[R18]黄色の花の物語

梅見月ふたよ

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おまけ

聖者の福音 Ⅵ

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 マッケンティアの、実の孫。
 オーリィードが宿した子供の本当の父親。

 リブロムがその言葉を噛み砕くまで、軽く二分は掛かった。
 意味を理解するまでには、更に数分。
 戸惑いを隠せないでいるロゼリーヌと眉一つ動かさないマッケンティアの視線に曝されながら、長い長い空白時間の果てにようやく絞り出した声は、飲み水を幾日も絶たれた老人のように、酷くしわがれていた。

「レクセルが……、そう、言ったんですか……?」
 オーリィードの妊娠に関しては、一ヶ月前に迎賓館の休憩室でロゼリーヌとグリューエル=ハインリヒから聴いて、リブロムも知っていた。胸のすぐ下に切り返しを付けたエンパイアラインのドレスが、彼女の身体の線を隠す為のデザインだったことも。
 その時は、まさかの事実にあらゆる意味で衝撃を受けたものの。
 オーリィードが子供を宿したなら、相手はレクセル以外に考えられない。レクセルとオーリィードを引き合わせたのは自分だ。二人が選んだ結果ならばと、二人……子供も合わせて三人を助けてくれたフリューゲルヘイゲンやフィオルシーニへの深い感謝と共に、知らなかったとはいえ生まれる前の命まで奪いかけた罪悪感と、そうはならなかった安堵と、形容しがたい痛みが交じる複雑な心境も、自分の中でなんとか折り合いを付けた。
 だというのに。
「レクセルが……あいつが、自分の子供ではない、と?」
 想像もしてなかった事を言い始めたマッケンティアに険のある目を向け、動揺とも怒りとも取れる感情を剥き出しにするリブロム。
 対するマッケンティアは、目蓋をゆっくり閉じて開き、首を軽く振った。
「いいえ。レクセルもオーリィードも、父親については言及していません」
「ならば何故、私が父親だなどと思われたのですか? 貴女は、私達の何を知って」
「身に覚えはないのですか、リブロム」
「っ…………」
 心の奥底まで見透かしているかのようなサファイアの目に射すくめられ、リブロムの両手に力がこもる。握った拳の中で汗がじわりと滲む。

 『五ヶ月』
 ルビアとレクセルからご褒美としてリブロムに与えられたらしい時間は、オーリィードの出産時期を示していた。
 逆算していけば、覚えは……ある。
 夜会を開いていたフィールレイク伯爵邸で、過去の幻に囚われてしまったオーリィードを落ち着かせる為、リブロムの『言葉』を届ける為に、一度。
 しかし、一度だけ。

「……考えにくい、です。……そんなわけ……」
 オーリィードの脇腹に残っていた傷跡をまざまざと思い出し、合意も無く彼女に触れた自分自身への嫌悪が喉を詰まらせ、正常な呼吸を奪う。
 息苦しさでうつむきかけたリブロムの耳に、多少和らいだマッケンティアの声が滑り込んだ。
「貴方と王城で再会した日、オーリィードが貴方の言葉を遮っていたことは覚えていますか?」
 忘れられる訳がない。
 どれだけ捜しても見つからなかった二人が、よりによってベルゼーラ王国の騎士姿でマッケンティア王太后の護衛として現れ、過去の全てを拒絶していったあの日の光景は、真相を知った今でも、リブロムの胸に鋭い刃を突き立てる。
 ぎこちなく頷くリブロムに、マッケンティアも浅く頷き返した。
「オーリィードがあんな風に一刻も早く立ち去りたい、ここには留まりたくないと言いたげな態度を私に見せたのは、あの時の一度きりです」
「それは……本当に、王城には居たくなかったから……」
「オーリィードの過去も、真相と併せてレクセルから聴きました。けれど、あの時のオーリィードは『嫌だから』『王城を』離れようとしたのではないと思いますよ」
「「……?」」
 リブロムとロゼリーヌが同時に首を傾げ、目線で疑問を投げかける。
 あまりにも揃いすぎた二人の動きに微笑みを浮かべたマッケンティアは、再度リブロムの頭に手を置き、やんわりと撫でた。
「あの子はきっと『知られたくなかったから』『貴方の前を』離れたかったのです」
「……妊娠の事実を、隠したかった?」
「オーリィードが妊娠していると気付いたのは、あれから少し時間が経った後です。あの時点ではオーリィード自身も知りませんでした。オーリィードが貴方に隠したかったのは、あの子の感情の動き」
「感情」
 言われてリブロムが思い浮かべたのは、新月の夜を思わせる冥暗な眼差し。リブロムが伸ばした腕を払い除け、リブロムの存在を冷たく淡々と撥ね付けた女性騎士の後ろ姿。
「馬車での帰り道、オーリィードは私の前で眠っていました。それまで孤児院でもほとんど眠っていなかったあの子が、珍しく安心した様子でレクセルの肩に寄りかかって……だから気付くのが遅れたのね。眠りつわりもあったにせよ、あの子が何に、どうして気を緩めていたのか」
 振り返らず、ためらいも見せず、マッケンティアと同じ馬車に乗り込んで王城を去ったオーリィード。
 過去を切り捨てたとリブロムに思わせた姿には、違う理由があるのだと、マッケンティアは言う。

