[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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第五十三話 忘れえぬ日々 ⅩⅩⅩⅩⅠ

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「やあ。お疲れ様、オーリィードさん。ルナエラも」
「マスキさん」

 全力疾走で上がった熱を、ある程度まで落ち着かせた後。
 実技試験開始前に控えていた所へ戻ってきたオーリィードとルナエラを、厩務員きゅうむいんの男性マスキが両腕を広げて迎え入れてくれた。
 またしても仔猫と化したルナエラが、マスキの頬に顔をすり寄せる。
 
「うん。今日はよく頑張ったね。戻ったら、ゆっくり休もうか」

 マスキはルナエラの首を優しく抱きしめ、ポンポンと叩いていたわった。
 それから馬上のオーリィードを見上げ、にこりと笑う。

 オーリィードは頷き、鞘から抜いた槍をマスキに預けて、地面へ降りた。
 その場で関節の曲げ伸ばしを何度かくり返して身体の調子を整えてから、持ち手に緑色の布が巻き付けられた槍を受け取る。

 この緑色の布は、厩務員きゅうむいんが発行する『帰着証明書』だ。
 愛馬を預ける際に、「この受験者は裏方の人間とも向き合ってくれた」と厩務員きゅうむいんが認めた場合にのみ発行される物で、逸早く北端へ戻れたとしても、証明書が槍に付いていないと加点されない仕組みになっているらしい。

 昔は、乗り捨てた愛馬を当然の如く世話係に押し付けて走り去る受験者も一定数は実在していたというから、これも減点用の罠だったのだろう。
 オーリィードが知る限り、近代の実技試験で引っ掛かった受験者は一人も居ないけれど。

「ルナエラをよろしくお願いします、マスキさん」
「任せて。オーリィードさんは引き続き頑張ってね」
「はい。ありがとうございます。……また明日会おう、ルナエラ」

 マスキに深々と頭を下げ、ルナエラの首を愛撫し。
 後ろ脚で蹴られない距離まで下がったオーリィードは、手を振るマスキに見送られながら北方へ向き直り、横に倒した槍を両肩に担いで歩き出した。
 向かい来る後続者とすれ違い、砂と風に圧されて鈍る足を、『負けるな』と言いたげなルナエラのいななきが支え、後押しする。

「……ああ。明日はきっと、吉報を持って行くよ、ルナエラ」

 ルナエラが縮められなかったトルードとの距離を。
 自分がアーシュマーを叩きのめすことで埋めてやる。

 一足ひとあし二足ふたあしも前方を走るアーシュマーの背中を見つけたオーリィードは、改めてそう決意した。





 とはいえ。

 甲冑を着込んでいる上に盾と馬上槍を装備したまま、緩やかではあっても長すぎる坂道を上っていく第三のレース。
 ここで重要になるのは、速さよりも忍耐力と持久力だ。

 甲冑の重さは、ボルケーノの仕込みと繊細な微調整のおかげで身体全体にうまく分散され、あまり負担にはなっていないが。
 それでも、盾と槍を加えればオーリィード一人分くらいの重さになる。
 他の受験者も、個人差はあれど、大体同じように感じている筈。
 
 人間一人を背負って上り坂。
 しかも顔面は兜に覆われて息苦しい。
 くぐもる呼気や汗や熱は酸欠を招き、走れば走るほど意識を遠くへ運ぶ。
 どこまでも延々と付いてくる呼吸音や金属音は鬱陶しいことこの上なく、兜の隙間から覗く景色にも大きな変化はない。
 決勝線はまだかと疲労感で精神をゴリゴリ削られながら、槍を支える為に両腕を上げっぱなしの不自然な姿勢を保って、前へ前へと進み続けるだけ。

 もはや『修行で苦行』としか言いようがない競技では、事前に忠告されていたにも拘わらず、焦りで速度の配分を誤って救護班の世話になってしまう受験者が、毎回一人や二人は必ず出てくる。

 初撃重視の特攻型、要は短期決戦型のオーリィードもこれは苦手だった。

 ここでは、無尽蔵な体力の持ち主であるアーシュマーに勝てた例がない。
 勝つどころか、下手に追いかけたり、並走したり、追い越そうとすると、コースの途中で膝を突く羽目になる為、勝負にすら持ち込めなかった。

 第三のレースで上位を獲得したいなら、先を行ってなお離れていく背中は大人しく見送るしかない。
 アーシュマーを叩きのめすのは『今』じゃないんだ、と、上げそうになる速度を自制しながら、単調なリズムを意識して急ぎ足程度に歩いていくが。

 ……やはり、どうしても理解できない。

 アーシュマーは何故。
 忍耐力と持久力を重視するレースで、のか。

 肩に担いだほうが楽になると分かっている槍の真ん中を右手一本で握り、両腕両脚を前後に大きく動かし、冗談みたいな速さで駆けていく後ろ姿は、まるで喜劇か何かを演じている芸人のようだ。
 いくら化け物じみた体力の持ち主でも、最初から飛ばしすぎている。

