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第一部
第一章 春嵐吹く 其の二
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利勝は、翌日から市中見回りに精を出した。また、仕官の願いにも改めて目を通し、気になった者は下に命じてそれとなく娘がいないか探らせ、娘がいれば自ら見に行った。
大姥局に頼まれてからすでに半月、如月を迎えていた。探し始めた頃に咲き始めた梅は、もう散りしぐれている。
大姥局の願いもそうだが、なにより利勝は「上様のため」と思って励んでいる。
(御台様には申し訳ないが、男とはそういうもの。激情をぶつける相手がいるのじゃ。)
男子のことは男子しかわからぬ。そして、秀忠のことは自分が一番よく分かっている。そう思って心を砕き、手を尽くしているが、大姥局の、いや、利勝自身が納得するような女子は見つからなかった。
(なかなかこれという女子はおらんのう……)利勝が天を仰いで嘆息する。(八方塞がりとはこのことか……)
切れ者で自信家の利勝の鼻も、今回ばかりはさすがに折れそうであった。
(あの婆さまの躾にも耐えられる女子でないとならんしのぉ……くっそー! 難しいのう……)
利勝は目をつぶって頭をガシガシと擦り、再び大きな溜め息をついた。
春一番を思わせる突風が吹き、外にいるすべての人を慌てさせる。
「うおっ。風が強いのう。ちと早いが本門寺に寄るか。」
利勝は池上本門寺に向かって馬を走らせた。いまや市中見回りのあと池上本門寺に寄り、塔の出来具合を見るのが日課になっている。
「ほぼ完成じゃの。おばばさまも喜ばれよう。しかし、上様の出世のお礼にこうも立派なものを寄進するとは……、やはりあなどれぬ婆さまじゃ。」
眩しそうに塔を見上げて呟いた利勝の横を、バタバタと紺絣の女が駆け抜けた。
(せわしない女子じゃのう……)
「あっ、お許しくださいませっ」
侍姿の利勝に触れたと思ったのか、女は急に立ち止まり、頭を下げた。
利勝が大きな目を、さらに見開く。
そんな男の様子に気づくはずもなく、女は短い着物の裾を跳ね上げて、また塔の方へ走り出した。
「おとっつぁん、松吉!」
利勝は大声で風呂敷包みをかざす小柄な女子を目で追いながら、思わず近くへと進んでいった。
背中がゾクゾクする。
(ここで出会えるとは……。おばばさまの執念やもしれぬ)
女子の後を追う利勝の羽織を、春の風が巻き上げた。
◆◇◆
如月十五日、早咲きの桜がほころぶ中、大姥局の池上本門寺五重塔寄進も無事に済んだ。
その次の日、利勝が品のよい青磁色の振り袖を着た女子を連れて、江戸城奥の大姥局の元へ向かっていた。
「ごめんつかまつります。」
利勝が先に立って、部屋の中にズイと入った。その後ろに隠れるように、ぽっちゃりと小柄な女子がうつむいて入ってくる。
正面に姿勢を正して一人座っていた大姥局は、思わず首を傾げそうになった。
(御台様に似ているかのぅ……。そう美しゅうもなさそうじゃが……。)
自慢げな顔の利勝は、怪訝な顔の大姥局の前に女を座らせ、自分はその横にどっかりと座った。
大姥局の目は、うつむいている女の袖から覗く、プクプクとした子どものような手を見ていた。
「武蔵板橋の大工、柾吉が娘、静にございます。大姥殿のお眼鏡に叶うかと存じまする。静、ご挨拶せよ。」
「静と申します。」
ペコリと礼をした静が、名乗って顔を上げたとき、大姥局はハッとし、利勝を見た。
利勝が満足そうにニヤリと笑う。大姥局がゆっくりと頷いた。
「静……であったな。」
「はい。」
威厳に満ちた大姥局の声に、うつむき加減の静は、かすかに震えた声で答える。
「私が寄進した池上本門寺さまの塔に、父者も携わったとか。」
「はい!」先程とは打って変わった明るい声で静が答える。「おとっつぁ……いえ、父のご奉公が終わってからと存じましたので、こちらに上がるのが遅れました。申し訳ございません。」
