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第五部(最終)
最終章 照葉(てるは)、艶やかに息吹く 其の一
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しとしとと降る雨が、柔らかな新芽を濡らしている。
江は民部卿と顔を付き合わせ、なにやらヒソヒソと話をしていた。
「御台様、お呼びでござりまするか。」
江の居間の入り口に老中が座し、平伏した。
人払いをされた部屋の上座に江がゆったり座っている。
「大炊頭様、どうぞ奥へ。」
利勝を招き入れた民部卿が、入り口の襖をそっと閉じた。
「待っておりました。近う。」
艶やかな打掛け姿の、にこやかな江に、利勝は心の中で警戒を強めている。
(なんの用じゃ? よもや静のことが……)
(いやいや、子が生まれたのは五日前。そう早う御台様の耳に入るはずがない。)
心の中であれこれ思いながら、利勝は努めて平然と、江の前に進む。
鮮やかな牡丹色の小袖に京紫の打掛けが、江に華やかさと落ち着きを与えていた。
(相変わらず、お美しいお方じゃ。)
娘時代からの美しさに加え、なにやら年を重ねた輝きが感じられる。
「なにかご用にござりましょうや。」
飄々とした利勝の言葉に、江が民部卿に合図をした。民部卿が恭しく、黄色い布包みを捧げ持って進み、利勝の前に置いた。
「これは?」
不思議そうな利勝に、再び江が頷いて民部卿に合図をする。民部卿が丁寧に絹布を広げると、つやつやした黒の漆塗りに、金蒔絵で三葉葵が描かれた見事な懐剣があらわれた。
利勝が、ゴクリと唾を飲み込む。
「上様には内密で、これを渡してはくれぬか。」
懐剣を凝視している利勝に、江がひそやかに優しく声をかけた。
「は?」
意外な言葉に、利勝がどこか間の抜けた返事で御台所を見る。
「静殿にじゃ。」
江が柔らかく微笑む。
利勝は内心、大慌てしながらも息を整え、いつも通り、そらとぼけて見せた。
「静、とは……?」
「ふふ、大炊頭殿、隠さずともよい。上様のお子が生まれたのは承知じゃ。のう。民部。」
「はい。」
おかしそうに笑った江が民部卿を見る。そして、同じようににこやかな民部卿の明るい返事に、利勝は訳がわからなくなった。
「承知? 承知とは?」
まばたきを繰り返し、無礼にも御台所を見た利勝は、思わず言葉も繰り返す。
利勝を落ち着けるように、江がゆったりと大層美しい微笑みを見せた。
「すべてじゃ。もう子を生んではならぬと言われたあと、秀忠様の閨での自制があまりにも申し訳のうてな。大姥に申し付けて、侍女を探させたのじゃ。」
「御台様に似ている方を…ですね。」
微笑んで話す女主従に、利勝は呆然とした。
「では、某がお婆さまに言われて連れて参ったのは……」
あわあわとした利勝の口が、言うてはならぬことを白状する。
江が頷き、改めて微笑んだ。
「そうじゃ。ほんに、よう応えてくれました。礼を申しまする。 ……まこと、声が似ているというのは殿方でないと思い付かぬこと。民部でさえ、一瞬耳を疑うたとか。私も聞いてみたかったのう。」
江の微笑みに、利勝はあっけにとられている。利勝の耳元で、『オッホホホ、まだまだじゃな甚三郎』と大姥局の高笑いがした。
初めて見る利勝の慌てる顔に、笑顔のまま、江は続けた。
「静殿には、大姥や民部を通じて、私の香や着物なども下げ渡しました。」
(御台様は、なにを言うておられるのじゃ?)
