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我は幸せだ
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「ただいま帰りました」
温室に入ったロランダが、すぅと薫りを吸い込んだ。
「おじいさま?」
キョロキョロと周りを見ながら、ロランダが近づいてくる。
「…ロランダ…」
我の声に一瞬ビクリとしたロランダが振り返る。
「皇太子殿下、ご機嫌麗しく」
不意討ちにも関わらず、見事なカーテシーと微笑みで我を歓迎した。
「ロランダ、貴族たちの取りまとめの目処は立った」
ロランダの前に跪く。ロランダのバラを一輪持って。
「そなたがいたから、我は皇太子でいられた。だから、これからもそなたが隣にいてほしい。
ロランダ=オフィキス、そなたに我の真を捧げる」
バラに口づけを落とし、ロランダの前へ差し出す。
「私はまだヤアを治めはじめたばかりで……」
「構わぬ。ヤアを治め続ければよい。しばらくは我がヤアに通う」
「……」
「ロランダ、我は立場上、我の瞳にそなただけを映すとは誓えぬ。我は国民全てを見つめねばならぬ。
ただ、心の瞳はそなただけを見つめる」
ロランダの瞳から涙が一筋落ちた。
「……嫌…か……?」
初めて見るロランダの涙に、我はうろたえてしまう。
涙をぬぐい頭を上げたロランダが、バラにソッと手を伸ばした。その指が微かに震えている。
「髪に挿してくださいますか?」
「もちろんだ」
チョコレート色の髪にバラを挿すと、ロランダが優雅にカーテシーをした。
「オトフリート皇太子殿下の、真、ロランダ=オフィキスが、お受けいたしました」
頬を染めたロランダが、途切れ途切れに承諾の返事をしてくれる。
「オットーでよい」
ロランダを見つめ、小さな頃と同じように告げる。
「オットー殿下」
「オットーだ」
「オットー様」
「オットー」
敬称をつけ続けるロランダに、きつく視線を落とし、愛称で呼ぶように促す。
「……オッ…トー……」
「なんだ? ロランダ」
顔を真っ赤にしたロランダが、両手で顔を隠した。その仕草が愛らしく、我は思わず抱き締めてしまう。
「離してくださいませ」
「嫌だ」
「逃げませんから」
しぶしぶ、ロランダを解放する。
今しばらく二人でいたくて、温室の案内を乞う。
色とりどりの花だけでなく、穀物や野菜を植えてある場所もあった。
「見事な温室だな」
「ええ。冬もほどよく暖かくて、祖父のご自慢ですわ」
え、冬場もヤアに留まるのか?
「ロランダ、その、冬の間は皇都に戻るのだろう?」
「ええ。ヤアで出来た物を纏って夜会へ出ますわ」
「エスコート役は要らないかい?」
「殿下…」
「オットー」
我はすかさず注意する。
「お忙しいでしょう?」
あ、呼ぶのを避けたな?
「我に我慢しろと?」
つい、恨めしげな声が出る。
「そういうわけでは……」
「少しでも二人でいたいと思うのは我だけなのか?」
「いえ……」
ロランダが頬を染める。
「我がエスコートした方が、ヤアの品に箔が着くのではないか?」
ロランダの足がピタリと止まった。
「それは…、そうですわね……でん…オットー、お願いしても?」
「もちろんだとも。で、売り出すところは決まっているのか?」
「ええ。貴族向けには、公爵家が出資している商会を。もう少し気軽に買えるところとしてゴドール商会にもお願いしています」
「ゴドール?」
「クラウディア嬢の母親、ゲフォーア子爵夫人の御実家ですわ」
ロランダの目に叶ったのであれば、真面目な商会なのだろう。
口にはせぬが、クラウディア嬢がクプスと結ばれた時に、蔑まれぬよう家格を上げているのに相違ない。
「さすがはロランダだ」
「…ローラです」
ふふっと笑った我にロランダの言葉が重なる。
「そう呼んでも?」
「私だけ愛称で呼ぶのはおかしいでしょう?」
優しい微笑みでロランダは我を見上げ、エスコートを促すように手を上げた。
我はロランダの額に口づけを落とし、恭しく腕を出す。
ロランダが体を寄せ、そっと腕に手を置いた。
「ローラ、我は限りなく幸せだ」
そう呟いた我に、ロランダは甘やかに微笑む。
『そなたは?』などと無粋な質問を口に止めた。