穏やかであったが、言葉を選んで、はっきりと静が言う。大姥局がにこやかに笑った。
(ふむ。しっかりと物を言う。かようなところも御台様に似ておるやも知れぬ。)
「いや、礼を言うのはこちらじゃ。良き塔を建ててくれた。」
静が嬉しそうに笑って、ピョコンと礼をした。えくぼの浮かんだ笑顔が愛らしい。
「今日より私の侍女として身の回りの世話を頼む。古くからの侍女も年老いて、なかなか思うようにいかぬのでな、若い侍女を探しておったのじゃ。池上本門寺さまで見つかるとは、これもなにかのお導きであろう。」
「精一杯お務めさせていただきます。」
静が緊張しつつ、手をついて、愛嬌のある顔を下げる。
「じゃが、ここは将軍家。まずは武家の作法をきちんと身につけねばならぬ。私が直に教えるゆえ、心して学ぶがよい。」
再び気を引き締めた声で、大姥局は静にきちっと言い渡した。
(さすがはおばばさま。締めるところを心得ておいでじゃ。)
やり取りを黙ってみていた利勝が、心の中でフフと笑う。
「はい。ふつつか者でございますが、よろしくお導きください。」
静がさらに緊張した面持ちで、ゆっくりと礼をした。
大姥局は満足そうに笑みを浮かべて静を見、そして利勝を見た。
「大炊頭殿、よき女子を探してきてくれました。難儀でございましたでしょう? 礼を申しまする。」
大姥局は利勝の方へゆるりと体を向け、しっかりと頭を下げた。
「なんの。某にとっては朝飯前でござる。」
利勝は豪快に「ワハハ」と笑った。
「では、あとは大姥殿にお任せいたします。静、しっかりお務めせよ。」
大姥局と静に声をかけ、利勝は立ち上がった。部屋から去って行く利勝を、静は心細そうな顔で見送る。
「藤。」
大姥局の一声に、大柄な侍女が滑るように入ってきた。
「静を着替えさせよ。」
近くに控えた藤という侍女に、大姥局が命ずる。藤は立ち上がり、静をうながして奥へと消えていった。
(ここからは、私の腕の見せどころじゃ。)
火の消えた火鉢の灰をかき混ぜながら、老乳母は思った。
[第一章 春嵐吹く 了]
*****
【如月】二月 この年の如月朔日は3月17日
【如月十五日】3月31日
【青磁色】落ち着きのある青緑色
大姥局に頼まれてからすでに半月、如月を迎えていた。探し始めた頃に咲き始めた梅は、もう散りしぐれている。
大姥局の願いもそうだが、なにより利勝は「上様のため」と思って励んでいる。
(御台様には申し訳ないが、男とはそういうもの。激情をぶつける相手がいるのじゃ。)
男子のことは男子しかわからぬ。そして、秀忠のことは自分が一番よく分かっている。そう思って心を砕き、手を尽くしているが、大姥局の、いや、利勝自身が納得するような女子は見つからなかった。
(なかなかこれという女子はおらんのう……)利勝が天を仰いで嘆息する。(八方塞がりとはこのことか……)
切れ者で自信家の利勝の鼻も、今回ばかりはさすがに折れそうであった。
(あの婆さまの躾にも耐えられる女子でないとならんしのぉ……くっそー! 難しいのう……)
利勝は目をつぶって頭をガシガシと擦り、再び大きな溜め息をついた。
春一番を思わせる突風が吹き、外にいるすべての人を慌てさせる。
「うおっ。風が強いのう。ちと早いが本門寺に寄るか。」
利勝は池上本門寺に向かって馬を走らせた。いまや市中見回りのあと池上本門寺に寄り、塔の出来具合を見るのが日課になっている。
「ほぼ完成じゃの。おばばさまも喜ばれよう。しかし、上様の出世のお礼にこうも立派なものを寄進するとは……、やはりあなどれぬ婆さまじゃ。」
眩しそうに塔を見上げて呟いた利勝の横を、バタバタと紺絣の女が駆け抜けた。
(せわしない女子じゃのう……)
「あっ、お許しくださいませっ」
侍姿の利勝に触れたと思ったのか、女は急に立ち止まり、頭を下げた。
利勝が大きな目を、さらに見開く。
そんな男の様子に気づくはずもなく、女は短い着物の裾を跳ね上げて、また塔の方へ走り出した。
「おとっつぁん、松吉!」
