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1 病弱な少年
1-5.記憶喪失と訪問者
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「バルト」
「はい、エル様」
「今日も図書室に行きたい。ついてきてくれる?」
「勿論です」
間髪入れずに返してくれるバルトに、嬉しくて笑みが溢れる。
寒くないか確認されて、しっかり防寒対策をされた後、前回部屋に持ってきた本を持ったら、もうすっかり覚えた図書室への道を歩いていく。
すぐに扉を閉めたバルトが追いついてきて、隣に並ぶ。
「いよいよ来週ですね」
「うん、エクタさんに教えてもらっている勉強も順調だし、外に出るのも初めてだし、楽しみだよ」
「それはなによりですが、張り切り過ぎないでくださいね。
テストどころでは無くなったら、多分怒られるのは私です」
「自分のことは自分でよくわかってるよ。それに、バルトが怒られるわけない」
「…そう願います」
ニッコリと笑いかけると、バルトも笑みを返してくれた。
二週間も経てば順応するもので、僕はすっかりここでの生活というか、僕の人生に慣れてきていた。
初めのうちはまだあまり自由に歩き回ったりはできなかったが、体力が戻ってくると、父様が手紙を送った親戚や、友人は快気祝いに訪ねてくることが度々あった。その度に、事情を説明して、自己紹介をし直してもらった。
中には、僕がノートに書きつけていた人も何人かいて、今の印象も書き加えたりした。
ただやはりというか、僕個人と特別仲の良い人は一人を除いてはいなかったようで、別に記憶を無くしたからといって支障はなさそうであった。
少し寂しくもあるが、今は良かったと思っておこう。
ちなみにその一人というのは、ノートにもあったレアジという人だ。丁度昨日、訪ねてきた。彼が言うには、僕と彼は、親友らしい。
◇◆
「ホルスー、来たぞ」
そんな耳を疑うような挨拶と共に、その少年はこの伯爵邸を訪ねてきた。ホルスというのは、父の名前だったはずだ。
十五、六歳くらいだらうか。背が高く、スラッとしている。
赤髪がよく似合う、屈託なく笑う美少年が、そこにいた。
「久しぶりだなぁ」
と嬉しそうに呟いている。
(カッコいいけど…偉い人? 誰だろう)
僕は出ていくタイミングが分からずに、階段の上からその様子を見ていた。
メイドたちが彼から荷物を受け取っている間に、父がやってきて「急だな」と笑った。
「やっと学園が休みになったんだ。もうすぐ会えると思ってたのに、家にエルが倒れたって報せと回復したって報せが来てたから、何も考えずにそのまま飛んできた。バルトのやつ何も言わねぇんだぜ」
「そんなことだろうと思ったよ。…それと、話さなければいけないこともある。サリエルを呼ぼう」
そう言って父は、応接間に通すようメイドに命じたあと、控えていたバルトに僕を呼ぶよう告げた。
それを見た少年は、バルトに詰め寄ってなにかを言いつける。
バルトは呆れを隠さない顔で首を振った。
(僕のことをエルって、…ノートにあったレアジ、さん?かな。にしては砕けすぎてる気もするけど)
その後、やってきたバルトが、階段から身を乗り出す僕を見て慌てて床へと下ろす。
僕は背が低いので、身を乗り出そうとしてつま先立ちになっていたのだ。
「エル様、危険なことはおやめください!」
「ごめん…気になって」
素直に謝ると、バルトも息を吐いて、手を差し出してくる。
「行きますよ。お父上がお呼びです」
「うん」
◆
「お連れしました」
扉を開けてくれたバルトにお礼を言いながら応接間へと入ると、何かにぶつかった。
(人…?)
