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第四部
第二十一章 薄、尾花に変ず 其の二
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◇◆
『私の幸せは私が決めまする。』
その日、静の頭の中から信松尼の言葉が離れずにいた。
ーー私にとっての幸せとはなんであろう。
上様をいくら思うても、上様のお心に私の居場所はない。
嘉衛門さまとて……。
かといって、八重が嫁にきた生家にも自分の居場所はない。
静は、生まれた家にも、神尾の家にも、お城にも自分の居場所はないような気がした。
『おばうえ~。おうたうたって』
ふいに栄太郎を思い出した。
私を求めてくれた小さな手。
静の目にみるみる涙が溢れた。
(赤子……! ややがいてくれれば、私は寂しくなかった。ややが…ややが……)
静は、子を失ったことに改めて慟哭した。
(ややがいれば……)
止まらぬ嗚咽の中、静の頭に大姥局と秀忠のやりとりが思い浮かぶ。
(あの強い結び付き……)
(ややが、ややがほしい)
静は、はじめて強く思った。
(思いが届かぬのなら、せめてややが……)
静は、自分が秀忠をいつのまにか愛していたのを認めた。
ーー手の届かない御方。思いが届かないとわかっていたから、その思いを沈めていたのだ。そして、嘉衛門さまを思い出した。
したが、嘉衛門さまへの思いも嘘ではない。此の度のことがなければ、もしまた上様に抱かれても、嘉衛門さまを思うたであろう。
自分を御台様の代わりに抱く上様、出世のために上様に差し出そうとする嘉衛門さま。それに比べれば、子を水にした後に近づきもしなかった才兵衛殿の方が誠のある男かもしれぬ。
けれども、心惹かれてしまった。
心惹かれてしもうた。
けれど、お側には侍れぬ。
上様のお心は手に入らぬ。
ならば、私を慕ってくれる子がほしい。
(上様の赤子が欲しい。)
静の想いは、そこに落ち着いていった。
『思い通りに生きられぬなら、自分で選んだ方がよい。』
信松尼の言葉が、また思い出される。
秋の夜長のひんやりとした空気の中、静は上ったばかりの月を見ていた。
◆◇◆
彼岸も過ぎ、葉月も終わろうとする頃、大姥局はたった一人忍んで城を出た。由良は誰かを連れていくように願ったが、大姥局は聞き入れなかった。
事実、「見廻りじゃ。」と言えば、侍女を連れているよりもすんなり通れた。
秋晴れの空に白い雲が浮かんでいる。
駕籠から降りた大姥局は、周りが色づき始めた比丘尼屋敷の前で、ホッと一息ついた。
「見性院様、お伺いいたしますのが遅うなりまして、申し訳ございませぬ。」
「何を申される。お体はもうよろしいのか。」
大姥局が臥せっていたことは、大姥局自身の指図で由良から知らされていた。
「はい。こう年をとりますと、騙し騙しでございまするな。」
ホホッと柔らかい声を立てて、大姥局が笑い、見性院も笑顔で応えた。
「静を呼びゃれ。」
見性院が控える尼僧に指示をした。
ほどなくして、静が襖を開け、
「お呼びでございまするか。」
と頭を下げる。
「こちらへ。」
見性院の言葉に、頭をあげた静の体が驚いたまま止まった。
見慣れた老女が見性院のそばで微笑んでいる。
「旦那様!」
「しず。」
穏やかに頷いて大姥局が優しく呼び掛けた。
「旦那様っ!」
懐かしい声に、静はぐにゃりと顔を歪めて駆け寄る。
静は主人のすぐ側へいくと、目に涙を溜めて手をつき、深々と頭を下げた。
「もっ…申し訳ございませぬ。」
それだけしか言えなかった。それだけ言うと、あとは嗚咽しか出てこなかった。
大姥局は優しく静の背を撫でた。
「よいよい。辛かったな。」
その言葉に、静は主人が全てを承知していると知る。静はこらえきれず、堰を切ったように声をあげて泣いた。