今や切れ者と言われている利勝の頭は大混乱している。
「おかげで、おつらい立場にいる秀忠様を少しでも慰めて差し上げることができた。」
江が、娘時代から変わらぬ美しいまつげを伏せる。
その仕草に、利勝は御台所の苦しみを見、なぜか少し安堵していた。
「御台様……」
民部卿がそっと声をかける。江が再び、利勝を優しく見た。
「上様は、私の後ろに豊臣を、千をみられる。豊臣も徳川も関係ない女子が必要だったのじゃ。上様のためにも、私のためにも……その礼もある。渡してくれるな。」
「はっ。」
御台所らしい威厳ある物言いに、老中は自然と頭を下げていた。
「大姥にもよろしゅう伝えてくだされ。 秀忠様のお苦しみを何とかしたいと思いながら、自分ではそのような女子には会えぬ私を、よう解って尽くしてくれました。 大姥がすべてを受け入れてくれたお陰で、私も上様に遠慮せず、気になっていることを申し上げられました。感謝している。と。」
「では、御台様は上様のお気持ちを知るために、わざと上様にご不安をぶつけられたと?」
「すべてがそうではありませぬがの。したが、あの方から本心を聞き出すには、怒らせるのが肝要。 そうでしょう? お陰さまで、義父上様のお考えもなんとのうわかりました。」
江がなにもかもすべて飲み込んだ微笑みを利勝に向けた。その微笑みが、少しずつ消える。
「秀忠様は、松を最後の子にすると思うておられたのであろうの……。」
末の姫ーー末姫。秀忠が「長生きするように」と、末娘に託した名の裏にあるもう一つの思いを、江はもちろん、利勝も民部卿も薄々感じ取っていた。
シンとした部屋に、江のささやかな声が拡がる。
「……大炊頭殿、私は子を望めぬようになったゆえ、上様が『側室を』と仰せになれば、それも致し方がないと思うておりました。」
「御台様……?」
江らしからぬ告白に、民部卿が小さな目をむいた。
「すまぬ民部。これだけは、そなたにも大姥にも言うてはおらなんだ。 ……私はいつの間にか上様より六つも年上じゃというのを忘れておった。……よう考えれば、上様はまだまだ男盛り。それも致し方なかろうと。」
江の告白に、民部卿がまばたきを繰り返す。
「じゃが、上様は、秀忠様は、一度も……静殿が男子を生んでからでさえ、そのようなことは一言も仰せにはならぬ。 ……上様のお覚悟にお応えするためにも、私は腹をくくらねばならぬの……徳川の嫁として……それが、大姥の最後の教えかと……」
目を伏せて自分に言い聞かせるようにしていた江が、また利勝をジッと見据えた。そこに静がいるように。
「しかし、そのために静殿には辛い目をさせてしもうた。同じ女子として、申し訳のう思います。お恨み言もありましょう。私は甘んじて受けまする。」
江は目を伏せ、利勝に向かってわずかに頭を下げた。
「御台様、そのような……」
「さようでございまする。静殿は自分から下がられたのですから。」
思ってもみなかった筋書き、思ってもみなかった江の言葉に利勝が慌て、 民部卿が江を慰めようと口を挟んだ。
「いや、私が仕組んだのじゃ。なんと申し開きをしても、かついだのには変わらぬ。私が静殿であれば耐えられぬ。」
江のきれいな瞳には、うっすらと涙が浮かび上がっていた。
「それに上様の子の母ゆえ、難儀なこともありましょう。」
江は、自分と重ね合わせて静を案じ、また『将軍の子の母』の苦しみを実感するのは、自分と静しかいないとも思う。
「はい。どこの子としてもよいから、自分を乳母としてくれと、なにもいらぬからと、ただそれだけを望みました。」
「そうか。賢い女子じゃな。乳母となれば誰邪魔されることなく、ずっと一緒におられる。」
訥々とした利勝の報告に、 江は心底感心したように頷いた。
「それが、『いくらなんでも御生母さまを』との声があるようで。」
