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1 病弱な少年
1-7.無二の存在(レアジ視点)
しおりを挟むサリエルと会う機会は、意外とすぐにやってきた。
ホルスの兄が急死してホルスが伯爵位を継いでから彼は忙しく、俺たちの教育係は暫くの間空席だったのだが、その期間に、サリエルの五歳の誕生日、つまりはお披露目パーティーがあったのである。
俺は父上に頼んで、ついていかせてもらうことに成功した。
ちなみにこの頃ホルスの妻は病に臥せっていたらしく、表に出てくることはなかった。
俺は久しぶりにホルスに会えることを喜んで、伯爵邸に赴き、その少年の姿を目にした。
ホルスに抱き抱えられて対面した彼は、静かに、影を纏うようにくすんだ灰色の、さらさらとした髪の下で、眠たげな金色の瞳を彷徨わせていた。
今にも消えてしまいそうな儚さを感じて、思わず息を呑む。
それから彼は俺を見て、コテンと首を傾げる。僅かに目が大きくなり、光を宿す。まるで俺を見て、瞳を輝かせたような、そんな気がした。
父親にひしっとしがみつく、その手は細く小さく、白い。
「サリエル…」
ホルスに紹介された名前を繰り返す。
同時に、遠くから、
「ホルス様、よろしいですか?」
という声がして、ホルスが焦るも、
「父様、降ろしてください」
サリエルがホルスに声をかけて地面に降りた。
「一人で大丈夫か?」
「はい」
そのやり取りに、予想していたよりずっと、強かな子だなという印象を受ける。
誰だホルスの小さい版とか言ったやつ。
サリエルは、ホルスが離れた後で、俺の前で一礼してゆっくりと挨拶をした。
「お会いできて光栄です。サリエル・ルエド・ブランシュです」
「レ、レアジ・カイト・メアスフラムだ。ホルス…お父上には大変お世話になった」
幼く可愛らしいと思っていた少年が、流暢に言葉を話したので、
(そういえばこの子も貴族の子だったな)
と思いつつ、反射的に挨拶を返したのは覚えている。
でも、どうしてこの時自分があんなに緊張していたのかは、今になってもわからない。
ただ俺はこの時から、サリエルという人間に心惹かれて、仲良くなりたいという願望を抱えていたことだけは確かである。
「……」
黙っていてもサリエルは喋らないので、焦った俺は、無意識に右手を差し出した。
「なあ、友達に…あ、いや、」
「?」
「…仲良くしてくれるか?」
この時より、弱気な言葉を発したことはない。
差し出したままの俺の右手を見つめて、自分の右手を見つめるサリエル。
「…僕と仲良くする理由がありますか?」
(は?)
あまりに予想外の言葉に、思考停止する。
右手を下ろすと、無表情ながら、サリエルから少し切なそうな雰囲気を感じた。
俺は頬をかきつつ、思ったままを口にする。
「ありまくるけど」
「えっ」
サリエルの無表情が崩れる。
なんだこの生き物。面白い。
無意識に笑顔になって、俺は続けた。
「仲良くさせて欲しい。ホルスに世話になった分も勿論あるけど、今、俺自身が、お前と仲良くなりたいって思ったんだ。ダメか?」
「いえ…」
「自分で言うのもなんだけど、俺天才だからさ、頼りになるぜ。しかも公爵家のおまけ付き。友達にしても損はないんじゃない?」
「僕には得しかありませんけど…レアジ様は僕みたいなのと友達になっても」
「あ、それやめて」
「?」
この子は、強くなんてない。
一人でも大丈夫なのではない。
それをやっと感じて、俺はサリエルの肩に手を置いた。
この子は、ホルスの子だ。
弱い自分を毎日意識させられて、自己肯定感を失って、自分の生になんの価値があるのかと問う。
必要とされて幸せを感じるも、苦悩する人の姿を見ると、自分にもっと力があったらと思わずにはいられない。
きっと、そういう子だ。
「…自分を悪く言うな」
「あ…」
どうする。なんて言葉をかければいい。
上手い話の仕方などは知らない。
人を励ます方法も知らない。
こんなに何でも持っている分際で、何かを言っても苛立たせるだけかもしれない。
でも、何か言わずにはいられない。
「お前がいいんだ」
サリエルが目を見開く。
俺は何を言っているのだろう。
「身分も立場も、顔も才能も関係ない。俺は俺が仲良くしたいと思ったやつと仲良くしたい。
俺を認めてくれるのは嬉しいし、嫌だってんならそれでも構わないけど、俺にとっての利益を気にして断るのはやめてくれ」
「…あっ、え、わか…りました」
やや困惑気味に、そう返してくるサリエルに、自分の必死さが可笑しくなって笑いをこぼす。
「…頑張ってるんだよな」
「え?」
「だってお前、体弱いって聞いてたけどそんな素振り全然見せないし、初対面の俺と二人になるのにホルスのこと気遣って…偉いよ。ほんと。俺とは大違い」
