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結
第三十一話 忘れえぬ日々 ⅩⅨ
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午後八時。
夜勤の警護隊にホールの周辺を預けたシュバイツァー隊メンバー全員が、終業の報告と挨拶で控え室に集まった。
陽光が落ちて二時間ほど。
発足当初から長らく光源不在で、この時間帯は真っ暗だった控え室だが。
隊員が決まり事を順守するようになった分、報告書の作成に時間が掛かり始めてからは、シャンデリアと三台の三ツ又燭台が、灯りを満たしていた。
生と過労死の瀬戸際に立たされているフォリン団長とメトリー副団長が、ちょっとでも仕事の効率、延いては生存率を上げたいと切実な祈りを込めてティアン経由で差し入れた、シュバイツァー隊専用の新しい備品だ。
おかげで、今は部屋の隅から隅までハッキリと見えている。
壁に飾ったタペストリーを背にして隊長専用の席に座るオーリィードと、その横に立つティアンの前。
前列四名、後列三名で二列に並び立った隊員達と、三人掛けのソファーに横たわるアランが、一日の最終報告を一人ずつ順番に上げていく。
『異常無し』の声が順調に続き、今日はこのまま解散かと思われたが。
「そういえば。珍しく遅刻してたね、隊長」
後列の左端に控えた、一見眠そうにもケンカを売っているようにも見える吊り上がった三白眼の紅い目と、ミルクティーに近い白茶色の短い髪を持つシャヘル・ノヴァ・フロストが、両手を腰の上に回した姿勢で首を傾げる。
前分けの髪から覗く肌も戦闘員にしては白く、全体に色素が薄いせいか、どことなく『白蛇』を連想させる印象の男性。
彼の指摘に、隊員の報告を書き取っていたオーリィードがペン先を止め、怪訝な顔を上げた。
「私が遅刻? そんな覚えはないが。いつ、何に?」
「いや、オーリィード隊長じゃなくてさ」
「ああ~。あっちの隊長かー」
「あっち?」
「あっちだよ、あっち~」
フロストの左手側に立つ男性が右手の親指で肩越しにホールを指し示し、不思議そうに瞬くオーリィードを見て、意味ありげに含み笑う。
「隊長と昼食をご一緒されたであろう、アーシュマー隊長だよ~」
「ぐっ!? な、なんでそれを……って、ホールに立ってれば分かるか……。けど、遅刻ってなんだ? 歩いても間に合う時間に食べ終わってる筈だが」
「さあ? 僕達は見てただけだし、事情は知らないけどさ。いつもと違って物凄い早足で階段を上ってたよ。ねえ、ノヴァ」
両肩を持ち上げたフロストが、隣の男性に身体の正面を向けると。
「うん。表情はいつもと同じだけど、さすがに焦ってる雰囲気だったねー。誰かさんが関係してるのかと思ってたのに、違うのかな? ねえ、ノヴァ」
隣の男性も、同じようにフロストと向き合った。
「ホールで見てたんだから、私達が別々に戻って来たのも知ってるだろう。あいつが遅刻した理由に関しては私も知らん。遅刻してたのも今知ったし。というか、べたべたとくっつくのは解散後にしろ。ノヴァ兄弟」
「「はーい」」
フロストと指を絡めて笑う、フロストと同じ名を持つもう一人のノヴァ、カトル・ノヴァ・ルフィストが、澄んだ金色の猫目をいたずらっぽく細め、真っ赤なリボンで束ねた青光りする黒い長髪を揺らして、姿勢を正す。
踵に重心を乗せて身体の向きを変えただけだが、その動きはしなやかで、無駄も無く、踊っているかのように軽やかだ。
色彩の印象も相俟って、こちらはまるでやんちゃな『黒猫』に見える。
ちなみにシャヘル・ノヴァ・フロストとカトル・ノヴァ・ルフィストは、幼なじみでも親戚でも兄弟でもなんでもない。
ウェラント王国の貴族には違いないが、実家の繋がりやら家業の因縁やら両親が親しかったりライバル同士だったり、ということもなく。
偶然同じ日に生まれ、同じ名前を与えられただけの、まったく関係がない他人同士だ。
お互いシュバイツァー隊配属後にそれを知り、以降ずっと、わざとらしいくらいに仲が良い。