「あんな調子で決勝線まで行けたら、もう人間じゃないぞ、あいつ」
 
 トルードに滅茶苦茶な走らせ方をしていたことといい、どうも先ほどからアーシュマーの様子がおかしい気がしてならない。
 いや、試験が始まった時もおかしいとは思っていたが。
 それとはまた違うおかしさになっている……気がする。

「何を考えてるんだか」

 あまりにも無茶苦茶すぎて、ちょっと心配になってきた。
 しかし、今のオーリィードに他人様を構っている余裕など無い。

 まずは、決勝線まで確実に辿り着くこと。
 そして、後続者には着順を譲らないこと。

 この二つを念頭に置き、前傾姿勢と脚の使い方を維持しつつ前へと進む。



 アーシュマー以外の全員が、オーリィードと同じ考えだったのだろう。
 後半に差し掛かるまで、レース全体に大きな動きはなかった。

 変化が始まったのは、王家の紋章を垂らしている個室席がオーリィードの目にぼんやりと映り込んだ頃。

 追い込みをかけた後続者の数人がオーリィードと並び、追い抜いていく。
 さすがにアーシュマーを追って全力で走る者は居ないが、先に立った者は全員、駆け足よりも速く走っていった。
 このまま進めば、オーリィードはおそらく五着か六着になる。

 自分もそろそろ加速したほうが良いかと一瞬悩み。
 現在二番目を走る受験者の脚さばきを見て、やめた。

 まっすぐ走っているようで、わずかに身体の軸がブレている。
 バランスが崩れた姿勢では、決勝線を踏む前にバテてしまう。
 他の先行者も、既に限界ギリギリだ。

 オーリィードと決勝線までの間は、およそ六百fia-dynメートル
 自分に残っている体力と、先行者の限界を秤に掛けながら、仕掛けるべきタイミングをじっと見定め……


「『一番』、帰着! 『一番』、帰着!」


 残り二百fia-dynメートル

 拡声器を通した男性の声を合図に、息を深く吸って止め、急加速。
 脚の素早い回転と円滑な体重移動だけに集中し。
 先行者の存在は一切無視で、決勝線まで全力で一気に駆け抜けた。

 結果。


「『十七番』、帰着! 『十七番』、帰着!」


 終盤で減速しつつも一着を勝ち取ったアーシュマーの次に呼び上げられた番号は、オーリィードの物だった。
 ほぼ同時に、直前まで二番目を走っていた『十三番』も呼び上げられる。

「…………また、『十三番』……?」

 決勝線を踏み越えた直後に息を吐いたオーリィードは、やかましいほどの心音と呼吸音と耳鳴りを整理運動でやり過ごし。
 時折印象を残す、自分と近い番号に内心首をひねりながらアーシュマーを探して視界を巡らせ、目を剥いた。

「……………………えー…………、と…………」

 どうせ余裕綽々で軽く歩き回っているのだろうと憎たらしく思っていた、化け物級の体力の持ち主は。

 車輪で潰されたカエルのように。
 食料を求めて行き倒れた旅人のように。
 決勝線からちょっとだけ北に進んだ所で一人、うつ伏せに倒れていた。
 その傍らには、『帰着証明書』を巻き付けた大柄な槍が転がっている。

 試験官達は、続々と帰着している受験者を数えるのに必死で、こちらにはまったく気付いていないらしい。
 帰着した受験者は皆、一様に座ったり寝転がったりして休んでいるから、アーシュマーにも緊急性は無いと判断されただけかも知れないけれど。

「…………救護班、呼ぶか?」
「……………………」
 
 呆れ半分、こいつも一応人間だったのか半分で歩み寄るオーリィードに、アーシュマーは震える手で自身の兜を指し示す。
 外して欲しいと言いたいのだろうか。

「……私も、疲れてるんだけど、な……」

 オーリィードは両膝を突いて、持っていた槍を脇に置き、アーシュマーを仰向けにして、せている男の頭から兜を取り外した。
 覗いた真っ赤な顔は尋常ではない量の汗で濡れ、緩やかな銀色の髪を頬や眉間にベッタリと張り付かせている。

「たく……。なんだって、こんな、無茶なことを……」
「……どうしても……、必要だった、ので」
「必要?」
「ここでの……得点が……」

 窒息寸前だったのかと思うほど激しく咳き込んだ後。
 アーシュマーは涙目でオーリィードを見上げ、力なく微笑んだ。
 なんだかよく分からない色気を感じ、オーリィードの喉がグッと詰まる。

「って、いや……ここまでしなくても、毎回、一着だっただろ、お前」
「……確実に、したくて」
「級位別一位の座を?」
「……………………」
「…………嫌みなヤツ」

 目蓋を閉じたアーシュマーは、それきり何も言わず。


「『四十九番』、帰着! 『四十九番』、帰着!」


「六十人全員の帰着を確認!」
「これより、一時間の休憩とする!」
「各自、次の競技に備えてしっかり休みをとるように!」

 レース中に酸欠で倒れた『四十九番』が救護班の馬で運ばれてくるまで、身動ぎ一つせず、起き上がろうともしなかった。


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