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第三部

第十八章 芋供え月、丸む  其の五

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義父上ちちうえさま、なにかございましたか?」 
 賑やかな笑い声に、戻ってきた静が、つられて笑い、細い目をさらに細める。 
「いやいや、そろそろ才兵衛さいべえの嫁取りを考えねばなという話じゃ。」 
「ほんに! さようでございまするね。よいご縁をお祈りしておりまする。」 
 にこやかな静の答えに才兵衛はうつむき、栄嘉さかよし嘉衛門よしえもんがおかしそうな顔を見せた。 
「なにか、おかしなことを申しましたでしょうか?」 
 三人の間に流れる、なにやら奇妙な雰囲気に、静は身をウロウロさせた。 
 栄嘉がえびす顔を見せ、静に穏やかに語りかける。 
「いや。お静もこの家から嫁に出すゆえな。」 
「いいえ、私はもう……」 
 (もうきれいな体ではない。縁付くことも諦められる。) 
 小さく頭を振り静は穏やかに微笑む。その微笑みは、どこか凛として寂しさをたたえていた。 

 少なくなっていた木の山から、静は木片を取り、再び丁寧に指で木の面を触る。 
 懐かしい感触は、『おっ、うまいうまい。静は丁寧だな。』という父の声を蘇らせる。静の顔は知らずと、いつにも増して穏やかで柔らかな微笑みをたたえていた。 
「嫁に、いきたくはないのですか?」 
 月明かりに、静の様子を時々盗み見るようにしていた才兵衛が、我慢できないように訊いた。 
「そういうわけではありませぬが……」 
 静はいくらか頬を染め、品よくなよやかな返事をする。 
「では、私の嫁になっていただけませぬか?」 
 才兵衛の口から、自分でも思わぬ言葉がほとばしった。言った本人がハッとした様子を見せる。 
「才兵衛!」 
 たちの悪い戯れ言ざれごとだと思った嘉衛門が、間髪をいれずに低い声で弟を叱る。 
 静は才兵衛の言葉が理解できず、一瞬手を止めて、なんとも不思議な、きょとんとした顔を見せた。
 が、求婚だと理解すると、めずらしく眉間にシワを寄せ、震える唇で早口となった。 
「おやめくださいまし。そのようなおたわむれ。らぬ情けにございます。……才兵衛殿には、可愛らしいお方がいらっしゃいますでしょう?」 
 お城に上がる前、才兵衛がうたげの後、一緒に出ていく愛らしい娘がいたのを静は思い出す。 
 けんのある言葉を吐いたあと、静は磨かなくてもよい木札を椋の葉でセカセカと磨いた。 
「去年、嫁にいきました。大店おおだなの跡取りのところへ。」 
 ニパッと笑って、才兵衛は静に報告した。 
「えっ! まぁ、それは、申し訳ないことを…」 
 一重の目を大きく見張り、口に手を当てた静は、慌てて木札を離して才兵衛に頭を下げる。なによりうっかりとした一言を悔いて身を小さくした。 
「よいのです。確かに武家とはいえ、主君も持たぬ家の、それも次男の嫁になるより、大店の跡取りのところへ嫁に行った方が幸せになれるでしょう。」 
 才兵衛は手を止めることなく、わずかな微笑みを浮かべ、おっとりと、しかし淡々と言う。 
 人懐っこい才兵衛の淡々とした口調は、自尊心を守るためと他の三人は気づいていた。 
「すまぬな、才兵衛。私が不甲斐ないばかりに」 
 藤五のそばでの仕事に満足し、仕官先を熱心に探していなかった嘉衛門が弟に謝った。 
「いや、謝るのはわしじゃ。小田原の戦のあと、どうあってでもどこかに仕官すればよかったのじゃ。……じゃが、もう、戦は嫌でのう……。腰抜けの父を許せ。」 
 栄嘉が手を止めて、溜め息をつき息子に謝る。 
「私の嫁取りが叶わなかったのは、父上のせいでも兄上のせいでもありません。兄上はちゃんと嫁取りできているのですから。」 
 才兵衛は手拭いで額の汗を拭き、ニマッと笑うと、またひとつ木札を取った。 
「奥づとめをしているお静が我が家に来てくれれば、才兵衛の嫁取りにもよいかと思うたのじゃ……。すまぬな、静。」 
 手を動かしながら栄嘉が正直な気持ちを語り、手を止めて静を見ると、寂しそうな瞳でその白髪頭を下げた。 
「いいえ、私でお役に立てますのなら。」 
 静は、お城づとめを続けようと思った。自分がお城に居ることで、才兵衛の嫁取りの条件が良くなるのであれば、喜んでお城へ戻ろう。 
「じゃが、こやつはそなたがよいと言い出した。」 
 栄嘉が少し頼もしそうな、おもしろそうな視線で才兵衛を見る。才兵衛は父のそのような眼差しにも気づいていない。 
 そして嘉衛門は父と弟を時々見ながら、なんとなくモヤモヤした気持ちを落ち着かせるように、ただ黙って手を動かしていた。 
義姉上あねうえを見ていて、私には、義姉上あねうえのような方がよいと思い知ったのです」 
 才兵衛がまっすぐに真顔でうなづく。 