「そんなことないです、けど」
目を泳がせるサリエルの頭を撫でて、
「友達になってくれないか」
ともう一度手を差し出した。
今思えば、ホルスが最初、握手を求めてきたのを真似ていたのかもしれない。
サリエルの細い指先が俺の右手に触れる。
やがて、ぎゅっと握ってきた。
「はい」
「よっしゃ!じゃあ俺のことは…」
呼び捨ては不味いか。
「レアジさんで」
「…レアジさん」
「そうそう。お前のことは、サリエル……エルって呼んでもいいか?」
サリエルは、瞬きを繰り返して、頷いた。
「よろしくな、エル」
「は、はい!…なんか」
「なんか?」
「凄く仲良しな感じがします」
また、思わぬことを言われてぽかんとする。
「嬉しいってこと?」
聞くと、エルは初めて俺に笑いかけた。
「嬉しいです。ありがとうございます」
流石に心を貫かれた。
叫びそうになるのを必死に我慢して、天を仰ぐ。
「レアジ様…じゃなくて、レアジさん?」
ああ、なんて愛しいんだろう。
負けたよ。何と闘っていたわけでもないけど。
「俺も嬉しい」
そう、歯を見せて笑った。
その日から、俺は暇さえあればブランシュ邸へ赴いた。
ちなみに、この頃からバルトはエルの側にいた。
両親は、「お世話になったホルスへの恩返しにサリエルに勉強を教えたい」という俺に反対しなかった。
シュアは、俺の様子に思うところがあったらしく、
「誰に惚れてきたの?」
と悪い顔で聞いてきた。
「…惚れたって言うとアレだけど…ホルスの子」
「ふぅん」
「なんだよ」
「今度私も連れてってよ」
「嫌だね」
言っちゃなんだけど、シュアは可愛いからエルが惚れそうで怖かった。
シュアの優しさも言葉の上手さも知っているが故に、せっかく仲良くなれそうなエルを妹に横取りされるのは癪だった。
「あっそう。普段と違う兄上が見られるかもしれないかと思ったのに」
「なんだよそれ」
「別に~」
こうして妹と会わせないことに成功した俺は、月に一度くらいの、エルに会える日を楽しみに過ごしていた。
報せがあったのは、俺が十歳、エルが六歳の冬だった。
「ホルスの奥様が亡くなったそうよ。」
魔法の練習でスランプになりかけて部屋で鬱々としていた俺に、妹が了承も得ずに部屋に入ってきて言った。
机に突っ伏していたのだが思わず飛び起きて、椅子を倒しながらシュアに詰め寄った。
「…もう一度言え」
シュアは一瞬ビクッとして、目を伏せながら同じ言葉を繰り返す。
「ホルスの奥様が亡くなったそうよ。……っていうか兄上も酷い顔ね」
「悪い、行ってくる」
「えっ」
部屋の外に控えていたメイドに外套を持ってくるよう頼んで、玄関に駆け出す。
踊り場の上から、シュアが俺を見下ろして叫んだ。
「兄上! 本気?」
「本気! 説明よろしく!」
「ふざけッッ……これは貸しよ! 覚えといてよね!」
「応!」
たどり着いたブランシュ邸は、静かだった。
普段なら外にいる警備も、庭にいる庭師も、今日は見えない。
馬車を降りて走ってきた息を整えながら、ノッカーをノックすると、すぐに執事・クルトが扉を開き、俺の姿に驚いて用を尋ねた。
「報せを聞いていてもたってもいられなくて…」
「それでわざわざこちらまでいらしたのですか。大した供も連れずに」
クルトは何か思うことがあったのか、じっと俺を見た後、入るよう促した。
病気で、仕方なかったそうだ。葬儀も、遺品の整理も終えて、ホルスが少し気持ちの整理したいと使用人たちの多くに休みを与えたらしい。
そんな話を聞きながら、ホルスの部屋の前まで通される。
「私はここで」
「あ…」
下がってしまうクルトに、僅かに疑問を持ちつつ、仕方なく扉を叩いたが、返事はない。
沸々と怒りが湧いてきて、わざと強引に扉を開いた。
元々不安的な精神状態だったのもあって、自分を無い物のように扱う親友にムカついたのだ。
一応言っておくが、これは十歳の頃の話であって、今だったら絶対にそんなことはしない。
「開けるなって言って」
「ホルス」
「…レアジ?」
机の上に書類を散乱させて作業をしていたホルスが、俺の声を聞いて顔をあげる。
「使用人は休ませといて、自分は仕事かよ。」
「…なんでいるんだ」
「うるせぇよ。別に理由なんかいいだろ」
ホルスやエルが心配だったなどとは言えない。
自分を、なんの痛みもわからないくせに、善意を押し付ける屑だとは思いたくない。
本当に、押しかけて何になるわけでもないのに。
大した面識もない人の死に、そのまで親身になれるほど俺は人間ができていない。
ただ、どうしても会いたくなったのは、
彼らの中で何かが変わってしまいやしないかと、不安になったからだ。
