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素の自分
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やがて私のコーヒーも届き、薄い苦みが何とか冷静さを保たせてくれているような気がした。目の前では、史弥さんが長い指でカップを包むように持って流れる様な美しい所作でコーヒーを飲んでいる。
「雰囲気が、いつもと違うね」
コーヒーを置いて、右藤をテーブルにかけてリラックスした様子の彼が言った。その姿から目を逸らせないでいる私に、罪深い笑顔を向けている。
「え、そうですか。史弥さんも……いつもと違うような」
ぽつぽつと言葉を絞り出す私の前で、彼は根気強く待っている。急かすでもなく、飽きる素振りを見せるでもなく、ただじっと私を穏やかな視線で見つめている。
「それは多分、口調のせいかな? 今日は葉月さんが仕事じゃないから、少し崩しても許されるかな、なんて思っちゃったんだけど。馴れ馴れしすぎたかな」
確かに彼の言う通り、いつものようにかしこまった敬語ではなく、ごくごく自然に話してくれている。それがとても嬉しいと感じたし、何よりそれでも上品さを一切失わない彼の口調に驚いていた。
「いえ、迷惑だなんてとんでもないです。仕事中でも、別に……あの……」
一瞬きょとんと眼を丸くした彼の灰色の瞳に、見る見る間に赤く色付いていく私の顔が微かに映り込んでいた。
「店長さんに、また怒られないかな」
そう言って、眉尻をグンと下げて笑う。昨日のことを言いているのでは、と顔から血の気が引いていく。
「昨日は、本当にすみませんでした。最近、なんかおかしいんです、店長」
「おかしい?」
首を傾げて、続きを促してくる。
「おかしいって言うか……。突然手を握ってきたり、変な事を言って来たり。前までそんなこと一度もなかったのに」
小さく笑った後、彼は少しだけ真面目な顔をして見せた。
「もしかして俺のせいかな」
独り言ともとれる程小さな声だったけれど、視線を外して確かにそう言った。
「どうしてそう思うんですか?」
私に聞こえていたと思っていなかったのか、驚いた顔をして彼が口を開いた。坂口さんが突然私の事を可愛いだとか、好きだとか言い出すようになったのが何故彼のせいだと思うのか、それがさっぱりわからなかった。
「店長さんがおかしくなったのって、俺がお店に行くようになってからじゃないかな? 違う?」
おかしくなった、という私の言葉を引き継いだ時、彼は申し訳なさそうな顔をして坂口さんを気遣っていた。
「そう……かもしれません」
最初にキスされそうになったのは別として、彼があんなにも猛烈にアプローチをするようになったのは、ここ数日のことだ。確かにそれは、史弥さんが店に来るようになってからだった。初めてキスされそうになった時、彼は心から謝ってくれたし、二度としないと約束をしてくれた。それなのに急に態度を変えたのは、史弥さんが現れてからかもしれない。
「でしょう? きっと彼は、本当にあなたの事が好きなんですね」
陽光を浴びながら微笑む彼は、優しくそう言った。
「でも、私……」
言いかけた私の言葉を遮るように、彼がそっと言葉を口にする。
「大丈夫、きっとわかってくれるから。そんな辛そうな顔をしないでほしいな」
自分がよほど思いつめた顔をしていたのか、恥ずかしくて頬を両手で包んで頷いた。彼にそう言われると、本当にわかってくるような気がしてくるから不思議だ。
頬から離した私の手を見つめて、彼は右の口角だけを釣り上げて笑った。薄く口を開いたその表情が恐ろしい程魅力的で、首の後ろに鳥肌が立つのが分かる。
「でも、あなたの手を握るだなんて抜け駆けだな」
初めて見せる意地悪そうな顔が、私の瞳をいつも以上に捕えて離さなかった。地球上に、これ以上魅力的な景色など存在しない、そう思った程だった。
「あ、俺も握ったか」
軽やかに笑って、私に呼吸の仕方さえも忘れさせる彼は、どこまでも爽やかな空気を纏っている。
「それでも面白くないのは事実だ。彼の方が圧倒的にあなたと過ごす時間が長いからね。俺も、あの本屋さんで雇ってもらおうかな」
腕組みをするような体制で両肘をテーブルに乗せて、身を乗り出した。近くなる彼の顔に、動機が更に早まる。
「ひ、人では足りてるので……求人はでないかと……」
その言葉に彼は、はははと声を出して笑い、眉尻を下げる。
「人手不足でも、彼は俺を雇ってはくれないだろうね」
確かに、と心の中で相槌を打つ。
「というより、史弥さんも俺とか言うんですね。少し、意外でした」
え、と笑いながら彼が言う。初めて会った時とは随分と印象の違う、目の前にいる史弥さんを見つめてみるが、やはりその魅力に変わりはない。それどころか、日に日に魅力が増しているようで怖さすら感じるほどだ。
