[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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夏の思い出 Ⅵ

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 ポーラ以外の誰にも告げずにひっそりと、しかし隣室に居る子供達の耳が音を拾える程度にわざとらしくベランダから外へ抜け出した男装騎士達は、二人並んで波打ち際を歩いていた。

「ここは大変美しゅうございますね、グエン様」
「はい、フリージア卿。私もそう思います」

 二人共、人目につく武器は持たず、纏う空気にも浮かぶ微笑にも、警戒や緊張感といったものは無い。
 いつになくのんびりした歩調に合わせて、濡れた砂がザクザクと鳴く。
 海面を滑る潮風が、ガーネットの顔の両横に垂らしたハチミツ色の髪を、グエンのシルバーブロンドの髪先と左手に持ったカンテラを強く揺らして、陸地へと去っていく。
 東から黒く染まりゆく空を見上げれば、夕陽を追いかける三日月と共に、無数の星々がキラキラと瞬いていた。

「この風も匂いも、波音も星空も、内陸では決して体感できません。滅多にない好機ですし、公爵家の方々が肩の力を抜いて楽しめれば良いのですが」
「肝心のご令嬢方が周りをしっかり見ておられますもの。ご令嬢方を通せばご夫妻もすぐに調子を取り戻せる筈。心配は無用です」
「……そうですね」
「シュバイツァー公爵が信じられませんか?」
「まさか」

 海を背に立ち止まったガーネットへ。
 半歩遅れて立ち止まったグエンが、苦笑混じりで振り返る。

「どちらかと言えば、自信が無いのです。今回は賭けの要素が強めですし、私は賭け事が得意ではありませんから」
「グエン様は、人事を尽くした上で更に二重・三重の対策を用意し、確実な結果を掴み取りに行かれる方ですものね。カードが大きければ大きいほど、不確定要素のままでは極力動かそうとなさらなかった。これまでは」
「はい。だからこそ、カードの位置を確定させる為の今回は祈るしかなく、あまりにも心許ない」

 指導者としては小心すぎますねと肩を持ち上げるグエンを、ガーネットはコロコロと軽やかに笑う。

「そうは仰っても、既に確信しておられるのでしょう? 賭けはグエン様の勝ちだと」
「まあ……七割程度は。あとはヘイムディンバッハに帰着してからですね」
「レイヴン・グニッヅがシュバイツァー公爵の『出張』をどう解釈するか。また、レイヴン・グニッヅとは無関係だと思われる武装勢力がどう動くか。楽しみです、などと言ったら、不謹慎かしら」
「気が楽になる点では、私も楽しみですよ。レイヴン・グニッヅが逆上して王宮に乗り込んでくれれば、もっと楽になれるのですが」
クレーエは総じて知能が高い生き物。そう単純な答えはくれませんわね」
「はい。なので、今はただ、彼らの反応を待つばかりです」

 唇の両端を上げたグエンが、ややうつむいて周囲へと視線を配る。
 目には映らず気配も感じ取れないが、グエンの目論見が当たっていれば、砂浜の手前辺りに生えている植物などが辛うじてぼんやり見える薄い暗闇の中には、見も知らぬ『複数の団体』が潜んでいる筈だった。

 一つは、裏取引オークション会場近くで相対したレイヴン・グニッヅと関係する団体。
 一つは、フリューゲルヘイゲン王国の弱みを探る周辺国の情報収集部隊。
 一つは、ダンデリオン達を監視しているフィオルシーニ皇帝の隠密部隊。
 その他、バスティーツ大陸への侵攻を企んでいる数多くの武装勢力など。

 一王国の、一中級貴族が所有するプライベートビーチに、敵も味方もなく四方八方からごちゃごちゃと詰めかけている状態。
 この状況を作り上げたグエン自身でさえ捕捉できなかった暗躍者を指して『そこに居る』と断定した双子姉妹の功績は、予想以上に大きい。
 手応えがはっきりしているか、いないかでは、動きやすさが格段に違う。

