[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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夏の思い出 Ⅲ

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 その日の夜。
 昼食後の自由時間からガーデンパーティー式の夕食までつつがなく終え、少し早いけどそろそろ寝ようかという話になり、グエンとガーネット、双子姉妹、シュバイツァー夫妻は、二人一組で別々の客室へと案内された。
 グエンとガーネットの部屋の前には、ポーラが。
 双子姉妹の部屋の前には、アルベルトが。
 シュバイツァー夫妻の部屋の前には、ブリジットが警護で立っている。

 幾千幾万の星を連れた三日月が夕暮れの余韻を残す夜空を駆け上がる中、シュバイツァー夫妻の部屋へと招かれたリナリアが、手慣れた様子で手早く用意したお茶と軽食を、ソファーに座る夫妻の手前のローテーブルに並べ、グローリアの斜め後ろに控えた。
 高位貴族に仕える者としては完璧な、リナリアの正体を知る者から見れば違和感しかないメイドっぷりに、夫妻はとっても居心地が悪そうな、物凄く微妙な表情を浮かべる。

「……あの、……、リナリア?」
「はい。何かございましたか、グローリア公爵閣下」

 普段より若く高めに弾む、楽しげな声。
 顔を覗かなくても伝わるリナリアの感情が、夫妻の背中を丸めさせた。
 脱力した二人を見て小さく笑ったリナリアは、明らかに息子夫婦の反応で遊んでいる。

「え、と……貴女方メイド三人は、ルビア王妃陛下の指示で随伴していると言っていましたね」
「はい。グローリア公爵閣下」
「では、今回の件に関して、リナリアはどのような説明を受けたのですか」

 気を取り直して顔を上げたグローリアが、メイドの仮面を外さない義母に座ったまま振り返って、問う。

「説明ですか? そうですね……」

 リナリアはサファイア色の目を細めて柔らかく微笑み、顔の両横に垂れた金色の巻き毛を揺らして室内を見渡す。

 外観と同じく白い壁に囲まれている客室では、ラタン素材と白茶色の布で統一したシンプルな家具が品良く配置され、アイビーやテーブルヤシなどの観葉植物と一緒に、落ち着いた雰囲気を演出していた。
 はりを露出させた天井には、ガラス製のシャンデリア。
 埃一つ落ちていない床には、植物模様の刺繍が施された厚手の絨毯。
 その総てが、シュバイツァー一家を迎える為に管理人が手配した新品だ。目に映る範囲では、傷も汚れも見当たらない。
 海に面した窓の外枠やベランダでさえ、新築同然の綺麗さを保っている。

「私は、シュバイツァー公爵家のご令嬢方をよく見ておくようにと、厳重に申し付けられております」
「ヴィントとナディアを?」
「はい」
「確かに、今回のような状況で私とアーシュマーの他に娘達を見守れる方が同行してくださっているのは、大変心強く、ありがたいですが……」
「それが貴女方である理由は、なんなのでしょうか」

 グローリアの戸惑いを引き継ぎ、顔を上げたアーシュマーが問う。

 シュバイツァー公爵家一行の行程は、かなり大雑把なものだ。
 ヘイムディンバッハからプライベートビーチまでで十日。
 邸宅での滞在は七日間。
 プライベートビーチからヘイムディンバッハまでも十日の計算で、残りの三日間は、それぞれの自宅でゆっくり過ごしながら職場復帰の準備に充てる予定となっていた。

 それ以外は白紙。
 移動時間と移動手段と泊まる場所以外は、何をするべきか、食事の内容はどうするのかさえ、何一つ具体的には決まっていなかった。
 道中の各宿に泊まる前後も「時間が余るので観光してきてください」と、一家揃って見知らぬ土地の雑踏へと、笑顔で放り出される始末。

 ただでさえ、様々な勢力からあらゆる角度で狙われ放題のシュバイツァー公爵家。加えて、純粋無垢であるが故に予測不能な行動を執る幼い子供達。
 いくらグエンが安全を保証しても、不慮の事故はいつだって起こりうる。
 『出張』としか聞かされていないシュバイツァー公爵夫妻は、想像以上に自由度が高すぎる状況で困惑し、双子姉妹が好奇心に誘われるままあちこち走り回るたびに、精神を容赦なく削り落とされ、心身ともに疲弊していた。

 その上まさかの、グエンもう一人の国王と、ガーネットルビア王妃と、リナリアマッケンティアの同行。

 生きる国家機密や国の最高責任者の一人である女性、表向きは死者として扱われている著名人の顔触れと一緒に『休暇気分を楽しめ』と言われても、土台無理がある。
 どう考えても、陰謀とか策略とかの危険な臭いしかしない。
 これからフィオルシーニ皇帝とこっそり面会しますよと言われたほうが、驚きはするが、よほど納得できた。
 しかし、当然ながら、そんな気配はまったく無く。

