【R18・完結】鳳凰鳴けり~関白秀吉と茶々

みなわなみ

文字の大きさ
上 下
17 / 32
第三夜

壱 秀吉の語らい

しおりを挟む
「殿下、茶々殿をお側に召されたのでございますね?」 
 西の丸にしのまること、竜子たつこは、秀吉の着物の袖を取り、拗ねて見せた。 
「私もたぶんもう、お役には立てませぬものね。」 
 潤んだ目で、寂しそうに竜子は秀吉を見上げる。 
「竜子、そのようなことはないぞ。」 
 そう言う秀吉の心の奥を感じとり、竜子はそっと目を伏せた。 
「竜子の元が安心するのじゃ。」 
 女の温かながら寂しげな手を取り、秀吉が頬擦りする。 
「おねさまにもそうおっしゃるのでございましょう?」 
 男の調子のよさに、竜子は仕方なさそうに柔らかな笑みを作った。 
「おねはおね。竜子は竜子じゃぁ。そなたのぬくさは格別じゃ。」 
 秀吉が、ガバと竜子を抱き締めた。そっと当てられた頬の皺が竜子の心を溶かす。 
「嬉しゅうございます。殿下。」 
 無邪気な笑顔に、秀吉も満足そうに頷く。 
「したが、赤子ややを望むのなら、やはり茶々殿の方がよろしいですわね。」 
 指をもじもじと動かしながらも、精一杯にっこりと笑う女が、秀吉には愛しくてたまらなかった。 
「…竜子…」 
「私とて、武家の女子ですもの。」 
 柔らかに、凛として竜子は微笑む。 

 秀吉がただ女好きなのではなく、子を切望しているのも、位が高まるほどにその思いが強くなっているのも、京極きょうごく家ーー武家の名門の姫である竜子は、十分に承知していた。 
「殿下の赤子ややが見てみとうございます。」 
 秀吉は何も言えずに、ただ竜子を抱き締める。年を経て柔らかになった肌の温かさが、着物を通しても伝わってきた。 
 胸の中でじっとしている竜子の心の寂しさを、秀吉は感じていた。 
 竜子の口を借りて、おねが言葉を発したようにも感じている。 
 (儂は、果報者じゃ。) 
 秀吉は、一筋だけ白髪のある竜子の髪をそっと撫でた。 
「殿下…、私のことも忘れないでくださいませね。」 
「忘れぬぞ。そなたは、儂の大事な女子じゃ。茶々にとっても縁続きではないか。」 
「さようではございますが。」 
悋気りんきか?」 
「そのような…」 
「よいよい、かわいい奴じゃ。」 
 竜子の正直な言葉に、秀吉は微笑む。 
「今宵までは茶々の元に参らねばならぬ。また改めて来ようぞ。」 
「まことに?」 
「なんとも知れぬ。側女そばめが増えてもそなたへの思いは変わらぬ。今までもそうであったろう?」 
「…はい…」 
「茶々がいても同じじゃ。おねはおね。竜子は竜子。茶々は茶々じゃ。」 
「まぁ、調子のよい。」 
 竜子が目を見開き、大袈裟にプイとふくれて見せた。秀吉も負けずに目を見開いて、竜子を見返す。 
 どちらからともなく吹き出し、朗らかな男女の笑い声が部屋に響いた。 

「そうじゃ。そのように儂の気持ちを明るうしてくれるのが竜子ではないか。そなたがおらねば、儂は困るぞ。」 
「嬉しゅうございます。」 
「竜子らしゅう、笑っておれ。その顔を見に来るでの。」 
「はい。早う来てくださいませね。殿下。」 
「うむ。約束する。」 
「それならば、今日のところは、許して差し上げます。」 
 茶目っ気のある、大輪の花のような笑顔を竜子が秀吉に向けた。 
「これはこれは、ありがたき幸せ。かたじけのうござる。」 
 秀吉が大仰に改まって頭を下げた。 
 チラリと見上げる秀吉の目に、竜子は笑いだす。 
「それでこそ、竜子じゃ。」 
「ふふ。茶々殿によろしく。」 
「うむ。では行ってまいる。」 



 竜子の部屋から離れ、茶々の待つ部屋へ歩を進めていた秀吉がふと立ち止まった。 
 日が沈んだ後の残り香のような光も今はなく、星がまたたき始めている。 
 わずかに空を見上げた秀吉が、きびすを返し、自室へと戻った。 
 侍女によって開けられたふすまを通る前から、秀吉は羽織の紐に手をかけていた。 
「おまえさま?」 
「着替える。」 
 秀吉は真面目くさった顔で、それだけ伝える。 
「はいはい。」 
 動じることもなく、秀吉の脱ぎ捨てる着物を慣れた様子でおねは拾っていった。

 (竜子殿のところにでも寄られたか。まめな方じゃ。)
 おねは苦笑をしていた。 
 (お側にはべる者たちには、このように気を配られるのに……) 
 秀吉は大勢の側室を侍らせていたが、一人の側室と床を共にしたあと、そのまま続けて別の側室の元には足を運ばない。 
 別の愛姫あいきに渡る時は、必ず自室に戻り、着替えるのである。 
 裏を返せば、必ずおねの元から側室の元に通うのであった。若い頃のおねは、やりきれない思いも抱えたが、今では、それが秀吉の愛情だと解っている。 
 しかし今は着物の乱れもない。 
 (竜子殿とただ話されただけであろうに、今一度身支度を改められるとは…。やはり茶々殿は別格であるようじゃ。) 

 おねは夫に黄金色の羽織を着せかけ、扇子を捧げた。 
 秀吉は黙って扇子をつかみ、帯の間に挟む。 
「お急ぎなされませ。茶々殿がお待ちでしょう。」 
 おねはにっこりと微笑んだ。 
「うむ。行ってまいる。」 
 真面目くさったままの顔で、秀吉はまた部屋を出ていった。 
 部屋から出て行く夫の背を見ながら、 
 (さて、茶々殿に贈る着物を仕上げましょうか) 
 おねはついと立ち上がり、グッと腰を伸ばした。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

小沢機動部隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
1941年4月10日に世界初の本格的な機動部隊である第1航空艦隊の司令長官が任命された。 名は小沢治三郎。 年功序列で任命予定だった南雲忠一中将は”自分には不適任”として望んで第2艦隊司令長官に就いた。 ただ時局は引き返すことが出来ないほど悪化しており、小沢は戦いに身を投じていくことになる。 毎度同じようにこんなことがあったらなという願望を書き綴ったものです。 楽しんで頂ければ幸いです!

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

処理中です...