驚いて見上げると、先程階段から見た美少年が僕の顔を見て幸せそうに笑った。
僕の頭にポンポンと手を置き、少し屈んで目線を揃える。
「元気か? 会いにきてやったぞ」
「……」
思わず、思考停止して口を開ける。
少し目にかかる艶やかな赤髪に、切長の眼と真紅の瞳。
健康的で透き通るような肌に、笑う口元から覗く白い歯。
(えっ……)
こんなに爆発するほど顔がいいならそう書いておいて欲しかった。生きていてこんな綺麗な顔に出会うことがあるんだ、と素直に感心してしまったし、ついつい眺めてしまう。
…というか、心なしか彼の瞳が潤んできているような気がする。
どうしたのだろう。
僕が思わずその顔に手を伸ばしかけたとき、バルトがグイッと僕と彼の間に立って、口を開く。
「恐れ入ります。…エル様は」
驚いた顔の少年。
そこで、父が手をあげて制止する。
「いい。バルト。もう伝えてある」
「あ……大変失礼いたしました」
バルトが頭を下げて下がった。
目の前には悲しげな美少年。どうすればいいのだろう。
「レアジも、サリエルもまず座りなさい」
「ああ…」
レアジと呼ばれた少年が父に従う。
(レアジ?)
「やっぱり」
予想は間違っていなかったらしい。
ソファの、レアジの隣に腰掛けると、何故か視線が僕に集中しているのを感じた。
「?」
何か変なことをしただろうか。
「サリエル、やっぱりというのは?」
「えっ口に出てましたか」
父の言葉に、今更のように口元を押さえる。
とはいっても、忘れてはくれないだろうなと、再び口を開いた。伝えているとのことだから、その前提で言ってもいいだろう。
「記憶を失う前の僕が、書いていたノートがあって…
レアジさんのことも書かれていたので、もしかしたらと…」
驚く顔が二つ。
もしバルトが背後に立っていなかったら、バルトも驚いたのだろうか。
「はぁ!? それ、なんて…」
レアジが顔を寄せてきた。かと思うと、またすぐに座り直して、顔を覆って大きくため息を吐く。
顔が隠れてしまって残念だ。
「いや、なんでもない。…記憶を無くしたって言うのは本当なんだな」
ほとんど吐き出すようなレアジの言葉に、父が応える。
「ああ」
「念のため、俺のことは?」
そのままの体勢で、不満気に視線だけをこちらへ投げてきた。かっこいい。
綺麗な顔をしているなと思う。一度会ったら、忘れないんじゃ無いかと思うくらい。
ただ、会った記憶も、もちろん見覚えも無い。
「その、申し訳ないですが」
(?)
口を塞がれて、頭の中に疑問符が飛ぶ。
「謝らなくていい、エルは悪くないし。ただちょっと俺が、かなりキツいというか…悲しいだけで…」
また顔が見えなくなってしまう。
解放された口元をなんとなく触りながら、こんなに悲しんでくれる人も居たんだ。と少しおかしいけれど、嬉しいような気持ちで見つめていた。
身分の高い人は、良くも悪くも、自分の感情を表に出さない人が多い。だから、レアジのその素直な感情表現や遠慮のない態度が、今の僕には少し新鮮だった。
「レアジ。あまりサリエルを困らせないでくれ。思い出させないほうがいいと医者も言っていた」
「あー、わかってる。わかってるって」
「では改めて挨拶してくれるか? いつまでもそうしていると話が進まないからな」
「ん、そうだな。悪かった」
その通りだ。あまり悲しまれるとどうしていいのかわからなくなってしまう。
レアジと父とに視線を行き来させるので精一杯だった。
「大丈夫そうだな。すまないが、あとは二人で話していてくれ。私はまだやることがあってね」
父が立ち上がる。
レアジの方は気にした様子もなく、「おう、頑張れ」と声を投げるが、僕の方はそうもいかない。
今二人にされて、間が持つだろうか。
父が出て行って扉が閉まり、誰も口を開かないので静かになる。
そしてじっと僕を見ていたレアジが、不意に表情を崩した。
「…ああでも、そういうキョトンとしたエルは新鮮だな」
急に笑顔になられても反応に困るのですが。
笑顔になると、更に顔面の破壊力が増すのだなと感じることしかできない。
というか、キョトンって…。
(普段レアジさんが見ていた僕ってどんな風だったんだろう。生意気? 無愛想?)