 目的地に着いてもまだ明かされない『出張』の真意を探ろうとリナリアにヒントを求める夫妻だが、リナリアはグエンと同じ言葉を返すだけだった。

「私は、ルビア王妃陛下の御命令に従うメイド。ルビア王妃陛下がお話しになられていないのであれば、私から申し上げる事はございません。ですが、私感をお許しいただけるなら……グエン閣下の目的は、私共を含めた一行がこちらの邸宅に到着した時点で、半分以上達成されているのだと思います」
「プライベートビーチへ来ること自体に、意味があったと?」
「目的は出張だと仰ってはいましたが、保養地への移動が仕事になるとは、どういった状況なのでしょうか? 実は『出張』とは名目で、ダンデリオン陛下の「たまには休め」という訓辞を本当に実行している……わけではないですよね?」
「私にはなんとも。ただ、グエン閣下やルビア王妃陛下がお話しになられていないのであれば、今は仕事をする時ではないのだと割り切り、お嬢様方と一緒に過ごす時間を楽しまれたほうが、お嬢様方との思い出作りにもなってよろしいかと存じます」
「「思い出作り」」
「幼い頃の記憶とは、良くも悪くも、大人になる過程で本人達の心の支えになるものです。そして、良い記憶にするのも、悪い記憶になるのも、本人や本人と一緒に居た人の言動次第。そうではありませんでしたか?」
「「…………!」」

 グローリアが『オーリィード』だった頃、数多くの艱難辛苦かんなんしんくを乗り越えて宮廷騎士団の隊長にまで上り詰めたのは、義理の姉サーラと大人になってもずっと一緒に居たいと願っていたから。
 ずっと一緒に居たいと願っていたのは、イバラを敷き詰めた鳥籠のような世界の中で唯一、自分を見てくれた人だったから。悪い夢の最中に産まれ、どんな災いを招くか判らなかった不義の子供を、『オーリィード』と認め、愛してくれる人だったから。
 決して良いとは言えない結末を迎えた『オーリィード』からグローリアに変わった今でも、サーラと過ごした幼い日々の記憶が愛しく消えないのは、互いを認め、支え合い、笑い合えた姉妹が、そこに在るからだ。
 記憶それは確かに、現在のグローリアを支えているものの一つだった。

 リブロムにしても、レクセルにしても、同じだ。
 家族と一緒に過ごした幼い時分の温かい記憶があるからこそ強さを求め、手に入れた力で人を傷付けることに葛藤し、零れ落ちたものを想いながら、今はそれぞれの場所に立っている。

 では、双子姉妹はどうだろう?
 幼くも賢く、感情の機微にも通じるあの双子姉妹が、心配事を抱えている両親の傍らで、何も思わず、だろうか。
 その思いは、行動は、未来の双子姉妹にとって良い記憶になるだろうか。

 問われてハッと息を呑んだ夫妻に、リナリアは優しく目を細めて頷いた。

「生まれて初めて見た海は綺麗でしたか? グローリア公爵閣下」
「……ええ、とても。綺麗すぎて言葉にならないほどです」
「お嬢様方にとっても初めての海でございましょう。であれば、その感動はお嬢様方と分かち合える筈。不慣れな環境で不安も大いにありましょうが、せっかくの遠出なのです。皆様で『楽しい』を共有されてはいかがですか」

 座ったままリナリアを見つめていたグローリアが、アーシュマーの顔を。アーシュマーはグローリアの顔を見て、戸惑いがちにうつむく。

「そう、ですね」
「私達は『出張』という言葉に気を取られすぎていたのかも知れません」
「グエン閣下は、自分を信じて子供達をしっかり見ていてくれるなら問題は無いと言われていたのに、私もアーシュマーも、子供達を見てはいなかったのですね」
「これでは、グエン閣下を信じているとも言えませんね」

 肩を落とし、うなだれる夫妻。
 リナリアは自身の頬に手を当てて、「あらあら」と小さく息を吐いた。

「滞在日数は七日間。残り六日間もございます。これからですよ」
「「……はい……」」
「では、本日のところはごゆっくりお休みくださいませ。そちらの食器は、明日の朝、片付けさせていただきます」
「「お休みなさい」」
「失礼いたします」

 精神的疲労か、一種の自信喪失か。
 もはや演技に付き合う気力も無いらしい夫妻をその場に残し、リナリアは家臣の礼を執って退室していった。

 客室に横たわる、長い、長い沈黙。
 遠く聴こえていた波の音を、とても間近に感じる。

 不意に、グローリアの右手が、うつむくアーシュマーの左頬に触れた。
 驚き跳ね上がった青い目が、眉尻を下げて覗き込むグローリアを捉える。

「ごめんなさい」
「グローリア?」
「私、自分の事で頭が一杯になっていたみたい。リナリアに指摘されるまで気付けなかった」
「それを言うなら、私もです」
「ううん、ヴィントやナディアの話だけじゃなくて……」

 貴方達兄弟は、海に対して、あまり良い印象が無いでしょう?

