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第四部

第二十五章 楪、照り輝く 其の十

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◆◇◆

 霜月になる前に、すでに雪が舞った。 

「今年の冬は寒いやもしれぬな。」 
 江の温かな手で躯を揉まれながら、秀忠が呟く。 
「では、来年の桜が早うござりましょうか。」 
 江が少し淋しげに微笑む。 
「桜か…」 
「…はい」 
 秀忠は新帝の即位を思い、江は勝の嫁入りを思った。 
 譲位に従い、大御所は上洛する… 
 勝は徳川の絆を深める… 
 (豊臣は…) 
 江は黙って夫の躯を揉み、秀忠は目をつむっていた。 
 冬の夜のシンとした空気が二人を包んでいる。 

 手を休めることなく、江がくいっと顔をあげた。 
「あなたさま。」 
「なんじゃ。」 
 秀忠は目をつぶったまま、気持ち良さそうである。 
「豊臣の国松殿が髪置きとのこと。お祝いを差し上げてもよろしゅうございますか?」 
 ひそやかな声で、江がお願いをした。 
「そなたの姉上様のお孫じゃ。遠慮せずともよい。」 
 目を開けた秀忠が微笑み、優しくきっぱりと言い切る。 
「ありがとうござりまする。」 
 江がほっとした様子で指に力を込めた。 
「そうか。無事育っておるか……」 
 秀忠がまた目をつぶり、再びひとりごちた。 

◆◇◆

 霜月になって最初のいぬの日、絹の紅白二筋ふたすじ白木綿しろゆう一筋、そして赤飯が大姥局の元へと届けられた。 
 木枯らしの中を百舌鳥もずが舞う。 
 局の中は、いつもより火鉢に炭を多目に入れ、十分に暖められていた。 

 紅白の絹と木綿はそれぞれ七尺五分三寸に切って重ねられた。厄除けと安産を願い、大姥局が直々に静のお腹へ巻こうとしている。 
 帯をほどき、慎み深く前をはだけた静は、自分のお腹を見て不安そうな顔をした。 
「旦那様、あまり目立ちませぬが大事ないのでしょうか。」 
 静が赤子が無事に育っているか心配する。 
「案ずるな。そなたのようにふっくらしたものは目立たぬものじゃ。私もそうであった。」 
 介添えをしている浅茅が、軽口で静の不安を取り除く。 
「さようでございますか。」 
「さようじゃ。」 
 浅茅がにんまりと笑った。 
「そうじゃ。案ずることはないぞ。」 
 大姥局が帯を巻き終わり、静のお腹を愛しげに撫でた。 
「まだ生まれるまでにはがある。体をいとい、十分に気を付けよ。」 
「はい。」 

 静が懐妊していることは、局の外に漏れていなかった。 
 気分がよいときは宿直を務めていたが、遅くなりそうならば誰かが替わった。 
 秀忠は宿直が誰であろうが気にすることもなく、ただ淡々と自分に課せられた用をこなしている。 
 (静を抱いたことさえ忘れているのではないか。) 
 大姥局も侍女たちもそう思うほど、秀忠は今までと変わらずにいた。静を話題にするわけでもなく、また、避けるわけでもなかった。 
 静は静でそれまでと変わらず、にこにこしたまま御用を務めていた。 
 そんな静が部屋子達は不憫でならなかった。 
 しかし、静は自分の中にあるひそやかな鼓動が嬉しく、周りの思いやりがありがたく、それだけで笑顔で日々が過ごせる。そんな中、帯祝い今日の日を迎えていた。

 帯を巻いてもらった静が、そのきつさにいくらかぎこちなく大姥局の前に座り、お腹をかばいながら恭しく礼をする。 
「ありがとうござりまする。」 
「うむ。よい子が生めるよう気を付けよ。」 
「はい。」 
 静は、そのまま部屋子達の方へ向き、同じように礼をした。 
「ありがとうござりまする。」 
「静、これからじゃぞ。辛いときには遠慮のう周りに頼れ。」 
 藤の声に、皆がうんうんと頷いた。 
 浅茅が赤飯を分け、皆が少しずつ口にする。 
「旦那様、このようにしていただき、かたじけのうございまする。」 
 静が恐縮した。 
 大姥局が由良と目配せをして微笑む。 
「気に病まずともよい。みな、健やかな赤子ややを心待にしておるでな。」 
 大姥局しゅじんはゆったりと嬉しそうである。 
男子おのこでしょうか、女子おなごでしょうか。」 
「楽しみじゃのう。」 
 賑やかな笑い声に包まれながら、静は幸せであった。 
 皆と共に笑っていると、お腹の中がコプとする。静の笑顔がふっと消えた。 

「いかがした?」 
 蕗が心配そうに覗きこむ。 
赤子ややが。」 
赤子ややがどうした?」 
「動いたような……」 
「まだ早いであろう。」 
 驚いたように目を見開いている静に、蕗がふふと笑った。 
「いや、皆の賑やかな声に驚いたのであろうぞ。」 
 大姥局が笑い、また、賑やかな笑い声が局の中に響いた。 
「さて静、年の瀬にかかると奥も忙しゅうなる。私たちは追って必ず下がるゆえ、先に見性院さまのところへ下がるがよい。全て充分にお願いしてあるゆえな。」 
「はい。」 
 静は寂しそうな顔で、返事をした。 
「そのような顔をするな。すぐにまいるゆえの。それよりも見性院さまが、首を長うしておまちかねじゃぞ。」 
「はい。」 
 主人のにこやかな笑顔に、静も微笑みを返した。 

◆◇◆

 帯祝いが済み、ほどなくして静は見性院の元へと下がった。 
 見性院はことのほか喜び、そうを聴かせたり、生け花を一緒にしたりしながら、静をのんびりと暮らさせた。 
 水になったさき赤子ややの供養と共に、少しずつ襁褓むつきを縫うのも日課になった。 
 帯祝いで貰った絹は滑るように美しく上等で、静は産着に使うのをためらうほどであったが、 「そのための祝いの品であろう」 と見性院に笑いながら諭され、小さな衣を縫っている。 
 腹帯に使った白木綿もきれいに洗い、おむつを縫う。上等の木綿の柔らかさにやはり「もったいない」とは思ったが、赤子の柔らかな肌を考えると、ありがたく思えた。 
 尼僧たちは精進ながら、栄養のつくものを毎日整えてくれる。静も時々手伝い、楽しげに美味しいものを作った。 
 (私もそなたもなんと果報者じゃ。のう、赤子やや) 
 お腹の中がクニュリと動く。お腹をさすり、静は子に微笑んだ。 


******* 
【霜月】11月。慶長15年11月1日は太陽暦12月15日。 
襁褓むつき】 新生児用の産着。また、おむつ。
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