巡回するオーリィードの陰口を積極的に勤しんでいたのも、アランの件でオーリィードの殺気を喰らって吹っ飛ばされ、廊下で気絶するハメになった三人の内の二人も、彼ら『ノヴァ兄弟』だった。
なお、三人の内残る一人は『ノヴァ兄弟』の左隣に立っている、やや幼い外見以外に特筆すべき項目が無い、平凡な印象がむしろ安心感を覚える青年ノルド・ノール・ピアシェである。
「アーシュマーが遅刻してたのは判った。で、その遅刻に関係がありそうな異常事態は確認したか?」
「「異常はありません」」
「なら、遅刻はアーシュマー個人の問題か。詳細はあいつが話すだろうし、こっちからは書面の報告だけ通しておけば良いかな」
フロストとルフィストの返答を受けたオーリィードは手元に視線を戻し、書類に新しい情報を書き加えた。
「他に変わったことは?」
「「「「「「「「「ありません」」」」」」」」」
「全隊員からの報告、了解」
机の引き出しから取り出した懐中時計で時間を確認した後、紙面の下方に現時刻とオーリィードの名前を記し、隊長専用の判を捺す。
それを手渡されたティアンが、上から順に内容を見直して頷くと、ペンを置いたオーリィードが手袋に指を通しながら立ち上がり、隊員と向き合って軍式の礼を執った。
「では本日シュバイツァー隊の任務はこれまで。午後八時十分四十秒解散。ご苦労だった。陛下に敬礼!」
「「「「「「「「「陛下に敬礼! お疲れ様でした!」」」」」」」」」
ソファーに横たわるアランは声だけで。
他の隊員は、オーリィードと同じように腰を折って礼を執る。
一拍後、頭を上げた隊員達が「また明日ね~」などと言い残して控え室をバラバラと去っていく。
アランも立ち上がり、控え室を出ようとして、寸前で振り返った。
「あのさあ、オーリィード隊長」
「ん?」
「アーシュマー隊長、気を付けておいたほうが良いと思うぞ」
「……風邪気味だからか?」
「いや、そういう意味じゃない」
アーシュマー本人は違うと言っていたが、やっぱり風邪を引きかけているように見えるのかと首を傾げたオーリィードに、アランは手を振る。
「気を付けるのは、あんたのほうだ」
「私?」
「陛下と話してるあんたを見て、明らかに気配が変わってたんだよな」
「…………は?」
「一瞬だけど、お前は誰だってくらい剣呑な感じになってた。元から特殊な感じではあったが、ありゃ特殊ってよりは異質っぽい。常人じゃねえわ」
「いや……いやいや、ちょっと待て! あいつ、あの場所に居たのか!?」
「気付いてなかったのか。居たぞ、宮殿の敷地内に」
「そうなんですか?」
自分も気付いてなかったと、ティアンが少し驚いた様子で目を丸くした。
「別にだからどうこうって話にはならないと思うけど、アーシュマー隊長は只者じゃねえぞってコト。せいぜい振り回されないように気を付けてろよ。あんた、ああいうタイプに慣れてなさそうだし」
「隊長はそもそも人間に慣れていませんけどね」
「うるさいぞ、ティアン」
意地悪な笑みを浮かべるティアンを肘打ちしたオーリィードが、むくれた顔で両腕を組む。
「しかし、そうか。あいつはあれを見て、それで……」
思い出すのは、昼食時。頭痛で悩んでいたらしいアーシュマーの横顔と、二人で交わした会話の内容。
「……忠告の意味はよく分からんけど、私を気遣ってくれてるのは解った。ありがとう。アーシュマーの件は任せておけ。私が片を付けてくるから」
「あんたの手には負えねえと思うけどな。潰されんなよ、隊長」
「? ああ、やれるだけやってみるさ」
何に潰されるんだ? と不思議に思いつつ、妙に大人しいアランの背中をじっと見送り。
机の上に積んであった書類をまとめて抱えたティアンに声を掛けられる。
「私達も、団長達に報告書などを提出してから、宿舎へ帰りましょうか」
「……そうだな。あんまり遅くなると、団長達の心臓が止まりかねないし。進行が定まっても、団長達の仕事はまだまだたくさんあるんだろ?」
「それはもう嫌になるくらいありますよ。私は解放してもらいましたので、今後一切関係ありませんが」
「言い方が酷いな」
「事実ですから。今は、貴女に勝利を捧げることしか考えていません」