大姥局は静の背を撫で続け、見性院はホッとしたように頷いている。老女二人は、静が落ち着くまで黙って見守っていた。
大姥局は肩を震わせる静の姿に、大御所の命に背いてもよいと思った。
静の嗚咽が止まる頃、見性院は茶を入れ始める。
「静、此度は辛い想いをさせたな。申し訳のう思うぞ。許せ。」
口を少し歪め、悲しい皺を深くした大姥局の改まった詫びに、涙を拭いた静はゆっくりと首を振る。
「さて、いかがいたす。もう城に戻りたくなければ、暇を出そうぞ。」
ゆったりとした声であったが、大姥局は膝に置いた皺だらけの手を、知らずにそっと握っていた。
「いえ。戻りとうございます。」
静は顔をあげて主人を見ると、まだ涙声ではあったが、小さくはっきり答えた。
その答えに、大姥局も見性院も少なからず驚いて目を見張る。
「それは、そなたの本心か? 無理はせずともよいのだぞ。」
「いいえ。もう旦那様の元にしか、私の居場所はありませぬゆえ。 旦那様の元で今まで通りお仕えしたいと思います。」
きっぱりと言いきった静の瞳には、強い意思の力が宿っていた。
その光が何を意味するのか、大姥局には図りかねる。しかし、今問いただすものではないと直感した。
「…さようか。私にしては嬉しい限りじゃ。そなたがおると随分助かるゆえの。上様もお喜びになろう。」
大姥局は皺を深めてにっこり笑い、うんうんと頷く。
「うえ…様が?」
静はドキリとした。
大姥局が軽く会釈をし、見性院から差し出された茶を受ける。
「実はのぅ、体がきかなくなってきたゆえ、先日、上様に下がらせてほしいとお願いしたのじゃ。さすれば、静を呼び戻して、助けてもらえと仰せになられた。」
大姥局は額に手を当て、ホゥと溜め息をつく。
「まだご奉公が足りぬらしい。助けてくれるか?」
首を振って大仰に弱った顔をする大姥局に、静も見性院も思わず微笑んだ。
「はい。喜びまして。」
大姥局のためとはいえ、秀忠が自分を必要としているのが、静は嬉しかった。
皺を深く笑みを見せた大姥局は、小さな茶碗をおしいただいて口をつける。
「見性院さま、茶飲み話をして過ごせるは、今しばらく先のようにござります。」
フフと大姥局は笑った。
「まだ待たねばならぬのですか?上様にも困ったものにござりまするな。」
見性院もまた、大仰に残念そうな顔をして笑う。老女二人は、顔を見合わせ柔らかな笑い声を交わした。
「したが、大姥殿、静はまだ調子が今一つのようじゃが。」
「本復してございまする。」
もう十分、体は回復している。静は見性院の言葉を否定するように、強い口調で申し出た。
茶碗を持った見性院が静を見る。
キョキョキョと鳥の声がした。
手元の茶碗に目を移して、静かに見性院が口を開く。
「体はもうよかろうがの、心が、まだ無理をしておる。」
静が小さな目を伏せた。
「さようにございまするか。急かせるつもりもありませぬ。 静、今年は上様がお忙しいとかで、重陽は簡素にとの仰せであった。ゆえに、落ち着いたら十日辺りに戻ってくればよい。」
あと半月ほどあれば…。と大姥局は思ったのだった。見性院も微かに頷いている。
「それでも気が落ち着いておらねば、また先延ばしにしてもよい。 見性院さま、それでもよろしゅうございますか。」
「私は、いつまででも預かりまするぞ。」
見性院がにっこり笑って愛しそうに静を見た。
「では、そのように。十日に戻って参ったら十三夜には皆で月見をしよう。」
見性院に負けぬほどの慈愛の眼で、大姥局も静を見る。
二人の老女の心遣いが畏れ多く、有り難く、また静の鼻の奥が痛んだ。
「そうか、それは寂しいのう。栗名月も共に愛でられると思うたに。時々遊びによこしてくだされ、大姥殿。大姥殿の代わりに。」
「はい。承知いたしました。」
