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1 病弱な少年
1-4.記憶喪失と準備
しおりを挟む「エル様、こちらでいかがでしょうか」
家の図書館にて、バルトが集めてきてくれた本を置く。
表紙には、「王国の歴史」「レイテュイアの自然」などと書かれている。
「うん、わざわざありがとう」
「エル様では探すのが大変でしょうから」
「…うん」
きっかけは数日前。
父が、僕を呼んで学園の話をしてきた。
学園の入学手続きを済ませたらしく、「学園に行くことになるが大丈夫か」という内容の話だった。
僕はもちろん頷いた。それでも心配そうにしていた父だったが、「僕を知らない人が多いのは楽だ」と言うと、納得してくれた。
そして、学園には、事前にクラス決めのための実力テストがあるらしく、僕は、それを 一月後に遅らせてもらったらしい。
本当によく気を使う父親である。と苦笑いをこぼしたのを覚えている。
そういうわけで、僕は恥をかかないように勉強を始めることにしたのである。無理をしないように少しずつ、頭の中に残っている知識と比べながら理解する。
寒かったのか、ゴホゴホと咳をしながらページをめくった。
“レイテュイア王家 レイテュイア王国の中心やや北東に王城を構える、レイテュイア王国の中枢を担う一族。……”
(知ってる。やっぱり、こう言う知識は残っているんだな)
歴史についてはいくつかの本を見てみたが、どれも知っている内容が多かった。以前の僕はきちんと勉強をしていたようだ。それか、歴史が好きだったのかもしれない。
地理の本の多くも、「見たことある」と思うことが多かった。そしてこれは余談だが、「見たことある」と思うと、人は無意識に記憶を探ってしまうようで、何度かあの激痛を耐えなければならなかったのが辛かった。
アレに関しては誤魔化しようがないので、突然本を放り出して呻き出す僕にバルトが焦って飛んでくるのが申し訳なかった。
「エル様…あの、本日はもう終わりにしてはいかがでしょうか」
「えっ」
丁度地理書を一冊読み終えて、次の本に手を伸ばした時だった。まだお昼にもなっていない時間帯だったので、理由を尋ねようとして気づく。
バルトが酷く心配そうな顔でこちらを見ているのだ。
(あ…)
「……わかった」
本を置き、立ち上がろうとすると、バルトに止められる。
「片付けは私がしますからエル様は座っていてください」
「僕も片付けるよ」
「いえ、座っていてください」
「でも大変そうだし」
「だから座っていてくださいと言っているんです」
急に強くなった語尾に面食らいつつ、小さく主張する。
「…僕は元気だ」
「…そうは見えないから言っているんです」
わかっている。散々心配をかけた理由も。
でも、本当に大事ではないことをわかって欲しい。
「あれは…その、なんていうか、前の記憶を思い出そうとした?ときに、バチってなるだけで…」
「……」
「とにかく、僕は元気だ。から、手伝わせてくれ」
バルトがため息を吐く。
「わかりました」
「では私が全ての本を持って該当の棚までいきますので、エル様が戻してください」
結局バルトが重い思いをするのは譲らないようだ。
「それでいいですか?」
頷く。
そうして本を片付けた後、自室に戻るとベッドに誘導される。
「…寝ないよ」
「寝なくていいです。頭を休めてください」
もしかしたら、僕の書いていた“厳しい”とは、このことかもしれない。と思った。
だとしたら、僕はなんて素直じゃないのだろう。
(過保護なんだよな…父親もバルトも)
僕だから、それに助けられているのかもしれないけど。
“ありがとう”
そう言いたくて、バルトの顔を見る。
「?」
少し考えて、もう一度口を開いた。
「いつも、ありがとう」
「…いえ」
バルトが、ふわりと微笑んだ。
「こちらこそ」
◇
使用人棟を歩き、目当ての扉を見つけて立ち止る。
コンコンとノックして、
「サリエルです。エクタさんに用があるのですが、」
と声をかけると、すぐに扉が開いた。
「あら坊ちゃん、珍しいのね。体の方は大丈夫なの?」
薄桃色の髪をお団子にしている、背の高い女性。
この人が、エクタ・ロヴィク。
「はい」
「そう」
エクタは、微笑んでさらに扉を開くと、手招きした。
「入ってちょうだい。用事を聞くわ」
「…失礼します」
そうして入れてもらった部屋は、こじんまりとして暖かな雰囲気のある空間だった。
左手には備え付けの台所があり、中央に並べられた事務用の机の上には、さまざまな書類や機器が載っている。
床は板材の上に、やや年季の入ったラグが敷かれていた。