 さて、彼らはどう出るか? と思案するグエンの前で。
 ガーネットが突然向きを変え、海水に足を踏み入れた。

「フリージア卿?」

 ザブザブと音を立て、くるぶし辺りを水中に沈めたところで振り返り。
 驚くグエンへ、両手で掬った海水を勢いよく放り投げた。

「わっ!? ちょ、いったい何を!?」

 ガーネットとグエンの間には、二十歩程度の距離がある。
 届いてもせいぜいが飛沫の飛沫で、グエンの制服が濡れることはないが、指先にかかった水粒みつぼは冷たい。

「ふふっ。やっぱり、夜の海水は冷たくて気持ち良いですわね。ほら!」
「冷たっ……、何のつもりですか、フリージア卿!」

 カンテラを庇って一歩退いたグエンへと更なる水撃を放ち、ガーネットは楽しげに声を上げて笑った。

「グエン様も、ご一緒にいかがです? 水遊び」
「み、水遊び?」
「シュバイツァー公爵家の方々がお休みになられている今、護衛役は邸宅に居るで十分でございましょう? せっかく、海にまで来たのですもの。私達も楽しまなければ、勿体ないではありませんか」
「! それは、そうかも知れませんが……体感気温も水温も下がる夜間に、水遊びは少々危険です。万が一貴女が病に倒れてしまったら」
「夢だったのです」
「夢?」
「どんな立場もいかなる雑音も届かない場所で、世俗的な恋人同士のように貴女と同じ時間を共有する。わがままで、幼稚で、とびっきり幸せな夢」
「フリージア卿……」
「陽光の下で叶わぬ夢なら、せめて月の下で。数十分、いえ、ほんの数分で構いません。私にも思い出をくださいませ、グエン様。決して形には残せぬ儚い思い出を」

 暮れ残る水平線を背負って微笑むガーネットに、グエンは言葉を失い……邸宅に向かって歩き出した。

「グエン様」
「私は、『世俗的な恋人同士』の振る舞いも『遊び方』も知りません」

 十歩ほど進んで立ち止まり、乾いた砂の上にカンテラを置き。
 自身の袖をまくり上げながら、一瞬、悲しげに手を伸ばしたガーネットへ向き直る。

「ですから、どうせなら全力でりましょう」
「え?」
「胸にしまって時々思い返しては微笑む程度の生易しい記憶では物足りないでしょう? ですから、忘れる余裕も無いくらい熱く激しく真剣にぶつかり合いましょう。貴女の中を、私で埋め尽くして差し上げます」

 にっこり笑った瞬間。
 グエンとガーネットの距離は、腕一本分にまで縮んでいた。
 グエンが走った後を追いかけ、蹴り上げられた水が道筋となって舞う。

「ああ……なんて……」

 ルビー色の目の中でグエンの上半身がやや下がり。水の尾を引くブーツがガーネットの二の腕辺りを狙って、虚空に弧を描く。
 軽やかなバックステップで回し蹴りをかわしたガーネットは、うっとりと頬を赤らめながら海面を殴りつけ、連撃の構えを見せるグエンへと衝撃波を走らせた。
 続けざまに正面へと駆け出し、二人で同時に突き出した拳と拳をぶつけて対峙する。
 二人の足元で海水が巨大な円環を作り、爆ぜた。

「なんて素敵な口説き文句!」
「もっと紳士的にお誘いできれば良いのですが、なにぶん武骨なもので」
「知的で優雅なグエン様をお慕いしていますけれど、荒々しいグエン様も、それはそれで魅力的ですわ。そんな貴女を独占できるなんて、嘘みたい」
「ありがとうございます。今この場では嘘も幻もありません。本気の全力で貴女と踊ってみせましょう、フリージア卿」
「嬉しい……私の全てで受け止めてみせますわ、グエン様」

 見つめ合い、微笑み合い。
 深く頷き合ってから、やはり、二人同時にバックステップで距離を置き、目にも留まらぬ速さで拳と蹴りとを交わし始める男装騎士達。
 夕暮れの名残が西の彼方へ消え去り、三日月が冴える夜になっても続いた二人の本気のじゃれ合いは、濃闇の中を一人で歩いてきたメイドの一言で、唐突に終わりを迎える。

「これ以上はお風邪を召してしまいますよ。グエン閣下、フリージア卿」
「「……リナ、リア……?」」

 まくり上げた袖に意味があったのか、無かったのか。
 全身びしょ濡れで呼吸も苦しげなグエンとガーネットは、取っ組み合った姿勢のままで、波打ち際に立つリナリアへ顔を向ける。
 グエンの物とは別のカンテラを右手に掲げたリナリアは、タオルを左腕に二枚重ねて持っていた。

「シュバイツァー……公爵家の、方々は……?」
「先ほどご令嬢方の部屋で騒ぎがございましたが、今は落ち着いています。明日にはご夫妻も本調子に戻られるかと」
「騒ぎ……?」
「私はグエン閣下とフリージア卿の寝室を整えておりましたので、詳しくは存じ上げません。ですが、邸宅を出る寸前にお見かけしたご夫妻は、笑っておいででした」
「……そう、ですか……。笑えているなら、良かった……」
「ふふ……今宵はここまで……ですわね。お迎え、ありがとう、リナリア。助かりますわ」
「お役に立てたなら光栄です、フリージア卿」

 グエンから離れたガーネットが先にリナリアからタオルを二枚受け取り、グエンはガーネットから一枚受け取って、それぞれで顔を拭う。
 二人が呼吸を整えつつ頭部を一通り拭き終えたところで、グエンが自分のカンテラを拾い、リナリアの先導で邸宅まで戻ることになった。
 再び横並びで歩き出すグエンとガーネットは、当たり前のように先を歩くリナリアの背中を見て、不敵に笑う。