見性院や侍女たちが「もう少し偉そうにしておれ」と静に言うのを利勝は思いだし、苦笑する。
江の胸に、幼かった完との別れ、千や珠や初たちとの別れが思い浮かんだ。
「なんと浅はかな。子を取り上げられるのがどれほど辛いか……。なにがあっても引き離してはなりませぬ。それだけは私からもお願い致しまする。大炊頭どの、静殿とお子をよろしく頼みまするぞ。」
「ははっ。」
江は自分に降りかかった悲しみが、せめて静には降りかからないよう祈る。そしてそれが自分にできるただ一つのことと、利勝に心から願った。
江の静を思う心に打たれ、利勝も深く平伏する。懐剣を絹布に包み、恭しくいったん捧げると、手に持ち変えて立ち上がった。
「そうじゃ、大炊頭どの。」
下がろうとする利勝を江が呼び止める。利勝が振り向いてその場に座った。
「上様にはくれぐれも内密にな。それと……もう、女子は探さずともよい。」
江が、ほんのり赤くなった顔を手巾で押さえる。
「医師殿が言うには、私の血の道もそろそろ終わるようじゃ。よいな。」
にっこりと花のように微笑みながらも、利勝を見据え、江は念を押した。
もう褥を共にしても子が出来ることはまずない。秀忠は自分が慰めるゆえ、これ以上女子をあてがうことはまかりならぬ、との命だ、と利勝は悟った。
「は……はっ。」
毒気を抜かれたように老中は頭を下げ、そこにいるのがまるで江でないように一度、御台所を呆然と見つめる。
「頼みましたぞ。」
以前と変わらぬ、美しくにこやかな江の笑顔に、利勝は我に返るともう一度頭を下げて部屋から辞した。
(あれが御台様か……? 某のみならず、上様、いや、もしや大御所様まで手玉にとられたのではないか?)
こぬか雨煙る回廊を歩きながら、利勝はいつしか笑っていた。
(あれが御台様か……)
懐剣を握りしめた老中は、大笑いしたいのをこらえ、ただ忍び笑いを続けて回廊を歩いていった。
*******
幸松誕生は5月7日(太陽暦6月17日)。それより5日後、5月12日(6月22日)のお話。
【黄色の布】虫除けのためにウコンで染められた布。
【牡丹色】ローズピンクのような紫がかった深いピンクいろ
【京紫】少し明るい紫色
江は民部卿と顔を付き合わせ、なにやらヒソヒソと話をしていた。
「御台様、お呼びでござりまするか。」
江の居間の入り口に老中が座し、平伏した。
人払いをされた部屋の上座に江がゆったり座っている。
「大炊頭様、どうぞ奥へ。」
利勝を招き入れた民部卿が、入り口の襖をそっと閉じた。
「待っておりました。近う。」
艶やかな打掛け姿の、にこやかな江に、利勝は心の中で警戒を強めている。
(なんの用じゃ? よもや静のことが……)
(いやいや、子が生まれたのは五日前。そう早う御台様の耳に入るはずがない。)
心の中であれこれ思いながら、利勝は努めて平然と、江の前に進む。
鮮やかな牡丹色の小袖に京紫の打掛けが、江に華やかさと落ち着きを与えていた。
(相変わらず、お美しいお方じゃ。)
娘時代からの美しさに加え、なにやら年を重ねた輝きが感じられる。
「なにかご用にござりましょうや。」
飄々とした利勝の言葉に、江が民部卿に合図をした。民部卿が恭しく、黄色い布包みを捧げ持って進み、利勝の前に置いた。
「これは?」
不思議そうな利勝に、再び江が頷いて民部卿に合図をする。民部卿が丁寧に絹布を広げると、つやつやした黒の漆塗りに、金蒔絵で三葉葵が描かれた見事な懐剣があらわれた。
利勝が、ゴクリと唾を飲み込む。
「上様には内密で、これを渡してはくれぬか。」
懐剣を凝視している利勝に、江がひそやかに優しく声をかけた。
「は?」
意外な言葉に、利勝がどこか間の抜けた返事で御台所を見る。
「静殿にじゃ。」
江が柔らかく微笑む。
利勝は内心、大慌てしながらも息を整え、いつも通り、そらとぼけて見せた。