見性院の柔らかな笑みに、大姥局は軽く頭を下げた。そして、静の方へと向き直る。
「静、そなたの笑い顔がのうて、みな寂しがっておるぞ。今しばらくようよう体を休めて、見性院さまの元、充分に赤子を供養してやるがよい。」
「はい。」
小さな目をしばたたかせ、静は返事をした。
大姥局はウンウンと頷き、静の手をとる。
「気散じをして、笑うて、戻ってきてくれ。私が心置きのうそなたを使えるように。の。」
「はい。」
ニッコリと笑う主人に、静も目を潤ませながら微笑んだ。
「頼んだぞ。」
大姥局は部屋子の手をぎゅっと握る。かさついた手の温かさが、静の心に染みた。
一枚一枚錦絵のように色づいた柿の落ち葉を踏んで大姥局は帰っていく。静は門まで一緒に歩いた。
「静、そなたの笑い顔を楽しみに待っておる。じゃが、無理はせぬようにな。」
大姥局は再び静の手をとった。そして、今一度大きく微笑むと「待っておるからな。」と帰っていった。
静は主人の乗った駕籠が見えなくなるまで、佇んでいた。大姥局に何度も握られた我が手を見つめる。
(旦那さま……)
自分のような者を気にかけ、頼りにしてくれる大姥局の思いが嬉しかった。
屋敷に戻ると見性院から声がかかる。
「静、怒っておるか?」
「何をでございましょう」
静は、思い当たることがなく、首をひねる。
「『大姥殿の代わりに』と言うたことじゃ。」
「いいえ。滅相もございませぬ。」
老尼のまっすぐな眼差しに、静は慌てて首を振る。
「そうか。のう、静、誰でも代わりが務まるわけではないぞ。私はそなたゆえ、会いたいのじゃ。大姥殿と同じように。」
頭巾の下の顔が優しく笑った。
「もったいのうございまする。旦那様の代わりができるなど誇りに思いまする。」
「そうじゃ。誰でもよいのではないぞ。」
見性院はそう繰り返した。
*****
【葉月も終わり】8月の終わり。この年は太陽暦で9月の終わりにあたる。
【重陽】 九月九日の節供。「菊の節句」「菊花の節句」とも。
【十三夜】 九月十三日の月。栗名月、豆名月。
『私の幸せは私が決めまする。』
その日、静の頭の中から信松尼の言葉が離れずにいた。
ーー私にとっての幸せとはなんであろう。
上様をいくら思うても、上様のお心に私の居場所はない。
嘉衛門さまとて……。
かといって、八重が嫁にきた生家にも自分の居場所はない。
静は、生まれた家にも、神尾の家にも、お城にも自分の居場所はないような気がした。
『おばうえ~。おうたうたって』
ふいに栄太郎を思い出した。
私を求めてくれた小さな手。
静の目にみるみる涙が溢れた。
(赤子……! ややがいてくれれば、私は寂しくなかった。ややが…ややが……)
静は、子を失ったことに改めて慟哭した。
(ややがいれば……)
止まらぬ嗚咽の中、静の頭に大姥局と秀忠のやりとりが思い浮かぶ。
(あの強い結び付き……)
(ややが、ややがほしい)
静は、はじめて強く思った。
(思いが届かぬのなら、せめてややが……)
静は、自分が秀忠をいつのまにか愛していたのを認めた。
ーー手の届かない御方。思いが届かないとわかっていたから、その思いを沈めていたのだ。そして、嘉衛門さまを思い出した。
したが、嘉衛門さまへの思いも嘘ではない。此の度のことがなければ、もしまた上様に抱かれても、嘉衛門さまを思うたであろう。
自分を御台様の代わりに抱く上様、出世のために上様に差し出そうとする嘉衛門さま。それに比べれば、子を水にした後に近づきもしなかった才兵衛殿の方が誠のある男かもしれぬ。
けれども、心惹かれてしまった。
心惹かれてしもうた。
けれど、お側には侍れぬ。
上様のお心は手に入らぬ。
ならば、私を慕ってくれる子がほしい。
(上様の赤子が欲しい。)
静の想いは、そこに落ち着いていった。