「いや、頼もしいしありがたいけど、通常業務も視野に入れてくれ」
「そちらは貴女のお仕事ですよ、隊長」
「補佐が厳しい」
「愛弟子を可愛がっているだけです」
「『可愛がる』の意味が普通とは違う気がする」
「甘やかして欲しいのならそうしますが、貴女は望まないでしょう?」
「むう……っ」
クスクス笑うティアンが、オーリィードをその場に残して廊下へ向かう。
オーリィードはまたしても頬を膨らませ、前髪を掻きながら息を吐いて、ティアンの後を追った。
「だから私はお前を信頼してるんだ、ティアン」
「はい。私もですよ、オーリィード隊長」
無人の控え室に鍵を掛けた二人は、その足で団長室へ移動。
翌朝死体で見つかっても驚けない顔色で席に着いているフォリン団長と、団長の傍らで動く枯れ木さながらに立つメトリー副団長に報告書を提出し、内容を確認してもらうと。
最後の一枚に目を通していたフォリン団長が、「これか~」と唸った。
オーリィードとティアンが顔を見合わせ、同時に首をひねる。
「何かありましたか?」
「アーシュマーの遅刻だ。あいつからも報告は来てるんだが、どうもなんか隠してるっぽいんだよな。つついても吐こうとしやがらねえから、仕方なく帰してやったが。面倒くせえ臭いがして堪らん」
「「隠してる?」」
「うーんん……彼ねえ。遅刻の理由はあ、スプーンを落としたせいだって、言ってたんだよねえ」
「「スプーンを落とした?」」
メトリー副団長が告げた、奇っ怪な理由に瞬くオーリィードとティアン。
うんざり顔で机に顎を乗せたフォリン団長が、「な? おかしいだろ?」と、不機嫌を隠そうともせずに、ぼやく。
「外でデザートを食ってる時にスプーンを落とした。取り換えてもらう為に食堂を行ったり来たりしてたら遅刻した、だとよ」
「彼の足で遅刻しちゃう『外』ってえ、どこなのおって訊いてもお、彼え、堀の外周ですとしか答えてくれなかったんだよねえ」
「堀の外周で食堂と行き来できる範囲なら、あいつの足で遅刻するなんざ、考えにくいんだがな」
仕事が増えそうな予感で苛立つフォリン団長。
ティアンは「……隊長?」と、訝しげにオーリィードの顔を覗き込む。
「控え室に戻って来た時、デザートの匂いがどうこう言ってましたよね?」
「っ!」
「「んん?」」
大袈裟なほど跳ね上がったオーリィードの肩。
団長達が、目ざとく反応した。
「もしかして、」
「食べてない! 一緒には食べてないぞ! あいつが勝手に食べさせただ」
「「「それかあ……」」」
「……え? あれ?」
アーシュマーにされた「はい、あーん」を思い出し反射的に全身の産毛を逆立てたオーリィードが、疲れ切った様子の団長達を見て少し冷静になる。
てっきりからかわれるものだと思っていたが、そんな余力は無いらしい。
「つまりあいつは、一つしかないデザートをオーリィードに分けたんだな」
「わ、分けたというか、買って渡したら、一口分ねじ込まれたというか」
「一口分ねじ込まれた後、お前はどうした?」
「うっ……。あ、あの後、は…………」
あまり思い出したくない事を尋かれ、いたたまれない気持ちで拳を握る。
しかし、上司の質問を無視するわけにはいかないと、覚悟を決めて正直に会話の内容以外を全部打ち明けた。
状況を完全に理解した団長達が、遠い目をして空笑う。
「お前ら学生か」
「青春だねえ。仕事が増えるとかじゃなくて良かったけどお」
「ええ……。彼も律儀というか、難儀というか」
「? 律儀?」
何が? と赤面で首を傾げるオーリィード本人は、自分がアーシュマーに何をさせたのか、まだ解っていなかった。
苦笑いで「不憫」と呟いたティアンが、掻い摘まんで説明する。
「アーシュマー隊長は、貴女が口に含んだスプーンをそのまま使えなくて、わざと地面に落としたんですよ」
「は? そんなの、ナプキンで拭……けるわけがない、のか?」
「貴女が、ナプキン入りのバスケットを返却してしまいましたからね」
「い、いや、でも、すぐに食堂へ行けば間に合った筈」
「貴女がナプキンの存在に気付いて戻ってくる可能性を考えたのでしょう」
「なら、私を追いかけてくれば」