「オーリィードは、嬉しかったのでしょう」

「え」
「喜んでいたのですよ。貴方との再会を。苦しみながらも一線は踏み越えずにいてくれた……ダンデリオン陛下とルビア王妃陛下に介入の口実を残してくれていた貴方との再会を。貴方を救えるかも知れない事実を。それこそ、一刻も早く顔を隠さなくてはいけないくらいに、心から」
 転がり落ちそうなほど見開かれた青い目を見て、マッケンティアの眉尻が下がる。
「オーリィードはレクセルに好意を寄せています。レクセルもオーリィードを愛している。それは事実です。少なくとも私にはそう見えていましたし、二人のふとした言動から考えても、疑う余地はありません。けれど、真相を知った今ならば断言できます」
「何、を」
「レクセルはオーリィードを愛しています。だからこそ他の男性を想い慕う女性に自分の子供を押し付ける真似は、決して、しません」

 かつて『アーシュマーレクセルの人格』であった貴方が、オーリィードの幸せをレクセルに託そうとしているように。

「……あ」
「貴方はレクセルを正確に理解していました。レクセルがどんな時にどんな答えを出すのか、誰よりも貴方アーシュマーこそが解っている筈ですよ」

『お前が『リブロム』として判断し、行動を起こしたように、『アーシュマー』は間違いなくお前だった』

 フィールレイク伯爵邸でレクセルへと放った自身の言葉が、鮮烈な閃光となってリブロムの脳裡を白く焼いた。まっさらな思考の中でバラバラに散っていた欠片が集まり、形を成していく。
 『アーシュマー』は、レクセルの人格を正しく投影している。レクセルと『アーシュマー』が導き出す答えは同じ。『アーシュマー』ならどうしていたかを考えれば、レクセルが何を選んだのかも分かる。
 『アーシュマー』なら……

『彼女、弱みにつけ込んで女を抱くようなヤツは嫌いなんだそうです』
『どうせなら、そのままとことん嫌われていてください』
『私は彼女に好かれているんですよ。大変不本意ですが、それでも家族を愛する自信なら貴方には負けていないと思います』

 レクセルなら、しない。
 サーラを想い慕って騎士への道をひたすら走っていたオーリィードに何も言えず、何もできなかった『アーシュマー』と同じ。
 レクセルはオーリィードに触れていない。
 だから、弱みにつけ込んだリブロムと違って、レクセルはオーリィードに
 相手がレクセルではない、としたら。

「……私の、子供?」

 固く握り締めていた両手を持ち上げて開き、茫然と見つめる。
 皮膚に食い込んだ爪痕が、赤い曲線を描いていた。
「オーリィードが、私の子供、を……?」
 今度こそ、幸せに。
 紛れもない本心を告げた直後に急落下したオーリィードの機嫌。
 その、意味は。

「オーリィードは待っています」
 マッケンティアが、緩慢な動きで向き直ったリブロムに柔らかく微笑む。
「貴方がどちらを手放し、どちらを得るか。どちらにしても、二人が選んだ答えを受け入れる覚悟で。貴方達を待っていますよ」
 どちらを。
 何を。
 オーリィードの子供が産まれるまでに、リブロムが選ぶべきもの。
 否。
 これは、リブロムに与えられた選択の自由。
 嫌でも選ぶしかなかったこれまでとは全く違う。
 選んでも、選択。
 南西部の安定維持に努めるか、フリューゲルヘイゲン王国に移住するか。
 ベルゼーラ国王リブロムか、シュバイツァー公爵の伴侶アーシュマーか。
 ルビアとレクセル、オーリィードが伸ばした手を、掴むか掴まないか。
 オーリィードの隣を手放すのか、得るのか。

「私……は」
 自分のせいで苦しめた。
 自分の手で、たくさん傷付けた。
 なのに、望むことを許されている。
 犯した罪故に赦される筈がなかった居場所を、許されている。
「私、には……」
「でも、今は」
 乾きかけたリブロムの頬に新しい涙が伝い落ちた瞬間、マッケンティアの両腕が震える彼の肩を力強く抱き寄せた。
「今はまず、私を母と呼んで欲しいわ」
 貴方達にそう呼んでもらえていた時間は、あまりにも短すぎたから。
 細い指先が銀色の髪を撫で、幼子をあやす仕草で背中をぽんぽんと叩く。
 失ったと思っていた温もり。二度と感じられないと諦めていた安らぎが、触れ合う場所からリブロムの内側へと広がっていく。
「……母、上……」
 広がって、広がって。リブロムの胸と喉を締めつける。
「母上……」
「はい」
 伸ばした腕でマッケンティアの身体を抱き返し、その存在を確めるようにすがりつく。
「母上」
「はい」
「……すみません」
「はい」
 何に対しての謝罪かは言わない。
 改めて口にしなくても、二人には解る。
 しばらくの沈黙を挟み、互いの両腕をゆっくり解いた後、一歩分の距離を置いたマッケンティアは、まっすぐに見つめ返す青い目と翳りのない微笑を交わした。
 そして。
「もう、十分です、マッケンティア王太后陛下。お時間を割いていただき、ありがとうございました。お見送りはできませんが、フリューゲルヘイゲンへの道中はくれぐれもお気を付けて。お身体を大切になさってください」
「ありがとうございます、リブロム陛下」
「こちらこそ」


 義務的な言葉とは裏腹な、照れを隠さない赤い頬をくしゃりと歪めて立ち上がり。
 二人の王太后へ、それぞれウェラント式とベルゼーラ式、両国の最敬礼を執ったリブロムは、面会の席を一人で後にした。

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