ノートを見る感じ、以前の僕は彼を慕っていたみたいだけど。
なんとなく両手で両頬を包んでみる。
「ああいや、何でもない。自己紹介だったな」
レアジが微笑む。
その顔が少しだけ、哀しそうに見えるのは、今は間違ってないだろう。
「俺の名はレアジ・カイト・メアスフラム。歳はお前の三つ上だ。お前の父親の親友で、お前の親友でもある。困ったときはいつでも力になるから言ってくれ」
(あ)
「それから、俺を呼ぶときは」
「レアジさん」
レアジが、信じられない目で僕をみる。
「ですよね」
僕がわざわざあんな書き方をしていたのだ。
なんとなく予想がついて、つい口に出てしまった。
「書いてあったので。すみません」
「それ、…見せてくれねぇか?」
「えっいや、それはダメです」
色々とアウトなことも書いてあるのだ。
流石に見せられない。
それに、“僕”も見せるなって書いていたし、別に見たって別に面白いことは書かれていない。見せる必要はないだろう。
「ダメか」
「ダメです」
レアジは、「そうか」と残念そうに呟く。
「まあいい。結局、目の前にいる本人に聞くのが一番だしな」
「…今の僕はレアジさんのこと何も知りませんよ?」
(というか、レアジさんのことならレアジさんが一番詳しいのでは?)
何が言いたいのかわからなくて、首を傾げた。
「ああいや、そうじゃなくて、エルから見た僕がどんなか知りたかっただけだ。…記憶がないんじゃ、関係ねぇかも知れないけど」
「そうですか」
たしかにそうかもしれない。
あの文は、僕から見たみた皆なんだ。
「見せることはできませんが」
少し、考えてから、僕はレアジに耳打ちするように顔を寄せた。
後ろでバルトの、「エル様、何を」と言う声が聞こえるが、とりあえず聞こえないふりをする。
「…カッコいいとは、書いてありましたよ」
たしかに記憶を無くす前に書いたことだけれど、僕が僕である限り、抱く感情にそう変わりはないと思う。
だからこそ真っ直ぐに述べるのは少し気恥ずかしくて、小声になる。
(これでレアジさんも安心を…)
(あれ?固まってる?)
「待て、嘘をつくな」
あ、動いた。
どうしてそうなるんですか。
「嘘なんかつきませんよ」
「エルがそんなことを言うわけない」
「それは知りませんが…」
「レアジ様、エル様が困っておられます」
バルトが割って入ってくる。少し怒っている気がする。
先程からたまに口を出したくて仕方ない様子だったが、とうとう我慢できなくなったらしい。
(僕を助けようとしてくれるんだよな)
「バルト、僕は別に」
「…いや、困らせて悪かった。それよりお前こそ、約束はどうした約束は」
レアジは僕に謝った後、バルトへ苛立ちのこもった視線を向ける。
不安だ。
「承諾した覚えはございません」
「…ったく、どこ探してもお前より立場を弁えない使用人はいねぇぞ」
「相手がレアジ様でなければ弁えますよ」
「あー、そうかよ」
(あれ、)
レアジが怒るんじゃないかと思っていた僕は、意外にも気心の知れたやり取りに驚く。
(意外と仲良いのかな…)
それなら、心配する必要もなかった。
「それより、レアジ様はいつまでもここに居ていいのですか? ご実家でやることがあるのでは?」
「お前本当に嫌なやつだな」
バルトはその言葉も気にする様子はなく、澄まし顔。
「まあでも、そうだな。今日は本当に顔を出すだけのつもりで来たから」
「そうなんですか」
貴族にはそれぞれ治める領地があるのだから、決して近くはないはずだ。
それなのにわざわざ僕のためだけに訪ねてきたのか。
レアジは「思い出したら不安になってきた」と言いながらバルトを使って荷物を持って来させる。
「というわけで俺は帰るが、忘れんじゃねぇぞ。記憶が無くたって、お前は俺の、…大事な親友だ」
彼は僕の頭にポンポンと手を置き、その手をあげて「じゃあな」と言った。
「また来る」
僕は寒いので外へ出してもらえず、部屋の窓から手を振った。
なんだか、不思議な人だった。
「仲良く、なれるかな」
