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第五部(最終)

第二十七章 九星、光り輝く 其の一

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 端午の節供が終わったばかりの宵、小雨がそぼ降る中を、早駕籠はやかごが二つ、連なって走っている。 
 早駕籠が拝領屋敷の前で止まると、中からは富と美津が転がるように出てきた。 
「ごめんくださいましっ。」 
 富が立派な玄関に臆せず、大きな声をかける。 
 その声に、久がゆったりと奥から出てきた。見性院からの言伝てを受け、久もさっき着いたばかりだった。 
「お久さん、静は。」 
「まだまだかかりそう。痛みが止まってしまったみたいで。」 
「そうかい。」 
 かかった雨を払いながら、富も美津も安堵した顔を見せる。 
「お八重ちゃんは?」 
槙坊しんぼうも連れてるから、ゆっくりの駕籠で来てます。」 
「そう。じゃぁ、先に大姥様と見性院さまにご挨拶しましょう。」 
 富も美津も静が気にかかるが、久について廊下を歩いた。 

「大姥様、見性院様、参りました。静の兄嫁になります美津と、」 
「美津でございます。」 
 久の言葉に、部屋の入り口近くで座った美津が、きれいに礼をする。 
「産みの母親の富です。」 
「富にございます。」 
 同じく隣に座った富も丸い体を縮め、たどたどしく礼をした。 
「よう来て下された。静も心強かろう。今しばらくかかるようじゃが、どうか傍でけてやってくだされ。」 
「はいっ!」 
 大姥局の言葉に、富が上ずった大きな声で返事をした。 
「そう固うなられますな。こちらの方が頼りにしておりますゆえ。」 
「もったいないお言葉にございます。」 
 揃って頭を下げる二人に、大姥局も見性院も優しく微笑んで、その固さを和らげようとする。 
「静のことが気になられよう。お久殿、案内あないして差し上げてくだされ。」 
「かしこまりました。」 
 大姥局は、母たちの気持ちを思いやり、茶も出さず産室へ行かせる。 
 富も美津もどこかホッとした様子で、嬉しそうに久の後ろをついていった。 

 産室のふすまを開けると、静が顔をしかめながら、おにぎりを頬張っている。 
「静?」 
 富の体からも、美津の体からも、一気に力が抜けた。 
 母と義姉みつを見て、細い目をぱちくりさせた静だが、なんとか黙って口をモグモグと動かし続ける。 
「なんだ、まだ余裕ね。」 
 美津が思わずクスクス笑う。 
「おっかさん、お美っちゃん…。どうして……」 
 口の中のものを飲み込み、おにぎりを半分持ったまま、静がいくらか顔をしかめた。 
「静、先に食べよ。今のうちに食べておかねば、もたぬぞ。」 
 浅茅あさじが茶を差し出す。 
「はい。」 
 返事をした静が、またおにぎりを頬張った。 
「旦那様のご配慮じゃ。」 
 藤がそう言い、富にあとを続けるよう目配せして頷く。 
「そうなんだよ。おたねがお胤だけに、乳つけ親もそう大っぴらにできないようで、神尾かんおの旦那さんから『八重を』というご相談を受けたんだよ。 あとは、『女手が欲しい』ってことで、私たちも呼んでいただいたんだ。」 
 富が、どことなく勝手の悪い様子で、やっとそれだけ説明した。 
「私たちは旦那様方のお世話もあるからの。」 
 藤が、どっしりと言い、にこっと笑う。 
 静は他の侍女たちの「旦那様方のお世話」は、富たちを呼ぶための口実であると、すぐに察した。乳が出ないときを考えて、八重も呼ばれたのであろう。 

「ありがとう……つつっ…存じ…まする。」 
 礼を言いながら、静の顔が大きく歪んだ。 
「きたか?」 
「はい、少し…」 
 そう尋ねた藤に、静は顔を歪めながら頷いて、短く返した。 
母者ははじゃたちに早う会いたいと見ゆる。」 
 蕗が「ふふ」と笑った。 
「しかし、先程もそうやって来て止まってしまったゆえな。」 
 藤が眉間に皺を寄せる。 
「初めてゆえ、時間がかかるやも知れませぬ。」 
 浅茅が考え込むような顔をした。 

「…まだ…痛うなるのでございまするな。」 
 お茶をもう一度飲み、顔を歪めて小さな声で、静が呟く。 
「そうじゃ。まだまだじゃ。」 
 蕗が元気付けるように笑って、静の背をさすった。 
「情けないこと言ってんじゃないよ。赤子ややが出てこようと頑張ってんだから、しっかりおし。おっかさんになるんだろう?」 
「…はい…」 
 富が拝領屋敷なのを忘れ、思わず娘を叱咤する。富らしい言葉に、静はお腹を押さえながらも微笑みを作った。 
「女はその痛みを我慢できるように神様がちゃーんと作ってくださってんだから、心配すんじゃないよ。」 
「はい。」 
「さすがは静の母者でございまするな。心強う後をまかせられまする。蕗様、一緒についておってくだされ。私たちは別の用をいたしますゆえ、お願い致しまするぞ。」 
「わかった。」 
 安心したように指示を出す藤に、蕗もキリッと返事をする。 
「蕗様、お疲れになられたら代わりますますゆえ。静、ごちそうも作っておくゆえな。」 
 浅茅がふっくらした顔に優しい笑みを浮かべる。その思いやりに、静も少し微笑んだ。 

「見たところ、まだまだですから、私もお勝手仕事を手伝いましょう。」 
 富が腰をあげようとするのを、藤が止める。 
「それでは旦那様の御好意が無になりまする。ゆるりとされるがよい。」 
「そうじゃ。よいものがある。長うなりそうゆえ、母者たちも力をつけてもらわねば。」 
 蕗が桶の水に浸かっていた竹を取り出した。 
「おお、それも作っておきましょう。」 
 浅茅が、小夜が働くお勝手へとそそくさと立って行く。 
「静、気張るのじゃぞ。」 
 静の後ろに積み上げられた布団を確認していた藤も、一旦、産室から去っていった。 

「ささ。」 
 蕗がにこにこと冷たい甘酒を差し出す。 
 富と美津が顔を見合わせながら、おそるおそる、湯のみに口をつけた。 
「おいしい!」 
 美津が大きな目をぱっちり開け、華やかな笑みを作った。 
「静が考え出してくれての。」   
「静が?」 
 得意そうな蕗に、富が嬉しそうに返す。 
「はい。お城ではそれはそれはよう働いてくれた。母者殿、よい子をお持ちじゃ。」 
「ありがとうございます。」 
 少し皺だった富も可愛らしい笑顔を作った。 


*****
【端午の節供】5月5日の節供。慶長十六年皐月五日は1611年6月15日に当たる。
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