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第一章 この人生の主役は誰?
第5話 Misfortunes never come singly.
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こんなに広い世界のなかで、親子なんていう極めて狭くて小さな枠の中で苦しんでいるなんて勿体ないじゃないですか。そんな生まれてくる時に選びようがないもので。親子の絆なんていらないんです。そんな意味不明な四文字。この世界はひとりひとりが尊くて、ただそれだけじゃないですか。誰もが尊い。それだけじゃないですか。私を縛り付けるだけの絆なら、それはただの枷なんです。「絆」というものは不安から起こる言葉だと思います。不安がってる奴らが作った言葉、縛り付けておかないと不都合な奴らが作った言葉……そこから遠ざかることが逃げだと言うなら、私は逃げたいです。
私がそう言うと、担任の吉川先生は塩っぱい梅を種ごと飲み込んでしまったみたいな顔をして「もういいから帰りなさい」と言った。
もういいからって、なんですか。「読書感想文が間違っているから書き直しなさい」と言われて、私は自分の意見を言ってみただけなのに。私の答えが真面目っぽくなかったから駄目だったんですか。我慢強くて物分かりの良い瑞世ちゃんっぽくないから、先生は怒ったの?
「うるせえよ!」
自分の叫び声にびっくりして目が覚め、飛び起きる。
背中が寝汗でびっしょりと濡れて気持ち悪い。はあ、はあ、と肩で呼吸しながら部屋の中をぐるりと見渡す。破れた障子、年季の入った古い家具、いつもと同じ七畳の和室。あのボロアパートの自室で間違いない。
「なんでまた小学生の頃の夢なんかを……」
汗で湿った前髪を掻上げてから、ギョッとして飛び上がる。小学生の子どもがそばで寝ている。綺麗なブロンドヘアーに、散らばったタロットカード……美夕様だ――それをようやく脳が理解する。私は急いで立ち上がり、小さな身体に駆け寄った。
「美夕様ッ!」
元から白い肌は不健康に青ざめ、唇も血の気を失い紫色になっている。
「美夕様、……美夕ちゃん!」
頬を軽く叩いてみても、何の反応もない。
「呼吸は……!」
小さな唇に耳を近付ける。かすかな呼吸音が聞こえる。念の為に脈も確認し、壁掛け時計を見る。彼女と部屋で会話をしていた時の時刻は、たしか午前十時過ぎだった。ということは――。
「あれからまだ五分くらいしか経っていない……?」
あの悪夢がたった五分の出来事だったのか――猫の化物に食い殺される瞬間がフラッシュバックしそうになり、思わず両手で額を押さえる。夢の中のことだったとはいえ、気が狂いそうなほどの恐怖を脳が覚えている。鋭い牙が皮膚に食い込む感覚、頭蓋骨がバラバラに砕け散った衝撃、痛み……。
ズ、と衣擦れの音がして、私はハッとする。か細い声が聞こえて、急いで顔を上げる。
「……み、みずせ……無事で……」
薄く開いた碧眼が私を映すと、金色の睫毛を伝って一筋の涙がこぼれる。
「瑞世……よかった……こわかった……こわかったぞ……瑞世ぇっ……」
ゆるゆると両手を上げて泣きじゃくる子どもの身体を、私は無我夢中で抱き締めた。泣いている子どもの慰め方なんて知らなかったが、こうする以外できなかった。
「美夕ちゃん、ごめんね。悪夢の中でひとりぼっちにしちゃって。おばちゃん、先に死んじゃった。ごめんね。本当にごめん。檻の中は怖かったよね。助けられなくてごめんね」
何度も何度も彼女の耳元で謝罪する。美夕ちゃんは私の肩を涙で濡らしながら、「助けられなくてすまぬ」と言った。
その予想外の言葉に、私は彼女の身体をゆっくりと離した。真っ赤になった小さい顔を覗き込む。
「助けられなくてって……檻の中にいた美夕ちゃんは、何もできなくて当然だよ」
私がそう言うと、美夕ちゃんは首を左右に振った。眉をハの字に下げて、しゃくりを上げながら話し出す。