「少しどかすわね。…ここに座ってちょうだいな」
四つある机のうち一つの椅子を引いてそう言ってくれるので、素直に座る。
エクタも書類をどかし終えて、淹れたばかりらしい紅茶のカップを持って向かいに座った。僕の前にも、一つのカップを置いてくれる。
「ありがとうございます」
僕の言葉に頷き、エクタは口を開く。
「それで、なんのお話かしら」
「エクタさん、」
「ええ」
「勉強を、教えていただけませんか」
エクタが少しだけ意外そうな顔をした。
僕が勉強をしようと決めた日、算術については誰かに教わることができたら助かると、バルトに詳しい人を尋ねたところ、
『レ…いや、会計のエクタさんあたりがいいと思います。頼めばきっと快く教えてくださいますし、いい意味で、気を遣わないでくれると思います』
とのことだった。
今、この家の人間は、皆僕の記憶喪失を知っている。確かにそれを前提に酷く気を使われてしまうと、勉強どころでは無い気がする。バルトの配慮にも感謝して、頼んでみることにした。
ちなみに、外見の特徴はバルトから聞いたのではなく、例のノートに書いてあった。
「ふふ、いいわよ。私にわかることなら何でも教えましょう」
エクタの答えにホッとして息を吐く。
「ありがとうございます」
「何かしら。算術だと嬉しいのだけれど」
エクタが立ち上がり、何やら棚から本を取り出している。
「その算術です。得意だとお聞きしたので」
「ええ、得意よ。好きだもの」
僕の前に、一冊の大判本が置かれた。
算術の本だろうかと表紙を見たところ、
“レイテュイアの風景”
とあって不思議に思う。
「これは、?」
「プレゼントよ。貴方が欲しがっていたから、次に会ったら渡そうと思っていたの。受け取ってくれるかしら?」
(えっ…)
「あ、はい」
「良かった」
手に取って、繁々と眺める。
「開けてみたら?」
その声に従ってページを開いた。
美しい色彩が目に飛び込んできて、瞬きを繰り返す。
街の風景に、青々とした山や海岸の風景、買い物を楽しむ人々、王都に聳える王城。
それぞれが、鮮明に映し出されている。
「綺麗…」
「写真よ。遠くの風景も、こうしてなら楽しむことができるでしょう?」
「写真」
なかなか外に出れない僕に、誰かが教えてくれたのだろう。
それを、この人が叶えてくれた。
僕は記憶を失ってからは、まだ一歩も外に出ていないから、余計に、この風景が眩しかった。
眩しくて、どこか懐かしくて、愛しかった。
「はい…」
未だ目を輝かせる僕に、エクタが声をかける。
「喜んでくれて嬉しいわ。見るのも良いけれど、そろそろお勉強に入りましょうか。」
ハッ
「はい!」
写真集を閉じて、よろしくお願いしますと頭を下げると、「貴方は良い子ね」と笑われた。
こうして、エクタとの勉強会が始まった。
初歩的な知識を確認した後、エクタが提示する問題に考えて答え、理解できていなかった部分をわかるまで説明してもらう。エクタは領地のお金の多くを管理しているらしく、ときどき領地経営に準えた話もしてくれた。
時間は、エクタの手が空いている午前中。
一度僕の気分が優れなくて行けない時があったのだが、報せに行ってくれたバルトが本を受け取ってきた。
「“落ち着いて、退屈になったら読んでみて”と渡されました。」
題名は、“領地経営の基本”。
後でこれはテストに出るのかと尋ねたら、そんなものは出なかったとバルトが苦笑していた。
◇
(バルト視点)
エル様が記憶を無くされて、約一週間が経った。
今日は、本来なら学園へクラス決めのための能力測定に行くはずだったのだが、ホルス様がエル様を心配されて、事情を話して特別に一月後にしてもらうと仰っていた。
それならば俺もと思ったのだが、そう甘いことはない。
しっかりと、学園まで送られた。
エル様については、必要な知識もよく覚えていらっしゃらなかったようなので、当然の措置だろう。
しかし、言わせてほしい。一人だと肩身が狭いと。
窓口で書類提出を終わらせて、学園へ足を踏み入れると、目があった令息に、あからさまに「あっ」と言う顔をされる。
「あの方ロムルス家の…」
「家を追い出されて使用人をやっているらしい…」
「同じ貴族といえるのか怪しいものです。…」
隅に立ったとしても、聞こえる声。
こういう珍しいものを話題にしやすいのはわかる。
わかるが、本当に、貴方方には人の気持ちというものを考えていただきたい。
(まあ、これがエル様にまで及んでいないのが不幸中の幸いですが)
「一人ね。ご主人様はいらっしゃらないのかしら」
「おい、あまり大きな声を出すな。聞こえるぞ」
(全部聞こえていますが?)