バラの薫りに包まれながら、二人でゆっくりと歩を進める。
我は幸せだ。
温室に入ったロランダが、すぅと薫りを吸い込んだ。
「おじいさま?」
キョロキョロと周りを見ながら、ロランダが近づいてくる。
「…ロランダ…」
我の声に一瞬ビクリとしたロランダが振り返る。
「皇太子殿下、ご機嫌麗しく」
不意討ちにも関わらず、見事なカーテシーと微笑みで我を歓迎した。
「ロランダ、貴族たちの取りまとめの目処は立った」
ロランダの前に跪く。ロランダのバラを一輪持って。
「そなたがいたから、我は皇太子でいられた。だから、これからもそなたが隣にいてほしい。
ロランダ=オフィキス、そなたに我の真を捧げる」
バラに口づけを落とし、ロランダの前へ差し出す。
「私はまだヤアを治めはじめたばかりで……」
「構わぬ。ヤアを治め続ければよい。しばらくは我がヤアに通う」
「……」
「ロランダ、我は立場上、我の瞳にそなただけを映すとは誓えぬ。我は国民全てを見つめねばならぬ。
ただ、心の瞳はそなただけを見つめる」
ロランダの瞳から涙が一筋落ちた。
「……嫌…か……?」
初めて見るロランダの涙に、我はうろたえてしまう。
涙をぬぐい頭を上げたロランダが、バラにソッと手を伸ばした。その指が微かに震えている。
「髪に挿してくださいますか?」
「もちろんだ」
チョコレート色の髪にバラを挿すと、ロランダが優雅にカーテシーをした。
「オトフリート皇太子殿下の、真、ロランダ=オフィキスが、お受けいたしました」
頬を染めたロランダが、途切れ途切れに承諾の返事をしてくれる。
「オットーでよい」
ロランダを見つめ、小さな頃と同じように告げる。
「オットー殿下」
「オットーだ」
「オットー様」
「オットー」
敬称をつけ続けるロランダに、きつく視線を落とし、愛称で呼ぶように促す。
「……オッ…トー……」
「なんだ? ロランダ」
顔を真っ赤にしたロランダが、両手で顔を隠した。その仕草が愛らしく、我は思わず抱き締めてしまう。
「離してくださいませ」
「嫌だ」
「逃げませんから」
しぶしぶ、ロランダを解放する。
今しばらく二人でいたくて、温室の案内を乞う。
色とりどりの花だけでなく、穀物や野菜を植えてある場所もあった。
「見事な温室だな」
「ええ。冬もほどよく暖かくて、祖父のご自慢ですわ」
え、冬場もヤアに留まるのか?
「ロランダ、その、冬の間は皇都に戻るのだろう?」
「ええ。ヤアで出来た物を纏って夜会へ出ますわ」
「エスコート役は要らないかい?」
「殿下…」
「オットー」
我はすかさず注意する。
「お忙しいでしょう?」
あ、呼ぶのを避けたな?
「我に我慢しろと?」
つい、恨めしげな声が出る。
「そういうわけでは……」
「少しでも二人でいたいと思うのは我だけなのか?」
「いえ……」
ロランダが頬を染める。
「我がエスコートした方が、ヤアの品に箔が着くのではないか?」
ロランダの足がピタリと止まった。
「それは…、そうですわね……でん…オットー、お願いしても?」
「もちろんだとも。で、売り出すところは決まっているのか?」
「ええ。貴族向けには、公爵家が出資している商会を。もう少し気軽に買えるところとしてゴドール商会にもお願いしています」
「ゴドール?」
「クラウディア嬢の母親、ゲフォーア子爵夫人の御実家ですわ」
ロランダの目に叶ったのであれば、真面目な商会なのだろう。
口にはせぬが、クラウディア嬢がクプスと結ばれた時に、蔑まれぬよう家格を上げているのに相違ない。
「さすがはロランダだ」
「…ローラです」
ふふっと笑った我にロランダの言葉が重なる。
「そう呼んでも?」
「私だけ愛称で呼ぶのはおかしいでしょう?」
優しい微笑みでロランダは我を見上げ、エスコートを促すように手を上げた。
我はロランダの額に口づけを落とし、恭しく腕を出す。
ロランダが体を寄せ、そっと腕に手を置いた。
「ローラ、我は限りなく幸せだ」
そう呟いた我に、ロランダは甘やかに微笑む。
『そなたは?』などと無粋な質問を口に止めた。
バラの薫りに包まれながら、二人でゆっくりと歩を進める。
我は幸せだ。
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