呟くように言うと、バルトが隣で何かを懐かしむように目を細めて笑う。
「嫌でもなれますよ」
「そう…」
ついその顔をじっと見つめた。
「…バルトって、」
「?」
「本当に僕と同じ歳?」
「そうですよ。あれ、言いましたっけ」
「えっ、あっ、うん」
書いてあったと言ってもいいけど、わざわざ説明したくはないし、誤魔化されてくれるならそれでいい。
「大人っぽいなって思ってさ」
「…これでも貴族ですから」
「そうか。じゃあもしかしたら僕ももっと大人っぽかったのかな? 記憶がなくなる前は」
バルトが黙り込む。
(聞かない方が良かったかな)
「いえ、そうですね。大人…と言うのかはわかりませんが、しっかりしていらっしゃいました。私なんて要らないくらいに」
(へえ)
「なんか、想像つかないな。がっかりしただろ」
「がっかり?」
「今の僕に」
「そんなことはありませんよ。記憶がなくたって……あ」
そろそろと、窓から離れ、脱力したくなってソファに座る。
一生懸命話したから疲れたのかもしれない。
バルトが何かに気づいたような声を出したが、それよりも今は眠気が勝る。
(今日は頑張ったな)
目が閉じそうだ。
「エル様? お疲れになりましたか? お部屋へ…」
バルトの声が聞こえる。
でも、返事するのが面倒臭い。
少し休むくらいいいだろう。
このソファ柔かいな…。
◆◇
その後起きたらベッドで寝ていて、朝だった。
一度寝落ちたら、しっかり寝てしまうこの習性をなんとかしたい。そう思ってしまうのも当然だろう。
誰かが運んでくれたのだろうが、なんとなく恥ずかしくて聞けていない。
きちんとお礼を言わなきゃとは思うのだが…。
「エル様、図書室では?」
「あっ」
考え事をしていたせいで、道を曲がり損ねたらしい。
慌ててバルトについていく。
「どうかなさいましたか?」
「少し考え事を…なんでもない」
聞いてみようかと思ったが、躊躇ってしまって口を閉じた。
素直にものを言えないこの口が憎い。
バルトが首を傾げ、次いで微笑んだ。
「学園のことでしたら緊張なさらなくて大丈夫ですよ」
相変わらず優しいな。
僕は控えめに頷きつつ、後で絶対聞こうと決めた。
「はい、エル様」
「今日も図書室に行きたい。ついてきてくれる?」
「勿論です」
間髪入れずに返してくれるバルトに、嬉しくて笑みが溢れる。
寒くないか確認されて、しっかり防寒対策をされた後、前回部屋に持ってきた本を持ったら、もうすっかり覚えた図書室への道を歩いていく。
すぐに扉を閉めたバルトが追いついてきて、隣に並ぶ。
「いよいよ来週ですね」
「うん、エクタさんに教えてもらっている勉強も順調だし、外に出るのも初めてだし、楽しみだよ」
「それはなによりですが、張り切り過ぎないでくださいね。
テストどころでは無くなったら、多分怒られるのは私です」
「自分のことは自分でよくわかってるよ。それに、バルトが怒られるわけない」
「…そう願います」
ニッコリと笑いかけると、バルトも笑みを返してくれた。
二週間も経てば順応するもので、僕はすっかりここでの生活というか、僕の人生に慣れてきていた。
初めのうちはまだあまり自由に歩き回ったりはできなかったが、体力が戻ってくると、父様が手紙を送った親戚や、友人は快気祝いに訪ねてくることが度々あった。その度に、事情を説明して、自己紹介をし直してもらった。
中には、僕がノートに書きつけていた人も何人かいて、今の印象も書き加えたりした。
ただやはりというか、僕個人と特別仲の良い人は一人を除いてはいなかったようで、別に記憶を無くしたからといって支障はなさそうであった。
少し寂しくもあるが、今は良かったと思っておこう。
ちなみにその一人というのは、ノートにもあったレアジという人だ。丁度昨日、訪ねてきた。彼が言うには、僕と彼は、親友らしい。
◇◆
「ホルスー、来たぞ」
そんな耳を疑うような挨拶と共に、その少年はこの伯爵邸を訪ねてきた。ホルスというのは、父の名前だったはずだ。
十五、六歳くらいだらうか。背が高く、スラッとしている。