「はぁ…」
(逆に見られなくて良かったと思うべきかもしれません)
周りなど気にせずさっさと終わらせて帰る。
それに尽きる。
時間になると、教師がやってきて新入生がそれぞれ会場に割り振られ、その会場で筆記テストを受けることになった。
席を確認し、自分の名前の下に“ブランシュ伯爵家”と書かれているのを見て、少しだけ気分が良くなる。
一人だけれど、一人ではない。
そんな気がした。
テストは、簡単に解けるものばかりだった。
後半にはやや難問もあったが、基本的には貴族の子女なら知っていて当たり前の常識を問う問題だ。
(今のエル様の知識ならもう十分解けるかもしれません。
けれどあれだけ頑張っていらっしゃいますから、せっかくなら、能力の高いAクラスに入れたら嬉しいですね。)
俺はエル様付きの使用人なので、クラスはエル様の実力に見合うところに入れられるはずだ。
上のクラスならば、中途半端な…それこそ陰口を言うような者は少ないだろう。
続いての体力テストは、着替えた後短距離と長距離を走らされて、その結果を報告するというものだった。
随分簡単だなとも思ったが、見ている限りでも生徒の運動能力の差はよくわかるので、これでいいのだろう。
俺はもちろん、目立たないよう一着は目指さず、それでいて上位の半分には入れる成績を目指した。
(変に絡まれるのは面倒ですからね…)
最後は、魔力のテストだ。と言っても、別に魔法をぶっ放したりすることはしない。魔道具に魔力を込めて、量を見るだけだ。魔力量は、魔法の素質に比例するらしいので、これが最も簡単な判別方法なのだろう。
俺の魔力量は少ない方だが、俺の持つ高い基礎技能値との兼ね合いだと勝手に思っているので、別に気にしてはいない。
基礎技能値というのは、人が生まれ持つ能力である《技能》を数値化したものだ。
俺が初めから持つ技能は火術の五段技能三段と土術の五段技能三段なので、技能値は合計の六となる。技能の段は最低が一段、最高が五段で、大抵は持っていても一段か二段だといえば、俺の値の高さがわかるだろう。
そしてもちろん、技能は修練すれば伸ばすこともできる。
ちなみにこの他に適正と言うものもあり、これは後天的に習得できる技能を指す。逆に言えば適正のない技能は、何をやっても習得することはできない。
俺の持つ適正は、土術、火術、強化術、煙術、赤術、幻術である。
「いいですよ。手を離してください」
魔力測定を行っていた先輩の声に従って、魔道具から手を離す。
「245です。出口の先生に伝えてください」
「わかりました」
そう返事すると、別の列から、
「あの使用人は200だそうだよ」
「それは不憫だ」
とクスクス嗤う声が聞こえてきた。
(付けいる隙を見つけて楽しそうですね)
だが気にしないと決めたのだ。
先生に結果を告げ、学園の外へ出た。
爽やかな風に少しホッとして、階段に座り込む。
「あれ、バルトか?」
「?」
自分の名前に反応して振り向くと、制服姿の男子が二人、何やら大きな紙袋を抱えて歩いていた。そして二人のうちの一人は、そこからケーキを取り出して齧っている。
メアスフラム公爵令息のレアジと、セリンジャー侯爵令息のクラウスだ。どちらも、ブランシュ伯爵家からの縁で知り合った、気の良いイケメンである。レアジは赤髪のキリッとした少年で、クラウスは、金髪の優しげな少年だ。
「久しぶりだな。入学前試験か」
近づいて来るので、立ち上がって軽く礼をする。
「はい、お久しぶりです。レアジ様、クラウス様」
「外だしそんなに畏まらなくていいよ、バルト君。身長伸びた?」
「まあ…多少は、伸びたと思います」
クラウスの問いに答えると、今度はレアジがケーキを食みながら、
「去年の冬から会ってないしな」
と口を挟んでくる。
「三年生は長期休み全てに実習が入ってたからね」
「そうそう。休みくらいちゃんと取っておいて欲しいって……」
レアジがキョロキョロとあたりを見回す。
「どうかした?」
(ヤバい)
「いや、バルト。エルって今日」
「申し訳ございません! この後用事がありましたので私はこれで失礼します! 続きはまたお会いした時にでもお伺いしますね! それでは!」
言わせまいと一気に捲し立てて、俺は駆け出した。
今俺の口から、エル様のことを話すわけにはいかないが、問われた上で躱せる言い訳は思いつかないのだから仕方ない。
(まあ、レアジ様だし大丈夫でしょう)
彼の人柄に甘えて、無礼な行いは許していただこう。
…
一方、取り残された二人は揃って顔を見合わせた。
「逃げられた?」
「逃げられたね」
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