[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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夏の思い出 Ⅴ

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 グローリアが叩き壊す勢いで開いた扉の内側は、物凄く散らかっていた。

 外壁と同じく真っ白な壁。
 薄茶色のはりが覗く天井と、吊り下がるガラス製のシャンデリア。
 ラタン素材と白茶色の布で統一して品良く配置されたシンプルな家具に、壁際やベッド脇など、所々で華を添えている鮮やかな緑色の観葉植物。
 夜の闇へと沈み込むベランダを背景に、明るい室内を映し出す大きな窓。

 パッと見では、夫妻が泊まる客室と大差無い様相。
 けれど、目線を下げれば自然物が床一面で不自然に散乱し、よれた絨毯の中央では、尻餅をついたような姿勢のナディアの足先で、全身を赤く染めたヴィントが、座ったまま抜き身の短剣に手を伸ばしている。

 冷静に観察できていれば、すぐに気付けたかも知れない。
 室内は散らかっているだけ。
 姉妹で争ったらこうなった、誰かに荒らされた、といった印象とは違う。
 護衛のアルベルトやブリジットが廊下で待機していたことから考えても、不審者の襲撃や物盗りとの遭遇など、姉妹の命を脅かす事態ではない。
 ヴィントが赤く染まっているように見えたのも、ハイビスカスの花びらが身体中に貼り付いているだけで、払い落とせば汚れにすらなっていないと。

 しかし。

 白系統の色調でまとまっている落ち着いた雰囲気の内装は、誰よりも早く飛び込んだグローリアの目に、『抜き身の刃』と『赤』を殊更際立たせた。

 記憶の底に根を張る忌まわしい出来事が。
 赤く濡れて倒れ伏す宮廷騎士達の幻影が。
 赤を纏って座るヴィントと重なる。

 その光景は、グローリアの呼吸と思考を瞬時に奪い取り。
 後から駆け込んできた三人に、焦りを生んだ。

「(っ! 駄目だ、グローリア!)」

 とっさに右手を伸ばしたアーシュマーが、グローリアの両目を覆い隠し、力無くよろめいた細い身体を抱き留める。
 直に触れた肌が、ゾッとするほど冷たい。

「(子供達が見ています。今は耐えて)」
「…………アー……シュ、マー…………」
「(二人共無事です。ケガはありません。だから)」

 子供達の前では倒れないでくださいと、グローリアにだけ聞こえる声量でささやき、同時に、アーシュマー自身にも「大丈夫だ」と強く言い含める。

「(ここは、ウェラント王国の宮殿ではありません。フリューゲルヘイゲン王国のシュタール海岸です。分かりますか。負傷者は、一人も居ません)」

 今にも気絶してしまいそうな妻を気遣いながらヴィントとナディアに目を向ければ、二人は茫然と固まっていた。
 何が起きたのか分からないという顔で、挙動不審な両親とメイドと護衛を見上げている。

「(しっかり息を吸って、吐いて……焦らないで。少しずつで良い)」

 視界を遮られたことで聴覚が鋭敏になったのか、凍りついたグローリアの身体が、心臓が、ささやきに合わせて息を吹き返し、熱を取り戻していく。
 アーシュマーに掛かっていた重みが、少しずつ軽くなっていく。
 垂れ下がっていたグローリアの両手が、弱々しく震えながら持ち上がり、赤子よりも頼りない力で、アーシュマーの右手を引き離すように掴んだ。

「……あ、り……がと……」
「(大丈夫そうですか?)」
「ええ……。はやく、二人、に」
「(私に任せてください)……ブリジット、グローリアをお願いします」
「承知しました。公爵閣下、こちらへ」

 右手をゆっくりと離し、顔色悪くも確固たる意志の光を宿すグローリアの目を覗いて頷いたアーシュマーは、まだふらつく彼女をブリジットに預け、姉妹の元へと足を運ぶ。
 そうしている間にも、姉妹の表情は変化していた。
 単純な驚きから、状況が読めない不安へ。
 理解できない状況への不安から、様子がおかしい母親への心配へ。
 分かりやすく母親を注視して、声を掛けて良いものかどうか迷っている。