 ここに及んで、静は才兵衛の思いが真剣なのかもしれないと思った。数日前の藤五の『いい女になってっから』という言葉が頭をよぎり、急に顔が火照ほてった。初めての殿方からの求婚である。だからといって、「よろしくお願いします」という返事もできない。 
 以前は望まれたら、どのような殿方でも嫁に行こうと思っていた静だが、今や、そう簡単に返事ができるような清い身ではないのは自分が一番よく分かっていた。 
 まして自分は三十路みそじが近い。それに比べ才兵衛は二十歳を過ぎたばかりの若者である。 
 (家族の間の戯言ざれごとかもしれぬ。が、お返事をせねばなるまい。) 
 静が先程から持った木札を、ずっと繰り返し同じように触っている。静のてのひらの中で、一枚の木札がヒラヒラと舞うように動いていた。 

 ドキドキしている胸を押さえ、頬を染めてうつむいた静が、ゆっくりと大きく息をする。男三人が手を止めて一人の女を凝視した。 
 にっこりと微笑んだ静が、口を開く。 
「私は、六つも年上です。したが、ありがとうございます、才兵衛殿。そのお言葉だけで、充分、嬉しゅうございまする。」 
 静はカラカラになりそうな口で、なんとか返事をし、心のこもったそれは綺麗なお辞儀をした。 
「やっぱり駄目か~。」 
 才兵衛が明るく大仰に首と肩を落とし、まさにがっくり・・・・した。 
「無念じゃのぉ。」 
 栄嘉も額に手を当て天を仰ぎ、大仰に残念がった。 
「父上っ!?」 
 嘉衛門は、父が本気で静を嫁取りしようと考えていたことに驚いた。 
 男たちの大仰なやり取りに、静は頬を染めたまま思わずクスッと笑ってしまった。その静の笑顔に、義父も義兄弟も笑った。 
 涙が出そうになった静は慌てて木札を取る。微笑みながら、うつ向いて入念に木を調べた。 


 月明かりを入れるため、障子しょうじを開けているのに蒸し暑さが増してくる。傷に木綿布ゆうぬのを巻いている嘉衛門よしえもんは、着物の前をはだけて団扇うちわで風を送る。 
「大事のうございますか?」 
 その姿を恥ずかしげに、ほんのわずかだけ見た静が、心配そうな声で問う。 
「ああ。大事ない。」 
 嘉衛門が団扇を置き、優しい声を静に返すと少し胸元を合わせた。 
 兄が置いた団扇を才兵衛が取る。バタバタと自分をあおいだ後、父をパタパタとあおぎ始めた。 
「父上、まだいくさが起こるのでしょうか。」 
 『戦が嫌だ』といった父に、才兵衛は訊いてみた。 
「さあな。わからぬ。」 
 栄嘉さかよしは、まるで関心がないように穏やかに答える。 
「徳川さまが二代続けて将軍になっておられます。このまま世は治まるのではないでしょうか。」 
 嘉衛門が、常日頃考えていることを父に問いかけてみた。 
「どうであろうな。」 
 栄嘉はやはり顔をあげず、ただ木札を点検している。 
「このままであるのなら、私は刀を捨ててもよいかと。」 
 静かな嘉衛門の言葉に、父は顔をあげ、弟は頷いた。栄嘉は二人の顔をかわるがわる見る。そして、小さく溜め息をついた。 
 静は息を潜めて木札を触っていた。 

