[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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おまけ

聖者の福音 ~それぞれの明日へ~

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 部屋を出れば、石造りの廊下は相変わらず薄暗い。
 手に持ったカンテラで先を照らしても、整然と手入れされた空間は静かで生活感がまるで無く、抑えた呼吸の音すら盛大に反響しているような錯覚を覚える。
 けれど、自身の袖で目元を拭い、顔を上げて歩き出したリブロムの靴音はもう、ためらいも迷いも含んではいなかった。
 普段よりも硬質で短い単音の連続は、足を進める度に速度を上げていく。
 決して雑ではない、しっかり力強く踏みしめる一歩一歩から決意が滲む。
 やがて全身に陽光を浴びたリブロムは立ち止まり、青空を見上げて微笑むと、すぐに正面へと向き直って表情を消した。

 どんな道を選んでも、人は必ず、大なり小なり後悔する。
 リブロムにも、いつかは「違う答えにすれば良かった」と思う日が来る。きっと……必ず。
 ならば、そんな後悔さえも糧になる未来を。
 今はただ、自分にできる事を精一杯の力で。
 心を傾けてくれた総ての人達に恥じぬ行いを。

 カンテラの灯りを落とし、向かうのは王城内の会議室。
 マッケンティアとのわだかまりは解けた。
 リブロム個人が抱えていた問題は、もう無い。
 しかし、現在進行形で二国の玉座を預かっている立場としては、いまだに各国との間で利権と主導権の獲得競争に熱を上げている日和見主義な貴族達をまとめ、大陸間侵攻を狙う犯罪組織への具体的な対策案を早急に打ち出す必要がある。
 『アーシュマー』の願いと一緒に『リブロム王』の責務や罪過をも分かち合うと暗に示してくれたレクセルに答えを返す期日まで、残り四ヶ月。
 後顧の憂いを少しでも多く晴らしておく為、リブロムはこれまでと異なる形の戦いの場へと踏み込んだ。



 リブロムが去った室内で、マッケンティアはうつむくロゼリーヌの前の席に座り直した。
「ロゼリーヌ王太后陛下も、ご存知なかったのですね」
「……ええ」
 気遣いを感じる声色に顔を上げたロゼリーヌは、ふっと息を吐いて苦笑いを浮かべる。
「わたくしが分かっていたのは、オーリィードが受け入れていることだけ」
 オーリィード自身が受け入れているなら、相手は害意ある男性ではない。誰に問いただすでもなく、レクセルが隣に居たから、彼が相手と考えて疑いもしなかった。
「辛いわね」
「そうですね」
 レクセルにせよ、リブロムにせよ。
 オーリィードや子供に対する感情は複雑だろう。三人が納得した上で手を取り合っても、円満解決になるとは到底思えない。将来的に、どこかしら何かしらで角が立つのは目に見えている。
 どれほど時間を掛けて悩み、選んだ結果だとしても、だからといって割り切れる問題ではない。時として理性の枷などたやすく吹き飛ばす恋愛感情が絡んでいるなら、なおさら。
「ですが貴方はそれも承知でリブロム陛下に機会を用意したのでしょう? レクセル」
 リブロムが薔薇の宮を出た頃にコンコンと叩かれた扉へ、返事の代わりに問いかけるマッケンティア。
 一拍置いて現れた白衣姿のレクセルは、渋々といった顔で肩を持ち上げ、後ろ手で扉を閉めた。
「まあ……あそこまで丁寧に教えて差し上げるつもりはなかったのですが」
「あら。貴方とリブロム陛下に情報格差があるままでは、貴方のほうが後々引け目を感じそうだと思っていたのですけど。余計なお世話だったかしら」
「いいえ。どうやら兄上は私が想像していた以上に鈍感だったようですし、やむを得ません。あれだけ言われてもまだ解らないのであれば、さすがにもう良いかとほったらかす気でいましたけどね。義母上のお心遣いには感謝します。ロゼリーヌ王太后陛下には真実をお伝えもせず、大変失礼しました」
 マッケンティアの横に立ってウェラント式の礼を執るレクセルに、ロゼリーヌは頭を振る。
「わたくしが知ったからといって、どうにかできる話ではありませんもの。それより、本当によろしいの?」
 リブロム陛下はきっと……と言いかけたロゼリーヌを軽く持ち上げた右手で遮り、レクセルはキッパリと答えた。
「構いません。いつまでも落ち込んでいじけてウジウジした態度でいられるよりは、全部理解してすっきり決めていただいたほうがよほど気分が良い。国交を絶つのも国民の暗示を解くまでの一時的な措置ですし、犯罪組織への対抗策がある程度まとまれば、バスティーツ大陸全土の国主級会談は避けて通れないでしょう。その席にはフィオルシーニ皇国の後見を受けたシュバイツァー公爵家も、事情に通じる者として、あるいは皇帝の使者として派遣される筈。三人が再会した時に公の場で未練がましく陰湿な目で見られるのはまっぴら御免です」