「ちがう。檻の中にいたのは瑞世のほうなんじゃ……ワシは檻の外から見ていることしかできんかった……ツバサに辿り着いた時、ワシは『島の女神様』と言われて魔族らにとり囲まれた。瑞世は若い男共につれてゆかれて……あんな、惨いことを……!」
その言葉に私は驚いた。檻の中にいたのは私のほうだったのか。真実を聞かされ、今になって全身の肌が粟立つ。ということは、猫の化物が閉じ込められていた檻の中に私は落ちてしまったということ……いや、あの穴に降りるよう言ってきたのは「フォルカー様」だ。味方だと思っていたのに、彼もまた私を殺そうとしていた魔族のひとりに過ぎなかったということか……。
私はこれまでの人生で何度も経験してきた深く黒い渦に巻き込まれそうになる意識を誤魔化しながら、畳に散らばったタロットカードの一枚を拾う。
「……いや、これがただの夢でよかったよ。ふたり一緒の悪夢を見るなんて不思議だけれど」
鏡映しになった林檎の木が描かれたこの美しいカードのせいで、私たちは同じ悪夢を見てしまったのだ。
「これ……すごく綺麗だけれど、お祓いしてもらうか処分したほうがいいんじゃないかな。ネットの都市伝説じゃないけど、千年パズルとか、特級呪物とか、それを手にしてしまったが為に面倒事に~っていう類いかもしれないし。もしくは枕返しとか妖怪が悪さをしている系とかの可能性も……」
「ツバサは実在するんじゃ、瑞世」
涙で掠れた声で、美夕ちゃんがはっきりと言う。
「魔族が暮らす世界じゃ。招待状(カード)を持つ者だけがこの現実世界とツバサを行き来できる。あちらにも人間はいるが、かつて人間が魔族にした行いが原因でふたつの種族の間には軋轢がある。だから人間が無闇にツバサを出入りすることは極めて危険……それでも、ワシはツバサに行きたい」
「どうして……あんな化物がいる悪夢なんかに」
「『詩の蜜酒』が欲しいんじゃ!」
「蜜酒? ……って、お酒ってこと?」
小学二年生には早過ぎるんじゃないか……と動揺していると、美夕ちゃんは私の心の内を読み取ったかのように「酒そのものが欲しいわけではない!」と素早く否定する。
「『詩の蜜酒』がどのようなものであるのかは誰も知らぬのじゃ」
「誰も知らない?」
「そうじゃ。ただ、それを手に入れた者はひとつだけ願いを叶えてもらえる……聞くところによると、銀色の水晶であるとか、丸いボールであるという説もある」
それって、幻の銀水晶とか、七個あるなんたらボールってやつじゃなくて?
ジャパニーズアニメの影響を受けすぎている『ツバサ』の世界観がだんだんと気になってきてしまい、私はタロットカードを改めてじっくりと観察する。
「お宝アイテムがメイドインジャパンの可能性があるのは興味深いというか、不気味というか……カードの絵柄自体はミュシャっぽい感じもするけど、ミュシャってドイツ?……うーん」
和風テイストな味わいもあって、西洋っぽいし、東洋っぽくもある。つまり、よく分からない。美術の知識がほとんどない私にはちんぷんかんぷんだが、これってもしかして凄く価値のあるカードだったりする?
国宝級の重要文化財とか、バチカンで保管すべき世界を揺るがす三種の神器のひとつとか。
「美夕ちゃん、やっぱりこれは然るべき機関で、然るべき誰かに保管してもらったほうがいいんじゃ……」
サードインパクトとか起こったら怖いし……と私が言うと、美夕ちゃんは目をかっぴらいてから「駄目じゃ!」と私の手からカードを奪い取る。
「駄目じゃ! これはワシのものじゃ!」
「で、でも……」
「お母様の形見なんじゃ。このカードはツバサへの招待状じゃ。これがなければもう二度とツバサに入ることは叶わん。そうしたら、詩の蜜酒も手に入らんではないか!」
「いや美夕ちゃんのお母さんって、入院中でまだご存命だったよね……?」
私が尋ねると、急にムッとした表情で押し黙ってしまう。なんだか支援施設で何度も見てきた年下の子ども達のふくれ面に重なって見えて、私は「そっか」と小さく頷く。
「この不気味なカードは美夕ちゃんの大事なもので、絶対に手放したくないものなんだね。分かった。何か事情があるようだし、おばちゃんも無理強いはしないよ。だけど、もう一度あの悪夢に行こうっていうのは賛成しないかな」