「ヴィント、ナディア」

 二人の傍らで片膝を突いたアーシュマーは、姉妹と目線が合うまで背中を丸め、拾い上げた短剣の柄をヴィントに差し出しつつ、極力穏やかな笑顔とゆったりした口調を意識して話しかけた。
 そんなアーシュマーに振り向いた姉妹、特にヴィントが一瞬怯んだのは、怒られるとでも思ったからだろうか。
 直後にグローリアを見上げて眉尻を下げた辺り、この優しい姉妹が周囲に迷惑をかけたり、怒られるような悪さをしていたとは考えにくい、が……。

「すみません」

 まずは姉妹から話を聴こうと、ヴィントの手に短剣をそっと握らせる。
 戸惑い揺れる青紫と赤紫の目が、柔らかく微笑むアーシュマーを映した。

「貴女達の許しも得ずに突然部屋へ押し入ってしまった事をお詫びします。二人共、びっくりしたでしょう?」
「う、うん……ヴィント、びっくりした」
「ナディアも、びっくりしたの」
「「でも、」」

 それよりも、かあさまは大丈夫? と言いたげな姉妹に、アーシュマーは深く深く頷いてみせる。

「グローリアも私も、貴女達の部屋から不審な物音や悲鳴が聞こえたので、びっくりして飛んで来たんです。そうしたら、小石や草花が散らばる絨毯に二人で座り込んでいたり、鞘に収まっていない短剣が二人の近くに転がっていたりしたので、もっとびっくりしてしまったんですよ」
「え!? かあさま、ヴィントのせいで、きもちわるくなっちゃったの?」
「ヴィントとナディアが、とうさまとかあさまをびっくりさせちゃった?」
「そうですね」

 驚いて前のめりになる姉妹。
 アーシュマーは、再度頷いた。

「今ここに居る全員、ヴィントとナディアがケガをしているのではないかと心配しています。二人はケガをしていますか? 痛い所はありますか?」
「ヴィント、ころんじゃったけど、どこもケガはしてないの!」
「ナディアも、びっくりしてすわっちゃったけど、ケガとかしてないの!」

 同時に立ち上がった姉妹が、ほらほら見て見て、自分達は元気だよ、と、その場でターンしたり、跳躍したり、思い思いに動き回る。
 それから、右手に持っている抜き身の短剣に気付いたヴィントが、左袖に隠してある鞘へと、慌てて刃を押し込んだ。
 アーシュマーも立ち上がり、二人の服に残る花びらや埃などを丁寧に払い落としてから、右手でヴィントの、左手でナディアの頭を、優しく撫でる。

「安心しました。ヴィントとナディアにケガが無くて、本当に良かった」
「みんなに、しんぱいをかけて、かあさまを、きもちわるくさせちゃって、ごめんなさい」
「それと、おへやをメチャクチャにしちゃったことも、ごめんなさい」
「……この部屋をメチャクチャにしたのは、貴女達なのですか?」
「「なの」」

 姉妹は深々と腰を折って謝意を示す。
 そして、絨毯の上で様々な物が詰め込まれたらしいシャコ貝を心配そうにチラチラと、まるで、見つかってはいけない物を見る目で見ていた。

 アーシュマーは自身の顎に指先を当て、束の間考えてから、グローリアに視線を送る。
 きっと、アーシュマーと同じことを考えているのだろう。
 姉妹の無事を確認できたからか、顔色は大分良くなってきているものの、姉妹とシャコ貝を交互に見つめる表情は悲しげで、暗い。
 一旦目蓋を閉じ、苦い思いを隠して姉妹へと向き直ったアーシュマーは、軽く屈んで二人の肩に手を置き、微笑んだ。

「では、この部屋のお片付けは二人にお願いします。綺麗にできますか?」
「「がんばるの!」」
「明日の朝食後に、また様子を見に来ます。お片付けはそれまでに済ませば良いので、夜遅くまで掛かりそうでしたら、途中であっても寝てください」
「「あさごはんまでで良いの?」」
「はい。お片付けも大事ですが、身体を休ませることも大事ですから」
「おそくなりそうなら、とちゅうかけでも、ちゃんとねて」
「あさごはんまでに、おわらせる」
「「りょーかいなの!」」
「明日の朝を楽しみにしていますね。お休みなさい、ヴィント、ナディア」
「「おやすみなさいですなの!」」