赤髪がよく似合う、屈託なく笑う美少年が、そこにいた。
「久しぶりだなぁ」
と嬉しそうに呟いている。
(カッコいいけど…偉い人? 誰だろう)
僕は出ていくタイミングが分からずに、階段の上からその様子を見ていた。
メイドたちが彼から荷物を受け取っている間に、父がやってきて「急だな」と笑った。
「やっと学園が休みになったんだ。もうすぐ会えると思ってたのに、家にエルが倒れたって報せと回復したって報せが来てたから、何も考えずにそのまま飛んできた。バルトのやつ何も言わねぇんだぜ」
「そんなことだろうと思ったよ。…それと、話さなければいけないこともある。サリエルを呼ぼう」
そう言って父は、応接間に通すようメイドに命じたあと、控えていたバルトに僕を呼ぶよう告げた。
それを見た少年は、バルトに詰め寄ってなにかを言いつける。
バルトは呆れを隠さない顔で首を振った。
(僕のことをエルって、…ノートにあったレアジ、さん?かな。にしては砕けすぎてる気もするけど)
その後、やってきたバルトが、階段から身を乗り出す僕を見て慌てて床へと下ろす。
僕は背が低いので、身を乗り出そうとしてつま先立ちになっていたのだ。
「エル様、危険なことはおやめください!」
「ごめん…気になって」
素直に謝ると、バルトも息を吐いて、手を差し出してくる。
「行きますよ。お父上がお呼びです」
「うん」
◆
「お連れしました」
扉を開けてくれたバルトにお礼を言いながら応接間へと入ると、何かにぶつかった。
(人…?)
驚いて見上げると、先程階段から見た美少年が僕の顔を見て幸せそうに笑った。
僕の頭にポンポンと手を置き、少し屈んで目線を揃える。
「元気か? 会いにきてやったぞ」
「……」
思わず、思考停止して口を開ける。
少し目にかかる艶やかな赤髪に、切長の眼と真紅の瞳。
健康的で透き通るような肌に、笑う口元から覗く白い歯。
(えっ……)
こんなに爆発するほど顔がいいならそう書いておいて欲しかった。生きていてこんな綺麗な顔に出会うことがあるんだ、と素直に感心してしまったし、ついつい眺めてしまう。
…というか、心なしか彼の瞳が潤んできているような気がする。
どうしたのだろう。
僕が思わずその顔に手を伸ばしかけたとき、バルトがグイッと僕と彼の間に立って、口を開く。
「恐れ入ります。…エル様は」
驚いた顔の少年。
そこで、父が手をあげて制止する。
「いい。バルト。もう伝えてある」
「あ……大変失礼いたしました」
バルトが頭を下げて下がった。
目の前には悲しげな美少年。どうすればいいのだろう。
「レアジも、サリエルもまず座りなさい」
「ああ…」
レアジと呼ばれた少年が父に従う。
(レアジ?)
「やっぱり」
予想は間違っていなかったらしい。
ソファの、レアジの隣に腰掛けると、何故か視線が僕に集中しているのを感じた。
「?」
何か変なことをしただろうか。
「サリエル、やっぱりというのは?」
「えっ口に出てましたか」
父の言葉に、今更のように口元を押さえる。
とはいっても、忘れてはくれないだろうなと、再び口を開いた。伝えているとのことだから、その前提で言ってもいいだろう。
「記憶を失う前の僕が、書いていたノートがあって…
レアジさんのことも書かれていたので、もしかしたらと…」
驚く顔が二つ。
もしバルトが背後に立っていなかったら、バルトも驚いたのだろうか。
「はぁ!? それ、なんて…」
レアジが顔を寄せてきた。かと思うと、またすぐに座り直して、顔を覆って大きくため息を吐く。
顔が隠れてしまって残念だ。
「いや、なんでもない。…記憶を無くしたって言うのは本当なんだな」
ほとんど吐き出すようなレアジの言葉に、父が応える。
「ああ」
「念のため、俺のことは?」
そのままの体勢で、不満気に視線だけをこちらへ投げてきた。かっこいい。
綺麗な顔をしているなと思う。一度会ったら、忘れないんじゃ無いかと思うくらい。
ただ、会った記憶も、もちろん見覚えも無い。
「その、申し訳ないですが」
(?)