「(また一つ、確信が深まりましたわね)」
「(はい。これで八割です)」
「(気兼ねなく楽しめる『出張』になりそうで、良うございましたわ)」
「(そうですね、本当に)」
「(貴女にとっても、です。グローリア様)」
「……え?」

 リナリア、グエン、ガーネットの順で、砂浜と邸宅を繋ぐ石階段を登り。
 アプローチの途中で突然本名を呼ばれたグエンが振り返ると、運動後の熱冷めやらぬ頬に、ガーネットの唇が押し当てられた。
 イタズラっぽく、けれどどこまでも無邪気なルビー色の虹彩を輝かせて、驚き固まったグエンに笑いかける。

「とっても楽しい時間でした。ありがとう、グエン様。明日からも楽しみにしていて良いですか?」
「(あ、明日からも、って……さっきのあれは、)」
「ダメ、ですか?」
「っ、」

 小首を傾げて問うガーネットの表情は、御歳四十八の女性が男装しているとは思えないほど、幼くて可愛らしい。
 夜の海は危ないから二度とっちゃダメ! とはなんとなく言いづらく、グエンはしばし考え込んでから、苦笑混じりで答えた。

「海水の中……以外でなら、喜んで」

 装いを変え、名前を偽って同行しているガーネットだが、その正体が王妃ルビア=シュバイツェルである事は、ほぼ総ての敵対勢力に見抜かれていると、同行者の大人全員で意見の一致を見ている。
 それでもガーネットが(一応)騎士として振る舞っているのは、見抜けていない勢力があるかどうかを見極める為と、もう一つ。
 ガーネット=フリージア、つまりルビア=シュバイツェルが、東大陸側の戦力の一つとして数えられている事実を、集めた『複数の団体』に向かって誇示する為だ。

 ルビア=シュバイツェルは、公の場で拳を振るった例が無い。

 見る者が見れば量れる強さも、見る目を持たない、あるいは自身の力量を過信しているそれなりの実力者には通じない。
 それでは、せっかくグエンが用意したを、勘違いした輩に血で汚される可能性があった。

 だから、数多の武勇伝を誇る、知名度が高い国軍大将と戦ってみせた。

 シュバイツァー公爵夫妻が気付けない距離で、誰にでも判る強さを示し、の豪華さに目を眩ませた釣り人が血迷った行動に出ないよう、牽制と自衛の意味を込めて、本気のデモンストレーションを見せつけた。

 と、グエンは思っていたのだが。

「貴女と二人でなら、どこででも!」

 カンテラの灯りに照らされたガーネットの顔は、心の底から嬉しそうに、本当に幸せそうに、満面の笑みを浮かべている。
 そして、水浸しの制服を気に掛ける様子もなく、猫が飼い主の足に尻尾を絡めるようにグエンの左腕に抱き付き、頬をすり寄せた。

「まあ……仲がよろしいのは結構ですが、それではグエン閣下がカンテラを落としてしまわれます。お湯を用意してありますので、身体を温めてから、お部屋でごゆっくりお過ごしくださいませ」

 前方を歩いていたリナリアが立ち止まり、二人を見ながらクスクスと肩を揺らして笑う。
 ガーネットは「それもそうね」と言ってグエンの腕を離し、邸宅の玄関へ素早く移動した。

「……リナリア」
「はい」
「私は、間違えたのでしょうか」

 小さくなった人影が、玄関前の松明の近くで手招きしている。
 一刻も早く二人きりになりたいと、全身でグエンに訴えかけている。

「もしかしてフリージア卿は、」
「貴女に間違いなど無い。フリージア卿なら、そうお答えすると思います」

 穏やかながらも芯が通った強い口調に言葉を遮られ、息を呑んだグエンが右手で口許を覆った。

 この先に続く言葉は、絶対口にしてはならない事。
 少なくとも『複数の団体』が聞き耳を立てている現場では、言えない事。
 解っていても、ガーネットの姿を見ると考えずにはいられない。

 ガーネットは、
 最初から本心で、ただの恋人同士みたいに平凡で平穏な二人きりの時間を楽しみたかっただけなのでは、と。

「どのような形であれ」

 眉尻を下げて唇を引き結ぶグエンに背を向け、リナリアも玄関へ向かって足を進める。

「グエン閣下と時間を共有できれば良い。フリージア卿にとっては、グエン閣下がグエン閣下であれば、それで良いのではないでしょうか」
「私が、私であれば……」
「お気になさるのでしたら、明日は今日と違う過ごし方をされてみては?」
「……恥ずかしい話ですが……」

 グエンも、リナリアの後に付いて歩き出す。
 既に玄関扉は開かれていて、ガーネットは邸宅の中に吸い込まれていた。
 代わりに顔を出したブリジットが、グエン達に深々と頭を下げている。

「私は『世俗的な恋人同士』の振る舞い方が分かりません。よろしかったらご教授願えませんか、リナリア」

 両肩を持ち上げて苦笑するグエン。
 リナリアはまっすぐ前を向いたまま、

「私でよろしければ」

 クスクスと笑った。


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