「多分、照れ隠しでわざと逃がしたんだろうしなあ。それはしねえだろ」
「て、照れ隠し?」
「気遣われて嬉しくなるのはあ、女性だけじゃないんだよねえ」
「それは……でも、だったらアーシュマーが遅刻した理由って」
オーリィードとの間接的な口付けを避ける為。
後々気付くかも知れないオーリィードを不快にさせない為の『気遣い』。
上司と師匠に説明されてようやく気付いたオーリィードは、言葉を失い、岩のようにガチガチに固まってしまった。
男性三人も、形容しがたい表情で虚空を仰ぐ。
「まあ、なんだ。報告は受け取ったから、もう行って良いぞ」
「遅刻の件は個人的な事情ってことで処理しておくからあ、シュヴェル君は触れないであげてねえ。彼の為にもねえ」
フォリン団長に退室を言い渡され、メトリー副団長からカンテラを二人分受け取ったティアンに無言で促されたオーリィードは、団長達にぎこちない礼を執り、カンテラを持って団長室を後にする。
宮殿の敷地を出るまでティアンと肩を並べて歩き。
衛兵の姿が見えなくなった、下り坂の途中。
見上げればキラキラ輝く夜の星。
木々の緑も黒く塗り潰されている闇の中、所狭しとひしめいていた夜行性生物達の気配が、不自然にピタリと途絶える。
そこで突然足を止めたオーリィードが、太く長いため息を吐き出した。
「隊長、……っ?」
一歩先に進んだティアンが振り返り、照らし出されているオーリィードの顔を見て、後ずさった。
下から照らされた人間の顔は大抵不気味なものだが、半眼で無表情だと、一層不気味だ。
純粋に怖い。
「……ティアン」
「はい?」
「夕食は私がおごる。その代わり、宿舎に着いたら頼みがある」
「頼み?」
「ここでは言えないが、お前にしか頼めない事だ」
「はあ」
いつもより数段低い声に若干引きつつ、二人で一緒に食堂へ向かう。
また何を考えているのかと、ティアンが窺ったオーリィードの横顔は。
赤い髪留めでまとめている黄金の髪に隠れていて、よく見えなかった。
夜勤の警護隊にホールの周辺を預けたシュバイツァー隊メンバー全員が、終業の報告と挨拶で控え室に集まった。
陽光が落ちて二時間ほど。
発足当初から長らく光源不在で、この時間帯は真っ暗だった控え室だが。
隊員が決まり事を順守するようになった分、報告書の作成に時間が掛かり始めてからは、シャンデリアと三台の三ツ又燭台が、灯りを満たしていた。
生と過労死の瀬戸際に立たされているフォリン団長とメトリー副団長が、ちょっとでも仕事の効率、延いては生存率を上げたいと切実な祈りを込めてティアン経由で差し入れた、シュバイツァー隊専用の新しい備品だ。
おかげで、今は部屋の隅から隅までハッキリと見えている。
壁に飾ったタペストリーを背にして隊長専用の席に座るオーリィードと、その横に立つティアンの前。
前列四名、後列三名で二列に並び立った隊員達と、三人掛けのソファーに横たわるアランが、一日の最終報告を一人ずつ順番に上げていく。
『異常無し』の声が順調に続き、今日はこのまま解散かと思われたが。
「そういえば。珍しく遅刻してたね、隊長」
後列の左端に控えた、一見眠そうにもケンカを売っているようにも見える吊り上がった三白眼の紅い目と、ミルクティーに近い白茶色の短い髪を持つシャヘル・ノヴァ・フロストが、両手を腰の上に回した姿勢で首を傾げる。
前分けの髪から覗く肌も戦闘員にしては白く、全体に色素が薄いせいか、どことなく『白蛇』を連想させる印象の男性。
彼の指摘に、隊員の報告を書き取っていたオーリィードがペン先を止め、怪訝な顔を上げた。
「私が遅刻? そんな覚えはないが。いつ、何に?」
「いや、オーリィード隊長じゃなくてさ」
「ああ~。あっちの隊長かー」
「あっち?」
「あっちだよ、あっち~」
フロストの左手側に立つ男性が右手の親指で肩越しにホールを指し示し、不思議そうに瞬くオーリィードを見て、意味ありげに含み笑う。
「隊長と昼食をご一緒されたであろう、アーシュマー隊長だよ~」
「ぐっ!? な、なんでそれを……って、ホールに立ってれば分かるか……。けど、遅刻ってなんだ? 歩いても間に合う時間に食べ終わってる筈だが」