口を塞がれて、頭の中に疑問符が飛ぶ。
「謝らなくていい、エルは悪くないし。ただちょっと俺が、かなりキツいというか…悲しいだけで…」
また顔が見えなくなってしまう。
解放された口元をなんとなく触りながら、こんなに悲しんでくれる人も居たんだ。と少しおかしいけれど、嬉しいような気持ちで見つめていた。
身分の高い人は、良くも悪くも、自分の感情を表に出さない人が多い。だから、レアジのその素直な感情表現や遠慮のない態度が、今の僕には少し新鮮だった。
「レアジ。あまりサリエルを困らせないでくれ。思い出させないほうがいいと医者も言っていた」
「あー、わかってる。わかってるって」
「では改めて挨拶してくれるか? いつまでもそうしていると話が進まないからな」
「ん、そうだな。悪かった」
その通りだ。あまり悲しまれるとどうしていいのかわからなくなってしまう。
レアジと父とに視線を行き来させるので精一杯だった。
「大丈夫そうだな。すまないが、あとは二人で話していてくれ。私はまだやることがあってね」
父が立ち上がる。
レアジの方は気にした様子もなく、「おう、頑張れ」と声を投げるが、僕の方はそうもいかない。
今二人にされて、間が持つだろうか。
父が出て行って扉が閉まり、誰も口を開かないので静かになる。
そしてじっと僕を見ていたレアジが、不意に表情を崩した。
「…ああでも、そういうキョトンとしたエルは新鮮だな」
急に笑顔になられても反応に困るのですが。
笑顔になると、更に顔面の破壊力が増すのだなと感じることしかできない。
というか、キョトンって…。
(普段レアジさんが見ていた僕ってどんな風だったんだろう。生意気? 無愛想?)
ノートを見る感じ、以前の僕は彼を慕っていたみたいだけど。
なんとなく両手で両頬を包んでみる。
「ああいや、何でもない。自己紹介だったな」
レアジが微笑む。
その顔が少しだけ、哀しそうに見えるのは、今は間違ってないだろう。
「俺の名はレアジ・カイト・メアスフラム。歳はお前の三つ上だ。お前の父親の親友で、お前の親友でもある。困ったときはいつでも力になるから言ってくれ」
(あ)
「それから、俺を呼ぶときは」
「レアジさん」
レアジが、信じられない目で僕をみる。
「ですよね」
僕がわざわざあんな書き方をしていたのだ。
なんとなく予想がついて、つい口に出てしまった。
「書いてあったので。すみません」
「それ、…見せてくれねぇか?」
「えっいや、それはダメです」
色々とアウトなことも書いてあるのだ。
流石に見せられない。
それに、“僕”も見せるなって書いていたし、別に見たって別に面白いことは書かれていない。見せる必要はないだろう。
「ダメか」
「ダメです」
レアジは、「そうか」と残念そうに呟く。
「まあいい。結局、目の前にいる本人に聞くのが一番だしな」
「…今の僕はレアジさんのこと何も知りませんよ?」
(というか、レアジさんのことならレアジさんが一番詳しいのでは?)
何が言いたいのかわからなくて、首を傾げた。
「ああいや、そうじゃなくて、エルから見た僕がどんなか知りたかっただけだ。…記憶がないんじゃ、関係ねぇかも知れないけど」
「そうですか」
たしかにそうかもしれない。
あの文は、僕から見たみた皆なんだ。
「見せることはできませんが」
少し、考えてから、僕はレアジに耳打ちするように顔を寄せた。
後ろでバルトの、「エル様、何を」と言う声が聞こえるが、とりあえず聞こえないふりをする。
「…カッコいいとは、書いてありましたよ」
たしかに記憶を無くす前に書いたことだけれど、僕が僕である限り、抱く感情にそう変わりはないと思う。
だからこそ真っ直ぐに述べるのは少し気恥ずかしくて、小声になる。
(これでレアジさんも安心を…)
(あれ?固まってる?)