「静、とは……?」
「ふふ、大炊頭殿、隠さずともよい。上様のお子が生まれたのは承知じゃ。のう。民部。」
「はい。」
おかしそうに笑った江が民部卿を見る。そして、同じようににこやかな民部卿の明るい返事に、利勝は訳がわからなくなった。
「承知? 承知とは?」
まばたきを繰り返し、無礼にも御台所を見た利勝は、思わず言葉も繰り返す。
利勝を落ち着けるように、江がゆったりと大層美しい微笑みを見せた。
「すべてじゃ。もう子を生んではならぬと言われたあと、秀忠様の閨での自制があまりにも申し訳のうてな。大姥に申し付けて、侍女を探させたのじゃ。」
「御台様に似ている方を…ですね。」
微笑んで話す女主従に、利勝は呆然とした。
「では、某がお婆さまに言われて連れて参ったのは……」
あわあわとした利勝の口が、言うてはならぬことを白状する。
江が頷き、改めて微笑んだ。
「そうじゃ。ほんに、よう応えてくれました。礼を申しまする。 ……まこと、声が似ているというのは殿方でないと思い付かぬこと。民部でさえ、一瞬耳を疑うたとか。私も聞いてみたかったのう。」
江の微笑みに、利勝はあっけにとられている。利勝の耳元で、『オッホホホ、まだまだじゃな甚三郎』と大姥局の高笑いがした。
初めて見る利勝の慌てる顔に、笑顔のまま、江は続けた。
「静殿には、大姥や民部を通じて、私の香や着物なども下げ渡しました。」
(御台様は、なにを言うておられるのじゃ?)
今や切れ者と言われている利勝の頭は大混乱している。
「おかげで、おつらい立場にいる秀忠様を少しでも慰めて差し上げることができた。」
江が、娘時代から変わらぬ美しいまつげを伏せる。
その仕草に、利勝は御台所の苦しみを見、なぜか少し安堵していた。
「御台様……」
民部卿がそっと声をかける。江が再び、利勝を優しく見た。
「上様は、私の後ろに豊臣を、千をみられる。豊臣も徳川も関係ない女子が必要だったのじゃ。上様のためにも、私のためにも……その礼もある。渡してくれるな。」
「はっ。」
御台所らしい威厳ある物言いに、老中は自然と頭を下げていた。
「大姥にもよろしゅう伝えてくだされ。 秀忠様のお苦しみを何とかしたいと思いながら、自分ではそのような女子には会えぬ私を、よう解って尽くしてくれました。 大姥がすべてを受け入れてくれたお陰で、私も上様に遠慮せず、気になっていることを申し上げられました。感謝している。と。」
「では、御台様は上様のお気持ちを知るために、わざと上様にご不安をぶつけられたと?」
「すべてがそうではありませぬがの。したが、あの方から本心を聞き出すには、怒らせるのが肝要。 そうでしょう? お陰さまで、義父上様のお考えもなんとのうわかりました。」
江がなにもかもすべて飲み込んだ微笑みを利勝に向けた。その微笑みが、少しずつ消える。
「秀忠様は、松を最後の子にすると思うておられたのであろうの……。」
末の姫ーー末姫。秀忠が「長生きするように」と、末娘に託した名の裏にあるもう一つの思いを、江はもちろん、利勝も民部卿も薄々感じ取っていた。
シンとした部屋に、江のささやかな声が拡がる。
「……大炊頭殿、私は子を望めぬようになったゆえ、上様が『側室を』と仰せになれば、それも致し方がないと思うておりました。」
「御台様……?」
江らしからぬ告白に、民部卿が小さな目をむいた。
「すまぬ民部。これだけは、そなたにも大姥にも言うてはおらなんだ。 ……私はいつの間にか上様より六つも年上じゃというのを忘れておった。……よう考えれば、上様はまだまだ男盛り。それも致し方なかろうと。」
江の告白に、民部卿がまばたきを繰り返す。