「さあ? 僕達は見てただけだし、事情は知らないけどさ。いつもと違って物凄い早足で階段を上ってたよ。ねえ、ノヴァ」
両肩を持ち上げたフロストが、隣の男性に身体の正面を向けると。
「うん。表情はいつもと同じだけど、さすがに焦ってる雰囲気だったねー。誰かさんが関係してるのかと思ってたのに、違うのかな? ねえ、ノヴァ」
隣の男性も、同じようにフロストと向き合った。
「ホールで見てたんだから、私達が別々に戻って来たのも知ってるだろう。あいつが遅刻した理由に関しては私も知らん。遅刻してたのも今知ったし。というか、べたべたとくっつくのは解散後にしろ。ノヴァ兄弟」
「「はーい」」
フロストと指を絡めて笑う、フロストと同じ名を持つもう一人のノヴァ、カトル・ノヴァ・ルフィストが、澄んだ金色の猫目をいたずらっぽく細め、真っ赤なリボンで束ねた青光りする黒い長髪を揺らして、姿勢を正す。
踵に重心を乗せて身体の向きを変えただけだが、その動きはしなやかで、無駄も無く、踊っているかのように軽やかだ。
色彩の印象も相俟って、こちらはまるでやんちゃな『黒猫』に見える。
ちなみにシャヘル・ノヴァ・フロストとカトル・ノヴァ・ルフィストは、幼なじみでも親戚でも兄弟でもなんでもない。
ウェラント王国の貴族には違いないが、実家の繋がりやら家業の因縁やら両親が親しかったりライバル同士だったり、ということもなく。
偶然同じ日に生まれ、同じ名前を与えられただけの、まったく関係がない他人同士だ。
お互いシュバイツァー隊配属後にそれを知り、以降ずっと、わざとらしいくらいに仲が良い。
巡回するオーリィードの陰口を積極的に勤しんでいたのも、アランの件でオーリィードの殺気を喰らって吹っ飛ばされ、廊下で気絶するハメになった三人の内の二人も、彼ら『ノヴァ兄弟』だった。
なお、三人の内残る一人は『ノヴァ兄弟』の左隣に立っている、やや幼い外見以外に特筆すべき項目が無い、平凡な印象がむしろ安心感を覚える青年ノルド・ノール・ピアシェである。
「アーシュマーが遅刻してたのは判った。で、その遅刻に関係がありそうな異常事態は確認したか?」
「「異常はありません」」
「なら、遅刻はアーシュマー個人の問題か。詳細はあいつが話すだろうし、こっちからは書面の報告だけ通しておけば良いかな」
フロストとルフィストの返答を受けたオーリィードは手元に視線を戻し、書類に新しい情報を書き加えた。
「他に変わったことは?」
「「「「「「「「「ありません」」」」」」」」」
「全隊員からの報告、了解」
机の引き出しから取り出した懐中時計で時間を確認した後、紙面の下方に現時刻とオーリィードの名前を記し、隊長専用の判を捺す。
それを手渡されたティアンが、上から順に内容を見直して頷くと、ペンを置いたオーリィードが手袋に指を通しながら立ち上がり、隊員と向き合って軍式の礼を執った。
「では本日シュバイツァー隊の任務はこれまで。午後八時十分四十秒解散。ご苦労だった。陛下に敬礼!」
「「「「「「「「「陛下に敬礼! お疲れ様でした!」」」」」」」」」
ソファーに横たわるアランは声だけで。
他の隊員は、オーリィードと同じように腰を折って礼を執る。
一拍後、頭を上げた隊員達が「また明日ね~」などと言い残して控え室をバラバラと去っていく。
アランも立ち上がり、控え室を出ようとして、寸前で振り返った。
「あのさあ、オーリィード隊長」
「ん?」
「アーシュマー隊長、気を付けておいたほうが良いと思うぞ」
「……風邪気味だからか?」
「いや、そういう意味じゃない」
アーシュマー本人は違うと言っていたが、やっぱり風邪を引きかけているように見えるのかと首を傾げたオーリィードに、アランは手を振る。
「気を付けるのは、あんたのほうだ」
「私?」
「陛下と話してるあんたを見て、明らかに気配が変わってたんだよな」
「…………は?」
「一瞬だけど、お前は誰だってくらい剣呑な感じになってた。元から特殊な感じではあったが、ありゃ特殊ってよりは異質っぽい。常人じゃねえわ」
「いや……いやいや、ちょっと待て! あいつ、あの場所に居たのか!?」