「何故じゃ!」
「何故って言われても……」
大人として、いや常識あるひとりの人間として、危険な場所には自ら近寄ることはしないし、触らぬ神に祟りなしというのが先人の知恵である――だがそんな正論じみたことを言ってもこの聡明な子どもは納得しないだろう。私はどうにか納得させられないかと、分かりやすい喩えを「うーむ」と捻り出す。
「たとえばー……そう。このカードは、実は異世界へ続く扉を開ける電子キーでした、とか、『レリース!』って叫んでから効果が発動するなんたらカードの番外編、とか。そういう可能性もあるじゃない? 便利な人語を喋る羽の生えた虎も妖精もいないし、ここは現実だから。ね。刺激的な火遊びも一回までってうちのおばあちゃんも言っていたし」
「ワシのおばあ様はそんなことは言ってなかったぞ」
「そ、そうですか……いや、論点はそこじゃなくて!」
「つまり、瑞世はビビっておるんじゃな」
泣き腫らした碧眼にじっとりと上目遣いをされて、私はウッと狼狽える。
「ビビってるっていうか、そのぉ……」
「瑞世が根性無しだというのなら別にいい。ワシはひとりでもツバサにまた入るぞ。退け、今すぐ向こうへ飛ぶ!」
「退けって、いやここ私の部屋ですけども……って、ちょーっと待った! 今すぐ寝るのはなし! 連チャンはなし! また行くとしても連続使用はなしー!」
小さな身体を畳から引き剥がして、羽交い締めにするようにがっしりと背後からホールドする。それに抵抗するように、美夕ちゃんが手足を振り回して激しく暴れる。暴れ馬かよ!
「はなせっ!」
「お、落ち着いて……ステイ、ホールド、お客様、落ち着いてくださいっ」
「お客様ではないっ! 美夕様じゃ!」
「美夕様、明日……明日にしましょうよっ……明日は日曜でまたお休みだから、私も付き合うから!」
そう言った途端、腕の中の暴れ馬がピタリと静かになる。あまりに静かになり過ぎて心配になって顔を覗き込むと、ニンマリとした笑みを浮かべて「約束じゃからな」と小指を突き出してくる。
「約束じゃぞ。嘘をついたら針千本じゃからな。明日、もう一度ツバサへ飛ぶぞ、瑞世。次こそはあの化け猫に勝つのじゃ!」
そう言って、指切りげんまんさせられる。
してやられた……見下ろした少女の顔は支援施設にいた悪ガキたちにそっくりで、私は小さな身体を抱えたまま畳の上に仰向けになった。
「って……いてーっ!」
下腹部にてパレード中のヴィラン様のことを忘れていた。泣きっ面に蜂、いや泣きっ面に美夕様とヴィラン様。小さい身体をお腹の上から退かしてから、私はトイレに駆け込んだ。とほほ。
私がそう言うと、担任の吉川先生は塩っぱい梅を種ごと飲み込んでしまったみたいな顔をして「もういいから帰りなさい」と言った。
もういいからって、なんですか。「読書感想文が間違っているから書き直しなさい」と言われて、私は自分の意見を言ってみただけなのに。私の答えが真面目っぽくなかったから駄目だったんですか。我慢強くて物分かりの良い瑞世ちゃんっぽくないから、先生は怒ったの?
「うるせえよ!」
自分の叫び声にびっくりして目が覚め、飛び起きる。
背中が寝汗でびっしょりと濡れて気持ち悪い。はあ、はあ、と肩で呼吸しながら部屋の中をぐるりと見渡す。破れた障子、年季の入った古い家具、いつもと同じ七畳の和室。あのボロアパートの自室で間違いない。
「なんでまた小学生の頃の夢なんかを……」
汗で湿った前髪を掻上げてから、ギョッとして飛び上がる。小学生の子どもがそばで寝ている。綺麗なブロンドヘアーに、散らばったタロットカード……美夕様だ――それをようやく脳が理解する。私は急いで立ち上がり、小さな身体に駆け寄った。
「美夕様ッ!」
元から白い肌は不健康に青ざめ、唇も血の気を失い紫色になっている。
「美夕様、……美夕ちゃん!」
頬を軽く叩いてみても、何の反応もない。
「呼吸は……!」
小さな唇に耳を近付ける。かすかな呼吸音が聞こえる。念の為に脈も確認し、壁掛け時計を見る。彼女と部屋で会話をしていた時の時刻は、たしか午前十時過ぎだった。ということは――。