ホルスが伯爵になったときもそうだった。今までのように、同じ時を過ごして笑い合うことはできなくなった。
ホルスの心労は増え、笑顔は減った。俺を友人として扱ってくれることは変わらなくても、どうしても立場に縛られることも多くなった。
幼い俺にはどうしてもそれが、悔しくて仕方なかった。
なんでもできるわけじゃない。
どうにもならないことだってある。
でもだからって、なら仕方ないとはならない。
子供なのだ。周りを困らせるだけだとしても、駄々をこねなければ気が済まない子供なのだ。泣き喚いて、慰めてさせて、謝らせて、それでもその日は機嫌を直さない。
そんな子供の俺は、幾つになっても消えてくれない。
「…聞いたんだな」
「……」
「ごめんな、心配かけて。大丈夫だよ。俺も、サリエルも」
決めつけるな。大丈夫だなんて勝手に決めるな。
お前はもっと、弱かったはずだろ。
俺が励ましてやらなきゃ、ダメなんだ。
エルだって、俺がいなきゃ…俺がしっかり先輩として、友達として…。
いや、
「…違う」
涙が溢れる。普段人に泣き虫とか言っている奴が、なんで泣くんだと自分に叱咤しながらも、言葉を紡ぐ。
「お前たちが居なきゃダメなんだ。ずっと、俺と仲良くして、俺の話を聞いてくれて、ずっと、今までみたいに笑っていてくれないとダメなんだ」
馬鹿じゃねぇの。
我儘も大概にしないと嫌われるぞ。
そんなこと、とっくの昔に学んだんじゃなかったのか。
「レアジ」
「?」
ホルスが立ち上がって歩いてきて、俺と目線を合わせるように膝をついた。
「大丈夫だ。ありがとう。
確かに今は失ったものが大きくて、いつも通りとはいかないけど、だからといって、自分の生を蔑ろにするつもりはない。アリセもね、よく言ってくれていたんだ。“私のために死なないで”って。“貴方はもっと大きなもののために生きられる人だから、大切なものを一つ残らず大切にして”。優しい人だろ?」
頷いた。
「私にとっては、サリエルも、お前も、シュアも、他の懇意にしている人も、皆アリセと同じくらい大切な存在なんだ。
だから、この悲しみを心に刻んで乗り越えた後も、レアジの親友のホルスは消えないよ」
いつのまにか、涙は止まっていた。
ぐしぐしと目を擦って、また頷いた。
「安心したかい?」
「…ああ。なあ、エルは」
「エル?ああ、サリエルか。今は部屋でバルトといると思うよ。気分が悪いと休んでいたから無理はさせてほしくないけど、よかったら会ってやってくれ。サリエルも、レアジがいけば喜ぶだろう」
エルの部屋を訪ねると、ベッドに入るエルと、その横に腰掛けたバルトが、二人で絵本を広げてあーでもないこーでもないと喋っていた。
悲しんでいるかなとか、体調は大丈夫かとか、心配していた気持ちが薄れた。
「なに話してるんだ?」
声をかけられて驚く二人に、会いたくなって来たのだと照れながら言って、話に混ざった。
母親の話など微塵も出なかった。
エルもまだ幼く、意外とダメージが少なかったのかもしれないし、こうして話している間だけ気が紛れるのかもしれない。どちらにせよ、今また俺を“レアジさん”と呼んで、笑ってくれるのならそれでいい。
その時心から、そう思った。
俺の中にあるどの思い出も、もう彼の記憶には無いのだろうけれど。
◆◇
僅かに熱った頬をつねり、眉を顰める。
昔を思い出していただけなのに、こうも単純に心を支配される。
俺の中でのエルの存在は、それほど大きい。
いつからこの気持ちがこんなに大きくなったのかわからない。
始めは、本当にただ幼い少年を可愛がりたかっただけのはずだ。
(…はずだったんだけど)
これが恋愛感情かと言われたら、よくわからないというのが本音だが、なんにせよ、それに近いものであることに違いはない。
同性だからどうとか、そういうのは今更だ。
俺は俺が惚れた存在を愛したい。
許されるのならいつだって一緒にいたいし、抱きしめていたい。アイツのことならなんでも知りたいし、アイツのためならなんだって惜しくはない。
それは、記憶を失っても変わらない。
変わらないけど、辛いものは辛い。
(また、友達からか)
記憶を無くす前は、俺のことをどう思っていたのだろうか。
最近は邪険にされることの方が多かったから、嫌われているかもしれないと思っていたのだが、
“…カッコいいとは、書いてありましたよ。”
とはどういうことか。
言っておくが、今も昔も含めて、エルにカッコいいと言われたことなど一度もない。
今更思ったって仕方がないのだが、
「…聞きたかった」
馬鹿じゃねぇの。
また言ってもらえるような男でいればいいだけの話だろ。
そう頭の隅で嗤う自分に、嘆息する。
(うるせぇよ)
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