「気付いてなかったのか。居たぞ、宮殿の敷地内に」
「そうなんですか?」
自分も気付いてなかったと、ティアンが少し驚いた様子で目を丸くした。
「別にだからどうこうって話にはならないと思うけど、アーシュマー隊長は只者じゃねえぞってコト。せいぜい振り回されないように気を付けてろよ。あんた、ああいうタイプに慣れてなさそうだし」
「隊長はそもそも人間に慣れていませんけどね」
「うるさいぞ、ティアン」
意地悪な笑みを浮かべるティアンを肘打ちしたオーリィードが、むくれた顔で両腕を組む。
「しかし、そうか。あいつはあれを見て、それで……」
思い出すのは、昼食時。頭痛で悩んでいたらしいアーシュマーの横顔と、二人で交わした会話の内容。
「……忠告の意味はよく分からんけど、私を気遣ってくれてるのは解った。ありがとう。アーシュマーの件は任せておけ。私が片を付けてくるから」
「あんたの手には負えねえと思うけどな。潰されんなよ、隊長」
「? ああ、やれるだけやってみるさ」
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「私達も、団長達に報告書などを提出してから、宿舎へ帰りましょうか」
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「言い方が酷いな」
「事実ですから。今は、貴女に勝利を捧げることしか考えていません」
「いや、頼もしいしありがたいけど、通常業務も視野に入れてくれ」
「そちらは貴女のお仕事ですよ、隊長」
「補佐が厳しい」
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「むう……っ」
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オーリィードはまたしても頬を膨らませ、前髪を掻きながら息を吐いて、ティアンの後を追った。
「だから私はお前を信頼してるんだ、ティアン」
「はい。私もですよ、オーリィード隊長」
無人の控え室に鍵を掛けた二人は、その足で団長室へ移動。
翌朝死体で見つかっても驚けない顔色で席に着いているフォリン団長と、団長の傍らで動く枯れ木さながらに立つメトリー副団長に報告書を提出し、内容を確認してもらうと。
最後の一枚に目を通していたフォリン団長が、「これか~」と唸った。
オーリィードとティアンが顔を見合わせ、同時に首をひねる。
「何かありましたか?」
「アーシュマーの遅刻だ。あいつからも報告は来てるんだが、どうもなんか隠してるっぽいんだよな。つついても吐こうとしやがらねえから、仕方なく帰してやったが。面倒くせえ臭いがして堪らん」
「「隠してる?」」
「うーんん……彼ねえ。遅刻の理由はあ、スプーンを落としたせいだって、言ってたんだよねえ」
「「スプーンを落とした?」」
メトリー副団長が告げた、奇っ怪な理由に瞬くオーリィードとティアン。
うんざり顔で机に顎を乗せたフォリン団長が、「な? おかしいだろ?」と、不機嫌を隠そうともせずに、ぼやく。
「外でデザートを食ってる時にスプーンを落とした。取り換えてもらう為に食堂を行ったり来たりしてたら遅刻した、だとよ」
「彼の足で遅刻しちゃう『外』ってえ、どこなのおって訊いてもお、彼え、堀の外周ですとしか答えてくれなかったんだよねえ」
「堀の外周で食堂と行き来できる範囲なら、あいつの足で遅刻するなんざ、考えにくいんだがな」
仕事が増えそうな予感で苛立つフォリン団長。
ティアンは「……隊長?」と、訝しげにオーリィードの顔を覗き込む。
「控え室に戻って来た時、デザートの匂いがどうこう言ってましたよね?」
「っ!」
「「んん?」」
大袈裟なほど跳ね上がったオーリィードの肩。
団長達が、目ざとく反応した。
「もしかして、」
「食べてない! 一緒には食べてないぞ! あいつが勝手に食べさせただ」
「「「それかあ……」」」
「……え? あれ?」
アーシュマーにされた「はい、あーん」を思い出し反射的に全身の産毛を逆立てたオーリィードが、疲れ切った様子の団長達を見て少し冷静になる。