「あれからまだ五分くらいしか経っていない……?」
あの悪夢がたった五分の出来事だったのか――猫の化物に食い殺される瞬間がフラッシュバックしそうになり、思わず両手で額を押さえる。夢の中のことだったとはいえ、気が狂いそうなほどの恐怖を脳が覚えている。鋭い牙が皮膚に食い込む感覚、頭蓋骨がバラバラに砕け散った衝撃、痛み……。
ズ、と衣擦れの音がして、私はハッとする。か細い声が聞こえて、急いで顔を上げる。
「……み、みずせ……無事で……」
薄く開いた碧眼が私を映すと、金色の睫毛を伝って一筋の涙がこぼれる。
「瑞世……よかった……こわかった……こわかったぞ……瑞世ぇっ……」
ゆるゆると両手を上げて泣きじゃくる子どもの身体を、私は無我夢中で抱き締めた。泣いている子どもの慰め方なんて知らなかったが、こうする以外できなかった。
「美夕ちゃん、ごめんね。悪夢の中でひとりぼっちにしちゃって。おばちゃん、先に死んじゃった。ごめんね。本当にごめん。檻の中は怖かったよね。助けられなくてごめんね」
何度も何度も彼女の耳元で謝罪する。美夕ちゃんは私の肩を涙で濡らしながら、「助けられなくてすまぬ」と言った。
その予想外の言葉に、私は彼女の身体をゆっくりと離した。真っ赤になった小さい顔を覗き込む。
「助けられなくてって……檻の中にいた美夕ちゃんは、何もできなくて当然だよ」
私がそう言うと、美夕ちゃんは首を左右に振った。眉をハの字に下げて、しゃくりを上げながら話し出す。
「ちがう。檻の中にいたのは瑞世のほうなんじゃ……ワシは檻の外から見ていることしかできんかった……ツバサに辿り着いた時、ワシは『島の女神様』と言われて魔族らにとり囲まれた。瑞世は若い男共につれてゆかれて……あんな、惨いことを……!」
その言葉に私は驚いた。檻の中にいたのは私のほうだったのか。真実を聞かされ、今になって全身の肌が粟立つ。ということは、猫の化物が閉じ込められていた檻の中に私は落ちてしまったということ……いや、あの穴に降りるよう言ってきたのは「フォルカー様」だ。味方だと思っていたのに、彼もまた私を殺そうとしていた魔族のひとりに過ぎなかったということか……。
私はこれまでの人生で何度も経験してきた深く黒い渦に巻き込まれそうになる意識を誤魔化しながら、畳に散らばったタロットカードの一枚を拾う。
「……いや、これがただの夢でよかったよ。ふたり一緒の悪夢を見るなんて不思議だけれど」
鏡映しになった林檎の木が描かれたこの美しいカードのせいで、私たちは同じ悪夢を見てしまったのだ。
「これ……すごく綺麗だけれど、お祓いしてもらうか処分したほうがいいんじゃないかな。ネットの都市伝説じゃないけど、千年パズルとか、特級呪物とか、それを手にしてしまったが為に面倒事に~っていう類いかもしれないし。もしくは枕返しとか妖怪が悪さをしている系とかの可能性も……」
「ツバサは実在するんじゃ、瑞世」
涙で掠れた声で、美夕ちゃんがはっきりと言う。
「魔族が暮らす世界じゃ。招待状(カード)を持つ者だけがこの現実世界とツバサを行き来できる。あちらにも人間はいるが、かつて人間が魔族にした行いが原因でふたつの種族の間には軋轢がある。だから人間が無闇にツバサを出入りすることは極めて危険……それでも、ワシはツバサに行きたい」
「どうして……あんな化物がいる悪夢なんかに」
「『詩の蜜酒』が欲しいんじゃ!」
「蜜酒? ……って、お酒ってこと?」
小学二年生には早過ぎるんじゃないか……と動揺していると、美夕ちゃんは私の心の内を読み取ったかのように「酒そのものが欲しいわけではない!」と素早く否定する。
「『詩の蜜酒』がどのようなものであるのかは誰も知らぬのじゃ」
「誰も知らない?」
「そうじゃ。ただ、それを手に入れた者はひとつだけ願いを叶えてもらえる……聞くところによると、銀色の水晶であるとか、丸いボールであるという説もある」
それって、幻の銀水晶とか、七個あるなんたらボールってやつじゃなくて?
