「いや、調べてはいたよ。ただそれがサリエルが記憶を失くす前で…。その結果は覚えていたから一応伝えたんだが」
「なるほどな」
情報の確認は、本人の言葉でなければ成り立たない。
レアジは頭を悩ませたであろうサリエルを思い浮かべて、笑みをこぼす。
「で」
「?」
「教えてくれよ、アイツの技能。俺は先輩になるんだぞ?」
レアジはそう言って、屈託無く笑った。
見る人全てが振り返るようなその笑顔に、ホルスは呆れたような顔で口を開く。
「火術の五段技能二段、雷術の五段技能二段だ。」
「ほう、水風術師、体術士との相性がいい感じだな」
「ん?」
芝居がかった言い方にホルスが首を傾げると、レアジはホルスの肩に手を置いて嬉しそうに言った。
「ハハッ、まさに俺じゃないか!でかしたぞ」
「お前というやつは……」
ホルスの呟きに、レアジは「なんだよ?」と不満げに返す。
「本当に立ち直りが早いな」
レアジは少し考えるように目線を流し、首に手を当てた。
「…立ち直りっつーか、切り替えっつーか、」
「……」
「まず俺が気合入れないとなにも出来ねぇから、粋がってるだけだ」
ホルスが、「そうか」と相槌を打つ。
「…この後、サリエルに会っていくか」
「えっ!? へ、あ、いや、いいのか?」
レアジが頓狂な声を出す。
「せっかくだからまた顔を見せてやってくれ。
学園に入っても、出来れば仲良くしてやって…」
ホルスが不安気に呟くも、レアジはホルスを押し退けて返す。
「当たり前。アイツが嫌でも世話焼いてやるから、そんなこと気にすんな」
「…お前はそう言うやつだよな」
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