『思い通りに生きられぬなら、自分で選んだ方がよい。』
信松尼の言葉が、また思い出される。
秋の夜長のひんやりとした空気の中、静は上ったばかりの月を見ていた。
◆◇◆
彼岸も過ぎ、葉月も終わろうとする頃、大姥局はたった一人忍んで城を出た。由良は誰かを連れていくように願ったが、大姥局は聞き入れなかった。
事実、「見廻りじゃ。」と言えば、侍女を連れているよりもすんなり通れた。
秋晴れの空に白い雲が浮かんでいる。
駕籠から降りた大姥局は、周りが色づき始めた比丘尼屋敷の前で、ホッと一息ついた。
「見性院様、お伺いいたしますのが遅うなりまして、申し訳ございませぬ。」
「何を申される。お体はもうよろしいのか。」
大姥局が臥せっていたことは、大姥局自身の指図で由良から知らされていた。
「はい。こう年をとりますと、騙し騙しでございまするな。」
ホホッと柔らかい声を立てて、大姥局が笑い、見性院も笑顔で応えた。
「静を呼びゃれ。」
見性院が控える尼僧に指示をした。
ほどなくして、静が襖を開け、
「お呼びでございまするか。」
と頭を下げる。
「こちらへ。」
見性院の言葉に、頭をあげた静の体が驚いたまま止まった。
見慣れた老女が見性院のそばで微笑んでいる。
「旦那様!」
「しず。」
穏やかに頷いて大姥局が優しく呼び掛けた。
「旦那様っ!」
懐かしい声に、静はぐにゃりと顔を歪めて駆け寄る。
静は主人のすぐ側へいくと、目に涙を溜めて手をつき、深々と頭を下げた。
「もっ…申し訳ございませぬ。」
それだけしか言えなかった。それだけ言うと、あとは嗚咽しか出てこなかった。
大姥局は優しく静の背を撫でた。
「よいよい。辛かったな。」
その言葉に、静は主人が全てを承知していると知る。静はこらえきれず、堰を切ったように声をあげて泣いた。
大姥局は静の背を撫で続け、見性院はホッとしたように頷いている。老女二人は、静が落ち着くまで黙って見守っていた。
大姥局は肩を震わせる静の姿に、大御所の命に背いてもよいと思った。
静の嗚咽が止まる頃、見性院は茶を入れ始める。
「静、此度は辛い想いをさせたな。申し訳のう思うぞ。許せ。」
口を少し歪め、悲しい皺を深くした大姥局の改まった詫びに、涙を拭いた静はゆっくりと首を振る。
「さて、いかがいたす。もう城に戻りたくなければ、暇を出そうぞ。」
ゆったりとした声であったが、大姥局は膝に置いた皺だらけの手を、知らずにそっと握っていた。
「いえ。戻りとうございます。」
静は顔をあげて主人を見ると、まだ涙声ではあったが、小さくはっきり答えた。
その答えに、大姥局も見性院も少なからず驚いて目を見張る。
「それは、そなたの本心か? 無理はせずともよいのだぞ。」
「いいえ。もう旦那様の元にしか、私の居場所はありませぬゆえ。 旦那様の元で今まで通りお仕えしたいと思います。」
きっぱりと言いきった静の瞳には、強い意思の力が宿っていた。
その光が何を意味するのか、大姥局には図りかねる。しかし、今問いただすものではないと直感した。
「…さようか。私にしては嬉しい限りじゃ。そなたがおると随分助かるゆえの。上様もお喜びになろう。」
大姥局は皺を深めてにっこり笑い、うんうんと頷く。
「うえ…様が?」
静はドキリとした。
大姥局が軽く会釈をし、見性院から差し出された茶を受ける。
「実はのぅ、体がきかなくなってきたゆえ、先日、上様に下がらせてほしいとお願いしたのじゃ。さすれば、静を呼び戻して、助けてもらえと仰せになられた。」
大姥局は額に手を当て、ホゥと溜め息をつく。
「まだご奉公が足りぬらしい。助けてくれるか?」
首を振って大仰に弱った顔をする大姥局に、静も見性院も思わず微笑んだ。
「はい。喜びまして。」
大姥局のためとはいえ、秀忠が自分を必要としているのが、静は嬉しかった。