 父たるルベルク王が、騎士達の命を切り捨てた場所。
 家族が家族の命を奪いかけ、奪われかけた場所だから。

 アーシュマーの頬に手を当てたままうつむいたグローリアの言葉は、声に乗らなかった。
 耳に聴こえない言葉は、けれどアーシュマーには届いたのか、パチパチと何度か目を瞬いた後、グローリアの右手に自身の左手を重ねて微笑む。

「私が知っている南西部の海は、もっと青が濃いんです。砂浜も白ではなく黄色でしたし」
「……シュタール海岸を見て、何も感じなかった?」
「何も、とは言えませんが、貴女が気に病むほどの感傷はありません」
「無理は、してない?」
「無理なんてできませんよ、あれだけ立派な石像を三体も建てられてはね」
「あ、あれは! だって!」
「まさか二十分も目を開いていられるとは思わなかったので焦りましたが、あそこまで感動してもらえると、むしろ嬉しいものですね」
「嬉しい?」
「形はどうであれ、家族で海に来る約束は果たせましたから。貴女に喜んでいただけたのなら、私の夢も一つ叶ったことになるんです」

 波打ち際を駆けていく子供達と、その後を追いかけていく黒髪の女性。
 そんな三人を、少し離れた場所から見守るグローリアとアーシュマー。

 かつて風邪を引いたアーシュマーが夢に視た光景は、ちょっとだけ(?)違う形で現実になった。
 上司と一緒に仕事で来るとか、黒髪の女性が金髪メイドに扮してるとか、本当にちょっとだけ(?)違う形ではあるけれど。
 それは、それ。
 グローリアや子供達が笑っているなら、それがすべてだ。

「……喜んでいても、良いのよね?」
「はい」
「でも、頭では理解しても、気持ちの上では本当にそれで良いのかどうか、まだ迷っているの。うっかり気を抜いてしまったら、グエン閣下にご迷惑をおかけしてしまいそうで」
「貴女は、良く言えば真面目で、融通が利かないタチですからね」
「貴方だってそうでしょう」
「そうですね。私達は似た者夫婦です。だから、一緒に考えましょう」

 ムスッとした表情で睨むグローリアの右手を引き離したアーシュマーが、その手のひらに唇を押し当てる。
 柔らかな皮膚を通って伝わる吐息の熱さと感触がくすぐったかったのか、グローリアの指先がぴくりと跳ね、頬に赤みが差した。

「ヴィントやナディアに気を遣わせず、何が起きても即対応できるような、そんな『休暇』の楽しみ方を。私と貴女で、一緒に」
「……「やっぱり仕事だから」って結論になっちゃう気がするわ」
「意見の一致を見たら、その度に注意深く反証を重ねれば良いのですよ」
「本当にそれで良いのかって、今の私みたいに?」
「はい。今の私達みたいに」

 顔を上げたアーシュマーとグローリアは、しばし互いを見つめ合い、二人同時に噴き出す。

「キリが無さそうね。答えを出す前に、リナリアが片付けてしまいそう」
「あの人にはどうやっても敵いませんから。気にするだけ時間が惜しい」
「敵わないという点では同意します。反証の余地も無いわ」
「はい」
「でも、朝までに見つかるかしら」
「私にもまだ迷いはありますが、とりあえず」
「?」

 アーシュマーが立ち上がり、左手を自身の腰上、右手をグローリアに差し出して、軽く頭を下げた。
 舞踏会などで男性が行う、パートナーへのお誘いだ。
 何故ここで、と目を瞬くグローリアに、アーシュマーは視線でベランダを示す。

「波の音を背景音に、リナリアが淹れてくれたお茶を頂きながら、月と星の下で思い出話などはいかがですか? グローリア公爵閣下」
「ベランダで?」
「窓越しの夜空もそれはそれで良いものですが、肌で感じる潮風や直に見る星の海は格別ですよ」
「……星の、海……」

 差し出された手とベランダを見比べて首を傾げたグローリアも、こくりと頷いて手を重ね、立ち上がる。

「喜んでお相手させていただきます。シュバイツァー卿アーシュマー」

 アーシュマーのエスコートで、ベランダへ向かうグローリア。

 仕事なのか休暇なのか判然としない『出張』でも楽しく過ごせるように。
 双子姉妹に良い思い出を残せるように。

 そう願っての行動が既に手遅れだったことを、夫妻は数秒後に思い知る。

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