「それに、現段階では、リブロム陛下が『アーシュマー』を選んだとは言い切れませんし……、ね?」

「「え」」

 二人には予想外な発言を繰り出したマッケンティアに、視線が集中する。
 しかし、マッケンティアは意味深長な微笑みを湛えるばかりで、それ以上は何も言わない。
「……少し、意地悪になられましたか? 義母上」
「どうでしょうか。レクセルがそう感じるなら、そうかも知れません」
 唇に人差し指の側面を当てて「ふふっ」と笑う義母に、レクセルは何故か自分自身の姿を重ねて見た。
 諦めが色濃くなった頃合いで希望を持たせようとする底意地の悪さは……似ていると言えば似ているかも知れないと苦笑う。
「けれど、今の言葉を意地悪に感じるくらい心を残しているのなら、いっそリブロム陛下に決闘でも申し出ますか?」
「嫌ですよ。あの兄上のことだ。絶対私に気を遣って手加減するに決まってますし、万が一吹っ切れて全力を出されでもしたら私が死んでしまいます」
「隣室で控えているレクセル殿下に気付いた様子はありませんでした。良い勝負にはなっても、一方的に叩きのめされたりはしないのでは?」
「今は兄上に周辺の気配を探る理由が無かっただけです。少々の実戦を経験した程度の私では、兄上の稽古の相手も満足に務まりません。兄上の強さはフリューゲルヘイゲンの騎士と比較しても桁違いなんです。有り体に言えば化け物だ。決闘なんて、冗談でも吹っかけたくないです」
 マッケンティアとロゼリーヌを交互に見ながら、真顔の前で「無理無理」と手を振るレクセル。
「第一、私達が物理的な傷を負う行為はオーリィードが嫌がります。彼女を悲しませたくないのですよ、私は」
 兄上もそうでしょうけど。とは、あえて言わない。
「それはそうね」
 二人の王太后も深く頷き、飲み込んだ言葉を含めてレクセルに同意する。
「国防ならばともかくオーリィードが原因で負傷したと知ったら、あの子は良い顔はしないでしょう」
「一歩間違えれば、負い目を感じてお二人から距離を取りかねませんわね」
「ええ。顔を合わせる度に謝られる未来もお断りです」
 だから、と。
 腰の上で両腕を組んだレクセルは、ほんの少しだけ淋しさを交えながらも晴れやかな笑みで、母たる王太后達に断言した。
「これで良いのです。私達は」


『いつか訪れるであろう後悔も愛してみせる』
 言外の覚悟を感じたマッケンティアとロゼリーヌは互いに顔を見合わせ、レクセルに向き直って柔らかく微笑んだ。
「では、私達は貴方達の行く末を静かに見守りましょう」
「わたくし達はそれぞれの地で、殿下方の幸福を願っておりますわ」
 二人の慈愛が宿る温かい眼差しに、レクセルは「ありがとうございます」と言って深々と腰を折る。