ジャパニーズアニメの影響を受けすぎている『ツバサ』の世界観がだんだんと気になってきてしまい、私はタロットカードを改めてじっくりと観察する。
「お宝アイテムがメイドインジャパンの可能性があるのは興味深いというか、不気味というか……カードの絵柄自体はミュシャっぽい感じもするけど、ミュシャってドイツ?……うーん」
和風テイストな味わいもあって、西洋っぽいし、東洋っぽくもある。つまり、よく分からない。美術の知識がほとんどない私にはちんぷんかんぷんだが、これってもしかして凄く価値のあるカードだったりする?
国宝級の重要文化財とか、バチカンで保管すべき世界を揺るがす三種の神器のひとつとか。
「美夕ちゃん、やっぱりこれは然るべき機関で、然るべき誰かに保管してもらったほうがいいんじゃ……」
サードインパクトとか起こったら怖いし……と私が言うと、美夕ちゃんは目をかっぴらいてから「駄目じゃ!」と私の手からカードを奪い取る。
「駄目じゃ! これはワシのものじゃ!」
「で、でも……」
「お母様の形見なんじゃ。このカードはツバサへの招待状じゃ。これがなければもう二度とツバサに入ることは叶わん。そうしたら、詩の蜜酒も手に入らんではないか!」
「いや美夕ちゃんのお母さんって、入院中でまだご存命だったよね……?」
私が尋ねると、急にムッとした表情で押し黙ってしまう。なんだか支援施設で何度も見てきた年下の子ども達のふくれ面に重なって見えて、私は「そっか」と小さく頷く。
「この不気味なカードは美夕ちゃんの大事なもので、絶対に手放したくないものなんだね。分かった。何か事情があるようだし、おばちゃんも無理強いはしないよ。だけど、もう一度あの悪夢に行こうっていうのは賛成しないかな」
「何故じゃ!」
「何故って言われても……」
大人として、いや常識あるひとりの人間として、危険な場所には自ら近寄ることはしないし、触らぬ神に祟りなしというのが先人の知恵である――だがそんな正論じみたことを言ってもこの聡明な子どもは納得しないだろう。私はどうにか納得させられないかと、分かりやすい喩えを「うーむ」と捻り出す。
「たとえばー……そう。このカードは、実は異世界へ続く扉を開ける電子キーでした、とか、『レリース!』って叫んでから効果が発動するなんたらカードの番外編、とか。そういう可能性もあるじゃない? 便利な人語を喋る羽の生えた虎も妖精もいないし、ここは現実だから。ね。刺激的な火遊びも一回までってうちのおばあちゃんも言っていたし」
「ワシのおばあ様はそんなことは言ってなかったぞ」
「そ、そうですか……いや、論点はそこじゃなくて!」
「つまり、瑞世はビビっておるんじゃな」
泣き腫らした碧眼にじっとりと上目遣いをされて、私はウッと狼狽える。
「ビビってるっていうか、そのぉ……」
「瑞世が根性無しだというのなら別にいい。ワシはひとりでもツバサにまた入るぞ。退け、今すぐ向こうへ飛ぶ!」
「退けって、いやここ私の部屋ですけども……って、ちょーっと待った! 今すぐ寝るのはなし! 連チャンはなし! また行くとしても連続使用はなしー!」
小さな身体を畳から引き剥がして、羽交い締めにするようにがっしりと背後からホールドする。それに抵抗するように、美夕ちゃんが手足を振り回して激しく暴れる。暴れ馬かよ!
「はなせっ!」
「お、落ち着いて……ステイ、ホールド、お客様、落ち着いてくださいっ」
「お客様ではないっ! 美夕様じゃ!」
「美夕様、明日……明日にしましょうよっ……明日は日曜でまたお休みだから、私も付き合うから!」
そう言った途端、腕の中の暴れ馬がピタリと静かになる。あまりに静かになり過ぎて心配になって顔を覗き込むと、ニンマリとした笑みを浮かべて「約束じゃからな」と小指を突き出してくる。
「約束じゃぞ。嘘をついたら針千本じゃからな。明日、もう一度ツバサへ飛ぶぞ、瑞世。次こそはあの化け猫に勝つのじゃ!」
そう言って、指切りげんまんさせられる。
してやられた……見下ろした少女の顔は支援施設にいた悪ガキたちにそっくりで、私は小さな身体を抱えたまま畳の上に仰向けになった。
「って……いてーっ!」
下腹部にてパレード中のヴィラン様のことを忘れていた。泣きっ面に蜂、いや泣きっ面に美夕様とヴィラン様。小さい身体をお腹の上から退かしてから、私はトイレに駆け込んだ。とほほ。
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