 背筋を伸ばして軍式の礼を執る姉妹から手を引き、自身も背筋を伸ばして二人を見下ろすアーシュマー。
 グローリアを休ませる為にもひとまず自分達の部屋へ戻ろうと、護衛達と一緒に廊下の手前まで引き返したところで、ヴィントが「あ、そうだ!」と声を上げた。
 振り向く大人達の足先に、とててっと駆け寄ってくる。

「とうさま、とうさま」
「どうかしましたか、ヴィント」
「お家のまわりにさいてるお花って、しらない人たちにあげたらダメ?」
「知らない人達?」
「うん。ここに来るとちゅうから、ヴィントたちをずーっと見てる人たち」
「「…………っ!?」」

 ギョッとするグローリアとアーシュマーには気付かず、ヴィントは天井を見上げて、不思議そうに首をひねった。

「なんかね、たまーにグエンさまとル……じゃなかった、ガーネットさまも見てるんだけどね、ほとんどはヴィントとナディアをじっと見てるからね、お花とかをもらえるヴィントたちが、うらやましいのかなって」
「……その人達は今も上に居て、二人を見ているのですか?」
「うん。上にいるのは三人くらいだけど、その人たちも、ほかの人たちも、今は、お外にいるグエンさまと、ガーネットさまを見てるよ」
「外? グエン閣下もフリージア卿も、お二人の部屋に居る筈ですが」
「えっとね。おへやに入って、ちょっとしたらね、ふたりで、ベランダから出てね。すなはまのほうに行ったの」
「出て行くところを見ていたのですか?」
「んーん。まどをあけしめするときの音と、とびおりたときのクツの音と、すなの上をあるくときの音がしてた」

 真剣な表情で尋ねたアーシュマーに、ヴィントはふるふると首を振る。
 ブリジットの無言の指示を受けたアルベルトが部屋を飛び出し、グエンとガーネットが泊まる客室の前で控えていたポーラに、二人の所在を確認。
 ポーラは頷き、「お二人は現在、お仕事の為に部屋を空けておられます」と答えた。
 加えて、もう一つ。

「(『こちらは予定通りだから心配は要らない。君達はご令嬢方の事だけを考えていて』……と、仰っていたそうです)」
「「((予定通り? ………… っ!))」」

 戻ってきたアルベルトに『伝言』を耳打ちされたシュバイツァー夫妻は、ここに来てようやく、自分達に課されている役割を察した。

 トップクラスの要人が、揃って王宮から遠く離れたプライベートビーチに来なくてはいけなかった理由。
 邸宅への道中各所で、シュバイツァー一家に観光を推奨していた理由。
 『出張』で来たのに、『休暇』以上の意義など無いと断言された理由。
 男装騎士達が邸宅の屋根を見上げて不敵に笑っていた理由。
 双子姉妹に与えられていた役目の内容も。

「「((これは……))」」

 全ては、真実の姿を見抜くヴィントとナディアが見ている。
 だから、シュバイツァー夫妻を含む大人の同行者達は、子供達を注意深く見ておく必要があった。
 害意を持つ者が現れれば、いつでも迅速に、適切に対処できるように。


「「(( 『おとり捜査』!? ))」」


 現在ハインリヒ家が所有するプライベートビーチには、顔見知りで固めた十人の他に、正体不明の集団が潜んでいる。
 姉妹の言動でそれに気付いたグエンとガーネットは、姉妹を護衛しているアルベルトや、ルビア王妃に仕えているブリジットにすら何一つ伝えずに、ベランダから二人で密かに出て行った。
 おそらくは、害意を微塵も感じさせずに潜んでいる集団の意図を探る為。
 万が一にも子供達やリナリアマッケンティアに累が及ばないよう、集団の気を引く形で、予定通りに、わざとらしく抜け出した。

 であれば、公爵家一行の役割は、『おとり役』兼『姉妹の護衛』。

 おとり役としての『出張』なら、ガーネットが言っていた通りここに居るだけで良い。護衛としての『出張』でも、姉妹に危険が迫らない限りは動く必要が無いのだから、どちらにせよ、姉妹が遊んでいる間は『休暇』以上の意義など無いと言われても、おかしくはない。
 『グエン閣下の目的は、一行がこちらの邸宅に到着した時点で、半分以上達成されているのだと思う』というリナリアの私感は、夫妻の疑問への答えそのものだったらしい。