 数秒後、顔を上げると同時に廊下側から扉が叩かれた。三人の注目を浴びる中、扉は開かれないままで高めの女声が聴こえてくる。
「失礼いたします、ロゼリーヌ王太后陛下。お時間となりましたので、裏口までお越しください」
 書面を音読するような堅苦しい響き。リブロムに意識を操られている定時通いのメイドが、マッケンティアの出立時間を報せに来たらしい。
 ロゼリーヌが諾を返し、マッケンティアと頷き合って立ち上がる。
 レクセルが先んじて扉の取っ手を握り、浅く腰を折った姿勢で、女性達に道を開く。
「道中、お気を付けて。無理しなければ傷が開く心配はないと思いますが、フリューゲルヘイゲンまでは距離があります。辛く感じる前に必ず、適度な休息を入れてくださいね」
 マッケンティア同様ウェラントには居ないものとされているレクセルは、王城内でもごく限られた区画でしか動けない。
 リブロムが指定した場所以外では誰に見られるか判らない為、三人一緒には居られず、見送りはここが限界だった。
「ありがとう……ねえ、レクセル」
「は、っ!」
 ロゼリーヌに続いて廊下に出たマッケンティアが振り返り、レクセルの身体をふわりと抱き締める。
「傷付いた人が自分以外の誰かを心から好きになるって、とても難しいわ。本人の意思ではどうにもならない部分が、更なる傷を怖れて、存在する全てを撥ねつけてしまうから」
 驚き戸惑うレクセルの頬に手を滑らせ、サファイアのきらめきが上向きの曲線を描く。
「応えが無い想いを抱き続けるのもそう。多くの人は時間が経てば経つほど噛み合わない関係に疲れ、目を逸らし、離れてしまう」
 それは誰にとっても仕方がないこと。
 どちらも他人には責められないし、責める権利も無い。
 でも。
「だからこそ、オーリィードに純粋な好意と信頼を預けられている貴方を、私は誇りに思います」
 踵を上げてレクセルの額に口付けを贈り、にっこりと笑って一歩分下がるマッケンティア。
「胸を張って生きなさい。辛い時、目を逸らしたい時、耐えられない時は、この義母が力となりましょう」
 見れば、凛と立つマッケンティアの後ろで、ロゼリーヌも微笑んでいる。
 レクセルは何度か目を瞬かせ……また、苦笑した。
「やっぱり、子供扱いされるのは気恥ずかしいですね」
「ふふ。ごめんなさいね。母にとって、子供はいくつになっても可愛い子供なのよ」
「嫌だな。年甲斐もなく甘えてしまいそうで怖いじゃないですか」
「大人だって疲れます。ごくたまになら、悪くはないわ」
「……有言実行しますよ? 私」
「いつでもどうぞ。どこに居ても待っていますよ」
 真顔と真顔を突き合わせて、じいっと見つめ合い。
 同時に噴き出す義母と義子。
 楽しげな雰囲気に、ロゼリーヌも目を細める。
「ありがとうございます、義母上。ロゼリーヌ王太后陛下。お元気で。そう遠くない未来で、またお会いしましょう」
「ええ。また会う日まで、レクセルも元気で」
 ひとしきり肩を揺らした後、扉の外と内に別れた二人と一人は手を振り、笑顔で境界線を閉じた。