「じゃが、上様は、秀忠様は、一度も……静殿が男子を生んでからでさえ、そのようなことは一言も仰せにはならぬ。 ……上様のお覚悟にお応えするためにも、私は腹をくくらねばならぬの……徳川の嫁として……それが、大姥の最後の教えかと……」
目を伏せて自分に言い聞かせるようにしていた江が、また利勝をジッと見据えた。そこに静がいるように。
「しかし、そのために静殿には辛い目をさせてしもうた。同じ女子として、申し訳のう思います。お恨み言もありましょう。私は甘んじて受けまする。」
江は目を伏せ、利勝に向かってわずかに頭を下げた。
「御台様、そのような……」
「さようでございまする。静殿は自分から下がられたのですから。」
思ってもみなかった筋書き、思ってもみなかった江の言葉に利勝が慌て、 民部卿が江を慰めようと口を挟んだ。
「いや、私が仕組んだのじゃ。なんと申し開きをしても、かついだのには変わらぬ。私が静殿であれば耐えられぬ。」
江のきれいな瞳には、うっすらと涙が浮かび上がっていた。
「それに上様の子の母ゆえ、難儀なこともありましょう。」
江は、自分と重ね合わせて静を案じ、また『将軍の子の母』の苦しみを実感するのは、自分と静しかいないとも思う。
「はい。どこの子としてもよいから、自分を乳母としてくれと、なにもいらぬからと、ただそれだけを望みました。」
「そうか。賢い女子じゃな。乳母となれば誰邪魔されることなく、ずっと一緒におられる。」
訥々とした利勝の報告に、 江は心底感心したように頷いた。
「それが、『いくらなんでも御生母さまを』との声があるようで。」
見性院や侍女たちが「もう少し偉そうにしておれ」と静に言うのを利勝は思いだし、苦笑する。
江の胸に、幼かった完との別れ、千や珠や初たちとの別れが思い浮かんだ。
「なんと浅はかな。子を取り上げられるのがどれほど辛いか……。なにがあっても引き離してはなりませぬ。それだけは私からもお願い致しまする。大炊頭どの、静殿とお子をよろしく頼みまするぞ。」
「ははっ。」
江は自分に降りかかった悲しみが、せめて静には降りかからないよう祈る。そしてそれが自分にできるただ一つのことと、利勝に心から願った。
江の静を思う心に打たれ、利勝も深く平伏する。懐剣を絹布に包み、恭しくいったん捧げると、手に持ち変えて立ち上がった。
「そうじゃ、大炊頭どの。」
下がろうとする利勝を江が呼び止める。利勝が振り向いてその場に座った。
「上様にはくれぐれも内密にな。それと……もう、女子は探さずともよい。」
江が、ほんのり赤くなった顔を手巾で押さえる。
「医師殿が言うには、私の血の道もそろそろ終わるようじゃ。よいな。」
にっこりと花のように微笑みながらも、利勝を見据え、江は念を押した。
もう褥を共にしても子が出来ることはまずない。秀忠は自分が慰めるゆえ、これ以上女子をあてがうことはまかりならぬ、との命だ、と利勝は悟った。
「は……はっ。」
毒気を抜かれたように老中は頭を下げ、そこにいるのがまるで江でないように一度、御台所を呆然と見つめる。
「頼みましたぞ。」
以前と変わらぬ、美しくにこやかな江の笑顔に、利勝は我に返るともう一度頭を下げて部屋から辞した。
(あれが御台様か……? 某のみならず、上様、いや、もしや大御所様まで手玉にとられたのではないか?)
こぬか雨煙る回廊を歩きながら、利勝はいつしか笑っていた。
(あれが御台様か……)
懐剣を握りしめた老中は、大笑いしたいのをこらえ、ただ忍び笑いを続けて回廊を歩いていった。
*******
幸松誕生は5月7日(太陽暦6月17日)。それより5日後、5月12日(6月22日)のお話。
【黄色の布】虫除けのためにウコンで染められた布。
【牡丹色】ローズピンクのような紫がかった深いピンクいろ
【京紫】少し明るい紫色
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