利勝は大声で風呂敷包みをかざす小柄な女子を目で追いながら、思わず近くへと進んでいった。
背中がゾクゾクする。
(ここで出会えるとは……。おばばさまの執念やもしれぬ)
女子の後を追う利勝の羽織を、春の風が巻き上げた。
◆◇◆
如月十五日、早咲きの桜がほころぶ中、大姥局の池上本門寺五重塔寄進も無事に済んだ。
その次の日、利勝が品のよい青磁色の振り袖を着た女子を連れて、江戸城奥の大姥局の元へ向かっていた。
「ごめんつかまつります。」
利勝が先に立って、部屋の中にズイと入った。その後ろに隠れるように、ぽっちゃりと小柄な女子がうつむいて入ってくる。
正面に姿勢を正して一人座っていた大姥局は、思わず首を傾げそうになった。
(御台様に似ているかのぅ……。そう美しゅうもなさそうじゃが……。)
自慢げな顔の利勝は、怪訝な顔の大姥局の前に女を座らせ、自分はその横にどっかりと座った。
大姥局の目は、うつむいている女の袖から覗く、プクプクとした子どものような手を見ていた。
「武蔵板橋の大工、柾吉が娘、静にございます。大姥殿のお眼鏡に叶うかと存じまする。静、ご挨拶せよ。」
「静と申します。」
ペコリと礼をした静が、名乗って顔を上げたとき、大姥局はハッとし、利勝を見た。
利勝が満足そうにニヤリと笑う。大姥局がゆっくりと頷いた。
「静……であったな。」
「はい。」
威厳に満ちた大姥局の声に、うつむき加減の静は、かすかに震えた声で答える。
「私が寄進した池上本門寺さまの塔に、父者も携わったとか。」
「はい!」先程とは打って変わった明るい声で静が答える。「おとっつぁ……いえ、父のご奉公が終わってからと存じましたので、こちらに上がるのが遅れました。申し訳ございません。」
穏やかであったが、言葉を選んで、はっきりと静が言う。大姥局がにこやかに笑った。
(ふむ。しっかりと物を言う。かようなところも御台様に似ておるやも知れぬ。)
「いや、礼を言うのはこちらじゃ。良き塔を建ててくれた。」
静が嬉しそうに笑って、ピョコンと礼をした。えくぼの浮かんだ笑顔が愛らしい。
「今日より私の侍女として身の回りの世話を頼む。古くからの侍女も年老いて、なかなか思うようにいかぬのでな、若い侍女を探しておったのじゃ。池上本門寺さまで見つかるとは、これもなにかのお導きであろう。」
「精一杯お務めさせていただきます。」
静が緊張しつつ、手をついて、愛嬌のある顔を下げる。
「じゃが、ここは将軍家。まずは武家の作法をきちんと身につけねばならぬ。私が直に教えるゆえ、心して学ぶがよい。」
再び気を引き締めた声で、大姥局は静にきちっと言い渡した。
(さすがはおばばさま。締めるところを心得ておいでじゃ。)
やり取りを黙ってみていた利勝が、心の中でフフと笑う。
「はい。ふつつか者でございますが、よろしくお導きください。」
静がさらに緊張した面持ちで、ゆっくりと礼をした。
大姥局は満足そうに笑みを浮かべて静を見、そして利勝を見た。
「大炊頭殿、よき女子を探してきてくれました。難儀でございましたでしょう? 礼を申しまする。」
大姥局は利勝の方へゆるりと体を向け、しっかりと頭を下げた。
「なんの。某にとっては朝飯前でござる。」
利勝は豪快に「ワハハ」と笑った。
「では、あとは大姥殿にお任せいたします。静、しっかりお務めせよ。」
大姥局と静に声をかけ、利勝は立ち上がった。部屋から去って行く利勝を、静は心細そうな顔で見送る。
「藤。」
大姥局の一声に、大柄な侍女が滑るように入ってきた。
「静を着替えさせよ。」
近くに控えた藤という侍女に、大姥局が命ずる。藤は立ち上がり、静をうながして奥へと消えていった。
(ここからは、私の腕の見せどころじゃ。)
火の消えた火鉢の灰をかき混ぜながら、老乳母は思った。
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【青磁色】落ち着きのある青緑色
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