皺を深く笑みを見せた大姥局は、小さな茶碗をおしいただいて口をつける。
「見性院さま、茶飲み話をして過ごせるは、今しばらく先のようにござります。」
フフと大姥局は笑った。
「まだ待たねばならぬのですか?上様にも困ったものにござりまするな。」
見性院もまた、大仰に残念そうな顔をして笑う。老女二人は、顔を見合わせ柔らかな笑い声を交わした。
「したが、大姥殿、静はまだ調子が今一つのようじゃが。」
「本復してございまする。」
もう十分、体は回復している。静は見性院の言葉を否定するように、強い口調で申し出た。
茶碗を持った見性院が静を見る。
キョキョキョと鳥の声がした。
手元の茶碗に目を移して、静かに見性院が口を開く。
「体はもうよかろうがの、心が、まだ無理をしておる。」
静が小さな目を伏せた。
「さようにございまするか。急かせるつもりもありませぬ。 静、今年は上様がお忙しいとかで、重陽は簡素にとの仰せであった。ゆえに、落ち着いたら十日辺りに戻ってくればよい。」
あと半月ほどあれば…。と大姥局は思ったのだった。見性院も微かに頷いている。
「それでも気が落ち着いておらねば、また先延ばしにしてもよい。 見性院さま、それでもよろしゅうございますか。」
「私は、いつまででも預かりまするぞ。」
見性院がにっこり笑って愛しそうに静を見た。
「では、そのように。十日に戻って参ったら十三夜には皆で月見をしよう。」
見性院に負けぬほどの慈愛の眼で、大姥局も静を見る。
二人の老女の心遣いが畏れ多く、有り難く、また静の鼻の奥が痛んだ。
「そうか、それは寂しいのう。栗名月も共に愛でられると思うたに。時々遊びによこしてくだされ、大姥殿。大姥殿の代わりに。」
「はい。承知いたしました。」
見性院の柔らかな笑みに、大姥局は軽く頭を下げた。そして、静の方へと向き直る。
「静、そなたの笑い顔がのうて、みな寂しがっておるぞ。今しばらくようよう体を休めて、見性院さまの元、充分に赤子を供養してやるがよい。」
「はい。」
小さな目をしばたたかせ、静は返事をした。
大姥局はウンウンと頷き、静の手をとる。
「気散じをして、笑うて、戻ってきてくれ。私が心置きのうそなたを使えるように。の。」
「はい。」
ニッコリと笑う主人に、静も目を潤ませながら微笑んだ。
「頼んだぞ。」
大姥局は部屋子の手をぎゅっと握る。かさついた手の温かさが、静の心に染みた。
一枚一枚錦絵のように色づいた柿の落ち葉を踏んで大姥局は帰っていく。静は門まで一緒に歩いた。
「静、そなたの笑い顔を楽しみに待っておる。じゃが、無理はせぬようにな。」
大姥局は再び静の手をとった。そして、今一度大きく微笑むと「待っておるからな。」と帰っていった。
静は主人の乗った駕籠が見えなくなるまで、佇んでいた。大姥局に何度も握られた我が手を見つめる。
(旦那さま……)
自分のような者を気にかけ、頼りにしてくれる大姥局の思いが嬉しかった。
屋敷に戻ると見性院から声がかかる。
「静、怒っておるか?」
「何をでございましょう」
静は、思い当たることがなく、首をひねる。
「『大姥殿の代わりに』と言うたことじゃ。」
「いいえ。滅相もございませぬ。」
老尼のまっすぐな眼差しに、静は慌てて首を振る。
「そうか。のう、静、誰でも代わりが務まるわけではないぞ。私はそなたゆえ、会いたいのじゃ。大姥殿と同じように。」
頭巾の下の顔が優しく笑った。
「もったいのうございまする。旦那様の代わりができるなど誇りに思いまする。」
「そうじゃ。誰でもよいのではないぞ。」
見性院はそう繰り返した。
*****
【葉月も終わり】8月の終わり。この年は太陽暦で9月の終わりにあたる。
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