 用事を済ませたメイドは、その姿を見せることなく既に立ち去っていた。
 落ち着きを取り戻したロゼリーヌ王太后が、リブロム預かりとなっている元シュバイツァー伯爵の領地を久しぶりに訪問する、という名目で伯爵領の代理管理人に用意させた馬車へは、予定通り女性二人で移動する。
 ロゼリーヌ王太后の動向を注視する派閥を欺く為、ロゼリーヌは実際に領地へ向かうが、マッケンティアは休憩を予定している途中の街に待機させたフリューゲルヘイゲンの女性騎士と交代で、別の馬車に乗り換える手筈だ。
 ちなみに、その馬車はかつてグローリア=ヘンリーが旅行用に買いつけた個人名義の物で、今回の御者と護衛は男装したルビアのメイド達が務める。
 見た目には民間の馬車と変わらない、しかし内実はあらゆる改造を施した『走る城塞』、一騎当千の門番二名付き。
 マッケンティアの体調が崩れない限り、フリューゲルヘイゲンへの旅路の安全と機密保持は約束されているも同然だった。

「マッケンティア王太后陛下、こちらを」
「ありがとうございます、ロゼリーヌ王太后陛下」
 裏口への行きがけに立ち寄った衣装部屋から持ってきた二枚の上着と二個ある帽子の内、黒いセットをロゼリーヌが。白いセットをマッケンティアが着用する。
 帽子に付いて首元まで覆い隠すベールと、腰を締めないロングコートは、御者に顔や体格を覚えさせない為の目眩まし。間近で覗き込まれなければ、マッケンティアの特徴的な青い目を知られる心配は無い。
 加えて、薔薇の宮を一歩出た瞬間から、マッケンティアは『リナリア』と呼び名を変える。念には念をと、入れ代わる女性騎士から借りたものだ。
「マッケンティア王太后陛下は、お強いですわね」
「……強い?」
「愛する人を喪っても、実の子との縁が切られそうになっていても、揺らいでいるようには見えませんもの。わたくしは今でも戸惑うばかりで、娘達にどう接して良いのか……答えが出ませんの」
 歩きながらの唐突な話題にマッケンティアは首を捻り、ああ、と頷く。
「私の場合は簡単な話ですよ。生きて何をしたいのか。それを自分に問うているだけです」
「生きて何をしたいのか?」
「生きて何を見たいのか、でも構いません」
 愛する人の喪失や別れは、いつだって哀しい。
 当たり前にあったものが忽然と消え去り、二度と触れられない現実は、胸の中に大きな空虚を穿つ。
 どうやっても埋められない底無しの穴にも似た空虚は、残された者の気力まで際限なく吸い込んでしまう。
「だから私は常に問うているのです。愛する人を喪っても私は生きている。それは何故? 私はどうしたい? 何を望み、何を求められているの? と」
「作家として生きることが、マッケンティア王太后陛下の答えでしたの?」
「いいえ」
 ベールをふるふると振ったマッケンティアは、隣を歩くロゼリーヌに顔を向け、嬉しそうに弾んだ声色で答える。
「愛しい人達を笑顔にしたい。可愛い子供達の笑顔が見たい。私の答えは、それだけです」
 喪っても、離れても。
 大切に想う総ての人達が笑顔しあわせでありますように。
 それがマッケンティアの答え。生きる理由。
「ロゼリーヌ王太后陛下は、いかがです? 生きて何がしたいですか? 何を見たいと思いますか?」
「わたくしは……」
 意表を突かれたように足を止めたロゼリーヌが、一瞬の逡巡を挟み、再び足を進める。
「とりあえず、女王の道を選んだサーラが成長していく姿を見守りたいとは思います。今度は手紙でやり取りする距離ではなく、必要な時にすぐさま手を貸せる距離で」
「はい」
 一歩先に進んでいたマッケンティアも、ロゼリーヌの半歩後ろへ下がって前を向いた。
 裏口はもう、二人の数歩手前まで迫っている。
「共に参りましょう、王太后陛下。私達が望む未来へ」
「……そうね、。共に、得たいものを得られる場所へ」


 それぞれが願う、それぞれの明日へ。
 踏み出した総ての人を祝福するように、目映い陽光が降り注ぎ。
 暖かな風が、穏やかに流れはじめた。

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