「待て、嘘をつくな」
あ、動いた。
どうしてそうなるんですか。
「嘘なんかつきませんよ」
「エルがそんなことを言うわけない」
「それは知りませんが…」
「レアジ様、エル様が困っておられます」
バルトが割って入ってくる。少し怒っている気がする。
先程からたまに口を出したくて仕方ない様子だったが、とうとう我慢できなくなったらしい。
(僕を助けようとしてくれるんだよな)
「バルト、僕は別に」
「…いや、困らせて悪かった。それよりお前こそ、約束はどうした約束は」
レアジは僕に謝った後、バルトへ苛立ちのこもった視線を向ける。
不安だ。
「承諾した覚えはございません」
「…ったく、どこ探してもお前より立場を弁えない使用人はいねぇぞ」
「相手がレアジ様でなければ弁えますよ」
「あー、そうかよ」
(あれ、)
レアジが怒るんじゃないかと思っていた僕は、意外にも気心の知れたやり取りに驚く。
(意外と仲良いのかな…)
それなら、心配する必要もなかった。
「それより、レアジ様はいつまでもここに居ていいのですか? ご実家でやることがあるのでは?」
「お前本当に嫌なやつだな」
バルトはその言葉も気にする様子はなく、澄まし顔。
「まあでも、そうだな。今日は本当に顔を出すだけのつもりで来たから」
「そうなんですか」
貴族にはそれぞれ治める領地があるのだから、決して近くはないはずだ。
それなのにわざわざ僕のためだけに訪ねてきたのか。
レアジは「思い出したら不安になってきた」と言いながらバルトを使って荷物を持って来させる。
「というわけで俺は帰るが、忘れんじゃねぇぞ。記憶が無くたって、お前は俺の、…大事な親友だ」
彼は僕の頭にポンポンと手を置き、その手をあげて「じゃあな」と言った。
「また来る」
僕は寒いので外へ出してもらえず、部屋の窓から手を振った。
なんだか、不思議な人だった。
「仲良く、なれるかな」
呟くように言うと、バルトが隣で何かを懐かしむように目を細めて笑う。
「嫌でもなれますよ」
「そう…」
ついその顔をじっと見つめた。
「…バルトって、」
「?」
「本当に僕と同じ歳?」
「そうですよ。あれ、言いましたっけ」
「えっ、あっ、うん」
書いてあったと言ってもいいけど、わざわざ説明したくはないし、誤魔化されてくれるならそれでいい。
「大人っぽいなって思ってさ」
「…これでも貴族ですから」
「そうか。じゃあもしかしたら僕ももっと大人っぽかったのかな? 記憶がなくなる前は」
バルトが黙り込む。
(聞かない方が良かったかな)
「いえ、そうですね。大人…と言うのかはわかりませんが、しっかりしていらっしゃいました。私なんて要らないくらいに」
(へえ)
「なんか、想像つかないな。がっかりしただろ」
「がっかり?」
「今の僕に」
「そんなことはありませんよ。記憶がなくたって……あ」
そろそろと、窓から離れ、脱力したくなってソファに座る。
一生懸命話したから疲れたのかもしれない。
バルトが何かに気づいたような声を出したが、それよりも今は眠気が勝る。
(今日は頑張ったな)
目が閉じそうだ。
「エル様? お疲れになりましたか? お部屋へ…」
バルトの声が聞こえる。
でも、返事するのが面倒臭い。
少し休むくらいいいだろう。
このソファ柔かいな…。
◆◇
その後起きたらベッドで寝ていて、朝だった。
一度寝落ちたら、しっかり寝てしまうこの習性をなんとかしたい。そう思ってしまうのも当然だろう。
誰かが運んでくれたのだろうが、なんとなく恥ずかしくて聞けていない。
きちんとお礼を言わなきゃとは思うのだが…。
「エル様、図書室では?」
「あっ」
考え事をしていたせいで、道を曲がり損ねたらしい。
慌ててバルトについていく。
「どうかなさいましたか?」
「少し考え事を…なんでもない」
聞いてみようかと思ったが、躊躇ってしまって口を閉じた。
素直にものを言えないこの口が憎い。
バルトが首を傾げ、次いで微笑んだ。
「学園のことでしたら緊張なさらなくて大丈夫ですよ」
相変わらず優しいな。
僕は控えめに頷きつつ、後で絶対聞こうと決めた。
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