「仕事柄、たくさんの人に会うからなるべく丁寧な口調を心がけているだけだよ。今日は、あなたも俺も休日だからかな、かなり素が出てる」
「雰囲気が、いつもと違うね」
コーヒーを置いて、右藤をテーブルにかけてリラックスした様子の彼が言った。その姿から目を逸らせないでいる私に、罪深い笑顔を向けている。
「え、そうですか。史弥さんも……いつもと違うような」
ぽつぽつと言葉を絞り出す私の前で、彼は根気強く待っている。急かすでもなく、飽きる素振りを見せるでもなく、ただじっと私を穏やかな視線で見つめている。
「それは多分、口調のせいかな? 今日は葉月さんが仕事じゃないから、少し崩しても許されるかな、なんて思っちゃったんだけど。馴れ馴れしすぎたかな」
確かに彼の言う通り、いつものようにかしこまった敬語ではなく、ごくごく自然に話してくれている。それがとても嬉しいと感じたし、何よりそれでも上品さを一切失わない彼の口調に驚いていた。
「いえ、迷惑だなんてとんでもないです。仕事中でも、別に……あの……」
一瞬きょとんと眼を丸くした彼の灰色の瞳に、見る見る間に赤く色付いていく私の顔が微かに映り込んでいた。
「店長さんに、また怒られないかな」
そう言って、眉尻をグンと下げて笑う。昨日のことを言いているのでは、と顔から血の気が引いていく。
「昨日は、本当にすみませんでした。最近、なんかおかしいんです、店長」
「おかしい?」
首を傾げて、続きを促してくる。
「おかしいって言うか……。突然手を握ってきたり、変な事を言って来たり。前までそんなこと一度もなかったのに」
小さく笑った後、彼は少しだけ真面目な顔をして見せた。
「もしかして俺のせいかな」
独り言ともとれる程小さな声だったけれど、視線を外して確かにそう言った。
「どうしてそう思うんですか?」
私に聞こえていたと思っていなかったのか、驚いた顔をして彼が口を開いた。坂口さんが突然私の事を可愛いだとか、好きだとか言い出すようになったのが何故彼のせいだと思うのか、それがさっぱりわからなかった。
「店長さんがおかしくなったのって、俺がお店に行くようになってからじゃないかな? 違う?」
おかしくなった、という私の言葉を引き継いだ時、彼は申し訳なさそうな顔をして坂口さんを気遣っていた。
「そう……かもしれません」
最初にキスされそうになったのは別として、彼があんなにも猛烈にアプローチをするようになったのは、ここ数日のことだ。確かにそれは、史弥さんが店に来るようになってからだった。初めてキスされそうになった時、彼は心から謝ってくれたし、二度としないと約束をしてくれた。それなのに急に態度を変えたのは、史弥さんが現れてからかもしれない。
「でしょう? きっと彼は、本当にあなたの事が好きなんですね」
陽光を浴びながら微笑む彼は、優しくそう言った。
「でも、私……」
言いかけた私の言葉を遮るように、彼がそっと言葉を口にする。
「大丈夫、きっとわかってくれるから。そんな辛そうな顔をしないでほしいな」
自分がよほど思いつめた顔をしていたのか、恥ずかしくて頬を両手で包んで頷いた。彼にそう言われると、本当にわかってくるような気がしてくるから不思議だ。
頬から離した私の手を見つめて、彼は右の口角だけを釣り上げて笑った。薄く口を開いたその表情が恐ろしい程魅力的で、首の後ろに鳥肌が立つのが分かる。
「でも、あなたの手を握るだなんて抜け駆けだな」
初めて見せる意地悪そうな顔が、私の瞳をいつも以上に捕えて離さなかった。地球上に、これ以上魅力的な景色など存在しない、そう思った程だった。
「あ、俺も握ったか」
軽やかに笑って、私に呼吸の仕方さえも忘れさせる彼は、どこまでも爽やかな空気を纏っている。
「それでも面白くないのは事実だ。彼の方が圧倒的にあなたと過ごす時間が長いからね。俺も、あの本屋さんで雇ってもらおうかな」
腕組みをするような体制で両肘をテーブルに乗せて、身を乗り出した。近くなる彼の顔に、動機が更に早まる。
「ひ、人では足りてるので……求人はでないかと……」
その言葉に彼は、はははと声を出して笑い、眉尻を下げる。
「人手不足でも、彼は俺を雇ってはくれないだろうね」
確かに、と心の中で相槌を打つ。
「というより、史弥さんも俺とか言うんですね。少し、意外でした」
え、と笑いながら彼が言う。初めて会った時とは随分と印象の違う、目の前にいる史弥さんを見つめてみるが、やはりその魅力に変わりはない。それどころか、日に日に魅力が増しているようで怖さすら感じるほどだ。
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