「そうか。じゃが、諸行は無常じゃ。まだわからぬ。太閤たいこうのように、足軽から天下にかけ上がれるやもしれぬぞ?」 
 栄嘉らしい愉快な話し方ではあるが、その内容は穏やかではない。 
 不思議に思って顔を上げた静は、かすかに口角を上げた栄嘉の目に何故だかゾクリとした。 
「「まさか。」 」
 一瞬息を呑んだ息子たちが、吐き出す息で言う。二人とも父の途方もない言葉に苦笑した。 
「フォフォフォ、そうじゃな。」 
 栄嘉の瞳は先ほどの強さはなく、いつものようにおかしみを喜ぶ、柔らかな眼差しをしていた。 
 残り少なくなってきた木札に栄嘉が手を伸ばしたとき、静がおずおずと訊いた。 
「あの…義父上ちちうえ様の御懸念はなんでございましょうか。」 
 栄嘉は、手を止めて静を無遠慮に見た。 
 栄嘉が驚いたのは、静の言葉を読む力である。
 ーー息子たちは徳川の世で安定すると思っている。だから戯れ言と捉えたし、自分も誤魔化した。ところが、この娘は不安を感じ取ったのか。
 息子たちでさえ感じ取れなかった不安を。
 
 栄嘉は、木札を置いてのんびりと話し始める。
「そうじゃなぁ、戦のこともあるが、『次の将軍様』じゃろうかの。」 
「次の、上様?」 
「そうじゃ。戦乱の世を渡り歩いた大御所様や上様と違い、お世継ぎ様は生まれた時から、将軍家の中でお育ちであろう? このまま将軍を継がれれば、生まれながらの将軍といってよかろう。さすがの大御所様も、次の世までは生きておるまい。そういう意味では、太閤の遺児と同じであろうな。
 ……ということは、本人のみならず、側近が大事となってくるであろうの。すきなく世を治めるためには。 ……まぁ、参謀が大事なのは、泰平の世に限ったことではないが、お世継ぎ様は城から出ずに暮らしができるじゃろうからのう…… 。そのようにお育ちの方が、日の本中の大名に目を光らせ、下々の暮らしまでを治めるのは並大抵ではなかろう。」
 
 栄嘉の頭に北条の亡き御家老が浮かぶ。下々しもじものために尽くされる御家老であった。 
 守っていた城を多勢に攻められ、皆を生かすために生き恥をさらして降伏し、涙を飲んで降伏先の豊臣の力となった。 
 そうやって尽くした末、「すぐに寝返るやつは信用できぬ。」と言われ、戦のせきを負わされ、北条の大殿と共に切腹させられた。 
 その話を聞いて栄嘉は涙した。 
 (ただ利用しただけではないのか!) 
 武士というもの、戦というものの駆け引きの難しさ、非情さが身に染みたのである。 
 武士に疑問も感じたが、子供たち、特に息子を思うと武士を捨てることができなかった。 
 ところが、その息子が「刀を捨ててもよい」という。しかし栄嘉には、このまま徳川の世が来るのか、まだ信じきれずにいた。 

 そして静は静で、楽しそうに秀忠と相撲を取っていた若君たちを思い浮かべていた。お城から出ると言えば、人払いをした海に行く程度。城から、いや、本丸から出ずとも、なに不自由なく暮らしている若君たちであった。 
 確かに下々の暮らしとはおろか、お仕えする者たちとしか交わらない。 
 (旦那さまもそのように案じておられるのかしら。) 
 時々、心配そうに若君たちを見る大姥局の顔が、静の頭に浮かんだ。 


「まだやってるんですか? お静ちゃんを疲れさせないでくださいね。」 
 覗きに来た美津の言葉に、才兵衛がプッと笑った。 
 栄嘉と嘉衛門が顔を見合わせて、苦笑いする。 
「美津。そなたが一番お静に甘えているのではないか。」 
 嘉衛門が妻に向かって、とがめる目をしながら笑った。 
「えっ? アタシはいいのよ。ねっ、お静ちゃん。」 
 堂々とした美津の華やかな笑顔に皆が笑った。 
 静は新しい家族の中で心安らいでいた。 
 天空の星は美しく、虫の音は終わることを知らずに賑やかに響いていた。 


[第十八章 芋供え月、丸む 了]
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