「(グエン閣下の執務室で、具体的な説明が無かったのは)」
「(執務室にも『耳』の存在を疑っていたから、でしょうね)」
「(『スパイ』?)」

 ブリジットの支えから離れたグローリアが、アーシュマーの隣に立って、声量を抑えた彼の言葉に耳を傾ける。

「(はい。それなら目的地にわざわざプライベートビーチを選んだ理由も、私達に目立つ武装を許さなかった理由も、無関係な人を巻き込まない場所へ間謀スパイと繋がっている組織を誘い出す為だから、で、一応筋は通ります)」
「(……アーシュマーは、その組織がレイヴン達だと思ってる?)」
「(グローリアは違うと思いますか?)」
「(一番疑わしいのはレイヴンだけど……それはそれで腑に落ちない部分があるわ。彼は権力者を憎んでいる。武装勢力に組み込まれた人達も、自身の自由を縛る権力者や社会の枠組みに対しては、凄まじい嫌悪感を持っているでしょう。既に取り囲まれているであろう私達や子供達が、それをまったく感じていないのはどうして?)」
「(レイヴン・グニッヅに意識を操られている可能性は)」
「(無い。とは言い切れないけど、でも)」

 後々ヘンリー卿から改めて聴いた話によれば、ヘイムディンバッハで騎士として裏取引の現場を押さえに出動した夜、レイヴンに向けて威嚇用の矢を放った何者かの声は、意識を操られている様子ではなかった。
 むしろ、レイヴン・グニッヅへの嫌悪や敵意に近いものを感じたという。

 多分レイヴンは、関係者全員の意識を操っているわけじゃないと思うわ。
 そう言おうとしたグローリアの前に、ヴィントが身を乗り出してきた。

「やっぱり、しらない人たちにあげたらダメ?」

 首を傾げて尋ねる愛し子を見て、夫妻はハッと息を呑んだ。

 ヴィントは、『知らない人達』を警戒するどころか妙に気を配っている。
 一人で片付けを始めたナディアも、頭上を警戒している様子はない。
 少なくともヴィントとナディアは、『知らない人達』を危険な相手だとは認識していないようだった。

 振り返ってみれば、グエンとガーネットの言動も、姉妹の安全には自信を窺わせている。
 大陸間侵攻の切り札とも言えるリナリアマッケンティアを同行させる程度には。


 もしや……双方、ここで争うつもりは、ない?
 どちらも、互いの様子を見ているだけ?


 アーシュマーとグローリアは、しばし顔を見合わせ。
 頷き合ってから、ヴィントに振り向いた。

「そうね。いくらグエン閣下のお許しがあっても、ハインリヒ家の所有物を見ず知らずの人達にあげるのは、良くないと思うわ」
「そっかあ」
「ええ。それに、貴女達からのお土産を待っている人達が、王宮にたくさん居るでしょう? カランコエ殿下とか」
「うん。カーラ、おみやげをたのしみにしてるって言ってた!」
「なら、知らない人達を喜ばせるより先に、カランコエ殿下が喜ぶお土産を考えましょう。手作りしてみるのも良いわね。私達と一緒に」
「……かあさまたちと、いっしょに?」
「私達と一緒では、嫌ですか?」

 グローリアが左手で。
 アーシュマーが右手で。
 ヴィントの頭を包むように撫でる。
 きょとんとしたヴィントは、次の瞬間、喜色満面で両親に抱きついた。

「すっごく!! うれしいのーっ!!」

 グエンやガーネットの狙いがなんであれ。
 『知らない人達』の正体が何者であっても。
 姉妹に危険が無いと解れば、夫妻が萎縮している理由も無い。
 万が一何かあったら、その時は全力で守り抜けば良いだけ。
 そして、万が一を考えて動けなくなるくらいなら、姉妹との時間を楽しむほうが、よっぽど有意義だ。

「やっぱり、リナリアには敵わないわね」
「はい」

 愛しい娘にしがみつかれ、ふらつきながら、アーシュマーとグローリアは視線を合わせて、心から笑った。


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