てっきりからかわれるものだと思っていたが、そんな余力は無いらしい。
「つまりあいつは、一つしかないデザートをオーリィードに分けたんだな」
「わ、分けたというか、買って渡したら、一口分ねじ込まれたというか」
「一口分ねじ込まれた後、お前はどうした?」
「うっ……。あ、あの後、は…………」
あまり思い出したくない事を尋かれ、いたたまれない気持ちで拳を握る。
しかし、上司の質問を無視するわけにはいかないと、覚悟を決めて正直に会話の内容以外を全部打ち明けた。
状況を完全に理解した団長達が、遠い目をして空笑う。
「お前ら学生か」
「青春だねえ。仕事が増えるとかじゃなくて良かったけどお」
「ええ……。彼も律儀というか、難儀というか」
「? 律儀?」
何が? と赤面で首を傾げるオーリィード本人は、自分がアーシュマーに何をさせたのか、まだ解っていなかった。
苦笑いで「不憫」と呟いたティアンが、掻い摘まんで説明する。
「アーシュマー隊長は、貴女が口に含んだスプーンをそのまま使えなくて、わざと地面に落としたんですよ」
「は? そんなの、ナプキンで拭……けるわけがない、のか?」
「貴女が、ナプキン入りのバスケットを返却してしまいましたからね」
「い、いや、でも、すぐに食堂へ行けば間に合った筈」
「貴女がナプキンの存在に気付いて戻ってくる可能性を考えたのでしょう」
「なら、私を追いかけてくれば」
「多分、照れ隠しでわざと逃がしたんだろうしなあ。それはしねえだろ」
「て、照れ隠し?」
「気遣われて嬉しくなるのはあ、女性だけじゃないんだよねえ」
「それは……でも、だったらアーシュマーが遅刻した理由って」
オーリィードとの間接的な口付けを避ける為。
後々気付くかも知れないオーリィードを不快にさせない為の『気遣い』。
上司と師匠に説明されてようやく気付いたオーリィードは、言葉を失い、岩のようにガチガチに固まってしまった。
男性三人も、形容しがたい表情で虚空を仰ぐ。
「まあ、なんだ。報告は受け取ったから、もう行って良いぞ」
「遅刻の件は個人的な事情ってことで処理しておくからあ、シュヴェル君は触れないであげてねえ。彼の為にもねえ」
フォリン団長に退室を言い渡され、メトリー副団長からカンテラを二人分受け取ったティアンに無言で促されたオーリィードは、団長達にぎこちない礼を執り、カンテラを持って団長室を後にする。
宮殿の敷地を出るまでティアンと肩を並べて歩き。
衛兵の姿が見えなくなった、下り坂の途中。
見上げればキラキラ輝く夜の星。
木々の緑も黒く塗り潰されている闇の中、所狭しとひしめいていた夜行性生物達の気配が、不自然にピタリと途絶える。
そこで突然足を止めたオーリィードが、太く長いため息を吐き出した。
「隊長、……っ?」
一歩先に進んだティアンが振り返り、照らし出されているオーリィードの顔を見て、後ずさった。
下から照らされた人間の顔は大抵不気味なものだが、半眼で無表情だと、一層不気味だ。
純粋に怖い。
「……ティアン」
「はい?」
「夕食は私がおごる。その代わり、宿舎に着いたら頼みがある」
「頼み?」
「ここでは言えないが、お前にしか頼めない事だ」
「はあ」
いつもより数段低い声に若干引きつつ、二人で一緒に食堂へ向かう。
また何を考えているのかと、ティアンが窺ったオーリィードの横顔は。
赤い髪留めでまとめている黄金の髪に隠れていて、よく見えなかった。
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※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
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※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。



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